星が丘日誌

2015-01-11

「夕方の三十分」を読む。

待つことは…… と書いて、形容詞が見つからない。つらい、長い、しんどい、そのどれでもあるようでどれでもないような、たのしさもむろん、しかしいちばん近いのは、たぶん惧れ、をめぐるものであり、しかしその惧れの持続については身体の知恵によって見事に弛緩が導入されているから(そうでなければ持たない)、結果、自分でもただぼんやり待ちくたびれているようにしか見えない。


 夕刻を迎える度、このまま今日も日付が更新されるかな? と思うのは、投げられた硬貨の表が残念、裏が安堵、というのはフォーマルな態度で、インフォーマルにはむしろ表が安堵、裏が残念かもしれず、分離不可能なそれらの揺れを残したまま、いつしか日が暮れていく。


 夕景の心細さ、寄る辺なさの中にある父と子、といえば、黒田三郎の有名なあの詩である。




夕方の三十分

コンロから御飯をおろす
卵を割ってかきまぜる
合間にウイスキーをひと口飲む
折り紙で赤い鶴を折る
ネギを切る
一畳に足りない台所につっ立ったままで
夕方の三十分
僕は腕のいいコックで
酒飲みで
オトーチャマ
小さなユリのご機嫌とりまでいっぺんにやらなきゃならん
半日他人の家で暮らしたので小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う
「ホンヨンデェ オトーチャマ」「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」
「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」
卵焼きをかえそうと 一心不乱のところに
あわててユリが駈けこんでくる
「オッシッコデルノー オトーチャマ」
だんだん僕は不機嫌になってくる
化学調味料をひとさじ  フライパンをひとゆすり
ウイスキーをがぶりとひと口  だんだん小さなユリも不機嫌になってくる
「ハヤクココキッテヨォ オトー」「ハヤクー」
かんしゃくもちのおやじが怒鳴る 「自分でしなさい 自分でェ」
かんしゃくもちの娘がやりかえす 「ヨッパライ グズ ジジイ」
おやじが怒って娘のお尻をたたく 小さなユリが泣く 大きな声で泣く

それから やがて しずかで美しい時間が やってくる 
おやじは素直でやさしくなる
小さなユリも素直にやさしくなる
食卓に向かい合ってふたり座る     



 1960年に刊行された詩集『小さなユリと』の中で、最も人口に膾炙した詩だろう。一読すぐにわかるのは妻=母の不在で、「半日他人の家で暮らしたので」は、勤務中にユリを預かってもらっていた、ということだと推測される。自分の家に帰って来ても食卓には父娘しかいない。実際、この時期、黒田三郎の妻・光子さんは結核のため療養中で(黒田三郎自身も長年結核に苦しんだ人だった)、結核となると面会もままならない状況だ。
 しかし、その不在は前景化・主題化することなく、説明も要することなく、舞台背景として静かに読者に了解される。今から55年前の詩集であり、男が台所に立つ機会が現在に比べてどうだったかはたやすく類推されるから、そのことも無理のない舞台の設定に貢献する。


 今、当該本が手許にないので確認できないが、堀江敏幸さんは『正弦曲線』の中でこの詩に触れ、「化学調味料」の箇所に着目していたはずだ。おそらく味の素のことだろうとこれまた容易に推測できて、化学調味料がいつしか「うまみ調味料」なる焦点の合わない代物へと名称を変更されていることが書かれていた。「社会全体に見えないあぶくが湧き出ていた頃から」(←ネットからの孫引きなので後日要確認)というのが堀江さんの認識で、つまりはバブル期ということだろう。

 
 そして私がこの詩を読んで感じた疑問(作品の質をめぐるものではない、作品は文句なくすばらしい)は、さてここで「オトーチャマ」は何を作っているか? ということだ。「コンロから御飯をおろす」とあるから火にかけていたわけで、そのあと卵、ネギとあり、チャーハンかな? と考える。「卵を割ってかきまぜる」は、「御飯」とはまた別の器に、だろうか。わからなくなるのは、「卵焼きをかえそうと」によってである。ここで「卵焼き」と言い切っている。チャーハンに対するおかずが卵焼き? それは、組み合わせとして無いように思える。では、この「卵焼き」は、チャーハンに入れるためのものか? しかし、チャーハンにまぶすためのあれを「卵焼き」と呼ぶだろうか? もう1つわからないのは、「化学調味料をひとさじ  フライパンをひとゆすり」のタイミング。あ、これは、火を通した卵をコンロから降ろした御飯と合わせ、もう一度火にかけて仕上げをする、という意味か。


