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ヴァファリン

2014-02-02

帰ってきたヴァファリン

23:54

完全に…忘れていました…。このブログのこと…。こういうブログを作ったということを…。さらにいえば「D」さんのことを…。思い出したのは合コンでの会話です。

「森(略)ってしってる?ネットの有名人なんだけど」

知ってる超知ってる超超知ってるとも言えずに私はにっこり微笑むことしかできませんでした。

「へえ、そんな人がいるんだ。面白いねネットって」

忘れていたのです。短い間でしたが彼には充実した時間を送らせてもらったというのに。学業バイトと忙しい日常にかまけている間に実に実に!3年もの間が過ぎ去っていました。恐る恐る例のサイト、例のスレッドを覗きました。懐かしさと違和感となんと言い難い苦いに気持ちとがごちゃまぜになった、もんにょりした気持ちに襲われました。あなたはそこにいたんですね。ずっとそこにいたのですね。変わらずに、何もかわらず、変えようとすらせずに、ずっとずっとそこにいたのですね。

わたしは変わってしまいました。2010年当時のことを思うと空恐ろしくなります。いろんなものが変化して、わたし自身がその速度に追いついていない。それに恐れと、同時に興奮を感じています。怖い、でも面白い。きっとこの先もっともっと面白いことがあるに違いない。新たな出会いがあるに違いない。

でも彼は変わっていない、多分この先ずっと変わらない変わろうという意志がない。それは哀しくて、わたしの理解をちょっと拒絶していて、この世界にはわたしとは理解しえない精神があるのだという、私自身の限界を教えてくれています。

2010-11-30

cap65773cap65773 2010/12/10 22:08 こんばんは。
花の写真、いいですね!なんか、エロティックなものを感じます。特に真ん中で捕らえたカットに惹かれます。
花ってそんなものなのでしょうか?綺麗なんだけど、何かその奥にありそうな・・・。色調も画面のせいでしょうか、独特な感じですね。僕はスナップや人物を撮ることが多いのですが、いろんな意味で難しい・・です。でも、その場が一回切りなのが緊張感があっていい、なんて思ってます。アマチュアにとっては、いつもその場が“本番一発”ですよね。

2010-11-27

秋の空気はガラスみたいだ

| 02:23

眠いっス。写真をスキャンして整理していたらこんな時間になってしまいました。自分は寝つきが悪いほうなんス。明日のあさはわたしが料理当番なんですがきっと起きれません。

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2010-11-09

飯沢耕太郎『私写真論』/筑摩書房

| 22:55

スーザン・ソンタグをはじめとして所謂「写真論」的なテキストはいくつか読んできたが、これほど撮影者―被写体の関係に踏み込んだテキストは初めて。これは恐ろしく刺激的な本である。『私写真論』とは掲げられているが、実際には飯沢耕太郎による四人の写真家の紹介、解説、批評である。四人の写真家達―中平卓馬深瀬昌久荒木経惟、牛腸茂男―のうち私が知っていたのは中平卓馬アラーキーこと荒木経惟のみである。彼らがどのような人物でありどのような写真家で、どのような写真を撮ったのか、ということについては本を読めばいい。共通しているのは彼らは生きるためにカメラを・・・写真を必要としたということだけ。それは職業的な理由というだけでなく、自分の主義主張をカメラを通じて表現するため、あるいは自分の存在理由として、自分と世界を繋ぐものとして、生きているとうことの確認のため・・・・・・かれらは写真家であり写真家として名を成した人物たちだが、いっぽうで「そうせざるをえなかった」人々である。

問題はつねに距離感だ。撮影者とカメラと被写体の。撮影者の顔、手、脚、あるいは匂い。写真にはあらわれない。しかし撮影者不在のその写真は、撮影者について多くのことをおしえてくれる。リラックスした笑顔を向ける子供。並んで神妙な顔でこちらをみている家族たち。情交の最中の女。不在どころの話ではない。写真を読むものは、撮影者の眼球に入り込んだにひとしい。あるいは脳みそにだ。

