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鉄腸野郎Z-SQUAD!(旧館) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2016-09-02

Alessandro Aronadio&"Orecchie"/イタリア、このイヤミなまでに不条理な人生!

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去る8月31日、三大映画祭の1つであるヴェネチア国際映画祭が幕を開けた。デミアン・チャゼルの新作ミュージカル"La La Land"が絶賛で迎えられ、ドゥニ・ヴィルヌーヴ"Arrival"もなかなかの評判、序盤から映画祭は熱を帯びているが、所詮海の向こうの出来事で自分たちには関係なし……なんてことはなし! 何と太っ腹なことに映画配信サイトFestival Scopeヴェネチアでプレミア公開される作品の数々を配信を開始した、つまりは家でも映画祭の作品が観られる訳だ!私は去年もこの恩恵に預り、そして生涯ベストの1作ともなったアナ・ローズ・ホルマー監督"The Fits"(紹介記事読んでね!)との出会いを果たすことともなった訳だが、今年も勿論参加、15本くらい観るぞ!ということで今回から"ヴェネチア国際映画祭2016特別篇"として、世界最先端にある映画の数々を紹介していこう!

Alessandro Aronadioイタリアを拠点とする映画作家だ。大学では心理学を学び、その時の卒業論文は"デヴィッド・クローネンバーグ作品における分身について"だったそうだ。その後彼はフルブライト奨学金を獲得し、ロサンゼルス映画学校で監督業について学ぶこととなる。そしてイタリアアメリカを股にかけながら助監督として映画界入り、リュック・ベッソンジュゼッペ・トルナトーレなど錚々たる監督の下で働き経験を積む一方、MVやCM、ドキュメンタリーの製作も行っていた。2011年にはローマにシネマクラブKinoを設立し、トリノの大学Scuola Holdenで教鞭を取るなどの活動も行っている。

映画監督としては在学中の2002年に短編"Hollywood Stories"でデビュー、同年製作の"The Story of Adam & Eve"オルタナティヴ映画祭で学生作品賞を獲得し、更に2003年には"Lost D.""Glorybox"の短編2本を手掛け、後者はテッサロニキ台北で上映され、ネットゥーノ・ビデオ短編祭では監督賞と撮影賞を獲得するなど話題となる。2008年の"Roman Holiday"を経て、2010年には初の長編監督作"Due vite per caso"を手掛ける。今作はマッテオという青年が親友を病院に運ぶ途中、警察のパトカーと事故を起こしてしまったことから起こるサスペンスで、それから分岐した2つの未来を描き出すスライディング・ドア方式の作品なのだという。そしてビエンナーレ・カレッジに参加、第2長編製作に取り組み、2016年には"Orecchie"を完成させる。

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今作の主役は名もなき中年男(Daniele Parisi)、彼は高校の哲学教師としてうだつの上がらない日々を送っている。ある朝、彼は酷い耳鳴りと共に目を覚ますことになる。最初は時計のアラーム音かと思ったのだが、耳鳴りはいつまで経っても男を苛み続ける。そんな中で彼が見つけるのは同棲中の恋人アリーチェ(ローマ教室で 我らの佳き日々」シルヴィア・ダミーコ)が残したらしい置き手紙だ。"あなたの友人のルイージが亡くなったそうです。お気の毒に。P.S.車借りてくからよろしく"……でも、ルイージって誰だ?

そんな場面から幕を開ける"Orecchie"(題名の意味はイタリア語で"耳"、そのまんまである)はコミカルな不条理劇と形容すべき一作だ。病院へと向かおうとする男の前には"あなたは聖書を読んでいますか?"と詰問する2人組の修道女が現れ、そこに夫を病気で失った隣人まで乱入してきて事件勃発。そこから何とか逃げ出し病院に辿り着いたはいいが、受付の女性はスマホいじりまくって態度は最悪、更には先払いらしい診療費の高さに驚きながらATMへ駆け込んだはいいがキャッシュカードが吸い込まれたきり、うんともすんとも言わない。この状況は一体何なんだ!

