Hatena::ブログ(Diary)

鉄腸野郎Z-SQUAD!(旧館) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-08-19

ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母にかかる黒い影

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20180818214242j:image:w640

さて、イラン=イラク戦争の勃発はイランという国に大いなる傷を刻むことになる。ミサイルの応酬によって互いの都市は破壊され、崩壊し、多大な被害を被ってしまう。そしてそこで生まれた傷は今にもまだ続いているのだ。ということで今回はそんな状況を背景として描かれるイラン産ホラー映画、ババク・アンバリ監督の初長編「アンダー・ザ・シャドウ(Netflixで配信中)を紹介していこう。

ババク・アンバリ Babak Anvari1982年イランテヘランに生まれた。現在はイギリスロンドンを拠点として活躍している。16歳の頃から短編映画やビデオアートの製作に携わるなど、精力的に活動していた。2005年の"What's up with Adam?"や2007年の"Solitary"を経て、2011年には短編"Two & Two"を製作する。権威主義的な学校を舞台に、今まで学んでいたことは全てが嘘であると伝えられた生徒たちの困惑を描き出した一種の寓話的短編で、BAFTA賞の短編部門でノミネートを果たすという快挙を達成する。そして5年後の2016年、彼は生まれ故郷のイランで初の長編である「アンダー・ザ・シャドウを監督する。

D

舞台は先述の通り1980年代、戦争が激化する最中のテヘラン、今作の主人公シーデ(ナーゲス・ラシディ)は夫のイラジャ(ボビー・ナデリ)や娘のドーサ(アヴィン・マンシャディ)と共にアパートの一室で身を寄せ合いながら暮らしていた。しかしイラクミサイル攻撃を仕掛けてくるという噂が流れる頃、仕事の都合でイラジャが彼女たちの元から去り、二人だけで生活せざるを得なくなってしまう。戦争の恐怖、子育ての疲労感、シーデの神経は否応なしに磨り減っていく。

今作はまずシーデという人物のパーソナリティを通じて、80年代のイランという時代背景を描き出していく。シーデは元々医師になるため大学に通っていたが、イラン革命時に反体制派の団体に参加していた事から大学を辞めさせられ、同時期にドーサが産まれたことから子育てに専念せざるを得なくなる。そんな自分とは打って変わり、イラジャは仕事と勉学を両立しながら自由に生きている。そこには性差別的な社会構造も関わっているのだろう。彼女は家に閉じ込められ、息苦しい日々を送り続ける。戦争が終れば全て変わるかもしれないと思いながら、逆に激化の一途を辿っていた。

そんな中、いつもと同じように空襲警報が発令され、いつもと同じように地下のシェルターに向かおうとするシーデたちだったが、この日は様子が違った。轟音と共にマンションへと墜落したのは不発弾だ。弾はちょうどシーデの真上の部屋に突っ込み、この部屋の天井にも不気味な亀裂が入る。その日を境に、ドーサはある物を見たとシーデに話し始める。あの亀裂から精霊ジンが部屋にやってきて、自分を脅かすのだと。最初はその話を信じられないシーデだったが、ドーサの宝物である人形が消えた時から、何かが崩れ始める。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20180818214339j:image:w640

Kit Fraserによる撮影は終始陰鬱なトーンを保ち続ける。舞台の殆どは薄暗いアパートの一室であり、最初の頃はシーデによって手入れが行き届いていながら、空襲が激化するごとに部屋は陰影に染め上げられ、息苦しさを増す。そして部屋は埃臭い茶の色彩に満たされ始め、閉所恐怖症的な感触が世界に宿ることにもなる。つまりこの狭い部屋がシーデたちにとっての監獄となるのだ。しかしそれは肉体的という以上に、精神的な圧力を以て彼女たちに迫ってくる。

興味深いのはこの圧力の中にイランの文化的コンテクストが巧みに折り込まれている点だ。外出時、シーデは他の女性たちと同じように黒いチャドルを身に纏う。劇中そうしていない登場人物が警察によって一時拘留される場面も存在し、革命以後に服装の締め付けがキツくなった当時の状況(今もその状況は続いている)が反映されている訳だが、シーデは家に帰ると即それを脱ぎ捨て、キャミソールとズボンというかなりラフな格好になり、更にはジェーン・フォンダエアロビビデオで汗を流す姿が描かれるのだ。