 詩を構成する一行一行が時系列で並ぶ必要はないし、詩はレシピではないのだから、むろん、整合性を欠いていてもかまわない。それに私は料理オンチなので、「えっ? ぜんぜん不思議じゃないよ」と言われればそれまでかもしれない。要するに、勝手に誤読している確率が極めて高い。しかし、こんなことを考えながらこの詩を三読、四読することがなんとも楽しいのだ。


 小さなユリは、徹底してカタカナの圏内に属している。すべてユリの言葉はカタカナで詩の中を縦横に走り回り、オトーチャマにコツンコツンとぶつかる。なにしろ、百合でも由里、由利、ゆり、でもなくユリである。詩集のタイトルが『小さなユリ』ではなく『小さなユリと』であることも見逃したくない。「と」一文字によって一挙に、小さいながらも安定した小宇宙から不安定な世界に押し出される。不安な世界の中の防波堤は「一畳に足りない台所」だ。まるで世界の邪気を追い払うかのように、父娘のけたたましい攻防を経ることによってのみ、ようやくストンと平安がやってくる。ラスト四行の前の一呼吸、この一行アキがなんとも尊い。この空白の一行のあいだにユリは鎮まり、「オトーチャマ」の不機嫌の火も消え、さあ、夕食ができた。


 「半日他人の家で暮らしたので小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う」の一行、「いっぺんにいろんなことを言う」がなんともいえず、すばらしく切ない。


 小さなユリの存在と時間が、爆発している。こんな時、どうしたらいいんだろうね、「オトーチャマ」としては……。

2015-01-02

誕生日が待ち遠しい!(どころではない)

7ヶ月半ぶり! にブログ更新します。長いです。
どうせまたすぐ途切れる、と思われるかもしれませんが、可能な限り週1以上のペースで続けたいと思います。


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 10月ともなると、ずいぶん日が短くなったことを実感する時間がいたるところにある。その日もそうだった。到着した時刻にはすでに長い列が形成され、間違いないとは思ったものの、「ここ、最後尾ですか?」と確認してから並んだ。知り合い同士で軽口を叩いたり、何この列? といぶかしく横目に見ながら帰路に着く生徒がいたり、それでも基本、所在なげにスマートフォンの画面を見つめるか、さもなくば本を開くか、そうして1人でいる人が多いのはさすがに「文化系」のイベントというべきか。さほど待たされている実感はないものの、気がつくと本の文字を読むには暗くなりすぎていて、入り口のほうに向けて逆L字型に、なんだか海ヘビのように揺らめいて見える列は、顔の連続というより、もはやシルエットになっていた。


 2014年10月10日。東京飯田橋のアンスティチュ・フランセの、フランス的というよりはるかに日本的に思える中庭に並んだ人々は、たぶん、映画より「その人」を見に来た人が多かっただろう。翌11日からスタートする「没後30年 フランソワ・トリュフォー映画祭」のために来日するジャン=ピエール・レオー氏が、映画祭より1日早く、舞台挨拶のために登壇する。きょう、ここで上映されるのはトリュフォー作品ではなく、フィリップ・ガレルの『愛の誕生』だ。明日が初日のはず、というマスイメージを裏切るような、しかし特別シークレットというわけでもなく誰でもアクセスできるように情報が放出されているこの日の上映と登壇は、だがしかし「がんばって2時間前には並ぼう」では、ぜんぜん甘かった。


