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鉄腸野郎Z-SQUAD!(旧館) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-05-21

Ektoras Lygizos&"Boy eating the bird's food"/日常という名の奇妙なる身体性

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ヨルゴス・ランティモス監督作籠の中の乙女において、観客の度肝を抜くシーンは余りにも多すぎて枚挙に遑がないが、特に脳髄をブチ震わされた場面を1つ挙げるとするなら、私は終盤での奇妙過ぎるダンスを選びたい。ギターの音色に合わせて最初は割と普通のダンスをしていた姉妹は、音楽が進むにつれまるで己の身体の限界を試すような感じで、凄まじい動きを見せ始める。肉体がひしゃげ、肉体が歪み、肉体が捻じれ、肉体が爆ぜるあの場面、マジに衝撃的だったとしか言い様がない。ある側面ではあれこそがいわゆる"ギリシャの奇妙なる波"の始まりを告げたと言っていいのかもしれない。それ故にこの潮流は、何度もこのブログで話題に挙げているが奇妙な身体性によって規定されていると言っていい。今回紹介する作品は、そんな奇妙な作品群の中でも群を抜いて奇妙な1作"Boy eating the bird's food"だ。

Ektoras Lygizosは1976年ギリシャに生まれた。アテネ大学で演劇などについて学んだ後、彼は舞台演出家としてイプセンチェーホフベケットなどの舞台を上演し名声を博す。現在もどちらかと言えば演劇が主戦場であり、去年は題名の通りアイスキュロス「縛られたプロメテウスを元とした現代演劇"Prometheus Bound by Aeschylus"を上演するなどしている。映画監督としてはヴェネチア国際映画祭で話題を博した短編"Agna niata"(2004)などの作品を製作した後、2012年に長編デビュー作である"Boy Eating the Bird's Food"を完成させる。

D

青年ヨルゴス(Yiannis Papadopoulos)は朝起きた時まずやるのはカナリアのエサを変えることだ。檻の中ではばたく鳥の姿を見ながら、彼はフン用の紙を取り換え、ケースに新しいエサを入れる。そして服を着替えると、ヨルゴスは外に出る。ある場所につくと彼は教師らしい男と歌のレッスンをするのだが、歌の途中で何の前触れもなく卒倒してしまう。

今作はそんな青年の謎めいた日常/非日常を描き出す作品だ。物を食べ、外を歩き、様々な場所で働き、帰ってくると眠りにつく。そんな一見普通の生活を送りながらも、彼はどこか周囲の人間とは違うとすぐに分かる筈だ。普段の何気ない動作、卒倒する姿、ある女性(Lila Baklesi)に対する妙な態度、一体彼は何者なのだろうか?

監督の演出は酷くストイックで、観客の誰もが抱くだろうそんな問いに対して簡単に答えを出そうとしない。撮影監督Dimitris Kasimatisの持つカメラはヨルゴスの身体へと異様な肉薄を続け、皮膚に広がる毛穴まで見えてくるような近さで物語を紡ぐ。そして手振れを一切隠さないゆえに、生々しい閉塞感が画面から匂いたってくるのだ。そこに説明的な側面は宿ることがない。

そういった演出もあってか、この作品は劇映画というよりもと動物の生態観察を主としたドキュメンタリーのようにも見えてくる。鳥にエサを与える時の腕の動き、ベランダから身体を乗り出す時の足の動き、何もしていない時の表情の揺れ、視線の忙しない移ろい、そういった物がある種の執拗さで以て描かれる様は有無を言わさぬ迫力に満ちている。そして私たちは正にヨルゴスが、人間というより動物存在へと還元されていく様をも目撃するのだ。

そしてここに見えてくるのはヨルゴスが自身の肉体に対して何らかの切実な違和感を抱いている姿だ。例えば彼はある時風呂場でマスターベーションを行うのだが、射精した後手についた精液を舐め取ることとなる。明らかに常軌を逸脱した行為であるが、同時に自分の身体がどんな物だか分かっていないが故の無邪気な行為のようにも見える。この白い液体は何なのか、白い液体を射出するこの体の部位は何なのか、そういった疑問が彼の行動には滲む。精液を舐めるという行為は、つまり無邪気でありながら切実な自己探求でもあるのだ。

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当然、彼は自分以外の"動物"たちに対しても好奇心や興味を隠すことがない。家では鳥を買い、彼を唯一の友人としてその行動を観察し続ける、それはカメラが彼を観察し続けるようにだ。更にある時はミサへと向かう老婦人の行動を目を皿のようにして眺め、彼女の真似をする。こういった光景が劇中には何度か現れる。そうして自己探求は"生物とは?"という探求とも重なりあうのだ。

ここで振り返りたいのが"ギリシャの奇妙なる波"に属する作品の数々だ。例えばティナ・ラシェル・ツァンガリの第2長編"Attenberg"(レビュー記事)は父の死を前にした女性が他者の身体を通じて私の身体を知り、他者の死を通じて私の生を知る姿が描かれた一作だ。本作では動物学者デヴィッド・アッテンボロードキュメンタリーが構想源の1つであり、演出も動物学的観察を指向している(実際に彼の作品が劇中にも登場する)が、表面的な演出は違うとはいえ、その底にある人間=動物を観察するという姿勢はこの""と共鳴しあっていると言える。

そしてそれを象徴する場面も存在している。"Attenberg"ではSuicide"Ghost Rider"に乗せて身体を奇妙に躍動させる主人公の姿が現れる。これは籠の中の乙女と並び今後の"ギリシャの奇妙なる波"を規定する身体性が発露を遂げた重要なシークエンスであるが、この作品においてもヨルゴスが音楽に合わせて最早ダンスとも言い難いまでのやけっぱちさで、身体を動かす場面があるのだ。この偶然の一致は、もちろん偶然などではない。例えば先述した籠の中の乙女においてもマニエリスムの舞踏が登場したりと、この歪んだ"身体性"は"ギリシャの奇妙なる波"の中核に存在している訳だ。

だがこの作品は動物学とドキュメンタリー的筆致を結い合わせることによって"Attenberg"が成し得なかった境地へと達している、というのもここにおいて奇妙さはコンテンポラリーダンスへと接続されるのだ。正しく言い換えるならば、日常の営為が異様なクロースアップによって断片化させられるその時、日常は現代舞踏さながらの多重的な意味と広がりを宿すのである。ヨルゴスがエスカレーターに乗る姿、ソファーに寝転がる姿、階段を駆け下りる姿、そんな私たちにもお馴染みの行動に今まで見えてこなかった不気味な深淵、奇妙な舞踏性が見えてくる。"Boy eating the bird's food"とは自己探求や生物という概念への洞察を、奇妙な舞踏性を以て独創的に描き出した全くもって謎めいた作品なのだ。その深淵に答えなど存在するだろうか?