ここには二つの対立が見られる。まずは革命以前のイランと革命以後における文化の対立だ。白色革命の後はしばらく欧米文化を熱心に取り入れる体制を保っていたが、それに対する反動で1980年の革命が勃発、一転して保守体制が現在に至るまで続くこととなる。そしてもう1つがシーデという個人の価値観と当時のイランが宿す価値観の対立だ。大学で培われた知識や文化はシーデの中に国への懐疑を生み、逆に国は彼女を反体制的と見なして抑圧しようとする。シーデの服装に対する意識はこの対立を端的に指し示すものであり、ジェーン・フォンダを真似てエアロビに明け暮れることはガス抜きである同時に、抑圧への抵抗でもあるのだ。

そういったコンテクストが取り入れられながら、いつしか物語はホラー的な様相を呈することとなる。ジンに人形を奪われたというドーサは泣き叫び、いつまでも治ることのない高熱に冒されることとなる。彼女を看護しながら、ジンについては信じられないでいるシーデを、しかし不気味な超常現象が襲う。その度に親子間の確執は鬱々たるまでに深まっていくのだ。そういった意味で同じテーマを扱った豪産ホラー「ババドック」がレファレンスとして挙げられるのは当然と言えるが、監督の手捌きはまた異なる。前者は物語が進むにつれ恐怖と不安が爆発的に広がっていく姿が印象的だったが、今作はシーデの抱える負の感情が弾けることを許さない。とことん陰鬱に、まるで脳髄をゆっくりと万力で締めていくような筆致でシーデたちを追い詰めていく。

この展開の中、恐怖によってイランと母という2つの要素が繋がる瞬間がある。怪異であるジンの姿はそれを象徴していると言えるだろう。その姿はシーデや私たちにこう語りかける、イランという国に身を委ねなければ、個の価値観を捨てこの社会に身を捧げなければ、お前は母親失格だと。だからこそ「アンダー・ザ・シャドウはこういった社会的な圧力に対する抵抗の詩として機能する。シーデは埃臭い監獄の中でドーサを、そして他ならぬ自分を救うために命を懸ける。様々な対立を乗り越えようとする力強い意思が、そこには宿っている。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20180818214413j:image:w640

私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&”Lamb”/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&”A batalha de Tabatô”/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&”Woman Undressed”/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&”Ninah’s Dowry”/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&”Aloys”/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&”Já, Olga Hepnarová”/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&”Córki dancingu”/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&”Girl Asleep”/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&”Hooligan Sparrow”/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&”Yek khanévadéh-e mohtaram”/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&”Pharmakon”/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&”Centaur”/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&”Montanha”/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&”Mister Universo”/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&”Park”/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&”Le Parc”/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&”How Heavy This Hammer”/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&”Adiós entusiasmo”/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&”Ce lume minunată”/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&”Autumn, Autumn”/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&”Jours de France”/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&”Ejercicios de memoria”/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&”Prevenge”/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&”Dearest Sister”/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&”Orly”/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&”One Week and a Day”/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&”A blast”/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&”Boy eating the bird’s food”/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&”Ingen ko på isen”/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&”Makala”/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&”La idea de un lago”/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&”Teesklejad”/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&”Shelly”/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&”Hristo”/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&”Amnestia”/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&”El auge del humano”/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&”Godless”/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&”Hounds of Love”/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&”Hunting Flies”/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&”Scary Mother”/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&”3/4”/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&”Dene wos guet geit”/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&”Strange Colours”/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&”Hello Destroyer”/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&”Szatan kazał tańczyć”/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&”Mochila de plomo”/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&”Sophia Antipolis”/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&”Temporada”/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&”Trote”/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&”Siyabonga”/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&”Dubina dva”/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&”Cocote”/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&”Antes Que Cante El Gallo”/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&”Gaze”/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&”Los Versos del Olvido”/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&”打烊時間”/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&”Werewolf”/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&”Ranenyy angel”/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&”De witte waan”/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&”Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot”/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも

2017-05-04

E.L.カッツ&「スモール・クライム」/惨めにチンケに墜ちてくヤツら

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20170504112210j:image:w640

さて、マンブルコア/マンブルゴアというムーブメントは配信サイトの発達によって支えられてきたと以前にも書いたが、その中心となる存在がネットフリックスだった。まずデュプラス兄弟のデビュー長編“The Puffy Chair”(紹介記事)の配給権をまだレンタル/配給専門だったネットフリックスが買ったのをきっかけに彼らの蜜月が始まり、配信サイトとして躍進を果たしたネトフリがデュプラス兄弟含めたマンブルコア一派の作品を配信し始めたことで、アメリカ全土にこの潮流が知れ渡ることとなった訳だ。

