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2018-09-07 2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象

Project "Unscientific Knowledge and the Egg Aging Panic" Research Report II
『2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象』
http://tsigeto.info/18l

田中 重人 (東北大学) 2018-08-30

日本学術振興会科学研究費補助金 (2017-2019年度) 「非科学的知識の生産・流通と「卵子の老化」パニック」(研究課題番号17K02069)

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  • 表題: 2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象
  • シリーズ: Project "Unscientific Knowledge and the Egg Aging Panic" Research Report II
  • 著者: 田中 重人
  • 出版者: 田中重人研究室
  • 住所: 仙台市青葉区川内27-1 東北大学文学研究科
  • 著者 URL: http://tsigeto.info/officej.html
  • プロジェクト URL: http://tsigeto.info/egg/
  • 報告書 URL: http://tsigeto.info/18l
  • 出版日: 2018-08-30
  • 分量: 12ページ
  • ISBN: 978-4-9910316-1-8

(この報告書の英語版は Research Report I として刊行済)

情報提供のお願い

プロジェクト "非科学的知識の生産・流通と「卵子の老化」パニック" では妊娠や出産に関する非科学的言説の情報を集めています。特に「少子化対策」の目的で使われるあやしげなグラフやデータ、一見科学的だが根拠のはっきりしない主張などをご存じのかたは、お知らせください。

これまでに収集した資料は、代表者作成のウエブサイト http://remcat.tsigeto.info で検索できます。最新の情報については上記URLをごらんください。

目次

「卵子の老化」キャンペーンと「少子化対策」

近年の日本では、妊娠・出産に関する大量の情報があふれています。その多くは、産科・婦人科・生殖医学の専門家やその団体がつくり、マスメディアに流れるものです。それらの情報は、結婚・出産を促進する政策を科学的に正当化する根拠として使われてきました [1]。

「卵子の老化」はこの政治的現象を理解するためのキーワードです。このことばは、元々は、減数分裂途中で長い時間が経過したために卵子 (より正確には雌性生殖細胞) が変性する生物学的現象 [2] を指していました。日本の医学文献では1970年代から使用例 [3] がみられます。21世紀に入ると一般向け書物 [4] などに登場するようになりますが、当初は40代女性の不妊治療の困難などと結びついて限定的に使われていました。当時はまだ、今日のような含意を持ってこのことばを使用することは稀でした。

2010年代になると、妊孕力と年齢との関係を強調する医学的な言説がたくさん出てきます。専門家やマスメディアが、女性は20代から30代の間に急速に妊孕力を失っていくとする視覚的な表象をつくりあげ、それらが広く流通することになります。

この動きにしたがって「卵子の老化」ということばも人口に膾炙していきます。それとともに、ことばの意味が拡大してきました。一方では、卵子は出生前に作られ、その後どんどん減少していくという生物学的な知見と混同して語られる [5] ようになります。他方では、高齢女性の不妊治療は原因不明の失敗に終わる例が多いという報告と結びついて、加齢が不妊治療成功率を引き下げる現象 [6] のこととしても語られます。今日では「卵子の老化」は生殖細胞の変性という現象だけでなく、ある程度以上の年齢の女性が経験する妊娠関連問題を広くカバーします。加齢にともなう妊孕力低下とその背後にある生物学的な仕組みの全体を包含するマジックワードになっていると考えていいでしょう [7]。

メディアによるキャンペーンが「卵子の老化」をとりあげるなかで、誤った情報が、いかにも科学的な知識であるかのような装いを持って書籍、雑誌、テレビ、ウエブサイトなどにあらわれます。それらの多くは若者の身体に関する自己認識を書きなおすこと、そしてそれを通じて彼らの性行動と家族形成に影響を与えることを狙っています。身体に関する意思決定に誤情報をもって介入しているわけですから、身体の自由に対する明白な侵害です。また、専門家がこのような誤情報を流布させているという事実は、医学・医療への信頼を毀損し、私たちの社会の保健医療システムを危機にさらすおそれがあります。

「卵子の老化」キャンペーンにはもうひとつ、「少子化対策」としての顔があります。第1子出産時の女性の平均年齢がおよそ30歳になっている今日の状況で、「卵子の老化」という新しい概念は、人々に衝撃を与えました。最近の若者は妊娠の適齢期を知らないために結婚・出産をあとまわしにしており、そのために子供が減っているのではないか、という危惧が広がりました。そこで、少子化を防ぐために「卵子の老化」について教育すべし、とする政治的主張が出てきます。こうして、「卵子の老化」論は、個人の身体や健康の問題としてではなく、日本社会の人口減少を防ぐための「少子化対策」として政策に侵入してきました。

日本政府が新しい「少子化社会対策大綱」[8] を2015年に採用したのと並行して、学校教育に関連事項が盛り込まれ、自治体が「ライフプランニング」支援事業をおこなう体制ができました。多くのあやしげなグラフがつくられ、これらの事業で使われたりマスメディアで流れたりしています。