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その151 クレベール・メンドーサ・フィーリョ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす
その152 Tali Shalom Ezer&”Princess”/ママと彼女の愛する人、私と私に似た少年
その153 Katrin Gebbe&”Tore Tanzt”/信仰を盾として悪しきを超克せよ
その154 Chloé Zhao&”Songs My Brothers Taught Me”/私たちも、この国に生きている
その155 Jazmín López&”Leones”/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その156 Noah Buschel&”Bringing Rain”/米インディー映画界、孤高の禅僧
その157 Noah Buschel&”Neal Cassady”/ビート・ジェネレーションの栄光と挫折
その158 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その159 Noah Buschel&”The Missing Person”/彼らは9月11日の影に消え
その160 クリスティ・プイウ&”Marfa şi Banii”/ルーマニアの新たなる波、その起源
その161 ラドゥー・ムンテアン&”Hîrtia va fi albastrã”/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その162 Noah Buschel&”Sparrows Dance”/引きこもってるのは気がラクだけれど……
その163 Betzabé García&”Los reyes del pueblo que no existe”/水と恐怖に沈みゆく町で、生きていく
その164 ポン・フェイ&”地下香”/聳え立つビルの群れ、人々は地下に埋もれ
その165 アリス・ウィノクール&「ラスト・ボディガード」/肉体と精神、暴力と幻影
その166 アリアーヌ・ラベド&「フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」/彼女の心は波にたゆたう
その167 Clément Cogitore&”Ni le ciel ni la terre”/そこは空でもなく、大地でもなく
その168 Maya Kosa&”Rio Corgo”/ポルトガル、老いは全てを奪うとしても
その169 Kiro Russo&”Viejo Calavera”/ボリビア、黒鉄色の絶望の奥へ
その170 Alex Santiago Pérez&”Las vacas con gafas”/プエルトリコ、人生は黄昏から夜へと
その171 Lina Rodríguez&”Mañana a esta hora”/明日の喜び、明日の悲しみ
その172 Eduardo Williams&”Pude ver un puma”/世界の終りに世界の果てへと
その173 Nele Wohlatz&”El futuro perfecto”/新しい言葉を知る、新しい”私”と出会う
その174 アレックス・ロス・ペリー&”Impolex”/目的もなく、不発弾の人生
その175 マリアリー・リバス&「ダニエラ 17歳の本能」/イエス様でもありあまる愛は奪えない
その176 Lendita Zeqiraj&”Ballkoni”/コソボ、スーパーマンなんかどこにもいない!
その177 ドミンガ・ソトマヨール&”Mar”/繋がりをズルズルと引きずりながら
その178 Ron Morales&”Graceland”/フィリピン、誰もが灰色に染まる地で
その179 Alessandro Aronadio&”Orecchie”/イタリア、このイヤミなまでに不条理な人生!
その180 Ronny Trocker&”Die Einsiedler”/アルプス、孤独は全てを呑み込んでゆく
その181 Jorge Thielen Armand&”La Soledad”/ベネズエラ、失われた記憶を追い求めて
その182 Sofía Brockenshire&”Una hermana”/あなたがいない、私も消え去りたい
その183 Krzysztof Skonieczny&”Hardkor Disko”/ポーランド、研ぎ澄まされた殺意の神話
その184 ナ・ホンジン&”哭聲”/この地獄で、我が骨と肉を信じよ
その185 ジェシカ・ウッドワース&”King of the Belgians”/ベルギー国王のバルカン半島珍道中
その186 Fien Troch&”Home”/親という名の他人、子という名の他人
その187 Alessandro Comodin&”I tempi felici verranno presto”/陽光の中、世界は静かに姿を変える
その188 João Nicolau&”John From”/リスボン、気だるさが夏に魔法をかけていく
その189 アルベルト・セラ&”La Mort de Louis XIV”/死は惨めなり、死は不条理なり
その190 Rachel Lang&”Pour toi je ferai bataille”/アナという名の人生の軌跡
その191 Argyris Papadimitropoulos&”Suntan”/アンタ、ペニスついてんの?まだ勃起すんの?
その192 Sébastien Laudenbach&”La jeune fille sans mains”/昔々の、手のない娘の物語
その193 ジム・ホスキング&”The Greasy Strangler”/戦慄!脂ギトギト首絞め野郎の襲来!
その194 ミリャナ・カラノヴィッチ&”Dobra žena”/セルビア、老いていくこの体を抱きしめる
その195 Natalia Almada&”Todo lo demás”/孤独を あなたを わたしを慈しむこと
その196 ナヌーク・レオポルド&”Boven is het stil”/肉体も愛も静寂の中で老いていく
その197 クレベール・メンドンサ・フィリオ&「アクエリアス」/あの暖かな記憶と、この老いゆく身体と共に
その198 Rachel Lang&”Baden Baden”/26歳、人生のスタートラインに立つ
その199 ハナ・ユシッチ&「私に構わないで」/みんな嫌い だけど好きで やっぱり嫌い
その200 アドリアン・シタル&「フィクサー」/真実と痛み、倫理の一線
その201 Yared Zeleke&”Lamb”/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&”A batalha de Tabatô”/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&”Woman Undressed”/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&”Ninah’s Dowry”/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&”Aloys”/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&”Já, Olga Hepnarová”/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&”Córki dancingu”/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&”Girl Asleep”/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&”Hooligan Sparrow”/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&”Yek khanévadéh-e mohtaram”/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&”Pharmakon”/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&”Centaur”/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&”Montanha”/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&”Mister Universo”/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&”Park”/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&”Le Parc”/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&”How Heavy This Hammer”/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&”Adiós entusiasmo”/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&”Ce lume minunată”/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&”Autumn, Autumn”/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&”Jours de France”/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&”Ejercicios de memoria”/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&”Prevenge”/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&”Dearest Sister”/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&”Orly”/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&”One Week and a Day”/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&”A blast”/ギリシャ、激発へと至る怒り

2017-05-20

Syllas Tzoumerkas&"A blast"/ギリシャ、激発へと至る怒り

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さて、いわゆる“ギリシャの奇妙なる波”はこの国が直面した経済危機に端を発して巻き起こった潮流と言うべきものだ。危機的状況において自分たちはどう映画を作れば良いのか?という苦悩の元に映画作家たちは団結し、低予算で勝負するために全くもって奇妙な内容の映画を作ることで世界に名声を馳せることとなる。そして作家たちは次の段階としてこの経済危機それ自体に目をむけ、この苦境をいかに映画にするか?という問いを突き詰め始める。今回紹介するSyllas Tzoumerkas監督作“A Blastはその問いに対する1つの強烈な応答でもある一作だ。

亡霊のように悲壮な表情を浮かべる女性、彼女が今作の主人公であるマリア(Angeliki Papoulia)だ。ある朝、マリアは3人の子供を連れて車を走らせる。そして姉であるゴゴ(Maria Filini)に彼らを預けたかと思うと、車を駆り独りでどこかへと向かう。孤独な疾走を遂げる中で、彼女の顔にはいつしか大いなる怒りが宿り始める。

何故こんな状況へと彼女は追いやられたのか、物語は同時並行的にマリアの過去をも描き出していく。数年前、ロースクールへの入学が決まり、そして夫である貨物船の船員ヤニス(Vassilis Doganis)とも出会いを果たしたマリアの人生は順風満帆と言ってもよかった。しかし母(Themis Bazaka)がとある秘密を隠していたのを、彼女は知らない。

“A blastは主にこの2つの時間軸を行き交いながら、1人の女性の熾烈な生存闘争を語っていく。過去を生きるマリアの姿には活力が漲っている。姉との戯れ、新年の喜び、ヤニスとの愛、全てにおいて全力である彼女はとにかく騒がずにいられない性格なのだと一目で分かるだろう。だが現在においてこの活力は負の感情に反転している。深い絶望感、迸る怒り、重苦しい虚無、それらが突発的な暴力やエロスと共に発露する様は、この時点で既に壮絶だ。

そして2つの時間軸は絶望によって共鳴しあうこととなる。ある時、マリアは母がとてつもない量の借金を隠していたことを知り、悲嘆に暮れる。更に彼女がそれを苦にして自殺したことから、自分たちで全てを解決しなければならない状況にあると悟る。マリアは借金を返済しようと、四方を駆け回る生活を送るのだったが……