 会場で会ったOさんからは「今来たの? 遅いよ!」と言われ、返す言葉もないのだけど、ジャン=ピエール・レオーを見るためなら、と、長時間の待機を厭わない人に対して「2時間前」はいかにも付け焼刃な思惑であり、腰が引けたスウィングで3塁打くらい狙う感じだったかもしれない。けれども、どうやら最低でも4時間前には行ってないと、みたいな情報がまことしやかに流れていたら、きっと行くのを止めただろうから、結果、これで良かったのだ。
 立ち見でもいい。遠くにレオー氏の顔を拝むだけでよい。この日の、この会場の空気にさわるだけでもいい。そう思いもしたものの、厄介なのは事が自分ひとりの問題ではない、ということである。仕事のためにギリギリにしか来られない妻の分のチケットも買い求める必要があり(前売券はなしで、とにかく並ぶしかなかった)、そのことが心配だった。


 と、前のほうからザワザワと不調和な伝言ゲームのように言葉がこぼれてきて、「チケットは1人1枚」とのこと。それを聞いて最初に思ったのは「げっ!」ではなく「あ、そうだよね」だった。だいたい100席くらいしかないのだし、苦労して並んでいるのに、1人で何枚も買われてはたまらない。そりゃそうだよ、賢明な判断ですよ。支持します。それはつまり、買ったらもう1度並び直さねば、ということ以上に2枚は絶対にムリ、という端的な事実の確認でもあり、さあ、こうなったらいっそ1枚も買えないほうがいいいのか。いや、そうじゃない、やはり買えたほうがいいのであって、ではその1枚は誰が使用するか。
 埒もないことを考えていると、「申し訳ありません、チケットはここまでです」と、女性の凛とした声が響き渡り、彼女が腕で引いたエアライン(見えない境界線)の内側3人目に自分がいた。買えなかった人はとてもがっかりしただろうし、あいまいさを残さない裁き方も正解だし、こちらもこういう時はモヤモヤ考えないでさっさと会計を済ませて場を離れるに限る。さあこれからどうするか。


 結果的に迷うことなく判断できたのは、アンスティチュ・フランセ側の計らいで、入場できなかった人のために、ロビーにモニターを置いて、舞台挨拶の部分だけ見せてもらえることになったからだった。階段を上がった上は劇場、下がロビーで、どうも下のほうに、より祝祭感があった、と思う。建物と建物のあいだの通路をクルマが通り抜けるたび、そこにレオー氏が乗っているかも? という期待が集団的にヘンな熱気として蔓延し、落ち着かないことこのうえない。その集団の中に切れ端のように漂っていると、自分が何をしたくてそもそもここに来たのか、よくわからなくなってくる。
 『愛の誕生』は以前、観たことがあるのでチケットは妻に譲ることにし、自分はロビー組のままでいることに決める。モニターの前に三重四重に列ができ、舞台挨拶がスタート。『愛の誕生』という映画のこと、フィリップ・ガレルという映画作家のこと、初来日のことなどを話しつつ、今日は基本的にトリュフォーアントワーヌ・ドワネルの話はしないんだ、と決めているかのような、そしてちょっと行儀の悪い(?)膝から下を司会者のほうに向けた座り方が印象的だった。モニターごしに見ると、なんだか黒ずんだジャン=ピエール・レオーが見える。『コントラクト・キラー』の感じにちょっと近いかな。


 10分ほどで舞台挨拶が終わり、映画が始まっても、立ち去る人はあまりいない。何かが起きるのをみんな、待っているのだ。例えばその階段を、レオー氏が、「やあ、外にこんなにいたの?」という感じで降りて来るところとか。で、そんな願いはあっさり実現する。
 「皆さんきょうは、ジャン=ピエール・レオーさんに会いに来られたんですよね? 会場に入ることができなかった皆さんのために、レオーさんがサインをする、とおっしゃっています。お疲れなので、少しだけ。15名か、20名くらい、ではどうぞ」。
 ふだんボーッとしている体が、よくあんなに俊敏に動いたと思う。(たぶん)10番目くらいにチャッカリ並んでいた。びっくりしたのは、みんなDVDとか本(トリュフォー関連の本)とかを持参していて、それを急いで取り出して準備していたことだ。この時はほんとに「げっ」と思った。なるほど「会いに来て」るよこれはほんとに。オレはそうじゃないな、「見に」来たんだ、そこにいて、生きて動いてしゃべるのを「目撃」しにきたのです。だからカバンには無印良品の文庫サイズの手帳しかなくて、あー、白いページがまだいっぱいあって良かった。