この報告書は、日本学術振興会科学研究費補助金を受けたプロジェクト "非科学的知識の生産・流通と「卵子の老化」パニック" (研究課題番号: 17K02069; 研究代表者: 田中重人 東北大学准教授; 期間: 2017-2019年度) によるものです。このプロジェクトは、学術的文献と一般向け文献の両方を収集し、それらの分析を通じて「卵子の老化」キャンペーンの成立した社会的諸条件とその結果をあきらかにすることを目指します。当報告書では、キャンペーンに登場した非科学的なグラフのいくつかをとりあげ、それらがどのようにつくられ、日本社会に広がって世論と政策に影響を与えたかを解説しました。

このプロジェクトは、文献収集に加えて、Twitterなどのソーシャルメディアからも情報を得ています。また、2015年9月以降、改ざんグラフが載った高等学校副教材 (6、10ページ参照) への抗議をおこなってきた「高校保健・副教材の使用中止・回収を求める会」の活動に依拠している部分もあります。生殖に関する非科学的知識利用の歴史や、妊娠・出産に関する新しい言説の発生など、プロジェクトに関連する情報をご存じでしたら、お知らせいただけると幸いです (12ページ参照)。

([ ] 内の数字は文献番号です http://tsigeto.info/18l#bib 参照。)

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「「卵子の老化」キャンペーンと「少子化対策」」『2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象』, 2ページ

妊孕性の知識に関する多言語国際調査の濫用

「卵子の老化」キャンペーンの引き金となったのは、2009-2010年にカーディフ大学と多国籍製薬会社メルクセローノがおこなった国際調査International Fertility Decision-Making Study (IFDMS) でした。調査の結果、妊娠・出産に関する知識を測った点数 (Cardiff Fertility Knowledge Scale: CFKS) の日本の値が低かったため、世論の注目を集めるきっかけとなりました。

IFDMSの結果が学術論文として世に出たのは2013年のことです [9]。しかしそれ以前からこの調査結果はマスメディアに流れ、政治的に利用されてきました。2011年2月には研究チーム代表者Jacky Boivinが来日、メディアと国会議員に向けて講演をおこないました [1]。その後、新聞、雑誌 [10]、テレビ [5] などがIFDMSをとりあげます。その結果、日本は妊娠・出産に関する知識が乏しい社会だとする認識が広がりました。

IFDMSは国政にも影響を及ぼします。2012年、野田聖子議員が国会の質問主意書 [11] でこの調査結果に言及しました。2014年には、齊藤英和 (国立成育医療研究センター医師) が、「新たな少子化社会対策大綱策定のための検討会」会合において、図1を使って報告をおこないました [12]。この図はIFDMSの結果を報告した英語論文 [9] からの複製ですが、齊藤はそこに日本語で「日本はトルコの次に知識が低い」などの説明を加え、「妊孕性の知識教育が必要である」と訴えました。このような意見にしたがって、日本政府は学校教育に妊娠・出産に関する知識を導入しました。2015年の「少子化社会対策大綱」[8] においては、このような知識に関する数値目標を、IFDMSに基づいて定めています。

図1: IFDMSによるカーディフ妊孕性知識尺度 (CFKS) の国・男女別平均値

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新たな少子化社会対策大綱策定のための検討会 (第3回) 齊藤英和委員資料 [12] から複製

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/meeting/taikou/k_3/pdf/s2-1.pdf

しかしその後の研究によって、IFDMSにはつぎのような欠陥があったことが判明し、その結果は信頼できないことがわかっています [13] [14]。

  • 国によって対象者の集めかたがちがうため、比較可能な結果にならない
  • 調査票の翻訳プロセスがいい加減である
  • 英語以外の調査票はプリテストを受けていない
  • 日本語調査票にはつづり間違いや不自然な文が多い
  • 男性回答者に「あなたが妊娠してないのは……が理由」といった質問をするなど、項目の選択が不適切
  • CFKS項目のほとんどで和訳が不適切
  • CFKS項目の質問順が日本語版と英語版でちがう
  • CFKS合計スコアの統計的信頼性が低い
  • 調査票などの資料が公開されていないので、研究が再現できない

にもかかわらず、この調査の結果は、信頼できる科学的な根拠であるかのようなあつかいを受けてきました。IFDMSに関する疑義の声がはじめてあがったのは2015年のこと [15] ですが、そのときにはすでに、日本人の妊娠・出産に関する知識は世界的に最低レベルだという自己認識が日本社会に定着してしまっていました。

([ ] 内の数字は文献番号です http://tsigeto.info/18l#bib 参照。)

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「妊孕性の知識に関する多言語国際調査の濫用」『2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象』, 3ページ

女性の年齢と卵子数の減少:誇張されたグラフの流通過程

図2は厚生労働省の公式ウエブサイト [16] からのコピーで、女性の年齢と体内の卵子数との関係をあらわしています。2012年度の厚生労働科学研究費補助金 [17] を使った冊子に載っているグラフで、一般向けに、特に生殖機能の男女差に注目して身体と健康について啓発する目的のものです。

図2: 年齢の効果を誇張した「卵子の数」のグラフ

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厚生労働省 [16] から複製

https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/boshi-hoken/dl/gyousei-01-01.pdf

女性の年齢と卵子の数との関係をあらわすこの種のグラフは、「卵子の老化」キャンペーンが繰り返し使ってきた定番アイテムのひとつです。ほかの定番アイテムとしては、このあと検討していく「妊孕力」のグラフがあります。これらのもっともらしいグラフに基づいて、女性は年齢とともに急速に妊娠しにくくなる――だから子供を持つのは若ければ若いほどいい――とする主張が幅をきかせてきました。

