鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる

Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
ルチアン・ピンティリエの作品群についてはこちら参照。

“Balanța”においてはチャウシェスク独裁政権時代に広がっていた不条理なる状況を、続く“O vară de neuitat”においてはルーマニアが最も栄華を誇ったと言える大ルーマニア時代に巣食っていた排外主義を、ルチアン・ピンティリエという映画作家は描き出してきた。そんな彼が初めてチャウシェスク以後のルーマニアと対峙し、生まれた1作を作り上げることとなる。それが第6長編“Prea târziu”だった。

さてここで少しルーマニアの現代史をおさらいしよう。1989年12月、チャウシェスク夫妻の処刑によって長きに渡る独裁政権及び社会主義政権は終りを告げた。この後第2代大統領に就任したのが、革命に大きく貢献した救国戦線評議会の議長であるイオン・イリエスだった。ルーマニアの人々はこれで暗黒の時代は幕を閉じ、より良い未来がやってくると信じていた。しかし現実はそう甘くなかった。イリエスク政権は共産主義者の排除を徹底できず、チャウシェスク体制はかなりの部分温存されることになる。更に資本主義の流入によってルーマニア経済に激震が走るが、イリエスク政権はそれにまともに対応できず、状況は日に日に悪くなっていった。

そんな中で大きな打撃を受けた産業が炭鉱経営だった。社会主義政権時代は資源も豊富でルーマニアの主だった産業の1つだったが、イリエスク政権以後風向きが変わり、ルーマニアの炭鉱は経営難を余儀なくされる。こういった現状を背景として“Prea târziu”は始まりを迎える。ルーマニア南東に位置するジーウ渓谷、ある日この炭鉱で鉱員の死亡事故が起こる。当初は居眠りが原因での窒息死だと思われていたが、この事件をきっかけとして鉱員の死亡が相次いで発生、これは本当に事故なのか、それとも……

まず、私たちは劣悪な環境下で働く鉱員たちの姿を目撃するだろう。彼らは湿気と熱気に満ちた灰色の世界で、汗と泥にまみれながら炭鉱を掘り続ける。同僚たちと叩きあう軽口は、しかしどこまでも広がる洞窟に吸い込まれ、濁りきった闇がいつまでも晴れることはない。一歩間違えれば命を失ってもおかしくない状況下で働き、心を削った果てに外へと帰還してもまた戻らなくてはならない運命。闇が終わらないのと同じように、貧困もまた終わることがないのだ。

そんな状況にある炭鉱へとやってきたのが地方検事コスタ("Balanța"ラズヴァン・ラドゥレスク)だった。彼はここで多発する死亡事故が殺人事件ではないか?という疑いを捜査するためにやってきたのだ。炭鉱の凄絶な現状に驚きながらも犯人と思わしき人物を探るうち、再び鉱員の死亡事故が起こってしまう。コスタは炭鉱で働いているという地質学者アリーナ(Cecilia Bârbora)の助けを借りながら、闇の奥へと踏み込んでいく。


右側のヒロイン、実はブログで並行して紹介しているMircea Daneliucの妻です。

こういった筋立てから今作は“炭鉱ノワール”と呼称するべき作品となっているが、真実を探るコスタの道筋にはルーマニアの息苦しい現状が浮かびあがってくる。鉱員の食堂には彼らのおこぼれを預かろうと孤児たちが集まり、その度警備員によって追い出されていく。自身らも貧困に苦しむ鉱員たちは閉鎖の危機にある炭鉱を守るため、抗議活動を繰り返す。そんな中で実際はこんな国を捨ててドイツへ出稼ぎへ行った方がマシかもしれないと嘯く。現状はチャウシェスク政権崩壊後から何も変わっていないのだ。そんな中で変わったことは何か。炭鉱へと稼ぎにやってきた小楽団の演奏を聞きながら鉱員の1人は呟く、チャウシェスクの野郎は音楽なんか聞かず汗水垂らして働けって言ってたのになあ!

