「がん」という冒険(108)
金曜祈り会である。
今日ここに、イレギュラーな▲姉妹が来られた。クリスチャンというと、一般的には穏やかで慎ましく、優しい…というようなイメージ(あくまでイメージである)があるように思うが、実際には、そんなことはない。そんなわけがない。私自身ももちろん、そのような者ではないが、ただ、イエス様を知って、多少は角がとれて丸くなったり、自分本位でなくなったように感じる。
そこで、この▲姉妹だが、実にユニークな姉妹である。以下、聖書からの引用、
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。
(ローマ5:3-5)
有名なみ言葉であるが、聖書には「忍耐」が多用される。
一に忍耐、二に忍耐……(一一")
忍耐のために試練(患難)が与えられ、途方もない試練も与えられる。もはや、
祈るしかすべがない。
という状態にも置かれる。私も…置かれてきた。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
随分前の祈り会で、▲姉妹は
「イエス様は忍耐、忍耐…と言われますが、私は忍耐は嫌いです!忍耐が練られた品性を生み出すなら、私は「練られた品性」はいりません」
と祈られた。忘れられない祈りであったが、胸のすく思いもあった。イエス様が望まれるのは正直な祈りである。口先だけの綺麗ごとの祈りなど、それこそ神への裏切りだろう。
何を言いたかったかというと、▲姉妹は、このような祈りをする人なのである。元々は音楽に関わる仕事をされていたが、阪神大震災で仕事も財産も失った。海外にオペラを聴きに行くような暮らしから、生活保護を受ける身に。おそろしくプライドが高く、生活保護には最後まで抵抗されていた。仕事復帰を熱望されていたが、かなわなかったらしい。病気やら引っ越しやら、噂だけは耳に入っていた。
そんな▲姉妹が、わざわざ祈り会に来られたのは、感謝の祈りのためだった。詳しい説明は避けるが、97倍の倍率だった千代田区の都営住宅への入居が決まり、引っ越されたのである。
「主がすべてを行ってくださいました。私がやったことはサインと手続きだけです。しかも、細かいところにまで配慮いただけることに、何とも言えない気持ちです。私のような…不信心な者が……と、本当にありがとうございます」
不信心…という言葉を繰り返された。▲姉妹は係累もなく、我がままから周囲の姉妹方を巻き込んできた。そんな反省もあるのだろう。
「中途半端な祈りではなく、心からすべてを捧げたとき、あなた様は大きく動いてくださり、願った以上のことをしてくださいます…」
姉妹はポロポロ泣かれていた。
祈り会の恵みは、こんなふうに他の姉妹に与えられた喜びを分かち合えることでもある。業界用語で「主のご栄光」というが、主が成してくださった奇跡を、ともに味わい喜ぶことができる。
私は▲姉妹の祈りに感動したのであるが、共感もした。おおいに共感したのである。
主がすべてを行ってくださいました。
私も乳がんになって、風邪もひかない私ががん患者になってしまった。がんにはなったが、私は何もしなかった。人から「闘病」と言われるたびに首をかしげたくなった。「闘病」どころか、あれほど生き生きと輝いていた時間は人生のなかでなかった気がする。私の人生には、いつも不安と虚しさがあった。
術後の抗がん剤治療最後の日、診察室の待合室には一組のカップルがいた。固い表情で身じろぎもせず椅子に腰かける女性と、隣に寄り添う男性は夫婦だろう。治療に通いながら、今まで何度かこのような光景を見た。ここは女性外来だから、これから乳がんか子宮がんの検査結果を聞くのだろうか?