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このマリアの苦闘の裏には、先述した通りギリシャ未曾有の経済危機が存在している。劇中に出てくるニュースでは“ギリシャは沈みゆく船である” “相次ぐ倒産ギリシャの状況は壊滅的なものとなっています”など国の未来に対する真っ暗な見通しばかりが叫ばれる。そして真っ先にその犠牲となるのは市井の人々、つまりはマリアたちだ。崩壊によって追い詰められる中で彼女たちは何とか事態を打開しようとしながら、役所の官僚主義的な物腰は何をも解決しようとしない。真綿で首を絞められるような感覚の中で浮かび上がるのは、マリアがロースクールの試験のため覚えた言葉だ、人は皆幸せになる権利がある……

そしてこの状況へと奇妙な形で織り込まれていく要素が、マリアと夫ヤニスの関係性だ。過去において2人の仲は正に始まりの絶頂にありながらも、借金が原因で彼女たちの心は分断されていく。この分断される様を監督は執拗なセックスによって描き出す。物語の流れに介入するかのように放り込まれるセックスは、まるで愛と津波が激突を果たすかのような圧力に満ちている。互いの身体を打ちあいながら、永遠に愛してくれる?という問いを虚空へと叫ぶ。だが物語が進むにつれその描写は不穏なものとなり、とうとう彼は他の人間の肌を選び取る……

今作の核となる存在はマリア役のAngeliki Papoulia以外には居ないだろう。籠の中の乙女の長女役として日本でもお馴染みの俳優だが、骸骨のような顔立ちから生命力が溢れ出す様は圧巻としか言い様がない。彼女の一挙手一投足は物語を牽引し、独特のリズムを作り出していく。例えば母親に怒りを爆発させる時の感情の炸裂、例えば人生への幻滅を語る時に広がる水を打ったかのような静謐、これらが1つ間違えれば支離滅裂となりかねない時間軸の錯綜に1本太い芯を通すのだ。

“A blastは“ギリシャの奇妙なる波”の中で奇妙さでは他の作品に劣るかもしれない。だがそれを補って余りある強烈な力がここには宿っている。栄光と希望に満ち溢れていた過去、財政崩壊と官僚主義に彩られた腐敗の現在、流れを切り裂くように現れる荒々しいセックス、それらを監督は大胆不敵な編集(編集担当のKathrin Dietzelは今作のMVPかもしれない)と噴出する生命力によって織り合わしていく。それらはいつしか高速道路を駆け抜ける車の爆走に重なり、物語は激発(Blast)へと至るのだ。

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2017-02-03

Sofia Exarchou&"Park"/アテネ、オリンピックが一体何を残した?

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東京でのオリンピック開催が2020年に決定してから、おもてなしやら共謀罪やら会場建設費やら日本ではクソみたいなことが多々起こっている。今の時点でこのザマなのだから、マジで2020年になったらどうなってしまうのかと今から戦々恐々で「AKIRA」の世界が実際に広がってしまうのも近いとしか思えない。今回紹介は、そんな東京の未来が映し出されていると言っても過言ではないギリシャ映画"Park"とその監督Sofia Exarchouを紹介していこう。

Sofia Exarchouアテネを拠点とする映画作家だ。アテネ・ポリテクニック、スタヴラコス映画学校、ステラ・アドラー俳優スタジオ、フランス・トゥールーズの映画大学ESAVなどを渡り歩き、電気工学や演劇、映画などについて学ぶ。助監督やスクリプト・アドバイザーとして活動しながら、"Apostasi""Mesecina"などの短編を監督、そして2016年には彼女にとって初長編となる"Park"を製作する。

2004年、オリンピックが誕生の地であるギリシャへと戻ってきた。この記念すべき出来事にギリシャの人々は歓喜に沸くこととなる。そんな中で五輪に向けて新設されたり整備された会場は数多存在しており、そこでアスリートが身体を躍動させ、力を競いあい、世界中の人々を魅了していった。だがその五輪後、彼らが輝いた舞台はどうなってしまったのかに思いを馳せたことがある人はいるだろうか。スタジアムとして未だ現役でアスリートたちの活躍を見守っているのか、それとも仕事が終わった後には解体されまた別の建物が建てられたのだろうか。

だが実情はそんな生易しいものではない。五輪が終幕したのちギリシャは未曾有の財政危機に見舞われ、末期的な状況に陥ることとなった。そんな最中には会場を維持する余裕もなければ、解体して新しい建物を作る余裕すらない。会場は無惨にも放置され、アテネの郊外には廃墟の群れが広がることとなる。落書きまみれの壁、破壊された観客席、雑草が伸びっぱなしのスタジアムに汚水の溜まったプール。あの熱狂は存在しない、世界は既に救いがたい荒れ野と化している。

“Parks”が描き出すのは、そんな廃墟を根城とする少年少女たちの姿だ。彼らは学校にも家庭にも馴染めず、ここだけが自分たちの居場所だとたむろし続ける。選手村に打ち捨てられた備品を破壊しに回り、廃墟に住み着いた野良犬たちを手なづけ一緒に遊び、広大な荒れ野をバイクで爆走する。それしかやることがない、それしかやれることがない、彼らは倦怠感の中で日々を浪費していく。

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そんな刹那的な少年少女の姿を、監督と撮影監督Monika Lenczewskaドキュメンタリー的な臨場感で以て描き出す。まず冒頭、彼女たちは手振れカメラによって少年たちの姿を追う。ボロボロの観客席に座って暇を潰していた彼らは、突如立ち上がり、集団の中でも年少のメンバー2人を捕まえる。そして羽交い締めにして靴を脱がし、石まみれのスタジアムを強制的に走らせる。苦痛に顔が歪む2人を急き立てたかと思うと、彼らを胴上げしながら叫ぶ。勝ったのは誰だ!勝ったのは誰だ!そして2人は互いの声を捩じ伏せるようにあらん限りの大声で叫ぶ。俺だ!俺だ!俺だ!俺だ!……

こうして拳の乱打さながら熱狂が観客に迫るうち、だが集団の中で他とは違う雰囲気を湛える青年がいるのに気づくこととなるはずだ。彼の名前はディミトリ(Dimitris Kitsos)、おそらく高校生ほどの年頃にあるディミトリはやはり問題を抱えている。母親は酒浸りでロクに仕事もせず、自分が大黒柱になろうとしながらあっさり首を切られ路頭に迷う始末。しかも首を切った元上司は母の愛人で、怒りばかりが募る。行き先のない彼は廃墟に向かうしかないが、その一方で“こんな場所から逃げ出したい”という思いが頭に浮かぶのを止められないでいる。

映画の序盤において、ディミトリは少年たちの中に埋没し熱狂の赴くままに行動しているが、物語が展開するにつれ彼の表情に陰りが見え始める。こんな所で自分は一体何してるんだよ、こんなの全部馬鹿げてる……彼の内省は観客に明晰な思考を求める。熱狂は激しく苛烈でいっそ私たちも飛び込んでしまいたいという欲望に駆られるほどの強度を持ち合わせている。だが実情は暴力の嵐や女性への蔑視的感情であり、空虚以外の何物でもない。監督はそれを強く見据えるゆえに、熱狂は鬼気迫りながらその実すこぶる冷たい。

そして彼女は熱狂を解体しながら、少年少女の身体という主題へと肉薄していく。劇中、少年たちは幾度となくシャワーを浴び、彼らの身体が露にされる。その風景にはどこか居心地の悪い感触が宿るが、ある意味で最も居心地悪く思っているのは当の少年たち本人かもしれない。思春期の只中にある彼らの身体は否応なく変化の時を迎えているが、ディミトリらを含めそれを受け入れられている人物はいるようには見えない。変化がもたらす不安や怒り、少年たちがそれを表現する術は暴力に他ならない。表面上は笑いを響かせながら、まるで戯れるようにアームレスリングや取っ組み合いを続ける彼らだが、それはいつしか互いを傷つける暴力と化す。他者を踏みにじり、他者を組み伏せる暴力へと。

