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2018-09-07 2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象

「卵子の老化」キャンペーンと「少子化対策」

近年の日本では、妊娠・出産に関する大量の情報があふれています。その多くは、産科・婦人科・生殖医学の専門家やその団体がつくり、マスメディアに流れるものです。それらの情報は、結婚・出産を促進する政策を科学的に正当化する根拠として使われてきました [1]。

「卵子の老化」はこの政治的現象を理解するためのキーワードです。このことばは、元々は、減数分裂途中で長い時間が経過したために卵子 (より正確には雌性生殖細胞) が変性する生物学的現象 [2] を指していました。日本の医学文献では1970年代から使用例 [3] がみられます。21世紀に入ると一般向け書物 [4] などに登場するようになりますが、当初は40代女性の不妊治療の困難などと結びついて限定的に使われていました。当時はまだ、今日のような含意を持ってこのことばを使用することは稀でした。

2010年代になると、妊孕力と年齢との関係を強調する医学的な言説がたくさん出てきます。専門家やマスメディアが、女性は20代から30代の間に急速に妊孕力を失っていくとする視覚的な表象をつくりあげ、それらが広く流通することになります。

この動きにしたがって「卵子の老化」ということばも人口に膾炙していきます。それとともに、ことばの意味が拡大してきました。一方では、卵子は出生前に作られ、その後どんどん減少していくという生物学的な知見と混同して語られる [5] ようになります。他方では、高齢女性の不妊治療は原因不明の失敗に終わる例が多いという報告と結びついて、加齢が不妊治療成功率を引き下げる現象 [6] のこととしても語られます。今日では「卵子の老化」は生殖細胞の変性という現象だけでなく、ある程度以上の年齢の女性が経験する妊娠関連問題を広くカバーします。加齢にともなう妊孕力低下とその背後にある生物学的な仕組みの全体を包含するマジックワードになっていると考えていいでしょう [7]。

メディアによるキャンペーンが「卵子の老化」をとりあげるなかで、誤った情報が、いかにも科学的な知識であるかのような装いを持って書籍、雑誌、テレビ、ウエブサイトなどにあらわれます。それらの多くは若者の身体に関する自己認識を書きなおすこと、そしてそれを通じて彼らの性行動と家族形成に影響を与えることを狙っています。身体に関する意思決定に誤情報をもって介入しているわけですから、身体の自由に対する明白な侵害です。また、専門家がこのような誤情報を流布させているという事実は、医学・医療への信頼を毀損し、私たちの社会の保健医療システムを危機にさらすおそれがあります。

「卵子の老化」キャンペーンにはもうひとつ、「少子化対策」としての顔があります。第1子出産時の女性の平均年齢がおよそ30歳になっている今日の状況で、「卵子の老化」という新しい概念は、人々に衝撃を与えました。最近の若者は妊娠の適齢期を知らないために結婚・出産をあとまわしにしており、そのために子供が減っているのではないか、という危惧が広がりました。そこで、少子化を防ぐために「卵子の老化」について教育すべし、とする政治的主張が出てきます。こうして、「卵子の老化」論は、個人の身体や健康の問題としてではなく、日本社会の人口減少を防ぐための「少子化対策」として政策に侵入してきました。

日本政府が新しい「少子化社会対策大綱」[8] を2015年に採用したのと並行して、学校教育に関連事項が盛り込まれ、自治体が「ライフプランニング」支援事業をおこなう体制ができました。多くのあやしげなグラフがつくられ、これらの事業で使われたりマスメディアで流れたりしています。


この報告書は、日本学術振興会科学研究費補助金を受けたプロジェクト "非科学的知識の生産・流通と「卵子の老化」パニック" (研究課題番号: 17K02069; 研究代表者: 田中重人 東北大学准教授; 期間: 2017-2019年度) によるものです。このプロジェクトは、学術的文献と一般向け文献の両方を収集し、それらの分析を通じて「卵子の老化」キャンペーンの成立した社会的諸条件とその結果をあきらかにすることを目指します。当報告書では、キャンペーンに登場した非科学的なグラフのいくつかをとりあげ、それらがどのようにつくられ、日本社会に広がって世論と政策に影響を与えたかを解説しました。

このプロジェクトは、文献収集に加えて、Twitterなどのソーシャルメディアからも情報を得ています。また、2015年9月以降、改ざんグラフが載った高等学校副教材 (6、10ページ参照) への抗議をおこなってきた「高校保健・副教材の使用中止・回収を求める会」の活動に依拠している部分もあります。生殖に関する非科学的知識利用の歴史や、妊娠・出産に関する新しい言説の発生など、プロジェクトに関連する情報をご存じでしたら、お知らせいただけると幸いです (12ページ参照)。

([ ] 内の数字は文献番号です http://tsigeto.info/18l#bib 参照。)

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「「卵子の老化」キャンペーンと「少子化対策」」『2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象』, 2ページ

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