このグラフは改ざんされています。グラフ下部の注釈*1 にはBakerの論文*2 に基づいたと書いてあるのですが、実際にBakerの論文に載っているグラフ (図3) とはかたちがちがいます。いちばん重要なちがいは、図2の卵子数は20代から30代にかけて減りつづけるのに対し、図3はその時期は横ばいでほぼ一定であるところです。ほかの部分も、プロット位置がほとんど全部ちがい、両者はほぼ重なりません。グラフの注釈によれば、改変は厚生労働省でおこなったのだそうです (図2)。

図2には、Baker論文を見るまでもない問題もあります。「出生」のところのフキダシに「約200万個」とあるのに、対応する縦軸の数値を見ると、100万もありません。一目であきらかな間違いについてすらチェックがかかっていないのがわかります。

図3: 女性の年齢と生殖細胞の数

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Baker [18] から複製

http://d.hatena.ne.jp/remcat/20170322/egg2

図2に似たグラフはあちこちの出版物に出てきますが、その見た目と出典表示はさまざまです。Baker論文への参照をきちんと書いてあり、グラフもあまり変形していない場合もあります。一方で、曲線を大きく書き換えたうえ、出典をまともに示していない場合もあります。

図4は日本生殖医学会の「不妊症Q&A」ウエブサイト [22] のものです。これとおなじグラフは、同学会の編集した専門医研修用教科書 [23] や、医師向けハンドブック [24] にも出てきます (これらについては8ページで再度とりあげます)。図4においては、ピークの位置が図3よりも高いほか、胎生9ヶ月、出生時、10歳以上のすべての点が図3とちがう位置にあります。とりわけ、30歳でほとんどゼロまで減少するのが目を引きます。出典としてBakerの1963年論文 [20] があがっていますが、この論文は胎児と新生児しかあつかっていません。つまりグラフ右側は、根拠となる文献なく適当に描いた折れ線であることになります。

図4: 「卵細胞の数」の捏造グラフ

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日本生殖医学会「不妊症Q&A」[22] から複製

http://www.jsrm.or.jp/document/funinshou_qa.pdf

「卵子の老化」キャンペーンは、女性の妊孕力は非常に早くから低下しはじめる、という主張の学術的な根拠としてこれらのグラフを利用してきました。この主張を一般向けに最初に広めたのは、おそらく浅田義正の2009年の本 [25] です。浅田は、女性が12歳のときには体内に30万個の卵子があるが、毎月1000個ずつ減っていき、37歳にはゼロになる、とするモデルを提示しました。根拠となる文献は示されていません。

こうした説明が妊孕力の変化を理解する役に立つかは疑問です。図3の元になった研究 [20] [21] は卵子 (正確には卵胞) を数えただけであって、その数が多ければ妊孕力が高いなどとは主張していません。実際、図3によれば卵胞の数は10代の間に大きく減るのですが、それはヒトの生殖能力が発達する時期でもあるのです。

このたぐいの研究では対象の確保がむずかしいという事情にも注意しておきましょう。図3の6歳以上のデータは、Blockの1940年代の研究によるものです。Blockは、急死した女性のケース (事故・自殺・急病など) を精査して、6歳から44歳の43体を選び、その卵巣を対象としました [21]。年齢層が幅広いうえ、卵子 (卵胞) を数えた結果はケース間で大きくばらついています。対象者数がすくなくてばらつきが大きいため、統計的な誤差が大きいことを意識しておかねばなりません。また、単純な算術平均で推定値を求めているために結果がかたよっている疑念もあります。

後年になってこの研究成果を補完する研究も出てきています。Faddyほか [26] はBlockの数値を利用し、別の研究からのデータも加えて再分析をおこなっています。卵胞数を対数変換してから年齢の一次式で回帰する手法です。分析の結果、37.5歳までとそれ以降とでちがう式を使うモデルを採用しています。この結果は、卵胞の減少率が37歳以降で大きくなることを意味します。

Faddyほかのこの研究も、歪んだかたちで受容されてきました。図5は日本産科婦人科学会の研修プログラムで使われたもの [27] です。出典表示はないのですが、Faddyほかを引いて書かれたte Veldeほか [28] のグラフに酷似しています。Faddyほかの推定結果は37.5歳で交わる2直線からなるのに対して、図5はこまかくわかれた8つの線分からなり、ずいぶん印象がちがいます。31歳のところに「妊孕性低下」と書いてあるのは、te Veldeほか [28] によれば、次ページでとりあげるBendel & Hua [29] による恣意的な推定を参考にしたもののようです。さらに、Faddy ほかの推定は誕生時 (=0歳) からはじまるのに対し、図5は (おそらくはBakerの研究 [20] に基づいて) 胎児期まで延長されています。

図5: 「卵胞数」の合成グラフ

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小池浩司 [27] から複製

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10706333

([ ] 内の数字は文献番号です http://tsigeto.info/18l#bib 参照。)

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「女性の年齢と卵子数の減少:誇張されたグラフの流通過程」『2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象』, 4-5ページ

