アリッサたち

映画史上最も長い殺害シーンとして記録に残る(九分五十八秒)『張りぼての星空』(原題half moon light)で、殺害されるヒロイン・アリッサを演じる女優ケイト・ウォルタースは、誰かがその映画を見る度に殺されていた。スクリーンの中で、テレビの中で、その冗長ともいえるシーンの中、悶え苦しみ、愛する主人公・ロイの名を何度も叫び、黒い遮光カーテンを引き裂き、コーヒーメーカーを引っくり返し、テーブルの足を折り、窓をあけようとして長い爪を剥がし、床に頬を擦りつけながらも背中に突き刺されたナイフを取ろうとしながら絶命する。彼女は何度も何度も殺された。やがて、そのシーンに飽きてしまい、遮光カーテンを丁寧に折り畳み、コーヒーをカップに注いで一息で飲み干し、椅子を投げて窓を叩き割り、窓辺に座ってマイケルジャクソンの「スリラー」を口ずさみながらアリッサは観客を眺めることにした。それでも観客は彼女が殺されるのを期待して、ビデオを借りたり映画館に足を運んだが、いまやそのシーンは冗長な殺害シーンではなく、単なる冗長なシーンとなっていたので、彼らのほとんどは眠ってしまった。退屈したアリッサは窓から身を投げた。なんとか起きていた彼は、アリッサのイレギュラーな死を見ることができた幸運な観客の一人だった。その瞬間、彼は恋をしていたのだ。しかし、奔放なアリッサ=ケイト・ウォルタースはプロデューサーにスクリーンから追い出され、彼は二度と見ることができなかった。彼はがっかりしながらもまた映画館へと足を運んだ。

情報1

サクラダサクラの持ち物
錆びた缶切り、穴のあいたプラダのかばん、穴をふさいだプラダのかばん、一口サイズのサンプルの寿司、大薙刀、くるみの殻1984個、全自動動揺機、高校卒業アルバム、大学中退アルバム、月の石5個、のみ取り首輪、分解されたハンダゴテ、伊勢神宮のお守り


サクラダサクラの友人である私の持ち物
スーツ5着、原辰徳のサイン入りボール(栄村つき)、風呂場でかける眼鏡、食事中にかける眼鏡、愛し合うときにかける眼鏡、両親が御託を並べる電話口で舌打ちをするときの眼鏡、全自動掃討機、おしゃれなコップ、おしゃれなテーブルクロス、おしゃれな冷蔵庫、おしゃれなゴキブリホイホイ、おしゃれな消臭スプレー、おしゃれなのり茶漬け


サクラダサクラの友人の友人であるサクラダサクラの持ち物
襟の大きな青いワイシャツ、襟の小さな黒いワイシャツ、襟のない白いシャツ、全自動浸透機、セーヌ川の水、拳銃5丁、マトリョーシカの一番小さなものから3番目の人形、ペリカン文書トレインスポッティングのビデオ、趣味の悪い箸置き、趣味の悪いコンタクトレンズ、趣味の悪い電気髭剃り、趣味が悪いと言えなくもないシャンプーハット

それはよかったことだと思う

サクラダサクラは大正海老の尻尾から半分くらいを齧りとり、残りをまた水槽に戻した。大正海老は上半分の体だけで再び泳ごうとし始めたが、尻尾がないのでどうしても浮かびあがることが出来ず、必死に足を動かしながらもゆっくりと沈降していった。海老の小さな黒い目を見ながら、サクラダサクラは口の中に残った肉片を噛み砕いた。

ニュース1

先日、サクラダサクラ殺人事件の容疑者として逮捕されたサクラダサクラ氏ですが、実はサクラダサクラでないことが判明いたしました。姿かたちはサクラダサクラそっくりだったのですが、その顕著な特徴である「右ひざの十字靭帯のほつれ」が見つからなかったため、警察は偽のサクラダサクラであるとして、釈放いたしました。東京都警察庁では「これは本物のサクラダサクラ氏ではない。誤認逮捕だった」と偽サクラダサクラ氏に謝罪しています。現在もサクラダサクラ氏は逃走中であり、東京警察庁では継続してその行方を追跡中です。

序文1

サクラダサクラを殺したのはサクラダサクラだった。
テレビでそう発表されているのを見て、あまりの唐突なことにサクラダサクラは驚いたが、絶対に殺してないと言い切ることもできなかった。
無意識に手近にあったジャンパーを羽織ったが、いつまで経っても暖かくならず、サクラダサクラはただ膝を抱えてぶるぶると震えていた。

書け、そして死ね

男は記事を書く仕事をしていた。安全なセックスや快適なアームチェアやよく飛ぶチタンアイアンについて、もしくは、愛の意味について、人生の意義について、仕事の尊厳について、様々な名前を使って彼は記事を書いた。そして、それら全てについて、逆の結論(愛の無意味について・・・・など)を導く記事も同時に書いていた。
彼が記事を書き始めてから、指の数では到底足りないくらいの年数が経っていた。あまりにも長い年数記事を書き続けたので、彼は次第に言葉を失っていった。書いた言葉から順に喋れなくなっていったのだ。しかし、それでも彼の生活に支障はなかった。彼が話す機会は相当に限られていたし、それもうなずくか首を横に振るかで代用できる事に限られていたからだ。電話は、聞いているだけで相手が満足して切っていった。
彼が消えたのはそれから数年後だった。すべての言葉を使い尽くすと、彼は言葉のみで構成されていたので、消失してしまった。最後に書いた彼の言葉は彼の本名だった。

吐き出した汚物のその絶望的な黒さ

自分の書いたものを見て、正直当惑することがある。
それは失望でもなく、昂揚でもない。
本当にただ、当惑した、というのが正しい。
一体、自分のどこからこの言葉は出てきたのだろうか?そもそも自分が本当に書いたものなのだろうか?
当惑が私の頭に浮かんだ瞬間に、その言葉はもう私のものでもない。勝手に息をし、生活を始める。
私は当惑した上に、喪失感を味合わなければならない。しかし、そういうことなのだ。