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神々の風景 - religious scene このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-11-20

[]東洋からの風の便り 「ヴィオロン」

ee1f53c9.jpg 写真は「東洋からの風の便り」執筆者である「ヴィオロン」女史が入れ込んでいるウォッチマン・ニー(Watchman Nee)。1903年、中国生まれのキリスト教徒、教会指導者。メソジストの家庭に生まれ、20世紀初頭の中国キリスト教社会で活躍。後にそれを脅威に感じた共産党政府により投獄され、晩年の20年間を牢獄で過ごす。1972年にそのまま逝去。


 http://en.wikipedia.org/wiki/Watchman_Nee


 以下、「ヴィオロン」が手がけたもの。


東洋からの風の便り(現在、閲覧不可の扱いにされている)

 http://exorientelux.blog.shinobi.jp


東洋からの風の便り? 

 http://exorienteetlux.blog.shinobi.jp



**********



 書くかどうか迷ったが、本人の暴走が止まらないことと、このブログの読者の中にも「ヴィオロン」や「ルーク=Dr.Luke(帝京平成大、唐沢治)」のことをあれこれ書き込む人がいて誤解を広げているようであるので、やむを得ず必要最小限、説明しておくことにしたい。


 「ヴィオロン」というペンネームの女性がいる。匿名の人物であるが、かつて日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に在籍していたプロテスタント信徒であることは自身で記していた。信仰論や神学について、旺盛な執筆活動を続けている。彼女はつい最近、大きな考えの変化を経験し、それまで公開していた文章を全て閲覧不可の状態に変更した。これらには教会の腐敗、不祥事、堕落について多く独自の考えが述べられていたが、最近、彼女は光の中で神を直接見たという大きな心変わりを経験し、これらつい先日まで自らで考え、公に述べていた文章を全て消している。


 「ヴィオロン」はアッセンブリーズの村上密と対立し、村上密を厳しく非難する文章(「カルト監視機構」という名の秘密警察の設立について(06/03))を書き、それについて村上密から反論されている。

 

 http://maranatha.exblog.jp/10635543/


 この村上の文章にも書かれている通り、「ヴィオロン」はキングダムフェローシップ唐沢治(ドクター・ルーク)と親交を持つ。そのことは唐沢のブログにも記載されている。


 10日ほど前、彼女からのメールを受け取った。それは、

  

 http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/51884112.html

 2009年3月26日 「沖縄 トランスフォーメーション・グロース」


 に「ヴィオロン」の名で書き込んだコメントを消して欲しいという依頼であった。しかし、そこには非常に思い上がった上に自己中心的な、彼女が経験した「回心」とその後の心変わりについての理屈が並べられてあった。市井の社会で求められる良識からは外れた文面であった。


 また、彼女ががらりと立場を変えて非難し始めた私や独裁カルト牧師の被害者信徒たちのことについて記した最新の投稿を熟読した後、私は彼女にこれらあなたが非難している人物の中には明らかに私が含まれていると読み取れるがその認識で良いのかと問いただす返事を送ったところ、彼女は私に対して真理の御霊に全てを問い尋ねよと言い、非難の対象が私であることを書き送ってきたのであった。一度、自分の口から出た言葉は後から消すことができないということがわかっていない。もし、それがネット上のものではなく紙媒体の印刷物であれば不可能である。


 最新の彼女のご意見によれば、


 「自分に力があると思い込んで、自惚れてい」る 


 「己の力により頼んで闘おうとする無力で愚かな戦士」


 「己の魂と肉により頼んで、問題解決しようとして、失敗し、恥辱をこうむる」


 「イエスの十字架を、・・・経験としては、自分とは全く関係ないものと思ってい」る


 「たとえ全力を振り絞って闘ったとしても、十字架の死を経由しない、生まれながらの古き人の方法を用いて闘っている限り、・・・遅かれ早かれ敗北が待っているのだけ」


 「本能的に自分を信頼しており、・・・堕落によって汚されている」


 「神の導きを待たずして、自分勝手な考えを実行」


  

 のが私や抗議の声を上げた被害者信徒らになるとのことである。



 他にも「自分の恨みがましい感情だけを延々と訴え続ける「被害者」の立場にはもう立てない」として、


 

 「自分が従事している仕事が、絶対善だと信じるあまり、世間では当たり前の常識や、他人の心への当たり前の配慮さえ、忘れています。自分を義とみなし、高慢になり、自己反省能力を失った挙句、カルト化してしまった教会の牧師や信徒達とまるで同じように、他人の人生を軽々しく扱い、人を辱めるような行いに慣れきった下劣な人間に成り下がってしまっている」