22歳ピークの「妊娠のしやすさ」グラフ

「卵子の老化」キャンペーンでは、卵子の数のみならず、女性の妊孕力そのものが年齢にともなって低下することをあらわすグラフも広く使われてきました。

図6は、妊娠・出産に関する事項を学校で教えるよう、日本産科婦人科学会など9つの専門家団体が政府に要望書を出した際に使われたグラフです [30]。この要望書は、2015年3月2日、当時の有村治子内閣府特命担当大臣 (少子化対策) に手渡されました。

図6: 専門家団体の要望書で使われた「妊孕力」グラフ

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http://www.jfpa.or.jp/paper/main/000430.html から複製

http://f.hatena.ne.jp/remcat/20151006183013

図6の大元は、Bendel & Huaによる1ヶ月あたり受胎確率 (fecundability) の研究 [29] です。この研究はデータのあつかいがおかしく、女性の生物学的な妊孕力を測ることには失敗しています。特に、25歳以上のデータに関して、20代前半までに結婚した早婚の女性だけを分析した点が問題です。分析対象のデータは、1950-1960年代アメリカのフッター派*3 コミュニティの調査 [31] によるものですが、そこでは、20代後半から30代前半に結婚した女性 (図7の黒い点線) は、すくなくとも新婚の時期には、かなり高い出生力を示していました。ところがBendel & Hua はこれらの女性のデータをとりのぞき、早婚の女性 (図7の青い実線) に限定して分析をおこないました。結果として、女性の受胎確率は早くから減少をはじめるという知見を得ているのですが、それは結婚からの時間経過を反映したものであって、年齢による変化とは断定できません [32]。一般に、夫婦間にいちばん子供ができやすいのは新婚期であり、時間が経つにつれて出生力は下がります。ただ、それは年齢を重ねて妊孕力が落ちるためとは必ずしもいえない。結婚生活が長くなるにつれて不仲になったり、性行動が不活発になったりする要因もあるわけです。

図7: フッター派コミュニティの年齢別婚姻内出生率

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Sheps [31] の表から3年間移動平均を計算 [1] [32]

http://d.hatena.ne.jp/remcat/20160820/sheps

Bendel & Huaの論文 [29] が出てから11年後、Wood [33] がグラフの20-24歳部分を加工して22歳ピークの曲線をつくり出しました。その曲線がO'Connorほかの論文 [34] で不正確にコピーされています。それを単純化して、図6とほぼおなじグラフにしたのが、慶應義塾大学名誉教授の吉村泰典です。吉村 [35] は、元のグラフが1歳刻みの曲線であったところ、7つの点だけを抜き出し、20-30代の4つの点を左にずらして、22歳で頂点を迎えたあと一気に妊孕力が低下するよう変えてしまいました。

ここで重要なのが、Bendel & Hua [29] は、出版翌年の1979年には、分析がおかしいことの指摘 [36] をすでに受けていたという事実です。文献引用データベースのWeb of Scienceによれば、Bendel & Hua [29] はそれ以来13回しか引用されていません (2016年2月3日確認)。それらのなかに、データと分析方法を吟味したうえでBendel & Huaの結果を支持した文献はありません [32]。この研究は、科学的な根拠として信頼に足る情報源であるかのように、教科書で無批判に言及していいものではないのです。

図6によく似たグラフは、2015年に文部科学省が高校に配布した保健副教材『健康な生活を送るために』[37] に「女性の妊娠のしやすさの年齢による変化」というタイトルつきで載りました。担当した有村治子大臣は、当該副教材は新しい少子化社会対策大綱 [8] に沿ったものと説明しています。この副教材のニュースが流れると、グラフを改ざんしている問題だけでなく、出生力を上げるための手段として若者を早い時期に結婚させようとしていること、女性に出産への圧力をかける内容になっていることが批判を集めました [14]。

([ ] 内の数字は文献番号です http://tsigeto.info/18l#bib 参照。)

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「22歳ピークの「妊娠のしやすさ」グラフ」『2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象』, 6ページ

直線的に減少するよう捏造された妊娠確率のグラフ

図8はインターネットから拾ってきたグラフに基づいてつくったもので、女性のlikelihood of getting pregnant (妊娠の確率) が年齢とともに直線的に低下していくように見えるデータです。このデータは、よくlikelihood of infertility (不妊の確率) をあらわす上昇曲線との組み合わせで出てきます。その種のグラフは広くネット上で見かけるものであり、Google 画像検索では200件以上ヒットします (2016年11月5日)。

図8: 「Likelihood of getting pregnant」曲線

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インターネット上の情報から作成 [38]

http://tsigeto.info/17m

このようなネット上のグラフのなかには、Helen A. Carcio編の本 [39] を出典として表示している例があります。この本には12ヶ月以内に妊娠する割合 (%) として86、78、63、52の4つの数字が並んだ表がでてきます (表1)。これらは、図8の20-30代の数値とおなじです。しかしデータの出所について説明がないため、どこから来た数値なのかわかりません [38]。

表1: “Probability of pregnancy with advancing age” (Carcio, Management of the Infertile Woman [39] p. 39)

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http://tsigeto.info/remcat/quot/Carcio-1998.html