 四角い白の中の、上のほうに、小さめに、レオーさんは Léaud とだけ書いてくれた。握手した手はやわらかく、少し戸惑い気味の笑顔はこなれた笑みよりずっと感じが良くて、こっちも「Merci」くらい知ってる。いや、ほんとうは「Merci beaucoup」というべきだったんだね、やっぱり知らない。きょうはなんだか、おもいがけず、ちょっとすごい日だ。
 サインは本当に20人くらいで打ち切られ、この時はさすがに「えーっ!」という声が挙がった(しかしそれは抗議ではなく落胆の声だ。どちらも同じ、と言ってはいけない。そこを見極めるのが社会だと思う)。レオー氏にも、来場者にも配慮しなければならないスタッフの気苦労がしのばれる。

 
 2014年10月10日といえば、東京オリンピックの開会式からちょうど50年目の日で、誰かそんな話を、レオー氏にしているかな、してないだろうな、と思う。まあ興味もないだろうし。そして1964年は、歌の大ヒットを受け、『こんにちは赤ちゃん』という映画がそれぞれ日活東宝で2本、公開された(まったく別のストーリー)年でもあり、そして今や自分はトリュフォーが亡くなった時と同じ年齢になってしまった、という話になるともはや自分以外のすべての人にとってどうでもいい話になる。


 52年間に25本の映画を遺した人がいるというのに、こっちは今から「愛の誕生」である。遅い。とんでもなく。遅すぎる。52歳で。しかしそれが事実だ。


 目前である。しかも、当然ながら産むのは自分ではなく、これはまあなんという間の抜けた、そして厳粛な話だろう。


 誕生日が待ち遠しい! どころではない。

2014-06-28

昭和40年代のグッド・ナイト・ベイビー

きょう、6月28日は母の命日でした。写真の隣にちょっと花を飾って、手を合わせて。


亡くなったのは4年前ですが、その頃はよく、深夜に病室でワールドカップを観ていました。病室だから小さなテレビしかないんだけど、音が漏れないようにイヤホン差し込んで、部屋の明かりも消して、画面の光だけで。


あれから4年経って、またワールドカップの季節がめぐってきました。報告したいことがあったのだけど、それはちょっと間に合わず。でもね、そこは墓前で。ね。


ワールドカップは実は1974年の西ドイツ大会の決勝戦から観ているのですが(オレはいったい何歳なんだ!?)、2010年が今まででいちばん悲しい観戦体験です。


年齢を重ねると、つい数日前、数ヶ月前のことは忘れてしまい、しかしながら何十年も昔のことが鮮明に思い出される、なんて言いますね。自分にもそんなところがあるような気がします。幼稚園や小学生の頃の母親の思い出が、ふと立ち上がってくることがある。


父、母、妹と自分、4人が川の字になって寝ていた時代、寝る前にちょっと話したり、誰かが冗談を言ったりするほんの数分間があって、めったにないことではありますが、時折、母が歌を口ずさむことがありました。よく憶えているのが、キングトーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」。むろん全編歌うのではなく、サビの部分だけなんですが、あの当時、とっても流行っていたんですね、これが。


というわけで、あの当時の匂いのする映像がありました。モノクロだからだいぶ昔です。紅白にキングトーンズが出たときのもので、冒頭には宮田輝坂本九が映っています。


今夜はこれを聴きながら、おやすみなさい。
D

2014-06-25

いしはら食堂に毎日通いたい。

おかしな天気が続くし、サッカー日本代表はメタボロだし、仕事はかなり忙しくなってくるしで、なにかと鬱屈した感じになりそうですが…… いやー、きょうは良いところに行きました。


三鷹にね、いしはら食堂という定食屋さんがあります。地元では有名なお店で、かねてより行きたいと思いつつなかなか果たせなかったのを、ひょんなことからきょう、行くことになり。で、まあ実に見事でしたねえ、ココ。