こうして紡がれる思わず口角が緩んでしまうようなシュールな笑いの中に、Aronadio監督は人生への洞察を編み込んでいく。男は高校を退学しヒップホップの道を歩むフィリッポ()の元へ借金を取り立てにいくのだが、話題の遡上に上がるのはアルベール・カミュ異邦人である。主人公が殺人を犯した動機について語った「太陽が眩しかったから」という言葉は有名だが、男は哲学教師としてその言葉の奥にある意味を説明しようとするが、対してフィリッポは「太陽が眩しかったから」主人公は殺人を犯したまででそれ以上に深い意味はないと断言する。それじゃ哲学が存在する意味ないだろ!と男は反論しようとするのだが、フィリッポは言うのだ、先生は複雑に考えすぎてる、世界っていうのはもっとシンプルなものなんだよと。

そして物語が展開していくにつれこの洞察の中には、避けて通れぬ神への信仰すら関わってくる。冒頭に出てきた修道女につれない返事を返す姿からも伺える通り、男は無神論者とは言わずともキリスト教云々に全く興味もなければ信仰もない人物として描かれる。だが耳鳴りの原因を探り、それと共に不条理の沼へ足を絡め取られるうち、彼は否応なくキリスト教や神、人知を越えた巨大な何かと向き合うことを迫られる、しかも最も不条理な形で以て。

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だがキリスト教に馴染みの薄い人々が今作を楽しめないかと言えばその答えはNO、今作は大人になり切れない大人こどものおそらく普遍的な心の彷徨いを描き出した作品だからだ。男は表立って不満を露にする気概こそ持ち合わせていないが、この社会はクソッたれだ!という不満を溜め込みまくっている。自分はこんなタマじゃないという思いを抱き、周りに広がる現実という奴を受け入れることも出来ず、社会から押しつけられる責任からは逃げ続け、唯一安らぎを与えてくれる筈の恋人アリーチェとの関係も終りが近づき始めている。そしてある時、男は大学時代に世話になった恩師の信じられない姿を目撃し、いつの間にか自分が崖っぷちに立たされていたことに気づくのだ。

この作品を観て真っ先に思い出されるのはドイツの新鋭ヤン・オーレ・ゲルスター監督のデビュー長編コーヒーをめぐる冒険」だ。20代前半でモラトリアム真っ只中の青年が、コーヒーが飲みたいのにコーヒーが飲めないまま街を彷徨う作品なのだが、白黒で紡がれるコミカルな不条理劇という面で共鳴する部分が多い。この白黒映像について監督はこう語っている。"脚本を書く時にはいつも、その映像は白黒で思い浮かんでくるんです。まるでそれ以外に選択肢はないように、色彩から逃れるためにイメージを歪めるかフィルターにかけるかする必要があるとでも言うように。ですがそうしてこそ映像の最も根本に宿る衝撃を獲得することが出来るんです、顔、言葉、シーン全てにおいて。白黒は今作のインスパイアされたある種のコメディのように、そして人生それ自体のように無慈悲なんです"

そしてもう1つの重要な共通点がこの2作は都市についての映画であることだ。今作の舞台はイタリア首都ローマ撮影監督Francesco Di Giacomoは、この美しい都市に広がる風景を端正な手捌きで切り取っていく。壁面に巨大な聖母マリアが描かれた建物、パフォーマーが芸を披露する路地の喧騒、夜の闇へ厳粛に聳え立つ宮殿……この世界有数の都市は大いなる歴史を抱きながら、しかしその偉大さこそが男を苦悩に陥れる迷宮として彼の前に立ちはだかる。

それでもコーヒーをめぐる冒険」と今作の決定的な違いは主人公の年齢だ。前者はまだ20代前半と何だかんだ余裕があったのに対し、後者は30代のおそらく後半、現実から目を背け続けるにも限界が近づいている年代だ。だからこそ男が現実と対峙せざるを得ない姿には更なる悲愴感が漂う。世界には厭になるほど複雑で、狂気的なまでの不条理に溢れている、それを受け入れるのは辛いが、だけど……男の抱く葛藤は切実で痛々しい。その痛みを経た後に、彼がゆっくりと紡ぎだす言葉の数々はひどく感動的だ。"こんな世界でどうしてアイツらはあんな幸せそうに出来るんだ? ある時そんな思いが怒りではなく、嫉妬だと気づいた"……"Orecchie"という作品が観る者の心を打つのは、人生を受け入れることの喜びを描きながらも、それを上回る諦めに裏打ちされた悲しみが丹念に描かれているからだ。

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