そして現在ではドラマ/映画製作にも着手し始めたネトフリは、彼らと手を組んでオリジナル作品を手掛けることともなる。ドラマ「EASY」を作ったジョー・スワンバーグはその代表例だ。更に彼を筆頭に、完成させた作品を映画祭でのプレミアム後にネトフリで世界同時配信するという今までにないやり方で配給する作家たちも増えている。私はそれでスワンバーグの最新作「ギャンブラー」(紹介記事)を観た訳で、今まではスワンバーグの作品なんてロクに日本に来なかった実情も相まってマジで感動したのを覚えている。さて今回紹介するのはそうして4月に全世界同時配信された、マンブルゴアの俊英E.L.カッツによる最新長編「スモール・クライム」だ。

6年もの刑務所生活の後、ジョー(ヴァンパイア黙示録ニコライ・コスター=ワルドー)はとうとう故郷の町へと帰ってくることとなる。逮捕される前は警官として職務を全うしていたが、今は新聞に“切り裂き魔釈放!”と書かれる始末だ。そんな状況で更正なんて可能だろうか、いや更正しなくちゃ後が無いんだよ。ジョーは何とか犯罪から、忌まわしき過去から逃れようと努力し始める。

だがノワール映画においてそう簡単に問屋は卸さない。彼の前に現れるのは元上司のダン(「サンタに化けたヒッチハイカーは、なぜ家をめざすのか?」ゲイリー・コール)、彼はジョーが収監される切っ掛けを作った汚職刑事だ。今でもジョーのヤバい秘密を握ってる故に彼はとんでもないことを命令してくる。自分たちを告発しようとする刑事とかつてジョーが“世話”になった犯罪王を抹殺しろというのだ。それは不味いと思いながら、ジョーには選択肢が存在していなかった……

今作はどこまで行っても小規模で何ともチンケだ。ダンに詰められたジョーはそんなん無理だろぉと泣き言を言いながら、親から借りた車で町を右往左往する羽目になる。更に家に帰ってきたら帰ってきたで、母親(「ピクニックatハンギング・ロック」ジャッキー・ウィーバー)に今までどこ行ってたの?と滅茶苦茶どやされ、逆ギレした後にジョーは部屋に籠るか行きつけのクラブでコカインを啜るしか出来ない。そんな姿を撮影監督アンドリュー・ホイーラーは死にかけた苔みたいな色の画面に浮かび上がらせる故、彼のチンケさはもう泣けてくるくらい惨めに映る。

だが不運続きのジョーの元にもある時幸運が舞い降りてくる。病床にあるマニーの息の根を止めようとした時、彼が出会うのがシャーロット(「悪女は三度涙を流す」モリー・パーカー)という看護師だ。殺しには失敗しながらも、孤独な彼女と惹かれあっていくジョーは、マジでこのクソみたいな状況をいい加減変えてやる、犯罪とはおさらばだと決意を固め、ある行動に打ってでる。

今作の脚本を執筆しているのはメイコン・ブレア、ジェレミー・ソルニエの激渋ノワール映画「ブルー・リベンジ」においてオドオドしながら人をブチ殺し回っていた主人公と言えばピンと来る方も多いかもしれない。彼は俳優として活躍する(今作にもジョーの友人役で出演)一方、カメラの裏でも活躍しており「スモール・クライム」もその一作な訳だ。彼の脚本は表面上とにかくトホホな男の生き様が小規模的に描かれるといった風だが、その奥底にみなぎる厭世感は強烈だ。ある時シャーロットはジョーに自身の内面を吐露する。こう思ったことはない? 夜中に起きて、水を飲んで、そして鏡を見るたび”これが本当に私なの”って信じられなくなるってそんなこと……あのチンケさの裏側に存在するのは、この世に生まれたことに対する深い後悔なのだ。

この作家性はブレアが監督を務めたデビュー長編「この世に私の居場所なんてない」にも通じている。クソ共がのさばる世界に嫌気の差した中年女性が、ある事件をきっかけとしてクソ野郎をヨタヨタな足取りでブッ飛ばしていく作品だが、ここにも“人間なんて最後には焼かれて灰になるのに、生きてて一体どうなるの?”という絶望感を語る場面がある。そしてこの主人公とシャーロットは同じく看護師(これが死への眼差しに深く関わってくる)だという共通点もあり、ある意味で「スモール・クライム」は裏「この世に私の居場所なんてない」と言える代物となっていると言える。

