remcat: 研究資料集

(TANAKA Sigeto)

【解題】非科学的知識の広がりと専門家の責任: 高校副教材「妊娠のしやすさ」グラフをめぐり可視化されたこと

日本学術協力財団の雑誌『学術の動向』22巻8号(=通巻257号) (2017年8月) に書いた記事「非科学的知識の広がりと専門家の責任: 高校副教材「妊娠のしやすさ」グラフをめぐり可視化されたこと」が J-STAGE (科学技術情報発信・流通総合システム) で公開されました。

http://doi.org/10.5363/tits.22.8_18

「「卵子の老化」が問題になる社会を考える―少子化社会対策と医療・ジェンダー」という特集の一部です。

この記事と特集、その元になった2016年6月18日の日本学術会議シンポジウム、そしてそもそも医学批判に私が首を突っ込むきっかけになった文部科学省作成の保健科目用副教材『健康な生活を送るために』(2015年度版)における「妊娠のしやすさ」改竄グラフ問題についてはすでに何度か書いているので、そちらもお読みください。

J-STAGEからこの記事の 全文PDFファイルがダウンロード できます。それほど長い文章でもないので、お読みいただければ内容はわかると思います。今回は、たぶんあまり一般には理解されていないであろうポイントについて、重点的に解説します。

(1) 「妊娠のしやすさ」グラフの大元の研究自体が、都合のよいデータだけを抜き出したものである

Bendel and Hua(1978)はデータ処理がおかしいので、生物学的な意味での「妊孕力」(fecundity)を表した研究成果とはいえない。というのは、20代前半までに結婚した女性だけを取り出して使っているからである。もし、より晩婚の女性のデータ(図3では点線の2本)を使って推定していれば、30代前半までは妊娠確率がほとんど下がらないという結果になったはずだ。しかし実際には彼らは早婚の女性のデータ(図3では実線の2本)だけで推定をおこなったため、結婚からの時間経過による出生率低下を反映して、30代前半までに妊娠確率が大きく下がる結果となっている。一般に、結婚生活が長引くにつれて夫婦の出生率は低下していくものだが、それは性交頻度の減少などの要因でそうなるのであって、加齢によって妊孕力が低下していくためではない
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田中 重人 (2017) 「非科学的知識の広がりと専門家の責任: 高校副教材「妊娠のしやすさ」グラフをめぐり可視化されたこと」『学術の動向』22(8). 19-20ページ.

http://doi.org/10.5363/tits.22.8_18

高校保健副教材に載った22歳ピークの「妊娠のしやすさ」グラフについては、それが日本産婦人科学会や日本生殖医学会の理事長を歴任し、現在は内閣官房参与をつとめている高名な医師 (吉村泰典慶應義塾大学名誉教授/福島県立医科大学副学長) によってつくられたという事実 が衝撃をあたえました。しかしそのこと以前に、元になった研究が恣意的なデータ操作をおこなっていたというどうしようもないものであったわけです。そして、そのデータ操作は別に隠蔽されていたものではなく、 論文にそう書いてある のです。

(2) ダメ論文は被引用状況からわかる

とはいえ、Bendel and Hua (1978) による推計 は非常に複雑です。積分記号を使った数式が延々とならぶこの論文を読破しないと、「妊娠のしやすさ」グラフは批判できないのでしょうか?

実はそんなことはなく、文献データベースで引用状況を調べれば、その見当はつけられます (有料データベースにアクセスできなくても、Google Scholar などでも同様のことができます)。

Bendel and Hua(1978)の書誌情報さえわかれば、実際に論文を読むまでもなく、ダメな研究だとの見当をつけることも可能だった。この論文を引用する文献は少なく(Web of Scienceで13件)、その多くは批判対象として言及するか、研究史概観の際に一言ふれているだけだからだ。データや計算方法を検討したうえで肯定的に評価している文献は1本もない(Tanaka 2017)。被引用状況をみれば、一般向け教材で無批判に紹介していい研究でないことは明白なのである。
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田中 重人 (2017) 「非科学的知識の広がりと専門家の責任: 高校副教材「妊娠のしやすさ」グラフをめぐり可視化されたこと」『学術の動向』22(8). 20-21ページ.

http://doi.org/10.5363/tits.22.8_18

Tanaka (2017) というのはこの3月に『東北大学文学研究科研究年報』66号に載せた論文 です。くわしいことはそちらを見てもらえばいいのですが、論文刊行の翌年 (1979年) には、これは年齢の効果じゃなくて結婚年数の問題でしょ? ってことはちゃんと批判されています。それに対して Bendel and Hua (1978) を擁護する反批判は出てこず、学界内では批判側の議論が正しいものとして通っているわけです。

