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2017-04-07 Unscientific knowledge and the egg aging panic

非科学的知識の生産・流通と「卵子の老化」パニック

KAKENHI research plan (2017-2019) #17K02069
科学研究費補助金 (基盤研究(C)) 2017--2019年度

分野: 総合人文社会
分科: ジェンダー (gender)
細目: ジェンダー (gender)
細目表キーワード: 科学技術・医療・生命 (science, technology, medicine, life)
細目表以外のキーワード: 生殖医学 (reproductive medicine)
研究代表者: 田中 重人
状況: 内定

研究目的

研究目的(概要)

2010年代に入り、加齢による女性の妊孕性の低下やその原因としての「卵子の老化」という現象に関して、産科・婦人科・生殖医学等の専門家が創った非科学的な知識が、彼らの広報・政治活動によって日本社会に広く流通してきた。このような非科学的知識の生産・流通の実態を調査し、世論や政策との関連を明らかにする。

【研究の学術的背景】

 女性の加齢と卵子の「数」「質」との関連に関する通俗化した医学知識がある。卵子は胎児のうちにつくられるので、加齢とともにその数が急激に減り、質が低下して染色体異常が起きやすくなるために妊娠・出産が難しくなる、というのだ。このような知識を象徴するキーワードが「卵子の老化」である。
 日本で「卵子の老化」ということばが広まったのは、2011年以降 のことである。2009年から2010年にかけてイギリスのカーディフ大学と製薬会社メルクセローノがおこなったInternational Fertility Decision-making Study (IFDMS) の研究成果では、日本の回答者の妊娠・出産関連知識の水準が他の国に比較して非常に低いとされていた。この研究成果がマスメディアによって紹介され、「妊娠リテラシーが特異的に低い社会」としての日本の自己イメージ が形成された。これ以降、卵子は老化するのだから子供を持つのは若ければ若いほどいい、という意見や、そのような知識を身につけさせるべきとする意見が力を持つようになり、政府の政策や学校教育に影響を与えるようになっている。2015年に閣議決定された「少子化社会対策大綱」では、「妊娠や出産などに関する医学的・科学的に正しい知識について、学校教育から家庭、地域、社会人段階に至るまで、教育や情報提供に係る取組を充実させる」という文言が盛り込まれた。これにしたがって、学校教育や政府・自治体の啓発事業などで「妊娠適齢期」の知識が取り上げられている。
 しかし、2015年8月に改訂版が発表された高校保健副教材「健康な生活を送るために」(文部科学省) に掲載された「女性の年齢と妊娠しやすさ」のグラフ (22歳をピークとしてその後急激に低下する「ヘ」の字型のもの) が 改ざんされたグラフ であったこと、このグラフを使用していたのが、日本産科婦人科学会や日本生殖医学会の理事長をつとめた経験を持つ、この分野の第一人者であったことが報道され、このような「医学的・科学的に正しい知識」の正当性が疑問視されるようになった。ところが、関連学会は、このグラフの元となった研究内容やデータの性質、改ざんのいきさつなどについて調査をおこなわず、グラフ作成者の処分もない。
 本研究課題の申請者がこのグラフの出典について調べたところでは、このグラフは1978年の人口学文献に基づいている。これはもともと不適切なデータ処理をしていることが人口学界内部で指摘されてきた文献であった。このデータがそのあと数次にわたって改変され、年齢による低下を極端に誇張したグラフ が最終的に作られ、「卵子の老化」をあらわすものとして使用されていた [2] ([ ] 内は「研究業績」欄の文献番号。以下同様)。また上記のIFDMSに関しても、調査の質問文選定と翻訳の質が極めて低く、国際比較に使える水準のデータではないことがわかっている [1]。これらのほかにも、産科・婦人科・生殖医学の領域では、改ざん・改変されたグラフや不誠実な解釈を施したデータが多数使用されてきた (2016年6月18日の日本学術会議公開シンポジウム「少子社会対策と医療・ジェンダー」 で報告)。
 科学的な研究成果がゆがんだ形で社会に受容されることはめずらしくないが、「卵子の老化」パニックの場合、産科・婦人科・生殖医学等の学会が 非科学的知識を利用した政治活動 を積極的に繰り広げてきた [1] ことが特徴である。
 科学研究におけるデータ捏造や改ざんなどの不正行為は、従来は研究者共同体の中の問題として処理されてきた。これに対して、「卵子の老化」パニックにおける非科学的知識利用の問題は、 研究者共同体が、外部に向けて発信した知識について、どのように責任を持つべきか という問題を提起する。科学研究における倫理問題を、そのような領域まで拡張して論じる必要がある。研究者の提供する知識の正しさは、政府やマスメディアが指名した「有識者」によって判断されるのが常であり、そうした有識者は、たいてい、知識を提供した研究者本人かその「身内」で占められている。中立的な立場から知識を審査する仕組みは機能していないのである。非科学的な知識がチェックを受けずに流通してしまう今回のような事態は、起こるべくして起こったことともいえる。
 一方で、政策との関連については、 「卵子の老化」言説によって、少子化の原因に対する見方が変化 していることが注目される。晩婚化が少子化の原因であるとする人口学的な見方は古くからあり、一定の影響力を持っていた。しかしその場合でも、生物学的な妊孕性低下はそれほど重視されていなかった。これは、加齢による妊孕性低下は30代中ごろまではそれほど大きくないという通説に呼応しており、ある程度晩婚化が進んだ状態でも出生力が上昇することはありうるとの見通しの前提となっていた (稲葉寿 (1993)『厚生の指標』40(1):8-15; 仙田幸子 (2011)『人口問題研究』67(4):22-38)。しかし、高校副教材の「妊娠のしやすさ」の「ヘ」の字型グラフに見られるような、20代のうちから妊孕性が急激に低下するという非科学的知識が政界に浸透した結果、晩婚化は出生力を加速度的に低下させるという認識が一般化している