私が検査結果を聞く日、私は一人だったし、誰かに付き添ってもらおうと思いもしなかった。
検査結果を聞く前の私の心境…を知るために、2021・11・20「がんという鍵」(1)を読み返した。おお~っと我ながら感心する。ご興味のある方は、お読みいただきたい。
なお、このブログのタイトルは「まな板の鯉」→「がんという鍵」→「がんという冒険」と変遷をたどっている。自分自身が全く先行きがわからず、果たしてブログを書き続けていけるのか?自信がなかったことを記憶している。
この日、お世話になったよしみドクターに何を言おうか、迷っていた。そして、
「初めてづくしでしたが、先生のお陰で、戸惑うことも不安になることもありませんでした。ありがとうございました。私にとっては最高の病院でした」
病院もドクターも調べたり探したりしたわけではない。自分で調べて探したところで、こんな病院やドクターに巡り合うことはなかっただろう。
主がすべてを成し遂げてくださったのである。
ドクターに点滴の針を打たれて、化学治療室(ケモ室)に移動する。ここで顔なじみになった看護師や薬剤師の方々と最後の挨拶をした。今後は半年ごとの経過観察になり、取り合えず、「がん卒業」らしい。治療を終えて、拍手でケモ室を送り出された。
がんの検査結果を待つ私は、
良性=◎
悪性=×
ではなかった。どちらが吉となるのか、私にはわからない。だから、主を信頼してお任せした。主を信頼できたから、お任せできた。
すべてを主の御手から受け取ることができますように。
と祈り続けた。
「がん」を通して、私はイエス様を体験できた。それを、こうしてブログとして更新し続けることができた。
主のペンとして用いられますように…。
と祈り続けてきた。
そのペンを、ここでひと度、置かせていただく。
すべてのことに感謝して。
読者の皆さま、ご愛読ありがとうございました。
「がん」という冒険(107)
開通したばかりの相鉄新横浜線に初めて乗って礼拝に行った翌日、私は相鉄新横浜線で祈り会に行った。場所は同じである。乗り換えなしで到着できることもあり、私は一番に到着して、鍵を開けた。遅刻常習犯の私には、一番のりで鍵を開けて入ると言うのは初めてのことであった。
10時半から始まる祈り会、5人の顔ぶれがそろい、祈り会がスタートしたのが、
10:38
おお~と思う。この日は私の誕生日であり、そういえば私は10:38に生まれたんだよね~と電車のなかで思いついたのである。
別に、だから、どうということもない。ないけれど、
なんか、すごい。
月一祈り会が、理由もなく私の誕生日に重なるだけでも不思議なのに、私が誕生した同じ時間に始まったのである。
これが、タダ事だと言えようか???
(^.^)/\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?(≧▽≦)
私の誕生日というので、姉妹方がお菓子を持ち寄ってくれる。5人で記念の写真を撮った。
そうして、帰宅した自宅の冷蔵庫には大きなケーキの箱が入っている。これは何かといえば、娘達が横浜高島屋で買ってくれた新宿TAKANOのケーキなのである。
happy birthday Mother
とチョコレートプレートのついたバースデーケーキなのである。
私は忘れない。去年の私の誕生日は日曜であった。午後になっても子ども部屋で転がったままのαとβ。
もはや、娘達に何も期待などしない私であったが、6月にはがんの手術を控えていた。また、前日の土曜はαの女子大の入学式で参列し、あれやこれやと世話をやいたのである。このまま、寝かせておいてよいものか???
私は子ども部屋に入って、言った。
「今日、私の誕生日なんですけど」
起き上がって動き出した者はいない。2人とも寝たまま動かなかった。元気に「おめでとう!」くらいはあるかと思ったが、それもなかった。
「何もないの?」
これはちょっと意外で、がっかりもした。顔を上げたαが、
「何をしていいかわからない」
「………………………………………………………………………」
βは果たして、起き上がる気配もなく寝たまま。
もう、おまえたちには何も期待しないよ!(期待してたんか?)と、マンションを出て隣のローソンへ行き、台湾カステラを買った。
この屈辱は一生、忘れないからな( `ー´)ノ
と、一人で台湾カステラを食べた。
そして一年後…。
昨日の日曜、私は礼拝に行ったが娘達は2人で出かけた帰り、このケーキと花束を買ってくれたのである。なんという違いであろうか?
そして、このケーキにロウソクを灯し、3人で食べた。バースデーソングの代わりに賛美歌をリクエストして、3人で歌った。
(#^.^#)(≧▽≦)( ^^) _旦~~(^0_0^)(^.^)/~~~(#^.^#)(≧▽≦)( ^^) _旦~~(^0_0^)(^.^)/
そうして翌々日、私は最後の抗がん剤治療の日を迎えたのである。
「がん」という冒険(106)
男(女)運があるとかないとか、金運、強運、晴れ男(女)に雨男(女)…。くじ運に勝負運…。
何が言いたいのかというと、良いにつけ悪いにつけ、一人の人間について回る運(ツキ)のようなものがあるのではないか?
本人の努力や心がけとは無縁の、敷かれたパターンのようなものを人生に感じることはないだろうか?
