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シューティングゲーム探究記

2009-01-16(金)

[][]3人の天才が生んだパソコン移植版「ゼビウス

ゼビウスを生んだ遠藤雅伸、それに追従するかのように世に出た 大堀康祐(うる星あんず)、松島徹、藤岡忠。この3人の天才が絡んで生まれたパソコン移植版ゼビウス誕生秘話です。

ゼビウススペースインベーダーギャラクシアンがそうであったようにパソコンへの移植が期待されていました。しかし、ゼビウス用に設計された基板はCPUを3つも利用しているため当時のパソコンに比べて非常に性能が高く、移植は不可能であると当時の記事でも喧伝されていました。ところがゼビウスの発売から10ヶ月足らずしか経っていない1983年12月、誰もがゼビウスが稼働することすら夢に思わなかったであろうパソコン「PC-6001」で動かせる移植版ゼビウス第1号が発売されたのでした。その「タイニーゼビウス」をプログラムした松島徹は当時、中学生でした。不可能と思われていた移植を可能にしたのは天才ならではの大胆な発想の転換があったからでした。それは「画面の解像度を高くしていって綺麗にしていく」のではなく、「画面の解像度を犠牲にしても処理スピードを確保する」というものでした。しかし、思い切って画面の解像度を低くしたことは他にもメリットを生みました。それはキャラクタのデータも少量で済み、一度の読み込みですべてを読み込めるようになったことでした。これはとても重要なことです。なぜなら当時のプログラムが収録されるような標準デバイスはテープが多かったからです。

松島は自ら作成したタイニーゼビウスのプログラムをマイコンベーシックマガジンのメインコンテンツである「プログラムコーナー」へ投稿しました。これを製品化まで持って行ったのは電波新聞社の藤岡忠でした。通称「なにわ」と言えば膝を叩く方も多いでしょう。元々、藤岡は高校生時代に同級生と「ラシャーヌソフト」を興して電波新聞社へ卸していました。これが丁度、電波新聞社ナムコのライセンスを取り、ラシャーヌソフトへ委託したタイミングでした。ラシャーヌソフトで2本程度の移植を行った後、大阪で小さい企業をやっていても成功するか判らないこともあって電波新聞社へ入社したのでした。既に電波新聞社ナムコとの行き来が多かった藤岡は、投稿されたプログラムをナムコへ持ち込み、遠藤雅伸にチェックをお願いしました。遠藤から帰ってきた答えは「こんなソフトにゼビウスの名前は与えられない」という手厳しいものでした。しかし、それは「マップがまったく違う」「パックマンが出現してしまう」など2次的創作品に見られる自己満足的な面が目についたからでした。しかし、それでも藤岡はめげず、自宅で作業している松島へナムコの指摘点をフィードバックし、それを修正、郵送してもらい、そのプログラムの修正版をナムコへ持ち込み、更に修正を重ねていきました。時には電波新聞社の開発室へ泊まりがけで来てもらい、デバッグをしてもらうこともあったそうです。もちろん、松島が中学生だったこともあり、父親が保護者として同伴していました。2 〜 3ヶ月ほど繰り返し粘りましたがなかなか許諾は得られませんでした。そこで藤岡は「ゼビウスはダメなら『タイニー』ではどうでしょう?」と提案を行うことにしました。ナムコ側も藤岡の熱意に根負けし、最終的にはOKを出しました。「このままお蔵入りさせてしまうのも惜しい作品だった」と後に遠藤は語っています。こうして「タイニーゼビウス」は無事、発売されたのでした。

タイニーゼビウスの翌年、藤岡自身もゼビウスの移植を行いました。シャープ社のパソコンテレビ「X1」で動くゼビウスです。「最初は絶対に移植は無理だ」と思って取りかかったというこのゼビウスは、電波新聞社の開発スタッフが全員ゼビウスをやり込み、「このゲームがどういうものかを頭に叩き込む」ことから始めたそうです。この時代は移植に際してオリジナルの内部資料をメーカーから提供されることがなかったためです。従って藤岡は自らプレイを行うだけでなく、マイコンベーシックマガジンで発表されたゼビウスの記事、別冊「Super Soft Magazine」で攻略記事を書いていた うる星あんずのプレイをビデオに撮り参考にしながら手探りで移植を終えたそうです。プロジェクトの開始から半年、そのような熱意を込めて完成したゼビウス遠藤雅伸にチェックしてもらいました。その時帰ってきた答えは「はっきり言ってゴミですね」という非常にショックな一言でした。藤岡は隣に基板を置きながらの移植を行ったこともあり、移植の完成度には自信を持っていました。だからなおさらショックを受けたといいます。しかし、遠藤にしてみれば当時のゲームの中でも群を抜いて綺麗だったゼビウスのグラフィック再現にばかり注力され、タイニーゼビウスで克服する努力がなされていた処理速度の問題をおろそかにしている点にガッカリしたのでした。アクションが主体のゲームはプレイヤーが細かいアクションを起こしても対応できるように処理速度を高め、プレイヤーの動きを即座に画面へ反映しなければならないものだからです。しかし、藤岡はめげませんでした。社内に働きかけ発売を1ヶ月延期、社長からも「そこまで言うならやってみろ」と後押しをもらって、更に細かい調整を行い、遂にはナムコの許諾を得ることに成功したのです。