 「彼らは悪事と闘うための材料になりそうなものならば、自分と一切関係ない人の人生であれ、誰かの持ち物であれ、何でも、自分の望みのままに、引っ張り出して、世間に公開できると考えており、浅ましいまでに次々と非難の標的を探します。それが正しい行動であると信じ、実際には、まるで三流のジャーナリストのような低俗な行いに自分が従事していることに少しも気づいていません。」



 「キリスト教界の不正を追求する仕事に熱中している人たちが、どれほどまでに、信仰をなくしてしまっているかを。」



 「彼らはただ自分自身しか見えておらず、キリストのことを、もはや完全に忘れてしまっている」



 「信仰という点から見て、彼らとカルト化した教会との間に何の違いがあるでしょう?」



 「カルトと闘うことを・・・その仕事を自己実現の手段として利用している人たち」



 「神を冒涜している人々には、すでに御言葉によって、裁きが定められている」


 

 「今現在、クリスチャンを名乗っている人々のうち、かなり多くの人たちが、キリストの十字架を捨ててしまっている」


 

 「まるで姦淫の女を石打にして殺そうとした殺気立った群集のようになっている人たち」


  

 「悪事を犯した人々を次々と引っ張り出して、断罪しながら、自分自身もまた罪人であるという点を、完全に忘れ去っている人たち」



 「自分は少しもイエスに従って生きておらず、キリストの香りを放ってもいない」 



 「この国の不誠実なクリスチャンが神の御前に犯した恐るべき冒涜」



 「キリスト教界の悪事だけを糾弾し続け、キリストご自身に目を向けない」



 「カルトと闘う人生は、無意味」



 「人間の訴える正義や、社会改革、告発や闘争の中にはいかなる正義も」ない



 「十字架の贖いを否定」



 「互いに訴え合い、己を義として闘争に突き進むだけのむなしい活動」



 と断じている。この彼女に対し、このように私や被害者信徒らを匿名に隠れたまま冒涜するのであればそれは許されないことであり、被害者のことまでまであれこれブログで否定することは辞めるようにと伝えた。彼女自身が黙することは自由だが、他の信徒の選択を否定することは、あなた自身のためにもならないと。


 ところが、彼女はその後も訳の分からぬ妄想的な珍説を次々に書き連ねていくことになる。私は彼女に対して無責任な匿名の冒涜者に対しては非常に厳しい対応をとるとあらかじめ念を押して伝えている。それにも拘わらず、被害者信徒への誹謗中傷、冒涜の非難という暴走を止めないということであるならば、それは彼女自身の選択であり自分で撒いた種を自ら刈り取ることになる。


 以下、彼女がかつて書いていた旧ブログの目次や内容の概略である。現在の彼女の新ブログの文章内容と比べればいかに彼女の考えが劇的に変化したかがわかるのではないかと思われる。


******


ニッポンキリスト教界の病理を考察する記事の目次 (11/03)

東洋からの風の便り(続編)について (07/05)

引越しの予告 (07/02)

石を投げる時、石を拾う時(07/01)

クリスチャンは神の子か、それとも神の養子か(終) (06/26)

完全な恵みの中で (06/24)

雨の横浜へ (06/23)

十字架のかげをいかで離れん(06/19)

誇るなら、弱さを誇ろう (06/18)

カルト被害者のためにお祈りください(06/17)

ジョン・バニヤン著『天路暦程』より抜粋(2)(06/16)

教会とは何か (06/14)

沖縄クリスチャン戦争を終わらせよ(続) (06/14)

沖縄クリスチャン戦争を終わらせよ (06/13)

ジョン・バニヤン著『天路暦程』より抜粋(06/12)

キリスト教界のカルト化を防ぐために真に必要なことは何か(06/11)

空の鳥も憩うほどに… (06/09)

バッハ・コレギウム・ジャパンを聴いて(06/07)

「カルト監視機構」という名の秘密警察の設立について(06/03)

禁欲主義の誤りについて (06/03)

カインとアベルの捧げ物 (06/03)

幼な子のように… (05/31)

阿蘇への旅を終えて(05/30)

クリスチャンは神の子か、それとも神の養子か?(4)(05/25)

クリスチャンは神の子か、それとも神の養子か?(3)(05/25)



 ニッポンキリスト教界の病理を考察する記事の目次


 今日、ニッポンキリスト教界には、非聖書的で、誤った教えや活動が、多数、入り込んで来ており、キリスト教界全体が福音を見失って、カルト化へと向かっています。そのことについて、このブログでは、読者と共に、聖書と照らし合わせながら、詳しく、批判的に論じて来ました。

 