【研究期間内に何をどこまで明らかにしようとするのか】

以上のような問題意識に基づき、つぎのことを明らかにする:
(1) 「卵子の老化」をめぐる非科学的言説が専門家によってどのようにつくられ、流通してきたか
(2) それらの非科学的言説がメディアによってどのように広められ、定着してきたか
(3) 結果としてどのような世論が形成されてきたか
(4) 政府による「少子化対策」などの政策とどのような関連があるか

【学術的な特色・独創的な点および予想される結果と意義】

 「卵子の老化」をめぐる非科学的言説の存在が明らかになったのは2015年後半のことであり、まだその 実態はよくわかっていない。資料を丹念に収集して分析することにより、この実態を探ることが、この研究の特色である。非科学的言説を生み出してきた産科・婦人科・生殖医学の専門家集団内の問題と並んで、保守主義政権が出生促進政策の正当化のためにどのような情報を必要としていたかという観点が重要である。そして、生殖医療技術の発展が喧伝される一方で、実際の不妊治療の成功率の低さが知らされてこなかったという歴史的な事情から生まれた不満が、このような言説が受容された背景となっている。そのような社会状況全体を分析の対象とする。
 この研究は、科学論的な観点からは、 専門家が生み出す言説の正しさを非専門家がチェックする社会制度 がありうるかを検討する素材を提供する点で意義を有している。特に「根拠に基づいた」(evidence-based) 政策決定が標榜される現状では、何を evidence とみなすのか、その正当性を誰が決めるのかといった点について、具体的な事例に基づいた方法論を整備することが社会的に重要である。
 また、「卵子の老化」のような、性に関する科学的知識の生産・流通過程を検討することは、ジェンダー論的な観点から重要な意義を持つ。日本のジェンダー平等政策は「男女共同参画基本計画」によって基本的な枠組を与えられているが、そこでは「身体的性差を十分に理解」することが「男女共同参画社会の形成に当たっての前提」とされている。しかし医学の専門家が非科学的なデータを用いて政治活動を行っている状況で、身体的性差に関する 「正しい」知識を入手するには、知識の生産・流通の過程を監視・評価する仕組みが必要 である。本研究課題は、その先駆的な試みといえる。

研究計画・方法

研究計画・方法(概要)

本研究課題で具体的におこなうのは、つぎの3つである:
(1) 「卵子の老化」関連の雑誌記事、ウエブサイト、政府文書、医学文献などの資料を収集する
(2) (1) の資料に基づき、医学等の研究成果がどのように改変され、流通してきたかの経緯を整理して示す
(3) 世論や政策に対して、「卵子の老化」等の知識がどのような影響を与えてきたかを分析する

【29年度】

「卵子の老化」に関連した資料の収集をおこなう。収集対象は、新聞・雑誌等のマスメディア記事、医学情報を扱うウエブサイト、政府文書、学術論文や書籍など多岐にわたる。

(1) マスメディア
本研究が対象とする「卵子の老化」やそれに付随した加齢と妊孕力の関連などに関する知識は、2011年ごろからマスメディアにあらわれるようになった。NHKのテレビ番組「産みたいのに産めない:卵子老化の衝撃」(NHKスペシャル、2012年6月23日放送) は大きな影響力を持ち、「妊娠リテラシーが特異的に低い国」として日本をとらえる視線を一気に普及させたが、それ以前の段階での知識の普及の過程で大きな役割を果たしたのが、種々の女性向け雑誌記事である (河合蘭 (2015) 『助産雑誌』69(5):410-415)。本研究課題では、そのような雑誌記事を、過去にさかのぼって収集する。