 こうして無事に発売されたX1版ゼビウスはその熱意がプレイヤーにも伝わったのか、1984年のパソコンゲーム史上で空前の大ヒットとなりました。このゼビウスをやりたいがためにX1を購入するユーザもいたそうです。また、電波新聞社はこのゼビウスを本格的に遊んでもらえるよう、ジョイスティックの同梱発売を行ったこともX1の購入意欲をかき立てた要因となりました。以降、電波新聞社は「完全移植」を期待されるような先駆けとなっていくようになります。


参考:ナムコゲームのすべて(B5版)、みんながコレで燃えた!NEC8ビットパソコン PC-8001PC-6001


ナムコゲームのすべて (SUPER Soft BOOKS)

ナムコゲームのすべて (SUPER Soft BOOKS)

tatsntatsn 2009/01/17 09:31 興味深く読ませていただきました。
最後の
>以降、電波新聞社は「完全移植」を期待されるような先駆けとなっていくようになります。
と書いてあるとおり、セガのアフターバーナー2のX68000版も電波新聞社からの販売だった記憶があります。
それよりもいつも思うのは、
今の時代はインターネットもあるしプログラムに関しての参考書がいろいろ出ているが、
このころののプログラマはどのようにして勉強していたのだろうか?

いまだブラックボックスです。

replicornreplicorn 2009/01/17 11:23 メガドライブもそうでしたね。サターンも「ゲームのるつぼ」を興した なにわ氏を中心に移植をしています。

昔のプログラマはBASICの入門書を読んでプログラムをマスターした後、速度面の限界からアセンブラを独学で勉強するのが王道でした。また、当時の雑誌にはプログラムリストが掲載されていることが多く、それを自分で打ち込んで遊び、改造して遊び、を繰り返して憶えていった人もいます。

名無子名無子 2009/01/17 14:41 > セガのアフターバーナー2のX68000版も電波新聞社からの販売だった記憶があります。
コイツ、何言ってるんだ?
そこはドラスピ、源平、それにボスコニアンだろうが。

FALFAL 2009/01/17 15:13 当時のマイコン小僧の域を出なかった私も懐かしいです。

当時は、雑誌のコードを打って実行し、少しずつ改造しながら遊ぶのが普通でしたから。
この世代の人たちは皆、他人のコードを読むと言うことを普通に身に付けられたと思います。今の世代は、インターネットからコピペでデバッガで基本的なバグを洗ってくれると言う、当時から考えれば楽な時代と思いますが、逆にコードを読む能力は、最終的な動きからロジックを考える能力は逆に退化しているかも・・・

ふにふに 2009/01/17 18:32 ハンドコンパイル/アセンブルとハンド逆アセンブル。ですね。
コンピュータ専門誌が毎月4〜5冊は出ていましたから、まとめて体系だてて理解するには
当時のほうがよかったかもしれません

replicornreplicorn 2009/01/18 00:31 ↑*3
ちなみに、ドラスピ=なにわ、源平=とんべ、ボスコニアン=松島、だったと思います。

↑*2
昔は投稿者同士でプログラムから技術を吸収するのが当たり前だったような気がします。実現されたプログラムからアルゴリズムを予想して再現するという能力がある人も多かったと思います。


今はネットからコードごとコピペですから、コンピュータ雑誌も辛いところでしょうね。

evezooevezoo 2009/01/19 10:44  この記事読んで、遠藤ってヤツは最低な鬼畜だな!と思いました(笑)

 とまぁ冗談はさておき、6001版が持ち込まれた時は遠藤も驚きました。80ならわかりますが60で作ったとは…で、残念だったのはこれが2次創作特有の自己満足的な甘さを持っていたところです。マップの構成とかが違う部分、なぜかパックマンが登場する部分など、好きな作品をアレンジするのは結構ですが、個人で楽しむレベルで許されることが、全ての同作品ファンのコンセンサスが取れた認識と一致するとは限りません。でも、お蔵入りさせるには惜しい作品だったので「タイニー」になったわけです。