 ニッポンキリスト教界は今、近寄るべきでない、大変に危険な場所になっています。そこでは多くの信徒が傷つけられ、人生を狂わされ、破滅させられています。以下の7項目にまとめた記事やコメント内容を参考に、教界の活動がいかなる危険性を持つか、一人でも多くの方に気づいていただければと思います。


 なお、このブログは終了していますが、「東洋からの風の便り?」にて議論を続行しています。雑感の記事の目次は別途まとめる予定です。



1)ニッポンキリスト教界という名の非キリスト教


1.大衆が作り出す幻としての偶像崇拝宗教

…ニッポンキリスト教界は、十字架を失い、今や「擬似キリスト教的セルフ教」となっている。そこでは、神から遠ざかり、孤独や無力の不安を抱えたクリスチャン大衆が、自己保存を求めて、自分で自分を救うシステムを終わりなく作り出している。キリスト教界から打ち出される弟子訓練等の、各種の人類救済プログラムは、人が自分で自分を救うための、決して成功することない計画である。


2.偶像崇拝が大衆にもたらす偶像との一体化願望

…ビュン事件を含め、なぜ牧師の性的不品行が起こるのか。その理由としてお読み下さい。



2)原罪についての考察


1.聖書に見る生活苦と男女不平等の起源

…聖書によれば、この世は人間の堕落のために呪われた場所となったのであり、生きる限り、人間の苦労は終わらない。そこで、バベルの塔の昔から、この世に大規模な人類の幸福社会を打ちたてようとする全ての計画は、決して実現しない。にも関わらず、リバイバル運動を含め、今日、地上に神の国を打ち立てるべく推進される擬似キリスト教的プログラムには、どんな将来が待っているのだろうか。


2.『クロイツェル・ソナタ』に見る音楽によるマインド・コントロールの危険

…カルト化した教会では、信徒に対するマインド・コントロールが行われている。だが、マインド・コントロールはどのようにして行われるのだろうか。最も無害で美しく見えるもの、音楽や、芸術なども、その強力な手段になり得る。



3)アメリカのプロテスタントのキリスト教界の危険性について


1.システムによって神の国を作ろうとすることの危険

…イエスは、神の御国は見える形で来るものではない、と言われたにも関わらず、今日、キリスト教界には、人工的な方法論を駆使することによって、目に見える形で、大規模な神の国を地上に建設するために、様々なプログラムが終わりなく生み出されている。(リバイバル運動、弟子訓練、セル・チャーチ等。)それらは全て恐るべき将来を運命づけられている。


2.米国キリスト教界における異常事態

…イラク戦争以来、国家政策に同調するようになったアメリカのプロテスタントの教界が、現在、大寒難時代の到来を宣言し、イスラエルを神の国と同一視し、キリストの再臨を人為的に引き起こそうとするかのような危険な政策に走っていることを指摘。



4)偽預言者たちを警戒せよ!


1.個人預言という名の占いについて

…今日、「個人預言」を聞いたがために、人生を狂わさせれたクリスチャンが多数存在する。「個人預言」とは一体、何なのか、それには聖書的根拠があるのか。神から来たのでない預言とはどのようなものかを考察。


2.肉を喜ばせる預言の特徴

…神から来たのでない預言は、聞いた者の肉を喜ばせ、彼の心を謙遜でなく、高ぶりへと導く。偽りの預言を見抜くために必要なことは何か。


3.預言を売り物にするミニストリーの誤り

…代価を取って預言を売り物にする「個人預言」のミニストリーは聖書に基づかない占いである。


4.偽預言者に対する厳しい裁き

…真の預言者は、預言の成就について自ら責任を負う。平和についての預言が、成就しなければ、預言した者が偽り者であることの証明となる。無責任な偽預言を繰り返し、信徒の人生を狂わせている者たちには、どんな未来が約束されているのだろうか。


付録

「キリスト教会に広がる疫病としての『霊の戦い』」

…筆者が所属していた教会で起こった偽りの「預言」について。



5)カルト被害者救済活動を警戒せよ!