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メンバーの中にはマルコ(Enuki Gvenatadze)という少年がいる。彼は小学校高学年ほどの年齢であり、メンバーとは少し歳が離れている。それゆえ常に少年たちから馬鹿にされ、暴力によって遊ばれる存在だ。彼はディミトリを慕い、アリと名付けた犬を可愛がっているのだが、彼らとの関係に変化が生じる中で、否応なくマルコも暴力へと呑み込まれていく。暴力は1つの世代で終わることは有り得ない。牙を剥いた野良犬が敵に向けるようなおぞましい暴力は、若い世代から若い世代へと脈々と受け継がれる、監督はマルコをその象徴として描き出していく。

しかしそれらとは異なる身体を持つ存在も今作には登場する。アナ(Dimitra Vlagopoulou)という少女はディミトリの恋人なのだが、彼女を描く監督の筆致が違うのだ。カメラはアナが風呂に入っている姿を捉える。水面から少し出した腹の上にスポンジを置き、彼女は息を吸い息を吐く。お腹が膨らんでは萎むのを繰り返しそれをアナは虚ろな目で見据える、この身体が自分のものだとは信じられないという風に。そしてある時、選手村にある奇妙な空間でアナとディミトリがセックスを始め、全てが終わった後にカメラが遠くから2人を背後から撮し出すという場面が現れる。剥き出しになった2つの背中、そこにはまるで蠢く虫のように細かい影がビッシリと張りついている。だが同時に空間の中で寄り添いあう小さな背中には切なさすらも感じさせる。2人は肉体という監獄に閉じ込められ、どこにも逃げることはできず、ただ寄り添うことしか出来ない……

アナの描写に見られる、このある種の違和感/嫌悪感が交えられた身体への洞察はいわゆる“ギリシャの奇妙なる波”において多く見られる要素と言えるだろう。登場人物たちは自分の身体を自分のものだと思えず、それが自分の生きる世界への違和感にまで繋がっていく。中でも“Park”との関連作品として挙げるべきなのはティナ・ラヒル・ツァンガリ“Attenberg”“Chevalier”だろう。自分の身体の理解し難さとそれをめぐる懊悩を一貫して描く作品と、○が今作で指向しているものとは共鳴するものが多くある。だが2人を分けるのは、不可視の脅威として映画に浮かび続けるオリンピックの存在だ。オリンピックとはアテネの郊外に荒廃の極まった、もはや栄光と夢の惨めな残骸でしかない世界が広がる理由であると同時に、ある側面では経済危機を呼びこみギリシャを末期的状況に追い込んだ張本人だ。そして実はツァンガリはアテネ五輪の映像ディレクターとして世界にこの祭典を喧伝した人物の一人でもあるのだ。全く皮肉としか言い様のない巡り合わせだろう。

言ってみればディミトリたちはオリンピックの犠牲者だ。物心つくかつかないかの頃に五輪の熱狂は過ぎ去り、後には疲弊と困窮にまみれる時代が彼らを待っていた。だがオリンピックがもたらした傷は精神的なものだけではなく、肉体的な傷をも確かに残している。そんなディミトリたちがオリンピックの残骸にしか居場所がないというのは残酷だ。そして廃墟が風化していくにつれて、その肉体も朽ちていく。オリンピックは一体自分たちに何を残していった?……絶望の未来だけだ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その151 クレベール・メンドーサ・フィーリョ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす
その152 Tali Shalom Ezer&”Princess”/ママと彼女の愛する人、私と私に似た少年
その153 Katrin Gebbe&”Tore Tanzt”/信仰を盾として悪しきを超克せよ
その154 Chloé Zhao&”Songs My Brothers Taught Me”/私たちも、この国に生きている
その155 Jazmín López&”Leones”/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その156 Noah Buschel&”Bringing Rain”/米インディー映画界、孤高の禅僧
その157 Noah Buschel&”Neal Cassady”/ビート・ジェネレーションの栄光と挫折
その158 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その159 Noah Buschel&”The Missing Person”/彼らは9月11日の影に消え
その160 クリスティ・プイウ&”Marfa şi Banii”/ルーマニアの新たなる波、その起源
その161 ラドゥー・ムンテアン&”Hîrtia va fi albastrã”/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その162 Noah Buschel&”Sparrows Dance”/引きこもってるのは気がラクだけれど……
その163 Betzabé García&”Los reyes del pueblo que no existe”/水と恐怖に沈みゆく町で、生きていく
その164 ポン・フェイ&”地下香”/聳え立つビルの群れ、人々は地下に埋もれ
その165 アリス・ウィノクール&「ラスト・ボディガード」/肉体と精神、暴力と幻影
その166 アリアーヌ・ラベド&「フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」/彼女の心は波にたゆたう
その167 Clément Cogitore&”Ni le ciel ni la terre”/そこは空でもなく、大地でもなく
その168 Maya Kosa&”Rio Corgo”/ポルトガル、老いは全てを奪うとしても
その169 Kiro Russo&”Viejo Calavera”/ボリビア、黒鉄色の絶望の奥へ
その170 Alex Santiago Pérez&”Las vacas con gafas”/プエルトリコ、人生は黄昏から夜へと
その171 Lina Rodríguez&”Mañana a esta hora”/明日の喜び、明日の悲しみ
その172 Eduardo Williams&”Pude ver un puma”/世界の終りに世界の果てへと
その173 Nele Wohlatz&”El futuro perfecto”/新しい言葉を知る、新しい”私”と出会う
その174 アレックス・ロス・ペリー&”Impolex”/目的もなく、不発弾の人生
その175 マリアリー・リバス&「ダニエラ 17歳の本能」/イエス様でもありあまる愛は奪えない
その176 Lendita Zeqiraj&”Ballkoni”/コソボ、スーパーマンなんかどこにもいない!
その177 ドミンガ・ソトマヨール&”Mar”/繋がりをズルズルと引きずりながら
その178 Ron Morales&”Graceland”/フィリピン、誰もが灰色に染まる地で
その179 Alessandro Aronadio&”Orecchie”/イタリア、このイヤミなまでに不条理な人生!
その180 Ronny Trocker&”Die Einsiedler”/アルプス、孤独は全てを呑み込んでゆく
その181 Jorge Thielen Armand&”La Soledad”/ベネズエラ、失われた記憶を追い求めて
その182 Sofía Brockenshire&”Una hermana”/あなたがいない、私も消え去りたい
その183 Krzysztof Skonieczny&”Hardkor Disko”/ポーランド、研ぎ澄まされた殺意の神話
その184 ナ・ホンジン&”哭聲”/この地獄で、我が骨と肉を信じよ
その185 ジェシカ・ウッドワース&”King of the Belgians”/ベルギー国王のバルカン半島珍道中
その186 Fien Troch&”Home”/親という名の他人、子という名の他人
その187 Alessandro Comodin&”I tempi felici verranno presto”/陽光の中、世界は静かに姿を変える
その188 João Nicolau&”John From”/リスボン、気だるさが夏に魔法をかけていく
その189 アルベルト・セラ&”La Mort de Louis XIV”/死は惨めなり、死は不条理なり
その190 Rachel Lang&”Pour toi je ferai bataille”/アナという名の人生の軌跡
その191 Argyris Papadimitropoulos&”Suntan”/アンタ、ペニスついてんの?まだ勃起すんの?
その192 Sébastien Laudenbach&”La jeune fille sans mains”/昔々の、手のない娘の物語
その193 ジム・ホスキング&”The Greasy Strangler”/戦慄!脂ギトギト首絞め野郎の襲来!
その194 ミリャナ・カラノヴィッチ&”Dobra žena”/セルビア、老いていくこの体を抱きしめる
その195 Natalia Almada&”Todo lo demás”/孤独を あなたを わたしを慈しむこと
その196 ナヌーク・レオポルド&”Boven is het stil”/肉体も愛も静寂の中で老いていく
その197 クレベール・メンドンサ・フィリオ&「アクエリアス」/あの暖かな記憶と、この老いゆく身体と共に
その198 Rachel Lang&”Baden Baden”/26歳、人生のスタートラインに立つ
その199 ハナ・ユシッチ&「私に構わないで」/みんな嫌い だけど好きで やっぱり嫌い
その200 アドリアン・シタル&「フィクサー」/真実と痛み、倫理の一線
その201 Yared Zeleke&”Lamb”/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&”A batalha de Tabatô”/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&”Woman Undressed”/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&”Ninah’s Dowry”/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&”Aloys”/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&”Já, Olga Hepnarová”/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&”Córki dancingu”/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&”Girl Asleep”/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&”Hooligan Sparrow”/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&”Yek khanévadéh-e mohtaram”/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&”Pharmakon”/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&”Centaur”/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&”Montanha”/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&”Mister Universo”/イタリア、奇跡の男を探し求めて