私も写真を撮る・・・しかし趣味でありアマチュアである。とても彼らと並べられるような存在ではない。写真にかける覚悟がそもそも違う。考え方もそうだ。

飯沢耕太郎はこの本のなかで大して私写真について論じてはいない。だがしかし紹介された4名の写真家はいずれも只者ならず、その作品なり生き方を追うだけで十分以上に私写真論しているのである。

ちょっとでも真面目に写真をとってみようと思ったアマチュアには必読の本だと思う。

cap65773cap65773 2010/11/16 22:05 こんばんは。
僕はあまり写真論的にものを考えたりはしないのですが、撮りつめて行くとやはり自分の考えというものにぶつかります。
ただ撮るのではなく、何かがしたくて撮っているからだと思います。でも、写真家と呼ばれる人達は、また数段崇高な人達なんでしょうね。たくさん撮っていくうちに分かって来ると思います。
写真家とカメラマン。違うのは分かっていますが、どちらが幸せなんでしょうね。
最近、撮影されていますか? 写真の話、しましょうよ!

red_sakikored_sakiko 2010/11/28 02:31 わたしはマクロだいすきっ子なんですよ。対象に接近して嘗めるように隅々まで接写のするのが好きです。人を撮るのが好きなんですけど人物写真は公開するのが難しいですよね。ブログに上げるのはもっぱら植物とか物体とか猫ですけど、奴らは奴らなりのエロスを持っていて面白いス。ふとした角度から見えるいつもと違う風景、対象への過激な接近、変な光源とかまあそういうのが撮影のトリガーですかね。cap6577さんはどんな写真を撮られてます?秋ですし紅葉とか、紅葉とか、紅葉なんかの写真を一杯撮れると楽しいですよね。明日は近所の山に行って紅葉狩りの予定です。

WaveGuideWaveGuide 2010/12/05 23:19 お久しぶりです。
相変わらす写真に情熱を注がれているようですね。

何年か前ですが新宿でアラーキーの写真展をみる機会がありました。
確か京都かどこだかの茶室や庭なんかの写真が飾られていて、その臨場感や感覚は独特のものである事を
記憶しています。
いつも熟女の裸ばかり撮っているイメージしかもっていませんでしたが、流石は写真家と感激しました。
そんな彼は仕事場に向かうときも乗り物を使わずに徒歩でよく目的地に向かうそうです(知り合いのスタジオ屋さんに聞いた話)。
写真家ならではの感覚のトレーニングなんでしょうか・・・・?
それで撮影の時には自ら気分を高揚させて・・・と。

red_sakikored_sakiko 2010/12/11 22:41 おひさしぶりです!お元気でしたか?
アラーキーはちょっと変わった写真家なんです。どう変わってるかというと彼は自分の作品のなかにちょくちょく紛れ込むんですね。
その場にいる人に「ちょっと俺を撮ってくれ」と頼んで撮ってもらうのです。彼の丸メガネ、特徴的な髭もあれはかなり意図的にやってるそうなんですね。
つまりアラーキーはアラーキー自身を一種の記号化して、その記号とうまいぐあいに戯れているといってもいいでしょう。徒歩で目的地に向かうのもアラーキーの
一種の方法論・・・自分が作品に溶け込む・・・ということを実践しているのかもしれませんね。写真論の勉強は始めたばかりですがなかなか奥が深いです。

2010-11-01

養老孟司『臨床哲学』/哲学書房

| 22:12

ひさびさのハズレ本。時間を無駄にした怒りをどこにぶつけてくれようか。たいそうなタイトルがついているが内容は養老先生の日記帳レベルである。哲学とよべるレベルの話は出てこないし脳や医療についてもたいして踏み込まない。脳+医療+社会+哲学についての入門書的な読み方をするにはいいけれど、多少そっち方面の本を読んでいる人にとっては得るものがない。