私の場合、
普通の人が経験するような苦労や労苦には、あまり縁がない。
パターンから外れるのである。たとえば、
双子を妊娠したにもかかわらず、
つわりなし。
お腹小さめ。
当時、検索したのだが、双子の場合はつわりも倍大変で、お腹も歩くのに自分の足が見えなくなるほどだと。…恐れたものである。
出産は帝王切開(その病院では双子は帝王切開)だったから、「産みの苦しみ」も知らない。妊娠してからは、楽なものであった。
というのも、
妊娠するまでが、ものすごく大変だった。どれくらい大変だったかは読者に想像していただくしかないが、「不妊界」をさ迷ったのである。
結局、体外受精で妊娠したのだが、子宮に戻せた卵子は1個。体外受精の場合、複数の卵子を戻すために多胎妊娠が多くなるのだが、私の場合には戻せたのは1個だけ。それがなんと、分裂して双子、つまり一卵性双生児を妊娠した。同じ病院で出産した双子は、二卵性双生児ばかりだった。これもパターンから外れたと言えるだろう。どうやら私の人生は、
パターンから外れるというパターンを踏む。
傾向にあるらしい。
どうでもいいことを書き連ねたが、要するに、
乳がんになってからも、私は乳がん患者のパターンを大きく外れたのだと思う。もちろん、良い意味で。
長きにわたり更新したこのブログも、がんの治療を終えてしまった。本当に初めて尽くしで「がんという冒険」であった。冒険は素晴らしいこと尽くしで、こんなふうに終えられるとは思いもしなかった。ブログというかたちでなければ、支えてくださる読者がいなければ続かなかったし、日記ではとてもこれだけのことは書けなかった。貴重な記録である。
始まりがあれば終わりがある。感謝しながら更新したブログだからこそ、しっかりとピリオドを打ちたい。万感こみ上げる思いがなくもない(ToT)/
そんなわけで、ブログのエンディングに向けて気持ちを整えています。もうしばらく、お付き合いください<m(__)m>
「がん」という冒険(105)
その銀のペンダントは、高校時代からの友人のモコちゃんが、私の乳がんの手術前に贈ってくれたものである。銀には魔除けや厄除けというような意味もあり、彼女の気持ちを嬉しく受け取った。シルバーホワイトの慎ましい輝きは、この日の私の気分にしっくりとなじんだ。
この銀のペンダントをして、開通したばかりの相鉄新横浜線に初めて乗った。この線だと我が家から礼拝所まで乗り換えなしで行けるのに感動する。
最後に礼拝に行ったのは、がんがわかって間もなくだった。まだ髪も抜けていなかった。誰にもがんのことは話さなかった。以後は自宅からのzoom礼拝とした。
というわけで、久々のリアル礼拝である。
zoom礼拝でさえ、ややもするとさぼる私が、意を決してリアル礼拝に来たのには理由がある。直接には、一番仲の良い◎姉妹がコロナでずっと礼拝を休んでいたのを4月から通い出すと宣言したからだが、
明日(礼拝翌日)は私の誕生日。
そして、誕生日の翌々日に、
長かったがんの治療が終わる。
(^。^)y-.。o○(^O^)/( ^^) _旦~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○(^O^)/( ^^) _旦~~(^0_0^)
それだけではない。
私の誕生日と月に一度不定期に行われる月一祈り会が、同じ日になった。全くの偶然である。
何だか、花火が上がりファンファーレが鳴りわたり、くす玉が割れそうな気配なのである。
これに便乗しない手はないとばかり、金髪のウィッグで礼拝に出た。
がんのことは、ごくわずかの姉妹にしか話していなかったが、もはやためらうことはない。私の金髪に驚く兄弟姉妹に、
実は一昨年、乳がんがわかって去年手術して~でも、今週で治療も終わって「がん卒業」なんです~(^。^)y
と喜々として語る。
そんなわけで誕生日の前祝とばかりに、礼拝後◎姉妹と祝杯をあげる。◎姉妹からは誕生祝にとオレンジ系の口紅をもらった!(^^)!
「がん」という冒険(104)
さて、双子の姉娘αの在籍する★女子大の会議室で◆准教授を待ち受けるαと私と夫である。なんのために待っているのかといえば、
αの成績があまりにひどく、この調子では4年で卒業は難しいのではないか?