1.カルトはアンチカルトと同一である

…キリスト教界のカルト化が深まるにつれて、裁判等によって、カルトを防止しようとする被害者救済活動があたかも「正義の味方」であるかのように注目を浴びる。だが、この救済活動には、果たして正義があるのだろうか。


2.偽預言者をゲストに招く教会

…アッセンブリー京都教会は、カルト被害者救済活動の拠点として全国に有名である。だが、最近、この教会でまるで被害者の訴えを無視するかのような矛盾した活動が行われたのはなぜなのだろうか。


3.カルト監視機構という名の秘密警察の設立について

…カルト被害者救済活動の拠点であったアッセンブリー京都教会は、カルト監視機構なるものの設立を予定して活動していた。しかし、このカルト監視機構とは、要するに、カルト防止に名を借りただけの、キリスト教界全体に対する抑圧機関であることを本記事にて指摘、批判しした。

(カルト監視機構の設立は現在、中止されている。しかし、同種のプロジェクトが再び起こらないかどうか、警戒が必要である。)


4.キリスト教界のカルト化を防ぐために真に必要なことは何か

…教会のカルト化を防ぐことができるのは裁判ではない。イエスの十字架、そして罪の悔い改めに立ち戻ることこそ、教会をカルト化から救う道である。裁判や、この世の諸力を通じて、カルト化を防止する運動は、聖書に基づいていないため、未来がない。



6)教会成長論という名の異端について


1.教会成長論というむさぼりの教え   

…教会成長論の影響を受けた東京キリストの教会はなぜ崩壊したのか。教会成長論とは、教会をカルト化させ、信徒から救いを奪い、教会を崩壊させる誤った教えであることをシリーズで指摘する。


2.偽牧師、偽教師、偽預言者への対処法

…偽預言者や偽教師を警戒せよ、彼らから離れなさい、と聖書は教えている。これらの人々に出会った時、私たちはどう対処すれば良いのか。


3.教会成長論が生む牧師への個人崇拝

…手束正昭著、『教会成長の勘所』を見本として分析しながら、教会成長論の教えの本質とは、イエス・キリストを否定し、牧師がキリストに成り代わり、信徒に自分を神のようにあがめることを求める教えるものであることを明らかにする。


4.教会成長論という強盗の教え(1)

…イエス・キリストを否定する牧師とは、羊の門を通らないでやって来る強盗であり、教会を盗む者である。そのような者は、教会を私物化する教えを公然と説く。その集大成が、教会成長論である。


5.教会成長論という強盗の教え(2)

…強盗である偽牧師が教会を支配するようになると、信徒は偽牧師を栄光の中に押し上げるための下僕とされてしまう。信徒を公然と牧師のための雑用係、使用人に貶めることを認めているのが、教会成長論である。


6.クリスチャンは神の子か、それとも神の養子か(1)

…牧師や牧師夫人を、信徒が「霊の父」、「霊の母」として敬うことは聖書的なのだろうか。キリスト教は父性原理ばかりが過剰であるため、人間性に欠けており、母性原理を補わなければ、この先やっていけないという指摘があるが、そのような説に対して、クリスチャンは耳を貸す必要があるのだろうか。


7.クリスチャンは神の子か、それとも神の養子か(2)

…手束正昭氏は『教会成長の勘所』において、キリスト教に母性原理を補う必要から、聖霊を「母なるもの」ととらえる説を打ち出した。しかし、これは従来の三位一体の正統な解釈を破壊する異端である。


8.クリスチャンは神の子か、それとも神の養子か(3)

…手束正昭氏が早くから唱えていた「養子論的キリスト論」の本質とは、イエス・キリストは聖霊によらなければ神の子ではなかった(イエスは聖霊によって神の養子に引き上げられた)とする異端である。この説は異端ネストリウス派を現代に復興しようとする試みである。


9.クリスチャンは神の子か、それとも神の養子か(4)

…クリスチャンはイエスを信じて神の子とされているのであって、神の「養子」なのではない。そのことを聖書に基づいて再確認しよう。また、手束氏が唱えている「聖霊による人間の新創造」とは、十字架によらずに、人間の変容を唱えるものであり、非聖書的教えである。


10.クリスチャンは神の子か、それとも神の養子か(終)

…教会成長論の分析のまとめ。教会成長論とは、要するに、十字架を通さず、人が牧師を崇拝するよう求める教えであり、これを信じることはイエス・キリストの否定につながり、必ず、信徒に救いを失わせる。クリスチャンは神の養子や、私生児などではなく、正統な神の子とされている貴いアイデンティティを忘れてはいけない。



7)沖縄キリスト教の抱える病的問題


1.沖縄クリスチャン戦争を終わらせよ


2.沖縄クリスチャン戦争を終わらせよ(続)


…沖縄の教会は、日本の諸教会のうちで、とりわけ、偽牧師の活動の盛んな地域である。ニッポンキリスト教界の病が最も大規模に集中している場所であると言える。だが、そこでは、カルト化した教会によって、信徒が食い物にされているのみならず、カルトを防止するという名目で、被害者救済活動を繰り広げる人々によっても、信徒が二重に食い物にされ、信徒の争奪戦が起こっている。沖縄は今まさに、二つの敵対する勢力が激しく衝突する戦場のようになっている。

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