残りの3つは M. Sara Rosenthal の本 [40] から来ているようです。この本には表2のような7つの数値があがっていて、最後の3つが図8の40代以降と一致します。

表2: “Fertility through the ages” (Rosenthal, The Fertility Sourcebook, 2nd ed. [40] p. 5)

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http://f.hatena.ne.jp/remcat/20161011180038

このRosenthalの表は問題です。妊娠の確率をあらわすのではない数値に「Likelihood of getting pregnant」という誤った見出しをつけたものだからです。本当は、これらの数値は、さまざまな自然出生力*4 集団における年齢別婚姻内出生率の平均値 [42] を、20代前半の値を基準として相対的な比率に直したものです。たとえば20代前半で値が「100%」なのは、その年齢層を基準値と決めたからであって、100%の確率で妊娠することを意味しているのではありません。40代後半の値が「5%」なのは、この年齢層の婚姻内出生率の平均が0.024であり、20代前半の0.460 (=基準値) のおよそ5.2%にあたる [42] からです。つまりこの表は見出しを改ざんしているのです。そればかりか、「Presuming optimum health」(最適な健康状態を仮定) という原典 [41] になかった注釈もつけ加えています。

つまるところ、図8のグラフに科学的な根拠は全然ありません。プロットされた7つの点のうち、4つは出所不明。残る3つも、本来は妊娠の確率をあらわすのではない研究成果に、あたかも妊娠の確率の数値であるかのような誤情報を加えて偽装したものです。これらを組み合わせることを思いついたのが誰かはわかっていませんが、CarcioとRosenthalの両氏が当該グラフの普及に責任を負うべき立場なのは確かです。

この無根拠なグラフは、産婦人科の領域で長年広く使われてきました。インターネットの不妊情報サイトでよく見るだけではありません。アメリカでは、CNNのキャスターとニューヨーク大学の医師が共同で執筆した書物 [43] に同様のグラフが出てきます。ドイツでは、学術論文に同様のグラフが載ったり、Carcioのデータ (表1) が無批判に引用されたりしてきました [38]。日本では、このグラフを若い女性に見せて人生設計を変えさせる実験 [17] が、厚生労働省の補助でおこなわれていました。最近では、福岡市がつくったライフプラン教育のための動画 [44] で、これとよく似たグラフが使われています。

([ ] 内の数字は文献番号です http://tsigeto.info/18l#bib 参照。)

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「直線的に減少するよう捏造された妊娠確率のグラフ」『2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象』, 7ページ

傾きの大きい曲線を抽出した自然出生力のグラフ

2013年、日本生殖医学会は公式ウエブサイトに「不妊症Q&A」コーナー [22] を開設しました (5ページ参照)。図9はこのコーナーの「年齢と不妊症」というページにあったものです。これとおなじグラフは、ほかにも、同学会の専門医研修等で使う教科書『生殖医療の必修知識』[23] や、当時同学会理事長だった吉村泰典の監修になる『生殖医療ポケットマニュアル』[24] といった専門家向け出版物に載っています。これらの出版物は多数の執筆者が分担しています。当該グラフが出てくる部分の執筆者は高橋俊文 (当時は山形大学講師、現在は福島県立医科大学教授) でした。

図9: 日本生殖医学会が抜き出した4本の曲線

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http://www.jsrm.or.jp/public/funinsho_qa18.html から複製

http://tsigeto.info/17d

図9は4本の曲線からなりますが、日本生殖医学会サイトによれば、これらはMenkenほかの論文 [45] から「代表的なデータを抜粋」したものだそうです。Menkenほか [45] に出てくるグラフ (図10) は、さまざまな自然出生力集団 (7ページ参照) の資料から10種類の年齢別婚姻内出生率データを選んで図示しています。そこから4つのデータを抜き出したのが図9であることになります。何を基準に「代表的」と判定したかについては説明がありません。

この図を描く際に、日本生殖医学会は初歩的な誤りを犯しています [46]。4本の曲線のうち「17世紀」と説明がついた曲線は、実際には17世紀ではなく、20世紀のデータです。他方、「20世紀」と書いてある曲線のほうは、元のデータ (図10) では17世紀と18世紀の別々のデータだったものをつなげて1本にしています。

図10の10本の曲線のうち、図9に載ったものと載らなかったものをくらべると、後者はすべて凸型の曲線を描いています [1]。すなわち、20代から30代前半は傾きがゆるやかで、30代中頃以降になってから傾きが大きくなっていくのです。これに対して、日本生殖医学会が4本の曲線を抜き出した図9は、相対的に傾きが大きく、より急激な減少を印象づけます。特に「20世紀」という説明のついたラインに目を向けると、ほとんど一直線に出生率が落ちていくようにみえます。

図10: 自然出生力集団10個の年齢別婚姻内出生率

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Menken, Trussell, Larsen [45] から複製

http://d.hatena.ne.jp/remcat/20160430

当該グラフに関する日本生殖医学会 [23] の説明には、ほかにもおかしなところがあります。データは16世紀から20世紀前半の北米フッター派の各コホート集団の記録だと書いていたりします。しかし本当は、図10のグラフは、世界各地の既存の人口データをまとめたものです。10個のデータのうち「北米フッター派」はふたつだけ。あとはヨーロッパ、アフリカ、アジア、アメリカのさまざまな地域・時代から来ています。それは、図10下部の注釈にノルウェー、チュニス、イランなどの地名があるのを見ればすぐにわかる事柄です。要するに、日本生殖医学会で教科書等の執筆・編集・監修・査読にあたった人の誰ひとりとしてMenken ほかの論文 [45] を読まずに引用しているのです。