それでも今までのピンティリエ作品と同様、この陰鬱な現状が広がる作品にも豊かな生命力が漲ぎっている。炭鉱にはいつでも男たちの大声が響き渡り、将来を不安に思えども彼らはある種の楽観主義を崩さない。演出自体もノワールとしての抑制と鬱々さを確かに持ち合わせながら、この裏側で脈打つ力強い力を隠しきれないような過剰さが全面に出てくるのだ。

これはルーマニアの映画製作状況も多分に関わっているのかもしれない。今作にはこれ以前のルーマニア映画で殆ど見られなかった描写が見られる。その主だったものが性描写である。コスタとアリーナの騎乗位セックスや鉱員たちの全裸姿などが普通にカメラに映るのだ。もちろん欧米や日本などの作品では普通も普通だが、数年前まで国家的な検閲が幅を効かせ、体制批判などの不適切な描写があれば上映を禁じられた状況が広がっていたことを考えるとこの描写の数々には隔世の感すらある。だからかピンティリエはその面で結構浮き足立っている節がある。コスタとアリーナが一緒にいる場面はいちいち性的で、テレビ画面にポルノ映画が映ったり、アメリカの超有名ポルノ映画ディープ・スロートが言及されるなどする。そして二人の関係性はまるで70年代のイタリア艶笑劇といった感じで微笑ましい。まあ、この描写の数々によって物語が本筋を外れることが多々あるのだが、今作が持つ生命力の豊かさに寄与していることは間違いない。

しかし物語が展開するにつれ、それを凌駕するようなドス黒い闇がスクリーンから噴出し始める。執拗な妨害工作を受けながらもコスタが真実の探求を続ける中で、この事件がイリエスク政権と不気味な繋がりを持っていることが明らかになり始める。その一例が炭鉱十字軍(ミネリアーダ)の存在だ。これについては住谷春也氏の解説を引用しよう。炭鉱十字軍とは”1989年革命後に旧体制を引き継いだイリエスク政権に対する民主派の大学広場占拠などを暴力で排除するために動員されたジーウ地方の炭鉱労働者のブカレスト進軍”を指している。この中心となったジーウ地方とはつまり今作の舞台である。労働者の逼迫した状況を利用し、イリエスク政権はルーマニア国民が抱いていた自由への希望を潰そうと画策していたのである。劇中でも、この炭鉱十字軍の凶行を撮したフッテージ映像が重要な役割を果たすこととなる。更に十字軍進軍は”1990年初めから数回繰り返され、煽動/組織には元セクリターテが活躍した”と住谷氏が記す通り、この組織の裏にはチャウシェスク政権の遺産が隠されているのだ。大統領の首はイリエスクにすげ変わりながら、実際は何も変わっていないという証左でも有りうるだろう。

それでも“Prea târziu”はこの問題が数ある問題の1つでしかないのだとも私たちに語る。炭鉱の闇が更に深まる最中、この暗黒から現れ出る犯人の存在は激動の渦中にあるルーマニア社会が宿してしまった捻れを象徴していると言えるだろう。そしてピンティリエ監督はこの捻れを滑稽なまでに不条理でありながら、且つ怖気を震うほどの禍々しい終局へと結実させていくのだ。あっけに取られながらも、スクリーンには胸を打つ言葉が浮かび上がってくる。“もう手遅れだ(Prea târziu)と諦めてはいない全ての人に、この作品を捧ぐ”

ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏

Jang Woo-jin&"Autumn, Autumn"/でも、幸せって一体どんなだっただろう?

最近の韓国映画を観ていて思うのは、面白い映画は2つのタイプに分けられるということだ。まずは“悪夢”的映画、血腥い暴力と“恨”の感情に裏打ちされた、映画ファン一般における韓国映画といえばというイメージの映画群を指している。3月に韓国映画がラッシュで公開されたが3作全てそんな感じ(「お嬢さん」は悪夢映画でありながら、その悪夢を乗り越える映画でもある)で、特に「哭聲」なんかはこの悪夢的な映画の1つの極点と言える作品だと言えるだろう、アレはヤバいよ本当。

そしてもう1つが“白昼夢”的な映画だ。現実と非現実が地続きで繋がっている、あの地に足がつきそうでつかないフワフワ感、そしてその奥に存在している愛や人生そのものへの言葉にはし難い感情の数々、それらを内包した何かとても不思議な感覚を覚える作品群を指していて、代表的な存在は勿論ホン・サンスの諸作である。さて、今回紹介したいのはこの後者に属するだろう、韓国インディー映画期待の新人作家Jang Woo-jing 장우진の第2長編“Autumn, Autumn”(原題:춘천, 춘천)だ。

1985年生まれのJang Woo-jing 장우진は弘益大学校と檀国大学校で映画製作について学んでいた。大学時代から精力的に作品を制作していたが、彼の名を一躍有名にしたのが2014年に手掛けたデビュー長編"A fresh start"だった。兵役から帰ってきたばかりのジヒョン(同名かつ同俳優のキャラが次回作でも登場)は高校時代の友人であったヘリンと関係を持つのだが、彼女が妊娠したことを知り……という一作で、全州国際映画祭で最優秀作品賞を獲得するなど大きく話題となる。そして2016年に彼は待望の第2長編"Autumn, Autumn"を完成させる。