evezooevezoo 2009/01/19 11:01  次に「はっきり言ってゴミ」だったプロトタイプですが、ゲームの本質の理解が誤っていたと思います。当時のゼビウスは「グラフィックが綺麗」という評価を持っていたのですが、そのグラフィックを再現することに主眼が置かれていて、前述のタイニーでは克服努力がなされていた、処理時間に関するデキが不十分だったのです。
 アクションゲームにおいて操作性は非常に重要な要素で、そこに大きく関わってくるのが実はフレームレートです。画面写真が綺麗なら、ゲームのセールスは伸びる傾向にあります。しかし、そのためにフレームレートを下げてしまうと、操作性は著しく低下するのが今でも通じる常識です。
 当時PCソフトを作っていた人たちの多くは、アクションゲームが要求する処理時間の管理についての認識が甘く「右にレバーを入れたら右に動く」という仕様の中には、「1/60秒以内に」が省略されている、というアーケードゲームの常識が通用しませんでした。ゆえに「どこが悪いんだかわからない」的な行き違いが生じたりしています。
 結果的に発売されたソフトは、ある程度満足できるものになっていると思います。さもなければ、大ヒットしなかったわけで…。

replicornreplicorn 2009/01/19 20:49  邪神自らコメントありがとうございます。いつか機会を狙って突撃取材を掛けるつもりでいましたが不意を突かれました。移植版に関しては遠藤さん側からのインタビューというものがまず存在しない、あってもファミコン版くらいでしょうか。そのため必要な情報が片寄っていると思っています。私も現状はそれをそのまま編纂するしかありません。だから引用された言葉だけを見た読者が「遠藤=鬼畜」と勘違いしてしまっているとしたら私の責任です。すいません。

 コメントの中で「パックマンが始めから入っていた」という部分にビックリしました。私はずっと「タイニーだから」オマケで入れて誤魔化していたのだと長年思っていました。ベーマガでも「パックマンが出てくるぞ!」みたいに紹介していたことが原因かもしれません。パックマンという記号はナムコを知っている人には受けても、タイニーゼビウスからその世界に入った人に対しては機械的なキャラクタに混じっている のほほんとしたキャラクタが存在する理由が判らない、と分析します。タイニーとは言え、ゼビウスの世界を壊しているだけなんですね。なぜならゼビウスのすべてのキャラクタには存在理由が設定されているからではないでしょうか。

 X1版への発言についてはその意味がよくわかりました。1作品目のタイニーゼビウスでできていたものが、形に捉われるばっかりに2作品目ではそれ以下になってしまったから「ゴミ」というわけですね。タイニーゼビウスを見たときほど「凄い」とは思わなかったのではないでしょうね。その言葉が正しいことを証明するのがファミコン版ゼビウスの人気だと思います。アンドアジェネシスが来るとハードの制約でスクロールが止まってしまいますが、アンドアジェネシスは出現してからしばらく画面上に留まるため背景を除けば位置関係は同じでありますね。ただ、倒し損ねると画面下に流れて行ってしまうのでそこがミスと言えばミス、越えられない限界だったのかな、とコメントをいただいて思いました。

 フレームレートに関する言及も良く判ります。私もプレイヤーが右だと思って入力したら、画面上のキャラクタは既に右に移動していなければならないと思っています。仕事で使うVBを憶えるためにシューティングゲームを作りましたが、VBでの人気作品の影響でみんな25 〜 40fpsで作成していました。ゲーセンで育った私は当然びっくりしました。避けたつもりで入力したのに自機が動いていない。しかし、みんなそういう作品に満足していました。そこで画面自体を小さくして画面モードの解像度を下げることで大きく表示して60fpsを保つ努力をしましたが、いかんせんクソゲーでした・・・orz

nanasinanasi 2009/01/20 10:40 そこでAC版のスーパーゼビウスの事を聞いてみたいなww
あれは特別なのか?

nnsnns 2009/01/20 22:10 このエントリ内容、アスキーから出た「みんながコレで燃えたPC-8001・PC-6001」の中の
藤岡氏へのインタビュー記事とほぼ同じですね。
電波ゼビウス絡みのいきさつを知らない人もいるでしょうから、紹介するくらいは
良いとしても、出典は明記すべきではないでしょうか。
それともreplicornさんがインタビューなさったのですか?

それから 松島氏のタイニーゼビウスについて、
>「画面の解像度を犠牲にしても処理スピードを確保する」
という記述がありますが、あれより上の解像度は256*192(ただし白黒)しかありません。
事実上128*192*4色の、あの解像度でしか6001でゼビウスはありえないのです。
速度の問題で解像度を犠牲にしたというのは事実誤認ではないでしょうか。

また、コメント欄にて「るつぼ」を興したのが藤岡氏と書かれていますが、これは確かでしょうか。
Wikipediaの該当項目にも無いのでソースがあれば知りたいです。

replicornreplicorn 2009/01/21 02:09 ↑*2
もう少し具体的に質問してみては?