このグラフは、問題の指摘 [46] があったあとの2016年12月になって、日本生殖医学会ウエブサイト [22] からなくなりました。教科書『生殖医療の必修知識』からは、2017年の改訂版 [47] で姿を消しています。しかし日本生殖医学会は、このようなグラフをなぜ、どのようにしてつくり、公式ウエブサイトや教科書に載せてしまったかについて、何も説明していません。おなじグラフは、依然として書籍やネット記事、自治体のライフプラン冊子 (11ページ参照) などで使われています。

([ ] 内の数字は文献番号です http://tsigeto.info/18l#bib 参照。)

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「傾きの大きい曲線を抽出した自然出生力のグラフ」『2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象』, 8ページ

計算方法不明の日毎妊娠確率推定

Dunson ほか [48] の研究は、ヨーロッパの家族計画センター7箇所で収集した性交日や基礎体温の変化などの自記式記録 [49] をもとに、1回の月経周期内の毎日の妊娠確率を推定したものです。この研究では、排卵日の2日前 (結果のグラフでは横軸に「−2」と表示される) の妊娠確率がほかの日にくらべて高い推定値になっています。この排卵2日前のピークは若い層では飛び抜けて高いのですが、より高齢の層ではそれほどでもありません。結果として、この研究の結果は、妊娠確率が年齢とともに急速に減少することを印象づけます。

この研究結果のグラフは、2014年から2015年にかけて日本政府が開いた「新たな少子化社会対策大綱策定のための検討会」で資料 [50] として使われました。資料をつくったのは、検討会の委員であった齊藤英和。ピーク位置の変動をあらわす赤い矢印をつけ加え、年齢による妊娠確率の低下を強調しています (図11)。

図11: 日毎妊娠確率 (Dunsonほか [48] による推定)

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新たな少子化社会対策大綱策定のための検討会 (第7回) 齊藤英和委員資料 [50] から複製

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/meeting/taikou/k_7/pdf/s3-2.pdf

Dunsonほか [48] は、どうやって妊娠確率を推定したかをきちんと説明していません。ベイズ推定によるとは書いてあるのですが、どんな統計モデルにどんな事前分布を仮定して推定をおこなったかを書いていないのです。そのため、この研究は再現不可能なものとなっています。

Dunsonほか [48] が推定に使った統計モデルについては、Dunson自身の以前の論文 [51] が引いてあり、そこから内容を推し量ることができます。その論文によれば、各月経周期に1日だけ特に妊娠しやすい日 (most fertile day: MFD) がある、と前提をおき、その日はほかの日にくらべて極端に妊娠確率が高くなるように設計したモデルのようです。さらに、その月経周期内の性交回数が多ければ多いほどMFDの妊娠確率が高くなるモデルであることも、おなじ論文からわかります。これらの記述から、Dunsonほかの推定は、特定の日について妊娠確率が極端に高く、性行動の活発な若い人ほどその度合いが大きくなるような恣意的な統計モデルによったのだろうと推測できます [1]。

実際、この研究で使われた元データには、排卵2日前のピークはありません (図12)。図11のような妊娠確率の明確なピークと加齢による急速な低下は、恣意的な統計モデルの適用によって実際のデータからかけはなれた結果を導いたものである可能性が高い。とはいえ、どんな分析だったかを特定できる情報がそもそもないため、くわしいことはわかりません。

図12: ヨーロッパ7箇所の家族計画センターでの調査 (1992-1996年) に基づく日毎妊娠確率の推定値

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Colombo & Masarotto [49] から作成 [1]

http://tsigeto.info/17d

これらの研究方法上の問題は、学界では意識されてこなかったようです。文献引用データベースWeb of Science によると、Dunsonほかの論文 [48] は2017年1月5日までに194回引用されているのですが、統計モデルの説明がある先行研究 [51] を引用しているのはそのうち4件のみ (著者自身による引用をのぞく)。それら4件の論文のいずれも分析方法の妥当性を検討していません [1]。研究内容が批判を受けないまま、結果だけが引用されてきたことがわかります。

研究の妥当性が確認できないにもかかわらず、図11のようなグラフは、年齢とともに妊娠確率が急速に減少することを示す科学的根拠であるかのようにあつかわれてきました。たとえば河合 [52] は、Dunsonほか [48] を引いて、35歳以上の女性の妊孕力は20代前半の約半分と書いています。齊藤英和は政府の会議等で当該グラフを使い、女性の出産時年齢の平均値を25歳以下まで引き下げることを主張してきました。

([ ] 内の数字は文献番号です http://tsigeto.info/18l#bib 参照。)

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「計算方法不明の日毎妊娠確率推定」『2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象』, 9ページ