ある夜、青年ジヒョン(Woo Ji-hyeon)は最終列車で故郷の春川へと帰ってきた。ソウルで職を得るために仕事の面接を受けたが、今回も就職の希望はなく疲労感だけが残る。そしてエレベーターに乗っている途中、ジヒョンはある男から話しかけられる。昔からの友人だとは思い出すのだが、彼の名前は思い出せない。ソウルへと仕事に行くらしい男の背中を、何か空しい思いのままジヒョンは眺める。

まず映画は春川を彷徨するジヒョンの姿を追っていく。旧友のミンジョンと再会した彼は酒を呑み交わしながら、積る話に華を咲かせる。その中でジヒョンはさっき会った男の名前がチョンサンであることを知り、彼の母親が亡くなったことすら知らなかった自分に愕然とする。そして泊まる場所もない彼は、これまた友人であるワンの母親の元へ厄介になる一方、彼女のキムチ作りを手伝ったり、食堂の手伝いをしたり、清平寺へとお参りに行ったり……

今作で重要なのは監督の空間への意識だ。夜、ジヒョンは面接を取り計らってくれた友人に電話するのだが、体面からか上手く行ったよと嘘をついてしまう。しかしそんな彼は立つのは薄暗く錆びついた廃墟のような場所であり、そこは不健康な胃液の黄色にも似た寂しく不気味な明かりで満ちている。そして夜が明けた後、彼は変わりゆく春川の姿を否応なく目撃する。重機によって開発されていく大地、薄い青紫の冷たさに覆われた山と船乗り場の風景、昔自分が見たものとはどこか違う風景の数々を目撃することになる。長回しによってそんな風景とジヒョンの抱くそこはかとない悲しみが、凍てついた空気と共に繊細に捉えられていくのだ。

そんなジヒョンの物語の他に、映画ではもう1つの物語が綴られることにもなる。冒頭においてジヒョンの隣に座っていたヒョジュンとソラン(Yang Heung-joo&Lee Se-rang)の中年カップルがその物語の主人公だ。春川には日帰り旅行で来訪したらしく、ヒョジュンは初めて来たというがソランは元々ここに住んでいたらしい。2人は夜の街を行き、明日に開催される春川マラソンのせいで宿を探すのに苦労しながらも、やっと辿り着いたホテルの部屋で明日はきっと楽しくなることを願いながら眠りにつく。

ジヒョンを描く上でもそうだったが、監督は2人の物語を綴るにも説明的な描写は一切排したミニマルな方法論を取っている。私たちはおそらく、2人がどういう関係なのか疑問に思いながらこの物語を見据えることになるだろう。冒頭で繰り広げる朴訥とした会話を聞くと結婚10何年目かでどこか微妙な状態の中年夫婦に思えるしもしかすると不倫関係かもしれない、相手の距離感をいまいち図りかねるぎこちなさは初めてのデートをする中年男女なのやも、こうして監督は節々に彼らの性格や今までを匂わすような描写を差し込むことで、観客に思考を促していく。

その中で私たちは、2つの物語の主人公が同じような場所を巡るのにも気づくこととなる。春川駅のエレベーター、薄い青紫の冷たさに覆われた山と船乗り場、あのお参りにはうってつけな清平寺。こうして異なる物語、つまりは異なる人生の中で同じ風景が反復されることで“Autumn, Autumn”は白昼夢のような感触を得るのだ。いつかの凍えそうな秋の日、寒さが肌に沁みながらもいつしか暖かな微睡みへと誘われていく、そんな感触がある。実際主人公たちはホン・サンス作品の主人公たちのように本当に眠ってしまうことはほぼないが、それでも現実と不思議なズレを見せる世界がここには広がっている。

だが今作の表面上の居心地よさの裏側には、人生の深い倦怠感が横たわっている。3人はいつどこに居ても呆けたような表情を浮かべ、自分がこの場所に立っていることを信じられないでいるようだ。それは彼らの人生への思いとも重なる。ジヒョンはソウルで働くという目標も成し遂げられず、無意味に人生を浪費しているのでは?という思いから逃れられない。もっとマトモな人生を生きてる筈だったのに、どうしてこんなことになってる? この問いは彷徨いの中で幾度なく反復されていく。そしてあの寂しい黄色に包まれた夜、彼はチョンサンに電話をかける。その会話の中で春川と同じように自分も変わりチョンサンも変わったことを、全てが過ぎ去っていくことを悟り、この冷ややかな哀感に秘めていた感情を爆発させる。