という思いから、私が大学に電話して面談を申し出たのである。
ここで、
はて、確か、双子の妹娘の方は大学から親が呼び出し受けたはずでは???
とお気づきの方がもしおられたら、
あなたは、かなりこのブログを熱心に読み込んでおられる。
(^。^)y-.。o○(^O^)/(^O^)/(≧▽≦)(^。^)y-.。o○(^O^)/(^O^)/(≧▽≦)
そうなのである。一卵性の双子娘であるが、
妹βの方は大学から呼び出しをくらい、姉のαは親がこちらから面談を申し出るという、見事な双子シンクロである。
呼び出されるのも戦々恐々であったが、こちらから申し出るというのも気の重いものである。まして、面談くださる◆准教授は夫が言うに「s・t・d 」という カソリックのえらい地位の人らしい。
「s・t・d 」は「Sacrae Theologiae Doctor」の略で、神学博士のなかでもカソリック教会において特別な地位をもつ聖職者に与えられる称号とのこと。
日本では何人もいない。
ただでさえ気の重いところへ、二重三重のプレッシャーである。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
そんなわけで、壁にかかった十字架のイエス様におすがりするように、准教授を待った。
なんと◆准教授は、手に角笛をもって現れた。
角笛とは???
「われらの祭りの日の、新月と満月に、角笛を吹き鳴らせ」
(詩篇81‐3)
角笛は円錐状になっている動物の角をそのまま用いた笛で、日本でいえばほら貝が似たような用途で用いられたとされる。聖書には角笛が69回登場するらしい。
手にした角笛は何の角だか蛇のように長いのだが、現れた◆准教授は、
全然、いかめしくない。
ポニーテールで学生課の職員さんみたい。
さわやかに笑いかけられ、拍子抜けするほど安堵する。角笛をもっておられるのは、新入生に向けて挨拶するのに使われたらしい。
「お忙しいところ、ありがとうございます。娘の成績があまりにひどく、しかも、本人にまったく危機感も自覚もなく、このままでは4年で卒業は難しいのではないかという不安から面談をお願いしました。よろしくお願いします」
深く頭を下げて私は言った。ここで大事なことは、面談を申し入れたのは、
変な親ではない。
ということを明確にしなければならないと考えた。今や色んな親がいて、大学も身構えているはずである。大学側から呼び出されたβの時には、
この親にしてこの子あり。
と思われるのは最悪とばかりに、夫に厳重注意した。
この角笛にαが敏感に反応した。中学時代にパスポート取得のためパスポートセンターに行った際、土産物売り場でおもちゃの角笛を買ってもっていると言う。
「なんでそんなもの買うんだ?」
夫に聞かれ、
「楽しそうなものが、そこにあったから」
准教授も笑って、
「今度見せて」
「持っていきます」
誠に場の雰囲気はよくなった。
◆准教授はアラフォーくらいか?結婚指輪もはめていて、誠に普通で気安い。αに向かって、
「今回の成績がふるわなかったことについて、αさんから反省点はありますか?」
と聞かれ、αが言葉を選びながらもたもた話し出すと、
「僕がいきさつを聴取した限りでは~」
夫がしゃべり出す。誰も聞いていないのに。
βの時は、相手が物々しい男性教授だったこともあるのか、黙っていた。今は角笛ですっかりリラックス、夫は准教授がしゃべり出そうとするのを制して語り出し、
「お父様、ごめんなさい。いいですか?」
とやられた。一応、娘達の教育係は夫なので、今まで面談には夫も同席してきた。そうして毎度毎度、例外なくこんな調子で先生方には呆れられてきたが、どの先生も黙っていた。こんなふうに、はっきり諭されたのは初めてだった。
それでも懲りずに、私が准教授に質問すると夫が答えようとする。
准教授の前でαに説教を始める。
やれやれ…と思っていると、准教授が私にアイコンタクトで「なんとかしてください」と訴えられ、場を取りなす。何度見つめられたことだろう。
αの成績については、今後の努力しだいでいくらでも挽回できるとのこと。提出物も相談すれば期限を延ばしてもらえるし、誠に前向きな話し合いができた。
最後に、夫が准教授の「Sacrae Theologiae Doctor」について触れ、「バチカンの修道院長くらいえらい」とのたまい、准教授は笑って受け流す。そうして、「僕の出た中高一貫の●校は××系の▲▼で~」と得意げに語り出すので、
「先生はお忙しいんだから」
と切り上げる。
なんと◆准教授は我々のリクエストに応えて、外へ出て角笛を吹いてくださった。
「緊張すると吹けないので」
と言われるのも可愛らしく、吹いてくださった。見渡せば桜が満開で、来る時とはうって変わった祝福の時間となった。
(^。^)y-.。o○(^O^)/(^O^)/(≧▽≦)(^。^)y-.。o○(^O^)/(^O^)/(≧▽≦)
この後の食事の席で、αのおしゃべりを諭した夫の言葉を私は生涯、忘れないだろう。
「おまえは関係ないことはよくしゃべる」
あやうく食べていた肉団子を喉につまらせそうになった。胸を撫でさすりながら私は言った。
「それは、あなたでしょう」
夫は言った。
「俺は大事なことも言ってる」
夫のなかではそうなのか…?