「卵子の老化」関連年表:1974-2015年

「卵子の老化」キャンペーンとそれに関連する出版物および政治的な動きを年代順にまとめておきましょう。

1974
「卵子の老化」が日本医学会シンポジウム [3] で言及される (8月)
1979
鈴木秋悦、「卵子の老化」についての解説論文 [2] を出版
1982
鈴木秋悦、図3とおなじグラフ (出典表示なし) を著書 [53] で使用

「卵子の老化」ということばは、1974年に箱根で開かれた日本医学会のシンポジウムの質疑に出てきます。このときには、受精の遅れにともなう生殖細胞の変性、という意味で使われていました。後には、女性が高齢になると生殖細胞中の染色体異常が増加する現象も言及されるようになります。それとは別に、胎児期の間に生殖細胞が急激に増加し、その後ほとんどが消失してしまうという過程も、一般向け書物で語られます。この頃には、これらの生物学的知識は、社会全体の出生力の水準とは結びつけられていませんでした。

アメリカでは、年齢とともに妊娠の確率が直線的に低下するように見えるまちがったデータ (表1、表2) が1990年代後期に出てきます。このときには、そのデータは日本には入ってこなかったようです。

1995
Rosenthalの本The Fertility Sourcebook第1版
1998
Rosenthalの本、第2版 [40] に表2が登場
1998
Carcioの本Management of the Infertile Woman [39] に表1が登場
2001
吉村泰典、一般向け書籍 [4] で「卵子の老化」に言及
2005
日本医療政策機構 [54]、日本社会の出生力を引き上げる手段として女性の健康政策に言及

年齢にともなう女性個人の妊孕力低下と社会全体での出生力低下を結びつけて論じたのが、日本医療政策機構の2005年の報告書です。ただしそこに登場するのは図10のデータに基づく凸型のグラフであり、30代半ば以降に妊孕力が低下するところに焦点がありました。

2009年になると、生殖に関する一般向け書物 [25] で、女性の卵巣内の卵子は毎月1000個ずつ減っていく (そして37歳でゼロになる) とする記述が出現するようになります。

2009
浅田義正 [25]、女性の加齢にともなって卵子の数が直線的に減少すると主張 (出典なし)
2009-2010
IFDMS調査実施
2011
Jacky Boivin来日、IFDMSについてメディアと国会議員向けに講演 (2月)
2011
講談社、『FRaU Body: 妊活スタートブック』 [10] を出版 (7月)
2012
NHK、卵子の老化に関するテレビ番組 [5] を放送 (2月、6月)
2012
齊藤英和・白河桃子『妊活バイブル』[55] (3月)
2012
野田聖子、妊娠・出産に関する知識の教育についての国会質問主意書 [11] でIFDMS調査結果を利用 (11月16日)
2012
第2次安倍晋三内閣 (12月26日)
2013
吉村泰典、内閣官房参与に就任 (3月13日)
2013
内閣府、「少子化危機突破タスクフォース」を組織 (3月25日)
2013
日本生殖医学会、ウエブサイトで「不妊症Q&A」 [22] を公開 (4月)
2013
吉村泰典、自身が理事長を務める団体のウエブサイト [35] で22歳ピークの改ざんグラフ使用 (6月)
2014
地域少子化対策強化交付金
2014
全国知事会「少子化非常事態宣言」[56] (7月)
2014
日本生殖医学会、専門医研修等のための教科書『生殖医療の必修知識』[23] を出版 (10月)
2014-2015
内閣府「新たな少子化社会対策大綱策定のための検討会」
2015
日本産科婦人科学会など9団体、「学校教育における健康教育の改善に関する要望書」を有村治子内閣府特命:担当大臣 (少子化対策) に提出 [30] (3月2日)
2015
「少子化社会対策大綱」[8] (3月20日)
2015
文部科学省、保健副教材『健康な生活を送るために』(平成27年度版) [37] を高校に配布 (8月)

IFDMS調査結果が2011年に日本に紹介されて以降、「少子化」と「卵子の老化」を結びつける議論が勢力を広げていきます。特に、2012年のNHKの番組は注目を集めました。

2013年には国政が大きく動きます。2012年末に成立した第2次安倍内閣は、翌年3月、産婦人科医師の吉村泰典を内閣官房参与に任命。さらに「少子化危機突破タスクフォース」を組織して、低出生力問題への対応にあたります。このようにして人口関連政策の医療化が進み、産婦人科医師等の政策に対する発言力が増していきます。

2015年の「少子化社会対策大綱」には、「妊娠や出産などに関する医学的・科学的に正しい知識」を「教材に盛り込む」という文言が入ります。大綱のその規定は、学校教育に妊娠・出産に関する知識を導入する根拠となりました。同年8月、政府が作成して高校に配布した保健副教材に22歳ピークの「妊娠のしやすさ」改ざんグラフが載っていた事実が発覚。この事件をきっかけに、「卵子の老化」キャンペーンが利用してきた非科学的グラフの実態がつぎつぎとあきらかになりました。それらがどのようなものだったかは、私たちが当報告書で見てきたとおりです。

([ ] 内の数字は文献番号です http://tsigeto.info/18l#bib 参照。)

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「「卵子の老化」関連年表:1974-2015年」『2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象』, 10ページ