だがこちらはブレアの厭世感が更に強烈なものとなっている。その要因が“血の繋がり”である。ジョーは2人の娘の”親“なのだが、事件のせいで接近禁止令が出され会うことが禁止されており、これがダンの命令をいやいや受ける理由の1つでもある。更に前述した通り“子”である彼と親の軋轢は胃に来る厭さがある。親のよしみで実家に住まわせてやってはいるが、まさか自分の子供がお前みたいなクソになるとは思わなかった、その原因は私たちにもあるが、それでも……と、いつ激発するか解らない緊張感がピアノ線さながら引き絞られる様は、本筋の犯罪パートよりもエグいものがある。

だが物語が進むにつれこの強烈な厭世感はどんどん変な方向へと転がっていく。ジョーを演じるニコライ・コスタ=ワルドー、彼はゲーム・オブ・スローンズなどでお馴染みな北欧随一のイケメン俳優だが、そんな美貌を誇る彼が死んだ苔色をしたアメリカのド田舎に投げ込まれ、うらぶれ汚され血にまみれる姿は何とも被虐的な嗜好をそそられる。そしてカッツ監督はこの妙な魅力を巧みに利用していく。彼が傷つけられなぶられる度、彼はどんどん不幸になりながら、私たちは何故か彼以上に周りの人間が不幸に陥る様を目撃するだろう。それはまるで運命の女ファム・ファタールに見いられた男たちが惨めな破滅を遂げていくよう……というのは言い過ぎかもしれないが、実際言えるのは「スモール・クライム」が米のド田舎ノワールの範疇におけるオム・ファタールものとして逸品だ。運命の男ジョーの磁場に巻き込まれた人々はことごとく破滅していくのだ、惨めに、泥臭く、そしてチンケに。そんな映画に“Small Crimes”(ちょっとした罪)なんてうってつけの題名じゃないか!

