キャンパスは毎日が学園祭状態で、講演やワークショップ、映画や劇の上演が数え切れないほどある。


一昨日は"Academic Writing"に関するセミナーに出てみた。講師は英文学で博士号を取った女の人。参加者の大半は博士課程の学生で、博士論文の作法を知りたがっていた。


講師は歯に衣着せない人だったので、ものすごく面白かった。数本の学術論文を抜き刷りで配り「アカデミアにおける書き方の政治」について話してくれた。例えば、ある大学の英文学教授の論文を取り上げて「"I believe"という主観的な表現を使えるのは、彼がこの分野で有名人だから。普通、学術論文ではこんな書き方はしない」。別の大学の若手研究者(まだ、テニュアはとっていない)の論文を紹介した時は「彼女はまだ有名じゃないから『自分が何者か』を示さないといけない。"as a teacher"と書いて自分が大学で教えていることを示したり、別のパラグラフでは"linguist"とか"as a scholar"と書いて研究者でもあるとアピールしている。駆け出しの学者はこうやって、研究分野のコミュニティーに入れてもらう努力をしないといけない」。


私がこれまで読んだのは主に社会学の論文だが「学者コミュニティーへのアピール」を意識した文章は確かに多い。過去に大物たちが書いた論文に触れながら、これまでの発見を要約するのだ。そうすることで、自分がそのコミュニティーに属していること、自分の研究で何が新しい発見なのかを説得的に示す---というのがアカデミアの作法らしい。マスメディアと方法が違うが、やはりそれぞれのコミュニティーに独特の説得力の出し方というものがある。


配布資料の中に1本の書評があった。講師は「次は嫌な女の書いたペーパーね」。一瞬、耳を疑った。相当はっきりモノを言う人だと思ってはいたが「嫌な女」って?


確かに厳しい言葉の並ぶ書評だった。「(この著者より)もっと知的に優れた人なら、・・・と書いたかもしれない」というフレーズなど明らかに失礼だ。講師曰く「この人、自分自身の研究は全然してない。他人の仕事を批判ばっかりしてるんだけど、そういうのは、ラクですよね」。


聞けば講師は書評者に個人的に嫌なことを言われていたそうだ。また、件の書評が載った学術誌は「辛辣な批判を載せることで有名」らしく「『何でもかんでも"問題だ"と批判してばかり』という批判があるほど」だという。この講師は初対面の人々相手に個人的な意見や体験を開けっぴろげに話してくれ、とても楽しい3時間だった。しかも無料というのがすごい。