ここで重要なのは、この研究はダメだということになっている、という研究史上の評価は、被引用文献をたどっていけばそれで確認できるということです。論文の内容が正確に理解できてなくてもかまいません (もちろん理解できればそれに越したことはありませんが)。この点は、専門家の嘘に素人がどう対抗するかを考えるうえですごく大事です。

(3) 非公表の調査結果が政策・世論操作に使われてきた

これは 「スターティング・ファミリーズ」調査 (IFDMS) の話です。

この調査の結果が論文として出版されたのは2013年のことだ(Bunting et al. 2013)。しかし、IFDMSを使った政治活動とメディア露出が始まったのは、その前である。2011年2月には、この調査プロジェクトの代表者 Jacky Boivin が来日し、マスメディア向け勉強会や国会議員向け講演をおこなった。これらの宣伝活動について、Boivin et al.(2011)は、研究の社会的インパクトを示すものと位置づけている。IFDMS をめぐる問題は、「役に立つ」研究であることをアピールしようとした研究者の拙速な行動が引き起こしたという側面もありそうだ。その後、日本産婦人科医会の記者懇談会や国会の質問主意書などでこの調査結果が引用され(Tanaka forthcoming)、日本では「妊娠リテラシーは世界でも最低レベル」だという認識ができていくことになる。
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田中 重人 (2017) 「非科学的知識の広がりと専門家の責任: 高校副教材「妊娠のしやすさ」グラフをめぐり可視化されたこと」『学術の動向』22(8). 21ページ.

http://doi.org/10.5363/tits.22.8_18

Tanaka (forthcoming) は、10月末に Advances in Gender Research 24巻に書いた論文 なのですが、それよりは、今年5月に出版された『文科省/高校 「妊活」教材の嘘』 (論創社) の第6章「日本人は妊娠・出産の知識レベルが低いのか?: 少子化社会対策大綱の根拠の検討」のほうがわかりやすいと思います。

この調査は、18か国を対象に13言語でおこなったというふれこみのものですが、肝心の調査票が公開されておらず、調査内容の妥当性がチェックされていない状態でした。私は各方面にしつこく問い合わせて2015年11月に調査票 (日本語版のみ) を入手。実際に検討してみたところ、かなりトンデモな内容だったわけです

この調査の質問文には、日本語としておかしい表現が多数ある(西山・柘植編 2017: 146-154)。特に、妊娠・出産に関する正しい知識の割合を測ったとされる尺度については、全13項目のうち10項目以上に翻訳上の問題がある。また、誤答だけでなく「分らない」という回答も0点にされること、日本語版と英語版では項目順序がちがうこと、国によって正解の異なる項目があることなど、翻訳以前の問題もある。到底まともな調査とは呼べないものだが、それが科学的な根拠であるかのようにあつかわれてきたのである。
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田中 重人 (2017) 「非科学的知識の広がりと専門家の責任: 高校副教材「妊娠のしやすさ」グラフをめぐり可視化されたこと」『学術の動向』22(8). 21ページ.

http://doi.org/10.5363/tits.22.8_18

詳細は http://tsigeto.info/16zhttp://synodos.jp/science/17194 などでも書いてきたので、そちらを読めば状況はおわかりいただけると思います。

もちろん、調査票をはじめとして、調査に関する情報を公開してこなかったIFDMS研究グループの姿勢は問題です。しかし一方で、そのような研究者の売り込みを真に受けて、「日本人は妊娠・出産の知識レベルが低い」と吹聴してきた ジャーナリスト国会議員 の側にもおおきな責任があります。

特に、2011年に研究代表者が来日してマスメディア向け勉強会や国会議員向け講演をおこなったときには、まだどこにも論文が出ていない段階でした。そんな状況で研究成果を売り込まれた場合には、「論文を出版してから出直してきてください」といって門前払いすべき事案だったはずです。そのあと、2013年に論文が出版された際にも、調査票は公表されていなかったのですから、(私がそうしたように) 調査票を請求して、内容がまともかどうかをまず精査すべきでした。各報道機関には世論調査などをおこなう部門があって、調査の専門家がいるはずです。とりたてて専門家でなくとも、「妊娠とは受胎能力、つまり女性が妊娠し、男性が父親になる能力を意味します」「推奨されれば、私の共同体の大多数は不妊治療を (何度でも) 私達にしてもらいたいのではないかと思う」といった文面が並ぶ調査票をみれば、おかしいと思うのがふつうでしょう。