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20170504112505j:image:w640

結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&”Dance Party, USA”/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&”You Wont Miss Me”/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&”Quiet City”/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&”Silver Bullets”/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&”Empire Builder”/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&”Kissing on the Mouth”/私たちの若さはどこへ行くのだろう
その7 ジョー・スワンバーグ&”Marriage Material”/誰かと共に生きていくことのままならさ
その8 ジョー・スワンバーグ&”Nights and Weekends”/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
その9 ジョー・スワンバーグ&”Alexander the Last”/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
その10 ジョー・スワンバーグ&”The Zone”/マンブルコア界の変態王頂上決戦
その11 ジョー・スワンバーグ&”Private Settings”/変態ボーイ meets ド変態ガール
その12 アンドリュー・ブジャルスキー&”Funny Ha Ha”/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね
その13 アンドリュー・ブジャルスキー&”Mutual Appreciation”/そしてマンブルコアが幕を開ける
その14 ケンタッカー・オードリー&”Team Picture”/口ごもる若き世代の逃避と不安
その15 アンドリュー・ブジャルスキー&”Beeswax”/次に俺の作品をマンブルコアって言ったらブチ殺すぞ
その16 エイミー・サイメッツ&”Sun Don’t Shine”/私はただ人魚のように泳いでいたいだけ
その17 ケンタッカー・オードリー&”Open Five”/メンフィス、アイ・ラブ・ユー
その18 ケンタッカー・オードリー&”Open Five 2”/才能のない奴はインディー映画作るの止めろ!
その19 デュプラス兄弟&”The Puffy Chair”/ボロボロのソファー、ボロボロの3人
その20 マーサ・スティーブンス&”Pilgrim Song”/中年ダメ男は自分探しに山を行く
その21 デュプラス兄弟&”Baghead”/山小屋ホラーで愛憎すったもんだ
その22 ジョー・スワンバーグ&”24 Exposures”/テン年代に蘇る90’s底抜け猟奇殺人映画
その23 マンブルコアの黎明に消えた幻 ”Four Eyed Monsters”
その24 リチャード・リンクレイター&”ROS”/米インディー界の巨人、マンブルコアに(ちょっと)接近!
その25 リチャード・リンクレイター&”Slacker”/90年代の幕開け、怠け者たちの黙示録
その26 リチャード・リンクレイター&”It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books”/本を読むより映画を1本完成させよう
その27 ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末
その28 ネイサン・シルヴァー&”Soft in the Head”/食卓は言葉の弾丸飛び交う戦場
その29 ネイサン・シルヴァー&”Uncertain Terms”/アメリカに広がる”水面下の不穏”
その30 ネイサン・シルヴァー&”Stinking Heaven”/90年代の粒子に浮かび上がるカオス
その31 ジョセフィン・デッカー&”Art History”/セックス、繋がりであり断絶であり
その32 ジョセフィン・デッカー&”Butter on the Latch”/森に潜む混沌の夢々
その33 ケント・オズボーン&”Uncle Kent”/友達っていうのは、恋人っていうのは
その34 ジョー・スワンバーグ&”LOL”/繋がり続ける世代を苛む”男らしさ”
その35 リン・シェルトン&”We Go Way Back”/23歳の私、あなたは今どうしてる?
その36 ジョー・スワンバーグ&「ハッピー・クリスマス」/スワンバーグ、新たな可能性に試行錯誤の巻
その37 タイ・ウェスト&”The Roost”/恐怖!コウモリゾンビ、闇からの襲撃!
その38 タイ・ウェスト&”Trigger Man”/狩人たちは暴力の引鉄を引く
その39 アダム・ウィンガード&”Home Sick”/初期衝動、血飛沫と共に大爆裂!
その40 タイ・ウェスト&”The House of the Devil”/再現される80年代、幕を開けるテン年代
その41 ジョー・スワンバーグ&”Caitlin Plays Herself”/私を演じる、抽象画を描く
その42 タイ・ウェスト&「インキーパーズ」/ミレニアル世代の幽霊屋敷探検
その43 アダム・ウィンガード&”Pop Skull”/ポケモンショック、待望の映画化
その44 リン・シェルトン&”My Effortless Brilliance”/2人の男、曖昧な感情の中で
その45 ジョー・スワンバーグ&”Autoerotic”/オナニーにまつわる4つの変態小噺
その46 ジョー・スワンバーグ&”All the Light in the Sky”/過ぎゆく時間の愛おしさについて
その47 ジョー・スワンバーグ&「ドリンキング・バディーズ」/友情と愛情の狭間、曖昧な何か
その48 タイ・ウェスト&「サクラメント 死の楽園」/泡を吹け!マンブルコア大遠足会!
その49 タイ・ウェスト&”In a Valley of Violence”/暴力の谷、蘇る西部
その50 ジョー・スワンバーグ&「ハンナだけど、生きていく!」/マンブルコア、ここに極まれり!
その51 ジョー・スワンバーグ&「新しい夫婦の見つけ方」/人生、そう単純なものなんかじゃない
その52 ソフィア・タカール&”Green”/男たちを求め、男たちから逃れ難く
その53 ローレンス・マイケル・レヴィーン&”Wild Canaries”/ヒップスターのブルックリン探偵物語!
その54 ジョー・スワンバーグ&「ギャンブラー」/欲に負かされ それでも一歩一歩進んで
その55 フランク・V・ロス&”Quietly on By”/ニートと出口の見えない狂気
その56 フランク・V・ロス&”Hohokam”/愛してるから、傷つけあって
その57 フランク・V・ロス&”Present Company”/離れられないまま、傷つけあって
その58 フランク・V・ロス&”Audrey the Trainwreck”/最後にはいつもクソみたいな気分
その59 フランク・V・ロス&”Tiger Tail in Blue”/幻のほどける時、やってくる愛は……
その60 フランク・V・ロス&”Bloomin Mud Shuffle”/愛してるから、分かり合えない

2015-11-01

兄弟2人、マンソンの地へ「マンソン・ファミリーの休暇」

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20151101220420j:image:w640

1969年、ロマン・ポランスキーの当時の妻であった俳優シャロン・テートが何者かに惨殺されるという事件が起こる。更にその翌日には事業家のレノ・ラビアンカが妻と共に死体で発見され、アメリカ全土が恐怖に慄くこととなる。この2つの事件を引き起こしたのは俗に"ファミリー"と呼ばれる集団、そして彼らを率いていた指導者こそチャールズ・マンソンだった。この「マンソンファミリーの休暇」はマンソンのインタビュー映像から幕を開ける。様々な質問が投げ掛けられる中で、ある問いが彼の琴線に触れる。獄中のあなたに手紙を送る人間には子供が多いそうですがそれは何故だと思いますか。マンソンはいきなり立ち上がり奇怪な動きをインタビュアーに見せつけながら答える、新しいからだ、俺は新しいことをずっとやり続けているからだよ。

そんなマンソンの髭面が大写しになったTシャツを着ているのはコンラッド(Linus Phillips)という中年男、バックパックを背負い彼はヒッチハイクを続ける。目的地は弟であるニック(「トランスペアレント」ジェイ・デュプラス)の家、父の葬式をすっぽかした以来疎遠になったが、コンラッドには会うべき理由があった。一方ニックは兄に対して良い思い出はない、弁護士として成功し、妻のアマンダ(Leonora Pitts)や息子のマックス(Adam Chersik)とプール付きの邸宅で幸せに暮らしている。兄が会いたいと連絡してきてまず思ったのは嬉しさより面倒臭さだった、自分の人生を掻き乱すなよとそんな思いが頭に浮かぶ。そして2人は再会するのだが、話はぎこちない。仕事も止めて住んでた場所も引き払って持ち物はこのバックパックだけだ、そう告白されてもニックにはどう反応すれば良いのか分からない。そして追い討ちをかけるように兄はこんな奇妙なお願いをしてくる、俺と一緒にマンソンファミリーゆかりの地を巡らないか?