地方自治体による「ライフプランニング」支援事業

「ライフプランニング」は、2010年代日本の「少子化対策」のキーワードです。結婚や出産など家族生活を主眼においたライフプランを立てるよう若者に促すさまざまな試みが、行政主導でおこなわれてきました。若い男女の人生上の選択を誘導するための情報が講演会や出版物を通じて流れる一方、結婚相手を見つけるための官製お見合い事業を多くの自治体が実施しています [14]。

先に見た2015年の高校保健副教材 [37] は、政府によるこうした活動例のひとつです。そして、中央政府のみならず、地方自治体も、同様の「ライフプランニング」啓発事業に力を入れてきました。

2013年度補正予算に登場した「地域少子化対策強化交付金」は、地域の事情に応じて各自治体が立案した「少子化対策」に対し、資金を提供するものです。自治体は、地元の実情を調べ、それに基づいた活動計画を立てて申請します。各種「婚活」事業のほか、若者向け「ライフプランニング」教育活動や、妊娠・出産に関する医学的知識を普及させるための啓発活動などが補助の対象になってきました。

これ以前から、自治体による同種の事業がなかったわけではありません。たとえば佐賀県 [57] は、若者の意図しない妊娠の防止など、リプロダクティブ・ヘルス/ライツを推進する事業を進めていました。鳥取県 [58] のように、家族生活や職業に関する意思決定を主体的におこなうことを通して性別役割からの解放と男女平等を狙う、「男女共同参画」事業の一環としてのライフプラン支援に取り組んでいたところもあります。

2013年度にはじまった「地域少子化対策強化交付金」の仕組みは、ライフプランニング広報事業を一気に増加させました。多くの自治体が、この補助金を使って広報用の冊子、ウエブサイト、動画、モバイルアプリなどをつくるようになりました。内容は各自治体が考えるので、地域の特色を反映したトピックが入ります。想定読者層や語り口もいろいろです。他方で、共通して登場する「定番」の情報もあります。

自治体のつくる冊子等の多くに共通する「定番」情報のひとつが、妊娠・出産に関する医学的知識です。ここまで見てきたようなグラフがしばしば顔を出すのですが、多くは原典を参照せずにつくられています。不正確なコピーを繰り返した結果として、もとのデータからかけはなれたグラフになっている例もめずらしくありません。

図6のような22歳ピークのグラフは、あちこちの自治体が使っています。6ページで解説したように、このグラフは原典のデータと大きく形状がちがうのですが、たとえば奈良県のライフプラン冊子 [59] はYouTubeの動画 [60] からグラフを作成しており、さらにかたちが歪んでいます。三重県のウエブサイト [61] には、もっと変形した手書き風グラフが出てきます (図13)。このウエブサイトには出典の表示がありません。しかし22歳をピークとしてそれ以降どんどん低下するという特徴は保持しているので、元の22歳ピークのグラフ (あるいはそれがどこかに転載されたもの) を適当に模写したのだろうと推測できます。

図13: 「女性の妊娠適齢期」の手書き風グラフ

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三重県ウエブサイト [61] から複製

http://www.pref.mie.lg.jp/D1KODOMO/sisyunki/000125751.htm

ほかにコピーが大量に出回っているのが、図2の「卵子の数」グラフです。これは厚生労働省から助成を受けた研究グループ [16] [17] の作成物ですが、出典表示がActa Endocrinol Sullplとなっています。これは雑誌名 Acta Endocrinologica Supplementumを省略するときにまちがえた (ふつうは Acta Endocrinol Supplなどとする) のだと思います。この間違いが自治体作成の冊子等 [62] [63] でも訂正なしにそのまま出てきます。プロットされた値やその解釈の誤りも修正されていなかったりします。

日本政府は同様の交付金事業を継続しており、巨大な予算を背景に、多くの自治体がライフプラン広報に力を入れています。専門家が監修についている事例が多いのですが、にもかかわらず、この種の事業は、非科学的知識の温床になってしまっています。年齢による妊孕力低下などを強調したグラフが、その視覚的インパクトゆえに使われつづけているのですが、冊子作成者も監修者も、彼らが引用しているはずの文献を読んでいません。「正しい知識」をうたう広報が、実際には知識の正確さを確認する仕組みなしにつくられているのです。

([ ] 内の数字は文献番号です http://tsigeto.info/18l#bib 参照。)

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「地方自治体による「ライフプランニング」支援事業」『2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象』, 11ページ

*1:図2注釈の雑誌名には間違いがあります (11ページ参照)。

*2:Baker の1971年論文 [18] と1972年論文 [19] におなじグラフが載っています。これらはBakerの1963年論文 [20] とBlockの1952年論文 [21] に基づくもので、前者から胎児と新生児、後者から6歳以上のデータを使っています。図の左右で使用データがちがうので、横軸の途中に中断が入っています (図3)。なおBaker [18] [19] はデータについて説明していないため、元論文 [20] [21] にさかのぼらないと詳細はわかりません。

*3:「フッター派」(Hutterite) は中央ヨーロッパで16世紀に生まれたキリスト教アナバプテストの一派。19世紀になってその一部が北米に移住しました。

*4:「自然出生力」(natural fertility) は、子供を何人持つかを人々が意図的に制御していない状態を指す人口学用語です [41]。