2016-04-20

Elina Psykou&"The Eternal Return of Antonis Paraskevas"/ギリシャよ、過去の名声にすがるハゲかけのオッサンよ

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先日ヨルゴス・ランティモス監督の最新作「ロブスター」を観た。"Kinetta"(この紹介記事を読んでね)から籠の中の乙女そして"Alpeis"(この紹介記事も読んでね)を経て今作ときた訳だが、今までの集大成として彼が扱ってきた様々なテーマが絡み合いあのロマンティックなラストに至る所と来たら、今まで彼の作品を追ってきて本当に良かったと思わされる感動があった。特にメイド役のアリアーヌ・ラベが予想以上に活躍していて最高、多分レア・セドゥー演じるリーダーに恋してたからあんな尽くしてたんだろうなと思ったが、だからあんななったのは悲しかった。

話が全然違う方向に行ってしまった。このブログでは何回も取り上げているがランティモス監督を筆頭に今ギリシャ映画界はその奇想天外な作品の数々によって世界の最先端をひた走っている。解説記事も書くくらい私は現代ギリシャ映画が大好きなのだが、今回はまたも現れた驚くべき奇想を持つ新人映画作家を紹介していきたいと思う。

Elina Psykouは1977年3月8日ギリシャアテネに生まれた。パンテイオン大学では社会学、、パリに留学後は社会科学高等研究院(EHESS)で文化社会学を学んでいた。しかし映画が作りたいという夢を叶えるために、アテネへと戻りLykourgos Stavrakos映画学校では監督業について学んでいた。2007年からはベルリナーレ・タレント・キャンパスに参加する一方、製作者として"Mesecina"(2009)、80年代のアテネを舞台に少女の妄想がレーニンとフレディ・クルーガーを呼び出してしまう驚きのファンタジー短編"Dad, Lenin and Freddy"(2011)、2012年には仕事も彼女もいない青年がペットのカナリアと一緒に過ごす3日間を描いた"Boy Eating the Bird's Food"を製作し、今作がアテネ国際映画祭で監督・男優賞を獲得し話題となる。そして2013年には自身初の長編作品"The Eternal Return of Antonis Paraskevas"を監督する。

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デカめの車から1人のオッサンが出てくる。オッサンがトランクを開けると、そこには小さく踞ったハゲかけのオッサン(クリストス・ステルギオグル籠の中の乙女のあのヤバい父親である)がおり、ゆっくりと外へ這い出してくる。オッサンたちは近くの廃墟の外壁で、かなりの距離を取りながら立ちションをし、また車に戻る。そしてオッサンたちは目的地へと辿り着く、そこは打ち捨てられたホテル、少し風化しているがしかしモダンな内装は殆どそのまま残っている。そしてハゲかけていないオッサンは食料をキッチンに置いていくと帰ってしまい、ハゲたオッサンが巨大なホテルに独り残される。

ここから私たちは事情が良く呑み込めないままに、否応なくオッサンのホテル生活を見せつけられる。オッサンは昼くらいに起きる、そしてホテル内をウロッウロして時間を潰す、ロビーのテレビでハゲてないオッサンが置いていったDVDを見るのだが、フランス人のオッサンがシリンダーなど科学器具を使って分子スパゲッティというのを作る姿が映る、ハゲかけたオッサンはそれを試してみるのだが敢えなく失敗、ボソボソのスパゲッティを食べる。いやもう、序盤は本当にただただハゲかけたオッサンの無味乾燥な生態観察映像みたいで凄い、オッサン好きには堪らない映像だろうが他の人には地獄みたいな展開だろう(私はこういうの大好き♡♡♡♡♡♡♡♡)

だが段々とハゲかけたオッサンの正体が明らかになっていく。彼がテレビを観ているとあるニュースが始まる、テレビ司会者のアントニス・パラスケヴァス氏が行方不明となっています、彼は多額の負債を抱えていたそうです、警察は誘拐の面で捜査を進めています……そこに映るのは正にこのハゲかけたオッサンである。つまり話はこういうことだ、彼は友人のハゲてないオッサンを巻き込み狂言誘拐を図ったのである。しかし目的は借金を返すためではない、彼が取り戻したい物とは過去の名声である。アントニスはギリシャ中にその名を轟かせる人気司会者だったが、今では人気も右肩下がり。それでも名声にすがる彼は狂言誘拐で国民の注目を集め、華麗なる復活を遂げるとそんなシナリオを画策していたのである。

監督は映画の着想源についてこう語っている。"ブラジルのTV司会者で政治家のWallace Souzaという人物が番組の視聴率を上げるため、殺し屋を雇い人を殺していたというニュースを知りました。犯罪現場に一番乗りで、被害者が映された映像を持っていることが余りに多くて容疑がかかったんです"*1この事件にギリシャのTV業界の現状などを絡め合わせて、今作の脚本を執筆したそうだ。

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という訳で時期が来るまで彼は独りホテルで暮らし続ける、序盤どころか更に長くオッサンの奇妙な生態観察映像は続く。それでもDionysis Efthymiopoulosの手掛ける撮影は端正で美しい。オッサンが美術品の飾られた空間でテレビ観ながら缶詰を喰う、オッサンがタオルの積み上げられた洗濯場で洋服を洗う、オッサンがカラオケブースに行きヘッタクソな歌声でグロリア・ゲイナーの"I Will Survive"をたどたどしく歌うとそんな光景が遠距離から捉えられ、ホテルの不気味なだだっ広さとモダンな佇まいが端正に、だからこそ頗る空虚に映し出される。広い空間にたった独りでいるハゲかけたオッサンの姿は酷く惨めだ。

そして彼は自分が司会者をしていた番組を毎朝確認する。自分が目をかけていた若手アナウンサーのパヴロ(Syllas Tzoumerkas、監督としても"A Blast"を手掛けている)がアシスタントのニナ(Maria Kallimani)と共に代役を担っており、頻りにアントニスのことを話題にあげている。だがそれも最初のことだけで、段々とパヴロは持ち前の明るさでファンを獲得していき、彼自身臆面もなく「これからは自分のスタイルでやっていきたい」とほざき始める。自分の不在が巷の話題であり続けるとたかを括っていたアントニスは、自分が居なくなっても特に世間は変わらず進んで行くことに衝撃を受ける。というかパヴロに自分の居場所奪われて逆効果じゃねえか!そんな現状に彼は静かに追い詰められていく。