今作が初監督のJ・デイヴィス、まずは類型的な常識人と変人の対立を笑いの肥やしにしながら、物語を進めていく。兄弟のよしみで2人旅に行くことにはなるが、ニックはやはり気が重い。最初はシャロン・テート惨殺事件が繰り広げられた邸宅へ。門は固く閉ざされて中には入れないがコンラッドはもう大騒ぎだ、フフウウ!あそこでシャロン・テートがブチ殺されたんだ!でな、ここにな若い運転手が運悪く通っちまったから、銃弾4発をブフゥン!ブフゥン!ブフゥン!ブフゥン!と終始このノリだ、記念撮影まで始める兄にニックはウンザリしてしまう。よりによって何であんな殺人集団に熱狂するんだよ……とは思いながら、聖地巡礼に手を貸してしまう自分にも嫌気がさす。オフビートな笑いに彩られた巡礼は、しかし兄と弟の間に存在する溝をも顕在化させていくことともなる。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20151101220558p:image:w640

ある事情から親の愛を受けられず、それを苦にしながら40年もの時を過ごしてきた兄コンラッド。逆に親からの愛を一心に受けて、万事順調な人生を歩んできた弟ニック。ニックは、事情もあったろうがコンラッド自身がむしろ家族を避けてきたんじゃないかと非難の目を向けるが、コンラッドは父親だけじゃなく、ニックだって自分を見下してきたと不満をこぼす。この関係を更に拗れたものにするのがマンソンファミリーな訳であるが、デイヴィス監督はどちらに肩入れすることもなく両者の心に寄り添っていく。

この二者間の亀裂は目に見えながら、2人が理解しあってくれることを願うような柔らかなトーンは監督以上に、製作を担当しているデュプラス兄弟(主演のジェイは兄)の影響が色濃いとも言える。彼らは監督作として「ぼくの大切な人と、そのクソガキ」「ハッピーニートそして"Do-Deca-Penthathlon"(個人的にはこの作品が最高傑作だと思う)を、制作者としても"Adult Beginners"などを、そして俳優としても数え切れないほどの作品に出演してきたが、共通するのは"大人になりきれない中年への暖かな眼差し"だ。人から愛されていなくても、社会から見放されていても、そんな彼らだからこそデュプラス兄弟はギュっと抱きしめるのだ。劇中でもコンラッドがニックに対して叫ぶのだ――大人になるっていうのは難しいんだよ!と。デュプラス兄弟は痛いほどこれを知っていて、だからこそ彼らの作品には優しさが満ち溢れているのだ。

そしてニックとコンラッド、2人の旅路は思わぬ方向へと展開していく。マンソンファミリーへの傾倒はともすれば危険なものとなるかもしれないし、物語もそんな倫理的な問いを宿しながら進む。そこに隣り合わせとなるのが兄弟の絆だ、障壁を乗り越えること、手を取り合うこと、絆というものは一体どこに存在するのだろう、2人はそれぞれに自分の居場所を見つけようともがく。デイヴィス監督はここで安易な決着はつけない。誰が何を選ぼうともあなたが選んだ道なのだからその道を行きなさいと、その背中を押してくれる。

「マンソンファミリーの休暇」は兄と弟という関係性を、テーマの奇妙さとは裏腹に暖かな筆致で描き出していく。今作を観た後には、あのマンソンの髭面を以前とは違う感慨を以て見ていることにあなたは気付くだろう。[B+]

D

2015-10-20

私たちは私たちのために立ち上がる「ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への戦い」

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20140218225314j:image:w640

止まれ、危ない、撃たれるぞ!……ダメだ、もう死んでる……響き渡る銃声、倒れた者の姿……僕はさっき死体を運んだんだ……もう血だまりを歩くのにも慣れた……そっちへ行くな!……革命に尽くしたい、これはウクライナの革命なんだ……2014年2月20日、マイダン革命の始まりから92日目、映画はその1日に広がる衝撃的な光景から幕を開ける。

「ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への戦い」は2013年11月21日、ウクライナ・キエフの英雄広場(マイダン)での抗議活動に端を発したマイダン革命の行く末を描き出すドキュメンタリー映画だ。ニュースや文字情報ではその一端しか垣間見ることの出来なかった革命の壮絶な風景がここには広がっている。

きっかけはFacebookに載せられた1つの呼び掛けだ、マイダンに集まり、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領に対し皆で抗議の声を上げよう!と。ヤヌコーヴィチ政権は西側諸国との協力を国民に約束していながら、裏ではロシアとの関係を強めていき、11月21日にはとうとうEUとの協定締結準備を停止すると決定したのだ。その夜、停止の撤回を求める人々がマイダンへと集結、反対運動を行った。その姿はSNSにアップされ、即座に学生を中心とした組織が形成、広場に集まる人々は加速度的に増えていき、停止後初めての週末には数万人規模にまで参加者の数は膨れ上がる。

そんな状況に早くもウクライナの警察ベルクトが動き出す。学生たちが主導の平和的デモに対し、興奮した群衆がこちらに敵意を向けてきたという理由で、容赦ない暴力を加えてくる。一度倒れた者に対し、数人のベルクトが寄ってたかり棍棒を執拗に叩き込む姿、逃げ惑う群衆、顔から血を流し国への失望を語る人々、様々なフッテージが結い合わされて浮かび上がるのは胸が詰まるほどの凄惨な状況だ。

だが暴力によってでは人々の意志を挫くことは出来ない、マイダンに集まる人々の数はむしろ増えていく。そうして自由と尊厳を求め人々の団結が強くなっていく。そこには翻訳家、歌手、聖職者、会社員、退役軍人、12歳の少年、更にはキエフから遠く離れた地に住む人々もマイダンに集まってくる。デモの参加者は語る、ベビーカーを押す人にお年寄りに松葉杖をついた人も参加していました、私たちは変化を起こせる、そう確信したんです。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20151020113539j:image:w640

それでも人々の団結が強まると共に、警察の弾圧も激しさを増していく。1月17日、ヤヌコーヴィチ政権はデモ規制法案を制定、バイクのヘルメット着用禁止、インターネットのアクセス制限などでデモ隊の排除へと本格的に乗り出し、彼らは越えてはならない一線すら越えようとする。

警察が雇ったのはティテュシュキーと呼ばれる集団、刑務所上がりで金のためなら殺しも厭わない犯罪者たちだ。彼らの暴力に加え、ベルクトはゴム弾の中に故意に実弾を込め、躊躇なく人々に撃ち込んでいく。そして余りにも呆気なく、命は失われる。死は人々を悲しみと怒りの渦に巻き込み、平和的であった筈の反対運動は、互いの命を削りあう暴力革命へと発展していく。カメラには、いとも容易く射殺される人々、血まみれになり担架で運ばれる者たち、轟炎をあげて燃え盛る建物の姿が映し出されていく。暴力が暴力を呼ぶ連鎖の光景は観る者を無力感に苛むかもしれない、だがここには監督の思いが深く刻まれている。あの時、未来のために立ち上がった者たちがいる、より良き明日のために立ち上がった者たちがいる、それをあなたに忘れないでいて欲しいと。

私は私のために立つ、私たちは私たちのために立ち上がる。「ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への闘い」は、そんな1人1人の意志が強大な権力に立ち向かう様を力強く、本当に力強く描き出す。この作品こそ、日本で今見られるべきドキュメンタリーだ[A]

Netflixで配信中

D

2015-10-16

男より、息子より、まず1人の人間として「マイ・オウン・マン」

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20151016103803j:image:w640

デイヴィッドとジェイ、20年来の親友である彼らはとある場所へと赴く。高校生の頃だよな、ジェイは語る、ここで誰かが俺たちに襲いかかってきて、ビンを後頭部に叩きつけられた、その時思ったんだよ、ああこれ西部劇によくある酒場での喧嘩みたいだなってさ。そんな彼にデイヴィッドは尋ねる、そんとき僕がどうしてたかって覚えてるかな、さあ、突っ立って俺がボコられるのを見てたんじゃないか、いやもっと酷いよ、僕は車の下で縮こまってたんだから。

"男なんだから泣くんじゃない" "男なのに情けない"……こんな言葉に傷ついた人々は少なくないと思う。勝手すぎる、理不尽だと悩んだ人々だって多いだろう。このNetflixオリジナルドキュメンタリーであるデイヴィッド・サンプリナー監督作「マイ・オウン・マン」はそんなあなたたちを、きっと暖かく抱きしめてくれる作品だ。