そしてヒョジュンとソランの元にも、そんな瞬間が訪れる。監督は数分にも渡る長回しによって、彼らは打ち解けたような雰囲気で料理を食べ酒を呑み交わす姿を撮す。話題は自分の家族についてやカマキリの生態などあちらこちらへと飛びながら、しかし彼らの表情や行動、何よりそこから溢れ出す豊かな感情の数々は一切途切れることなく、画面にも美しく滲み渡っていく。その最中、ビニールカーテンで仕切られた座敷へと太陽の光が降り注いでいく。かと思うと陽光は影に遮られ、冷え冷えとした薄暗さが2人の世界を満たす。数分間にも渡る長回しの中で、光と影は劇的なまでに浮かんでは消えてを繰り返していく。この揺らぎに“彼/彼女と自分はどうなっていくのだろう?”とそんな心が現れてくるのに観客は気づく。だが私たちはまたその奥に、彼らだけでなくジュンスの心にも広がるだろう移ろう思いが見えてくる筈だ。“もっと幸せになりたい” “でも幸せってどういうものだったっけ”……そして3つの孤独な魂は彷徨い続ける、どこかにあるのしれない/どこにも無いのかもしれない答えを探して。

私の好きな監督・俳優シリーズ
その151 クレベール・メンドーサ・フィーリョ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす
その152 Tali Shalom Ezer&"Princess"/ママと彼女の愛する人、私と私に似た少年
その153 Katrin Gebbe&"Tore Tanzt"/信仰を盾として悪しきを超克せよ
その154 Chloé Zhao&"Songs My Brothers Taught Me"/私たちも、この国に生きている
その155 Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その156 Noah Buschel&"Bringing Rain"/米インディー映画界、孤高の禅僧
その157 Noah Buschel&"Neal Cassady"/ビート・ジェネレーションの栄光と挫折
その158 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その159 Noah Buschel&"The Missing Person"/彼らは9月11日の影に消え
その160 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その161 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その162 Noah Buschel&"Sparrows Dance"/引きこもってるのは気がラクだけれど……
その163 Betzabé García&"Los reyes del pueblo que no existe"/水と恐怖に沈みゆく町で、生きていく
その164 ポン・フェイ&"地下香"/聳え立つビルの群れ、人々は地下に埋もれ
その165 アリス・ウィノクール&「ラスト・ボディガード」/肉体と精神、暴力と幻影
その166 アリアーヌ・ラベド&「フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」/彼女の心は波にたゆたう
その167 Clément Cogitore&"Ni le ciel ni la terre"/そこは空でもなく、大地でもなく
その168 Maya Kosa&"Rio Corgo"/ポルトガル、老いは全てを奪うとしても
その169 Kiro Russo&"Viejo Calavera"/ボリビア、黒鉄色の絶望の奥へ
その170 Alex Santiago Pérez&"Las vacas con gafas"/プエルトリコ、人生は黄昏から夜へと
その171 Lina Rodríguez&"Mañana a esta hora"/明日の喜び、明日の悲しみ
その172 Eduardo Williams&"Pude ver un puma"/世界の終りに世界の果てへと
その173 Nele Wohlatz&"El futuro perfecto"/新しい言葉を知る、新しい"私"と出会う
その174 アレックス・ロス・ペリー&"Impolex"/目的もなく、不発弾の人生
その175 マリアリー・リバス&「ダニエラ 17歳の本能」/イエス様でもありあまる愛は奪えない
その176 Lendita Zeqiraj&"Ballkoni"/コソボ、スーパーマンなんかどこにもいない!
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その178 Ron Morales&"Graceland"/フィリピン、誰もが灰色に染まる地で
その179 Alessandro Aronadio&"Orecchie"/イタリア、このイヤミなまでに不条理な人生!
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その181 Jorge Thielen Armand&"La Soledad"/ベネズエラ、失われた記憶を追い求めて
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その184 ナ・ホンジン&"哭聲"/この地獄で、我が骨と肉を信じよ
その185 ジェシカ・ウッドワース&"King of the Belgians"/ベルギー国王のバルカン半島珍道中
その186 Fien Troch&"Home"/親という名の他人、子という名の他人
その187 Alessandro Comodin&"I tempi felici verranno presto"/陽光の中、世界は静かに姿を変える
その188 João Nicolau&"John From"/リスボン、気だるさが夏に魔法をかけていく
その189 アルベルト・セラ&"La Mort de Louis XIV"/死は惨めなり、死は不条理なり
その190 Rachel Lang&"Pour toi je ferai bataille"/アナという名の人生の軌跡
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