監督はランティモスや"Miss Violence"Alexandros Arvanasらの"奇妙でシュールな光景を距離感を以て観察し続ける"というスタイルを正統に受け継ぎながらも、彼らの奇妙さからも逸脱するような捻れを今作にブチ込んでいく。アントニスはフランス人のオッサンが作る分子スパゲティに拘り続ける、ちゃんと行程を踏めばチューブの中でケチャップが固形化する筈だのに彼にはいつまでたっても出来ない、そしてマジでブチ切れる、ブチ切れてキッチンの調理器具とかを色々破壊しようとする、でもステンレスだからそう簡単に壊れない。こうして狂気と妄想が彼の頭に溢れだす中で、何の脈絡もなくミュージカルが始まった時には腹抱えて笑ってしまった。ハゲかけたオッサンが"生きるということを忘れてしまっていた〜♪人生とは一瞬一瞬を生き抜くことなんだと忘れていた〜♪"とかスペイン語で歌い踊るのだ、狂気もここに極まれりである。

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だがシリアスな方向に話を持っていくと、ある時ニュース番組でアントニスを特集するコーナーが放送され彼自身それを見ることとなる。キャスターとしてデビューした時の初々しいニュース読みから、ギリシャのミスコンを軽妙なトークで盛り上げるアントニスの姿が現れ、オリンピック的な大会で堂々の司会ぶりを見せる姿、そして新年を伝える番組では私たちはEUを歓迎します!なんて堂々と宣言する。そんな彼の姿はそのまま現代ギリシャの趨勢として立ち現れる。

だがその後カメラはニュースを見る今のアントニスの顔面を見据える。ホテル生活にウンザリしたアントニス、不眠症で目は血走りクマも酷い、心なしか最初の頃よりもハゲが進行しているように思われる。今のギリシャはどうだ、アテネオリンピックに浮かれていたのも今は昔、デフォルトに財政破綻、EU諸国の批難を一心に受け、貧困に喘ぐ国民たちからも中指を突き立てられる。誰からも見放され惨めな姿を晒すこのオッサンこそがギリシャに他ならない、監督はそんな突き放した態度で以てアントニスに冷徹な視線を向ける。

だがただ現状批難に終るなら、今作も"ああ、確かにこのギリシャ映画も奇妙で面白かったなあ"とその程度の余韻で終わっていただろう。しかし物語は終盤でまた姿を変貌させるのだ。今のギリシャはこんなに惨めたらしい物だ、でもそれならばギリシャは、この国に生きる私たちはどうすればいいのか?と監督は問いかける。そしてアントニスは驚きの手段に出る。詳しくは書かないが彼は自然に全身を投げ出し動物への回帰を遂げようとするのだ。この行為はある意味で仏教的なものであり、それでいてジョアン・ペドロ・ロドリゲス「ファンタズマ」的な感触をも宿している、つまりは大いなる自意識から逃れるための逃走劇が繰り広げられるのである。それでも「ファンタズマ」のように徹底して獣へと回帰する訳でなく、彼はいわば俗世と浄土の間を行き交う。如何ともし難い自意識に引き裂かれる彼の道行きは荘厳なる雰囲気すら湛えている。最初は本当オッサンが何かやってるのを観察するだけだったのに、全く以て観たことのない地平へと観客は連れて行かれてしまう。だから私は"ギリシャの奇妙なる波"を愛するのを止められないのだ。

今作はベルリン国際映画祭のフォーラム部門でプレミア上映後。テッサロニキ国際映画祭で男優賞・国際批評家賞・ギリシャ映画批評家組合最高賞を獲得するなど話題となった。最新作は現在制作中の第2長編"Ivo and Sofia"で、まだ情報はないが下のコンセプトアートを見ればこちらも奇妙な映画になりそうな予感ミチミチで楽しみというほかない。ということでPsykou監督の今後に期待。

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参考文献
http://blogs.indiewire.com/womenandhollywood/lff-women-directors-meet-elina-psykou(監督インタビュー)