(2) いわゆる「妊活」サイト
妊娠・出産の知識をあつかうウエブサイトが、インターネット上にはたくさんある。それらは、個人や小規模な団体が運営しているもの、大手マスメディアや政府機関が運営しているもの、病院や学会が運営しているものなどさまざまである。多くのサイトでは医師が作成や情報提供に関与しており、加齢による妊孕力の低下を強調したグラフなどが繰り返しコピーされている。これらのウエブサイトは消長が激しく、新規につくられたり、なくなったり、内容が改変されたりするため、リアルタイムで追跡して記録をとる必要がある。

(3) 政府・自治体の広報や審議会の議事録など
「卵子の老化」の知識は、早い時期から国政の場に持ち込まれていた。2012年の国会ではカーディフ大学による調査結果 (上記のIFDMS: 研究業績 [1]) に言及して日本の「妊娠リテラシー」の低さを指摘する質問主意書が提出されている。2013年の「少子化危機突破タスクフォース」においても同様の議論がおこなわれていた。また地方公共団体でも、「卵子の老化」等のグラフは、「婚活」事業を正当化するための根拠として使われたり、一般向け・学校向けの啓発教材に掲載されたりしている。これらの資料を収集し、そこでどのような言説が展開されているか、またそれを正当化するためにどのような知識が動員されているかを調査する。

(4) 医学などの学術文献
上記の (1) (2) (3) のいずれにおいても、非科学的なグラフ等が多用されている。ただし、本研究課題の申請者がこれまでに目にしたところでは、情報の全てが捏造であったケースはないようである (研究業績 [1] [2] など)。何らかの論文や書籍に掲載されたデータを使いながら、その一部をトリミングしたり、グラフのプロット位置を書き換えたり、表題を書き換えて別のデータに見せかけたりする方法が使われている。こうした非科学的知識の生産・流通のプロセスを解明するには、引用元の論文・書籍にさかのぼって、その研究内容を検討する必要がある。

これらの情報を収集するとともに、どのような研究成果がどのように改変されて使われてきたかを示す資料を作り、オンラインで検索可能な情報として公開する。
 また、これらの情報が海外ではどのように利用されているのかについても情報を収集する。アメリカやヨーロッパの医学関連の情報は広く国際的に引用されており、通常の文献収集によって効率的に集めることができる。それ以外の地域のうち、アジア地域に属して日本との社会的諸条件の共通性が高く、出生促進政策をとってきた台湾とシンガポールについては、現地の研究者に問い合わせて、医学関連の情報を重点的に収集する予定である。
 以上のような情報を整理し、現代日本社会における世論や政府のいわゆる「少子化対策」政策に対して、「卵子の老化」等の知識がどのような影響を与えてきたかを分析する。特に、出生力低下の原因について、社会経済的な説明にかわって、医学的な説明が説得力を持つものとして2010年代になって台頭し、政策決定に使われるようになった経緯を、重点的な分析対象とする。

【30年度】

 前年度に引き続き、マスメディア、ウエブサイト、政府機関、学術文献等の資料収集を行う。最新の状況に留意しながら、リアルタイムで情報を集めることに留意する。また、「卵子の老化」関連の非科学的知識が世論・政策に影響を与えてきた経緯について、引き続き分析を進める。
 これらの研究成果について、学会大会等で報告する。特に海外の国際学会においては、妊娠・出産等に関する科学的知識の各国での流通状況と、人口政策等への影響について、各国の研究者と情報を交換する。以上の成果に基づいて、論文を執筆・投稿する。また、書籍執筆のための準備を進める。

【31年度】

 前年度に引き続き、資料収集を行うとともに、分析を進める。
 研究成果について、書籍としてまとめ、公刊する。

研究業績 (研究計画で言及したもののみ)

[1] 田中重人.「日本人は妊娠リテラシーが低い、という神話: 社会調査濫用問題の新しい局面」『Synodos』2016.06.01 (2016) 【査読なし】http://tsigeto.info/16o
[2] 田中重人. 「「妊娠・出産に関する正しい知識」が意味するもの: プロパガンダのための科学?」『生活経済政策』230, pp. 13-18 (2016) 【査読なし】 http://tsigeto.info/16a