ドキュメンタリー作家のデイヴィッドは40代を迎え、ある悩みを抱えていた。それは自分に"男らしさ"が全く欠けていること。父や兄、周りの友人たちはみな"男らしさ"に満ち溢れている、だけど自分はどうだ、体もしっかりしてないし、気も小さい、どうして僕は彼らみたいになれないんだろう……そんな彼に転機が訪れる。恋人のレイチェルが妊娠したのだ、しかも男の子を!デイヴィッドは喜びながらも、内心かなり不安だ、"男らしさ"が微塵もない自分が男の子を育てられるのだろうか、彼に"男らしさ"を教えてやれるのだろうか、そうしてデイヴィッドは一念発起、"男らしさ"を手にいれるために行動を始める。

まずは親友のイアンに相談だ。一体"男らしさ"って何だと思う?デイヴィッドは彼に尋ねる、"男らしさ"っていうのは自分を出せるってことだ、気に入らない奴がいたら頭を食いちぎる、これを出来る奴を"男らしい"って言うんだよ。じゃあさ、僕は"男らしく"なれると思う?………………まあ、ないな………………何も言えないデイヴィッドにイアンが付け加える、今みたいな状況で誰かに言い返せたら、お前も"男らしく"なれるだろうな。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20151016103848j:image:w640

デイヴィッドがまず始めたのはボイストレーニングだ、この野郎!俺に言ってんのか!舐めてんのか!畜生が!トレーナーが親身になって声を大きく出す方法や罵倒の仕方を教えてくれるが、何だか可笑しい、見てるこっちとしては「タクシードライバー」のトラヴィス真っ逆さまって印象だし、デイヴィッド自身もなにかが違うと感じたりする。次に彼が行くのは"ニュー・ウォーリアー"(名前聞いただけでで吐き気がするよとはデイヴィッド談)、週末に男30人が森に入り、太鼓を叩きまくるってイベントだ。それでデイヴィッドは太鼓を叩きまくる。少し"男らしく"なったと胸を張る彼にレイチェルは言う、ああいうの何か宗教的で気持ち悪い、そうして彼は逆戻り。

本人は至って真剣に"男らしさ"を追求しているのだが、こちらとしては何だか微笑ましい、そんなトーンでドキュメンタリーは進むのだが、アメリカと"男らしさ"、この2つを象徴する存在、つまりは銃が登場するとなると少しトーンは変わる。彼はライフルの教習所に通って、"男らしさ"を勝ち取ろうと目論む。教官が数十年の教官生活で1度も見たことのないというヘマを犯しながらも、ライフルを手にしたデイヴィッド、少なくとも彼自身は"男らしく"なったと思っている様子で、とうとう鹿狩りに出掛けることとなる。このシークエンスは印象的で、「ディア・ハンター」や最近では「プリズナーズ」など映画でも"アメリカ"もしくは"男らしさ"が一線を踏み越える/踏み越えていることの象徴として現れるが、彼はむしろこの経験にこそ、そもそも"男らしさ"ってなんなんだ?という疑問を見出だすことになる。

彼が"男らしさ"について探るうち、その前に現れるのは家族の存在だ。デイヴィッドの兄は、彼の友人と同じように"男らしさ"に満ちていて、彼にとっては羨望の的だった。しかし兄はこんな告白をする、自分は"男らしい"訳ではなく、"男らしさ"を偽装しながら生きてきたと、その"男らしさ"は妻や子供という新しい家族を築くためには障害でしかなかった、彼はパンケーキを焼きながらそう告白するのだ。そんなデイヴィッドと兄、ひいては彼の家族に"男らしさ"の影を投げ掛けていたのが、父親だった。

父は文武両道、医学生時代はスポーツで名をあげ、外科医としても多くの人々の命を救った人物だった。様々なフッテージが物語るように、現在もデイヴィッドと父の仲は良好ではあるのだが、更に深い絆が2人の間にあると彼には断言できなかった。そして父との過去を巡るうち、思いがけなくあるトラウマに行き当たる。"男らしさ"という呪い、彼は本当に踏み込むべき場所はここだったのだと悟る。あの時の自分を救い出すため、本当の自分を掴みとるため、デイヴィッドは男としてより先に、息子としてより先に、まず1人の人間として父と対峙することとなる。

「マイ・オウン・マン」は"男らしさ"への洞察を通じ、とある父と息子の関係性を、序盤からは考えられないほど、というか監督自身もこうなるとは予想しなかったほど感動的に描き出していく。"男らしさ"に絡めとられた人々の心をきっと、この映画は解きほぐし癒してくれるだろう。[A-]

Netflixで配信中

D