私の好きな監督・俳優シリーズ
その51 Shih-Ching Tsou&”Take Out”/故郷より遠く離れて自転車を漕ぎ
その52 Constanza Fernández &”Mapa para Conversar”/チリ、船の上には3人の女
その53 Hugo Vieira da Silva &”Body Rice”/ポルトガル、灰の紫、精神の荒野
その54 Lukas Valenta Rinner &”Parabellum”/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &”Lucifer”/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &”René”/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&”Yardbird”/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
その58 Annemarie Jacir &”Lamma shoftak”/パレスチナ、ぼくたちの故郷に帰りたい
その59 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その60 Julia Solomonoff &”El último verano de la Boyita”/わたしのからだ、あなたのからだ
その61 ヴァレリー・マサディアン&”Nana”/このおうちにはナナとおもちゃとウサギだけ
その62 Carolina Rivas &”El color de los olivos”/壁が投げかけるのは色濃き影
その63 ホベルト・ベリネール&「ニーゼ」/声なき叫びを聞くために
その64 アティナ・レイチェル・ツァンガリ&”Attenberg”/あなたの死を通じて、わたしの生を知る
その65 ヴェイコ・オウンプー&「ルクリ」/神よ、いつになれば全ては終るのですか?
その66 Valerie Gudenus&”I am Jesus”/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
その67 Matias Meyer &”Los últimos cristeros”/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& ”Corridor #8”/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& ”Code Blue”/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& ”Simshar”/マルタ、海は蒼くも容赦なく
その71 ペリン・エスメル&”Gözetleme Kulesi”/トルコの山々に深き孤独が2つ
その72 Afia Nathaniel &”Dukhtar”/パキスタン、娘という名の呪いと希望
その73 Margot Benacerraf &”Araya”/ベネズエラ、忘れ去られる筈だった塩の都
その74 Maxime Giroux &”Felix & Meira”/ユダヤ教という息苦しさの中で
その75 Marianne Pistone& ”Mouton”/だけど、みんな生きていかなくちゃいけない
その76 フェリペ・ゲレロ& ”Corta”/コロンビア、サトウキビ畑を見据えながら
その77 Kenyeres Bálint&”Before Dawn”/ハンガリー、長回しから見る暴力・飛翔・移民
その78 ミン・バハドゥル・バム&「黒い雌鶏」/ネパール、ぼくたちの名前は希望って意味なんだ
その79 Jonas Carpignano&”Meditrranea”/この世界で移民として生きるということ
その80 Laura Amelia Guzmán&”Dólares de arena”/ドミニカ、あなたは私の輝きだったから
その81 彭三源&”失孤”/見捨てられたなんて、言わないでくれ
その82 アナ・ミュイラート&”Que Horas Ela Volta?”/ブラジル、母と娘と大きなプールと
その83 アイダ・ベジッチ&”Djeca”/内戦の深き傷、イスラムの静かな誇り
その84 Nikola Ležaić&”Tilva Roš”/セルビア、若さって中途半端だ
その85 Hari Sama & ”El Sueño de Lu”/ママはずっと、あなたのママでいるから
その86 チャイタニヤ・タームハーネー&「裁き」/裁判は続く、そして日常も続く
その87 マヤ・ミロス&「思春期」/Girl in The Hell
その88 Kivu Ruhorahoza & ”Matière Grise”/ルワンダ、ゴキブリたちと虐殺の記憶
その89 ソフィー・ショウケンス&「Unbalance-アンバランス-」/ベルギー、心の奥に眠る父
その90 Pia Marais & ”Die Unerzogenen”/パパもクソ、ママもクソ、マジで人生全部クソ
その91 Amelia Umuhire & ”Polyglot”/ベルリン、それぞれの声が響く場所
その92 Zeresenay Mehari & ”Difret”/エチオピア、私は自分の足で歩いていきたい
その93 Mariana Rondón & ”Pelo Malo”/ぼくのクセっ毛、男らしくないから嫌いだ
その94 Yulene Olaizola & ”Paraísos Artificiales”/引き伸ばされた時間は永遠の如く
その95 ジョエル・エドガートン&”The Gift”/お前が過去を忘れても、過去はお前を忘れはしない
その96 Corneliu Porumboiu & ”A fost sau n-a fost?”/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その97 アンジェリーナ・マッカローネ&”The Look”/ランプリング on ランプリング
その98 Anna Melikyan & ”Rusalka”/人生、おとぎ話みたいには行かない
その99 Ignas Jonynas & ”Lošėjas”/リトアニア、金は命よりも重い
その100 Radu Jude & ”Aferim!”/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その101 パヴレ・ブコビッチ&「インモラル・ガール 秘密と嘘」/SNSの時代に憑りつく幽霊について
その102 Eva Neymann & ”Pesn Pesney”/初恋は夢想の緑に取り残されて
その103 Mira Fornay & ”Môj pes Killer”/スロバキア、スキンヘッドに差別の刻印
その104 クリスティナ・グロゼヴァ&「ザ・レッスン 女教師の返済」/おかねがないおかねがないおかねがないおかねがない……
その105 Corneliu Porumboiu & ”Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism”/監督と女優、虚構と真実
その106 Corneliu Porumboiu &”Comoara”/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その107 ディアステム&「フレンチ・ブラッド」/フランスは我らがフランス人のもの
その108 Andrei Ujică&”Autobiografia lui Nicolae Ceausescu”/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その109 Sydney Freeland&”Her Story”/女性であること、トランスジェンダーであること
その110 Birgitte Stærmose&”Værelse 304”/交錯する人生、凍てついた孤独
その111 アンネ・セウィツキー&「妹の体温」/私を受け入れて、私を愛して
その112 Mads Matthiesen&”The Model”/モデル残酷物語 in パリ
その113 Leyla Bouzid&”À peine j’ouvre les yeux”/チュニジア、彼女の歌声はアラブの春へと
その114 ヨーナス・セルベリ=アウグツセーン&”Sophelikoptern”/おばあちゃんに時計を届けるまでの1000キロくらい
その115 Aik Karapetian&”The Man in the Orange Jacket”/ラトビア、オレンジ色の階級闘争
その116 Antoine Cuypers&”Préjudice”/そして最後には生の苦しみだけが残る
その117 Benjamin Crotty&”Fort Buchnan”/全く新しいメロドラマ、全く新しい映画
その118 アランテ・カヴァイテ&”The Summer of Sangaile”/もっと高く、そこに本当の私がいるから
その119 ニコラス・ペレダ&”Juntos”/この人生を変えてくれる”何か”を待ち続けて
その120 サシャ・ポラック&”Zurich”/人生は虚しく、虚しく、虚しく
その121 Benjamín Naishtat&”Historia del Miedo”/アルゼンチン、世界に連なる恐怖の系譜
その122 Léa Forest&”Pour faire la guerre”/いつか幼かった時代に別れを告げて
その123 Mélanie Delloye&”L’Homme de ma vie”/Alice Prefers to Run
その124 アマ・エスカランテ&「よそ者」/アメリカの周縁に生きる者たちについて
その125 Juliana Rojas&”Trabalhar Cansa”/ブラジル、経済発展は何を踏みにじっていったのか?
その126 Zuzanna Solakiewicz&”15 stron świata”/音は質量を持つ、あの聳え立つビルのように
その127 Gabriel Abrantes&”Dreams, Drones and Dactyls”/エロス+オバマ+アンコウ=映画の未来
その128 Kerékgyártó Yvonne&”Free Entry”/ハンガリー、彼女たちの友情は永遠!
その129 张撼依&”繁枝叶茂”/中国、命はめぐり魂はさまよう
その130 パスカル・ブルトン&”Suite Armoricaine”/失われ忘れ去られ、そして思い出される物たち
その131 リュウ・ジャイン&「オクスハイド供/家族みんなで餃子を作ろう(あるいはジャンヌ・ディエルマンの正統後継)
その132 Salomé Lamas&”Eldorado XXI”/ペルー、黄金郷の光と闇
その133 ロベルト・ミネルヴィーニ&”The Passage”/テキサスに生き、テキサスを旅する
その134 Marte Vold&”Totem”/ノルウェー、ある結婚の風景
その135 アリス・ウィンクール&「博士と私の危険な関係」/ヒステリー、大いなる悪意の誕生
その136 Luis López Carrasco&”El Futuro”/スペイン、未来は輝きに満ちている
その137 Ion De Sosa&”Sueñan los androides”/電気羊はスペインの夢を見るか?
その138 ケリー・ライヒャルト&”River of Grass”/あの高速道路は何処まで続いているのだろう?
その139 ケリー・ライヒャルト&”Ode” ”Travis”/2つの失われた愛について
その140 ケリー・ライヒャルト&”Old Joy”/哀しみは擦り切れたかつての喜び
その141 ケリー・ライヒャルト&「ウェンディ&ルーシー」/私の居場所はどこにあるのだろう

2015-11-18

ヨルゴス・ランティモス&"Alpeis"/生きることとは演じることならば

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余りにも大きすぎる成功は、映画監督に"次回作"という名のプレッシャーをもたらす。私たちはその圧力に耐えられず砕け散る才能をいくつも見てきたはずだ。ではヨルゴス・ランティモス監督はどうだったか?2011年、彼はヴェネチア国際映画祭ーー籠の中の乙女と共に"ギリシャの奇妙なる波"の幕開け的作品となった"Attenberg"が上映されたのと同じ場所だーーで世界の映画ファンへ次回作"Alpeis"を突きつけた。観客たちはその内容に当惑するしかなかった、だが人々は思っただろう、この当惑こそ私たちが求めていたものだと。

一瞬あなたは画面に映るものが何か分からないかもしれない、だが良く見てみれば正体がハッキリとする、それは頭頂部だ、血まみれの少女の頭頂部。ベッドに寝かされた彼女のそれを目にさせられる内、男の声が届いてくる。「君の名前は?」少女は掠れた声でそれに答える。「何て言ったんだ、マリア、それともマリー?」少女は画面外の私たちにも聞こえる声でマリーと言う。「まあいいや、君のことはマリアと呼ぶよ」「マリア、よく聞いてほしい」「ここにリストがある、俳優の名前が書いてあるリストだ」「今から名前を順に言っていくから、好きな俳優になったら合図してくれ」「いくよ、ブラッド・ピット……ジョニー・デップ……好きじゃない?……じゃあ次は……」

結局彼女はジュード・ロウが好きだったんだ、そんな救命士("Kinetta" Aris Servetallis)の言葉を聞いた後、看護師(籠の中の乙女」アンゲリキ・パブーリァ)は部屋を出ていき、少女の両親の元へと向かう。少女は交通事故に遇い重体です、現在は予断を許さない状態です、看護師がそう告げると男は水色のリストバンドを見せ呟く、彼女はテニスの選手で試合の時はいつもこれを付けていたんです。そして看護師は家に帰る、そこにはたった一人で父(Stavros Payllakis)が待っている。看護師はただいまと言ってから彼に目薬を指す。父との関係は良好だ、休日は彼の行きつけであるダンス場へ一緒に行ったりもする。そして命と直接関わりあう看護師という激務の合間、彼女は恋人と海へと遊びに行く時もあった。恋人が見守る中、白い飛沫が寒々しい海へと飛び込み、何故か酷くたどたどしい英語で、彼女はああとても楽しいと声を上げる。私たちはこうして"看護師"の日常を目の当たりにするが、この光景には何か不気味な感触が宿っていることにすぐ気づくはずだ。