カツ丼とかカレーライスとか、そういうのもあるんですが、基本、自分でおかずを組み合わせて行くんです。そこに、ご飯と味噌汁とお新香の3点セット(200円)を乗せていく。例えばぼくはきょう、アジフライ、ハムエッグと3点セットを注文しました。たまにこの手の店を見かけても、たいていはウィンドウの中に出来上がったものが入っていて、それを好きに取って食べる、というのが多いですよね。ところが、いしはら食堂は注文を受けてから全部作ります。アジフライなんかね、1枚たった110円ですよ。ハムエッグ170円。他にも魚はサンマやサバや鮭といったポピュラーなところはだいたいあり、肉もしょうが焼き、トンカツなど、およそ定食屋さんにありそうなメニューはだいたい揃っています。


今晩のぼくの食事代は480円。外食でこれですよ。立ち食いソバや牛丼屋ならまだしも、定食でこの値段はすごいです。味もおいしい。


でね、お店の方(ご夫婦と、あと息子さんかな?)が必ず最初に、「お茶は温かいのがいいですか? 冷たいの?」と聞いてくれます。その声のかけ方もやさしいんだなあ。


孤独のグルメ』の原作者・久住昌之さん(三鷹育ち!)の色紙や、取材に来られた時の記事が貼ってありました。


ああ、もうちょっと家の近くにあったらなあ。そしたら毎日でも通いたい。1人でも行きたい、2人でも行きたい。そして「きょうは何にしようかなあ」と毎日迷いたい。


いしはら食堂があるというだけで、三鷹に越して良かった、そう思えるお店です、ほんとに。


ネットにもけっこう情報出てますから、皆さんもどうぞ。でも、ツイッターとかにはあんまり書かないほうがいいのかなあ。

2014-06-21

デュオの時代が来る(ような気がする)

詳細は書けないのですけど、きょうは都内某所で、レコードシングル盤を聴いて楽しむ会がありました。それも、50年以上も前に作られたモノラルのステレオで。これが実にイイ音なのです。よく、「CDを聴いても脳からα波は出ないが、アナログレコードなら出る」なんて言われて、ほんとかどうか知りませんが、なんか「そうかもしれないなあ」と思える、森林浴ならぬ「音響浴」という体験でした。


ある方が熱心に収集しているシングルレコード(基本的に100円で買ったもの)の中から、珍品、名品、この人がこんな曲を、と思うような不思議なものまで、2時間かけて24曲ほど聴きましたが、ぼくがいちばん印象に残ったのは、ヒデとロザンナの「さらば愛の季節」です。


残念ながらYoutubeにはカバーしかないので、別曲『愛は傷つきやすく』を貼ってみます。ヒデとロザンナは、子供時代によくテレビで見ていました。当時(70年代前半)は、まだイタリア人という存在自体がめずらしく、どうしたってロザンナのほうにばかり目が行ってましたけど、こうしてみるとヒデがめちゃめちゃカッコいいですね。ヒデ、といえば中田英寿ではなく、やっぱり出門英です。


時代によって人気の出るものと廃れていくものがどうしても出るように、いま、デュオというのはほとんどいませんね。同性同士はまだしも、男女デュオ、まして夫婦デュオはほとんどいない。かつてはヒデとロザンナ以外にも、トワエモアも、チェリッシュもいたのにね。


しかしなんというか、ここらでこういうストレートなロマンティシズムというか、男女デュオが復活してもいいのではないか? とぼくなんかは思うんです。もしいま20代の男女デュオが現われたら(いや、実際にはきっといるのでしょうが)、それこそ彗星のように人気が出るような気がするのです。


あくまで「気がする」だけですけど。


そんなことを漠然と考えたいちにちでした。


あとレコード聴きながらぼんやり考えたのは、いい大人が100円で楽しむ本、というのは、企画として作れるな、ということ。最強は古本の100円均一とシングルレコードでしょうが、他にもいくらもあるでしょう。こんなのが100円で見つかる世界がある、ということを、1冊の本としてやってみたいなあ、と思いました。


どうでしょう? どなたか本にしませんか?


と、いうことで「愛は傷つきやすく」です。
D


【読んでる本】
ネルソン松原『生きるためのサッカー』(サウダージブックス)
チェーザレパヴェーゼ『月と篝火』(岩波文庫
【買った本】
村瀬秀信『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』(散歩の達人