長きにわたる謎が解けたような気がした。
「がん」という冒険(103)
壁には十字架に架かったイエス様。
教会や礼拝所以外で、私はこれを見たことがない。
教会にある十字架でも、
イエス様がつけられた十字架
と
イエス様のいない十字架だけ
の2種類あるのにお気づきだろうか?
そもそも、十字架の本来の意味をご存じの方がどれくらいいるのだろう。
日本ではペンダントやブローチ、ファッション…に用いられる定番アイテムだが、そもそも十字架は、死刑の道具なのである。しかも、十字架刑は、囚人が木の十字架にくくりつけられるか、釘で打ちつけられるかして死ぬまでつけられる。 死は恐ろしく時間がかかり、非常な苦しみをともなう。十字架刑に比べれば、絞首刑やギロチン、電気椅子などは楽なものではないか。
それを思えば気軽にアクセサリーとして身につけられるものではない。
しかし、この十字架の意味を塗り替えたのがイエス様である。イエス様が無実の罪で十字架に架けられたのは、イエス様が罪人である我々人間の代わりにいけにえとなり、我々の罪をつぐなうため。罪も汚れもない神の子イエスが十字架につけられることで、我々人間の罪を洗い浄めてくださった…というようなことを言っても、信仰のない方にはおわかりいただけないかと思う。
「罪人ってなに?何も悪いことなんかしてないよ」という人も多いと思うが、ここで聖書でいう「罪」の説明をするわけにはいかないので割愛させていただく。
罪も汚れもない神の子が我々人間のために十字架について死んでくださった。その代償として、それを信じる者は死後、滅びから救われて永遠の命を得る。天の御国(天国)で永遠に生きながらえるのである。
イエス様が十字架の上で人間の罪の犠牲となってくださったことで、死刑の道具であった十字架が神の愛と正義を証しするものとなった。
長々と十字架についてレクチャーしてしまい、一体、何を言いたいのかと戸惑われるかもしれない。すんません。もう少し、語らせてください。
ここで、2種類の十字架、つまり、
・イエス様がつかれた十字架
・イエス様がいない十字架
の違いであるが、イエス様のつかれた十字架は、イエス様の犠牲で終わっている。イエス様のいない十字架の方は、十字架上で死なれたイエス様が復活し、今も生きておられることを意味しているのである。ちなみに私の知るところでは、上がカソリック、下がプロテスタントの十字架である。
イエス様のつかれていない十字架を見慣れた私には、イエス様のつかれている十字架は、どうも生々しいのだが、この日は違った。
すぐ近くにイエス様がいてくださる。
不思議な安堵感……。
さて、話をもとにもどそう。
ここはどこかと言えば、双子の娘の長女、αが在籍するカソリック系の★女子大の「会議室」。会議室といってもスチールの白いテーブルに椅子が向かい合わせに並んでいるだけの小部屋である。無機質なその一室の壁に、十字架につけられたイエス様がかかっているのである。
そうして、その会議室の椅子に、娘αをはさんで夫と私が座っていた。座って、★女子大の◆准教授を待っていた。何のために待っているかといえば、面談のためである。何の面談かといえば、
娘αの成績があまりにひどく、このままでは4年で卒業は難しいのではないか?