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ある時、彼女は近くの体育館へと向かう。そこには"体操選手"(アリアーヌ・ラベ"The Lobster"にも出演)とその"コーチ"(Johnny Vakris)、そしてあの"救命士"がいる。この4人を繋ぐ関係性が題名にもなっている"Alpeis"という言葉だ。"Alpeis"は団体名であり、彼らは大切な者を亡くした人々にあるサービスを提供している、人々の傷ついた心を癒すため死者になりきるというサービスを。看護師はコーチと共にある家へと向かう、そこには盲目の老婆がいる、看護師は"老婆の親友"を演じる、コーチは"老婆の夫"を演じる、"老婆の親友"は老婆に本を朗読してあげる、"老婆の夫"は老婆をハグする……薄暗い部屋の中で繰り広げられるこの異様な光景を、ランティモス監督は奇妙な距離感を以てカメラに撮していく。

監督は"生きる=演じる"と捉えている、前の"Kinetta"レビュー(この記事)でそう記したが、"Alpeis"ではその思惟をより深めていっているのが伺える。看護師たちは代わる代わる死人を演じていく、その合間に自身の日常を生きていく。だがここにおいて、"Kinetta"であからさまだった演技臭さは更に露骨となり、全てはあらかじめ定められており俳優たちはそれと寸分も違わず行動しているという印象を受けることとなる。これは死人を演じるシーンでは当然かもしれないが、日常である筈のシーンでもこのアプローチは徹底しているのだ。そしてある時、看護師にとってあの恋人との付き合いは"Alpeis"としての仕事の一環ではないかと思わされる場面すら現れる。日常/非日常、自然体/演技という二項対立が崩れていき、全てがヴァーチャルな存在へと変貌を遂げる。

何も信じられない、そんな私たちの思いはいつしか看護師の思いとも共鳴していく。リーダーとして君臨する救命士の言われるがまま仕事をこなしてきた彼女は、初めて彼の命令なしに自分の意思に従って死人を演じることとなる。看護師はテニスウェアを着て、水色のリストバンドをつけ、ラケットを持つ。最初は他の演技と同じ感触を持ちながら、彼女はこの存在にのめりこむと共に"マリー"という名前をその肉体に宿し始める。この行為は支配する者への反逆だ、"Kinetta"「籠の中の乙女」と描かれた強者→弱者、男性→女性という支配構造への反逆なのだ。しかしランティモス監督はこれを単純な希望の物語にはしない。"マリー"はどんどん歪みを増し、物語はどんどん歪みを増す、そして最後に監督はひどく痛烈な一発を私たちの頬に叩きつける。

"生きる=演じる"という1つの真理への洞察、それが"Alpeis"を構成するものだ。一見ペシミズム的としか取れない真理に対し、彼は映画史に類を見ない奇妙な観点から鋭く切り込んでいきながらも同時に、この時点での彼の限界を露呈させることともなっている。しかしこの作品を観た者は2つの思いを抱き、胸を裂かれるはずだ。その思いが、そしてランティモス監督の最新長編"The Lobster"へと繋がって行くこととなる[A-]

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ヨルゴス・ランティモス&"Kinetta"/人生とは、つまり映画だ

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男と女と、そしてカメラマン。3人が空き地に集い、始まるのは何かのリハーサルだ。"女は男の頬に平手打ちを喰らわせる"という声が響くと、女は男の頬に平手打ちを喰らわせる。"男が女を掴み揉み合いになる"という声が響くと、男が女を掴み揉み合いになる。"女は右足を使って男の腹を蹴る"という声が響くと、女は右足を使って男の腹を蹴る。"女は走って逃げるが男に追い付かれてしまう"という声が響くと、女は走って逃げるが男に追い付かれてしまう。"女は再び走って逃げるが男に追い付かれてしまう"という声が響くと、女は再び走って逃げるが男に追い付かれてしまう。カメラマンはそんな2人の姿を撮影する。そしてカメラはそんな3人の姿を撮影し続ける。

前代未聞のムーブメント"ギリシャの奇妙なる波"の幕開けとなった作品籠の中の乙女そして"Alpeis""The Lobster"などを手掛け話題を集めるヨルゴス・ランティモス監督、だが1つ書くべきなのは「籠の中の乙女」は彼のデビュー作である訳ではないということだ。"Kinetta"、2005年に彼が産み出した映画の名だ。ここには"ギリシャの奇妙なる波"の兆し、その全てが詰まっていると言ってもいい。

映画は冒頭に挙げた3人の男女を中心に進んでいく。だが3人には役名が存在しない故に便宜上、男(Costas Xikominos)、女("Attenberg" Evangelia Randou)、カメラマン(Aris Servetalis)として話を進めていこう。カメラマンは写真屋で働いていて、代わり映えもない日々を送り続けている。女はホテルの清掃係をしている、彼女の日々もまた虚ろなものだ。男は杳として身分が知れないが、ただ1つハッキリしていることはBMWに対して言い知れぬ欲望を抱えていることだ。そんな3人は人気のないホテルの敷地内である映画を、正確に言えば映画のワンシーンを撮影している。空き地で、海岸で、声を上げながら、無言で、そのままの服で、土で汚れた服で、男が女を襲うシーンだけを延々と撮影し続ける。

この撮影風景と3人の日常で映画は構成されているのだが、何か事件が起こる訳ではなく、何故こういったシーンを撮っているかという背景も明かされることない、つまり物語性は全くゼロに等しいのだ。撮影監督であるThimios Balatakisによる、手振れを強調したドキュメンタリー的なアプローチも相まって、この"Kinetta"は起こったことを起こった順に編集で繋げてそれを映画として提示したとそんな生身の感覚を宿している。

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その一方で妙なのは、主要人物である3人には実在感をほとんど感じられないということだ。"男が女を襲うシーン"を演じている時は勿論のこと、カメラマンがイヤホンをつけながら墓場に佇む、女がゼリーをゴミ箱に捨て段差に座り込む、男がBMWの値段をディーラーに朴訥と問いただす、そんな彼らにとっては日常の風景である筈の場面に嘘臭さを感じる、演技をしているという態度がひどく露骨なのだ。ドキュメンタリー的カメラワークと完全に対立するこの要素は、映画の破綻を意味するかと言えばそうではなく、むしろある1つの仮定を導きだす。生きるとは演じることと同じではないか?

社会学者の言葉をいちいち引くまでもなくこの仮定は様々に議論されているが、ランティモスは映画というメディアを以てこの仮定への洞察を深めていき、徐々に3人の存在意味も浮き彫りとなっていく。男は"生きる=演じる"の信奉者であると同時に、この仮定に誰かを縛り付けることで何者かの神になることを画策している。文章冒頭に記した声の主は彼だ、劇中で同じ言葉を録音している姿が映し出されるが、その時男は不気味な笑顔を浮かべている。対して女は、最初は男の言われるがままでありながら、段々と仮定を拒む者として描かれるようになる。ここに「籠の中の乙女」でも反復される世界に内在する男→女の支配構造が浮かびあがってくる。

ならカメラマンはどういう立ち位置にいるかと言えば、彼は2人の中間にある存在だ。男に従いながらも女に惹かれ、"生きる=演じる"に疲れながらもここから逃れる術が分からない宙吊り状態。そして彼は女が支配を逃れようとする姿の傍観者であり、それはこの映画を観る私たちの視線と重なりあう。カメラマンは女が自身を痛みで苛む姿を目撃する。延々と反復を繰り返す人生の中で彼女には赤い血と痛みだけが唯一の救いともなるという悲鳴。こうして3者が絡み合い、物語は終りへと向けて静かに転がり落ちていく。

"Kinetta"には他とは一線を画する突飛な設定、男性→女性への支配構造など後のランティモス作品に通じる要素が詰まった作品だ。そしてこの作品は私たちに痛烈なメッセージを叩きつけることともなる。人生とは映画と同じだーーその作品は苦痛を伴うほどに退屈なものだが[B+]

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