ご指摘ありがとう。出典を明記して回答とします。るつぼ設立メンバに関しては私の記憶違いかもしれません。ここで訂正します。

なお、Wikipediaについては出典の明記がなされてないようなスタブ項目は有用なソースだとは思えません。「ゲームのるつぼ」「タイニーゼビウス」の項目が正にそうですね。タイニーゼビウスに関しては発売年月も間違っています。あまりWikipediaを鵜呑みにされないほうが良いと思います。

七誌七誌 2009/01/21 15:45 nnsさん

タイニーゼビウスは 128x96 の解像度で表示されています。
PC-6001 の BASIC でサポートされている解像度にこのモードはありませんが、アトリビュートを設定することでこのモードを使用することができ、市販ソフトでは、私が知っている限りではシステムソフトのチョップリフターがこのモードを使用していました。
で、タイニーゼビウスですが、実際はこのモードを使用しておらず、一旦 128x96 の解像度でイメージバッファにレンダリングしたものを再度 128x192 の解像度で同一のラインを二度書きする方法で VRAM にレンダリングしなおしています。
昔解析していてなんでこのような面倒なことをするのか不思議に思ったのですが、恐らくは製作当初は 128x96 の画面モードで作り始めたものの、タイニーゼビウス製作中に発売された PC-6001mkII でこのモードが使用できなくなったので、少々無理やりな方法を取ったのではないかな? と思った記憶があります。

んが〜たんが〜た 2009/01/21 22:44 「基盤」ではなく、「基板」ですよ。

名無し名無し 2009/01/22 11:55 nns氏は、はてなIDがno-norm-systemsな人と同一人物?

replicornreplicorn 2009/01/22 22:34 ↑*3
自ら解析されているんですね。細かい挙動について知る人は貴重です。私も無限に時間があれば解析したいところですが、残念ながら既存の情報を集めるので精一杯です。

↑*2
ありがとう。直しておきます。

replicornreplicorn 2009/01/24 12:59 ↑*2
しばらく時間を置いてみましたが、まったく反応なしですね。まぁ、nanasiのnnsなのか、そのユーザなのかはともかく、少なくとも七誌さんにはお礼を言ってもいいと思います。隠しグラフィックモードがあることを知らなかったのですから。ちょっとググればわかるんですけどね。

だれかさんだれかさん 2009/02/01 11:02 興味深い書き込みがなされているので、お邪魔します。
いまやWebにもその関係した記述が失われ放散しつつある「ゲームのるつぼ有限会社」について、
こちらで混乱しているようですので勝手に補足させていただきます。
出典元はX68000で発売された『VIDEO GAME ANTHOLOGY(ビデオゲームアンソロジー)』シリーズの
「るつぼ.doc」(「げーむのるつぼ」)です。

1992年11月20日発売の『VIDEO GAME ANTHOLOGY vol.1 テラクレスタ/ムーンクレスタ』には
「しーはい」(常吉克昌)、「げんごろ」(橋本雅俊)、「SIR(さぁくん)」(向頭真一郎)の3人のコメントが書かれています。
次回作となった1993年1月29日発売の
『VIDEO GAME ANTHOLOGY vol.2 ATOMIC RUNNER CHELNOV チェルノブ -戦う人間発電所-』には
「松島徹」、「SIR(さぁくん) as 向頭真一郎」、「しーはい」、「K.Hayashi」、「K.Yamamoto(じょにたん)」、「謎のM」、
「naz」、「げんごろ(橋本雅俊)」のコメントが寄せられています。

1994年2月25日発売の『VIDEO GAME ANTHOLOGY vol.8 エキサイティング・アワー/出世大相撲』には

>松島徹 毒味役から炭坑のカナリヤへ転落。フリー歴9年の仙人級フリープログラマ。

という記述があり、
1994年4月28日発売の『VIDEO GAME ANTHOLOGY vol.9 アルゴスの戦士』には

>松島徹 アンフリープログラマー3。チーム専属お毒味役。

とありました。

ゲームのるつぼ有限会社の設立は1994年春頃とされていますので、
「フリープログラマ」から「アンフリープログラマー」という記述の遍歴がそれを意味していると思われます。

結論としては、
ゲームのるつぼの設立に参画されたのは藤岡忠氏ではなくて、松島徹氏であり、
その話がごっちゃになって勘違いされたのだと思いますが、いかがでしょうか?

replicornreplicorn 2009/02/01 11:44 調査をしてコメントいただき、痛み入ります。

私自身、X68000(初代)を手放して久しく、ご指摘の通り記憶が混同していることは考えられますね。上のほうで「ソースを出せ」と言われた時に「どこかで読んだような気がする」としか答えられませんでした。しかし、これでハッキリしましたので改めて訂正させていただきます。ありがとうございました。

会社の設立日に関しては、登記簿を当たればハッキリするような気もしますから、機会があれば調査してみたいと考えています。

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