という思いから、私が大学に問い合わせて面談を申し入れたのである。
面談くださる准教授を検索した夫が、
ガチのドカソリックのえらい人
尼さんのなかの修道院長的なアレ
十字軍とか派遣できちゃう
……などというもので、私は怖気づく。権威とか肩書きとか…苦手である。そんなわけで、十字架のイエス様にすがりながら准教授を待った。
(つづく)
「がん」という冒険(102)
当時の娘達は小学校の低学年。
娘達はしょっちゅう物を失くす。その度にイエス様に祈って、すぐに見つかることが多かった。本当に祈った直後に見つかって、大笑いしたことが度々あった。今は離れてしまったけれど、イエス様は娘達のすぐ近くにおられた。
そんなわけで、私達親子は次の教会を求めて近所の教会を漂流した。
そうして、たどりついたのが、故人となったドイツ人宣教師ゴッドホルト・ベックさんが主宰するキリスト集会というところである。
さて、そもそも、どうして私がこのような過去を語り出したかというと、それは、
3月7日
が私にとって記念すべき日で、どのように記念すべき日なのかを語りたかったのである。
学生の頃から神を求めながら出会えなかった私が、結婚して母親となり、ようやく神と出会え救われた。それが13年前の3月7日。それはなんと、娘達も一緒に救われるための主のご計画だったのだと納得できた。
ところが、その教会を追い出され次に行き着いたのがキリスト集会なのだが、私が主宰者であるゴッドホルド・ベック宣教師と初めて出会ったのが、一年後、すなわち2011年の3月7日だったのである。
この日、初対面のベック宣教師が言われたことは衝撃的であった。
「宗教は組織で人間が作ったもの。宗教で一番悪いのはキリスト教。一番信者が多いから」
「大事なことは、神×人。間に何も介在しない」
確かにそうだと思った。あんな家族で行っている教会の礼拝さえ、組織であり序列があり規則、規律のようなものがあった。私はつまり、それに逆らったのだ。
それから娘達と漂流した近所の教会も、役職を決めて当番があったり、名簿に住所氏名を載せられ、礼拝を休むとハガキが届いた。
驚くべきことに、このキリスト集会には、
・礼拝の出欠をとらず、名簿もない。個人の意志で連絡先を交換するだけ。
・つまり、礼拝に出ようと休もうと遅刻しようと誰も何も言わない。
・礼拝で行う献金は、「義務」ではなく「権利」であり、自由意志。
何のしばり(義務)もなく、ただ、イエス様を救い主と信じる者たちが主の前に重荷を下ろしに集まるのである。
信者同士を「兄弟姉妹」と言い合う。これは聖書のなかでもそうだが、男性を「兄弟」、女性を「姉妹」と呼ぶ。それはイエス様を頭として数珠(じゅず)のようにつながる関係で、年齢も職業も関係ない。この世とはかけ離れた世界だった。礼拝は多くの信者であふれていた。
私が追い出されることになった教会は、幼稚園ママだった◆の家で近所だったが、キリスト集会は電車を乗り継ぎ40分くらいかかった。それでも娘達はついてきたのである。これが逆だったら、キリスト集会が先だったら、娘達はついてこなかった気がする。というより、私自身が通えなかっただろう。
自転車で5分、強烈ではあったが「イエス様の愛は絶対服従の愛」を貫く◆一家の信仰は見上げるものだった。バイブルスタディが抜群に面白く、私は虜(とりこ)になった。繰り返すが、色々と疑問に思うところはあっても、自分からここを抜け出すことはできなかった。今から思えば、私が「信仰的姦淫」を犯して追い出されたのは主のご計画だった。あそこで学ぶべきことはすべて学び、娘達と次のところへ移された。
コロナ禍前まで、私はキリスト集会の礼拝に通っていた。娘達は中学受験頃から集わなくなり、思春期もあってイエス様から離れてしまったが、これはベック宣教師によると「自然なことで成長」らしい。また戻ってくると。
娘達の信仰はよくわからないが、押しつけるものではないし祈るだけである。そうしてzoom礼拝に出ていた私だが、来月から礼拝に出ようと思っている。ちなみに、◆の家はコロナ禍に取り壊されて更地になっている。
ちょうど、長かったがんの治療も4月で終わる。
「主のなさることは、すべて時にかなって美しい」
(伝道者の書3‐11)
私が集うキリスト集会は、まさに、主が私を最善の場所に置かれた、と実感している。キリスト集会は国内・海外にも展開している。