近況報告

前回の投稿から5年という歳月が流れましたが、その間にもコメントやスターをいただきありがとうございます。いくつかのコメントは承認し、返信させていただいています。

あれから紆余曲折あり、最近はnote(https://note.mu/replicorn)という媒体へマガジン『シューティングゲームの歴史』を転記しているところです。以前より深く調査をするか、実際は決めかねていますが無料マガジンとして読める状態にしてあります。

同じくnoteに掲載しているマガジン『Cディレクティブ入門』は有料です。手軽に読めるようKindle版も上梓しました(いずれも税込み756円)。一般的なのC入門書では5頁程度しか書かれないディレクティブを深掘りし、370ページほどにまとめました。

入門書の次の副読本という位置づけですが、型総称マクロの実装や不足していると考えている前処理演算子の提案など、読み物として楽しんでいただけるのではないかと思いますので、興味を持たれたらぜひお買い求めください(先日、Kindle総合15,000位圏内、プログラミングカテゴリ125位になりました)。

Cは深掘り系の本も面白そうなものがありますね。先日知った『ハロー“Hello, World” OSと標準ライブラリのシゴトとしくみ』は少し読ませていただきましたが、「そうそう。やった、やったなぁ」という感じで面白かったです。

このブログをどうするか決めかねていましたが、コメントなどをいただけることがあるとわかったので、残しておこうと思います。

サイトをクローズしました。

「spitfire!」を閉鎖しました。

実はwikiシステムを利用して少しずつ移行させていました。構成を変更しながら加筆し、イラストなどもちょっと色をつけ直したりして。

しかしながら、当時とは赴きがどうしても変わってしまうことは否めず、自分の文章を読んでもしっくり来ない。書き直してもダメでした。「鉄は熱いうちに打て」と表現されるように、「そのときだからできること」というのは、そういう意味では大事ですね。

鉄を打っていると色々な人が集まります。地金に風を送ってくれる人、冷や水を掛ける人がいるのはWeb界隈では常識です。

風を送ってくれた人からは、調査に際し、色々な形で情報提供をしていただき、ありがたかったです。冷や水を掛けてくれる人は、まぁ、どうでもいいです。時間を書けて調査をして行われるマトモな批評だったら調査のプラスになったと思います。

このブログを今後どのような形にするのか、ノーアイディアです。ブログから離れて数年経ちますし、このままさらに数年放置かもしれません。

ゲームグラフィックTV

ニコニコ動画で「ゲームグラフィックTV」というものが第100回を迎えてニュースになっているようですね。拝見させていただいたんですけれど、非常に作りこまれていて好感が持てます。

見ていて思ったのがやはり映像と音声で伝えるほうが求心力があるな、と思うのでインターネット時代に沿うような形態だなぁ、と感じました。

この動画、次回の予定は「シューティングゲームの歴史」なんだそうですが、第100回でもこのサイトの画像を使われまくりでしたから、うちのサイトもかなり参考にしていただけている、というかうちのサイトがほとんどそのままかもしれません。

そうであれば、参考サイトくらいには挙げるなりして欲しいですねぇ。10分くらいの映像ではここの書かれているシューティングゲームの歴史のほとんどは伝えきれないはずですし、よりシューティングゲームについて知りたいと思う人を誘導して欲しいな、という気持ちです。

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

昨年は時間があれば方々の図書館や古書店などに通い詰めて史料となりそうなものを探していましたが、これといって良いというものはあまり見つかりませんでした。それでも何冊かコピーを取ったり、古書を買ったりとしていましたが、主要なゲームの説明に留まっているものが多く、また、間違った情報をそのまま記述しているものも散見できました。

文章を起こすのは短時間でできますが、やはり史料を集めることがネックとなって更新ペースを上げることはできません。また、暇と金にも限度があり、なかなか進んでいきませんから気長に更新していく予定でいます。

金に関しては昨年アフィリエイトで1000円程度いただきました。ありがとうございます。すべて史料集めに充てさせてもらいました。参考文献で気になるものがあれば、是非アフィリエイトリンクで購入お願いします。調査の足しになります。

コメント欄に関してはスパム対策のためしばらく前から管理者の承認公開方式へ変更してあります。

Solar Falconの開発は6面の途中までやっていましたが現在は行っていません。開発途上版であるにも関わらず、本来完成してから行うべき難易度調整へのクレームが多く、また、私が作りたいとしてる目標に対して、「グラディウスはかくあるべき」というマニアが多く辟易したためです。今の時代は開発IDEもタダ、プログラムの作り方はググれば見つけることができますので、X68000ユーザ達が掲げる「なければ作る」を胸に頑張って欲しいところです。

当面はSTGの歴史の構成をもう一度見直そうと思っています。以上、雑多な感じに文章を羅列してみましたが、気長にお付き合いください。

Wikipedia記事の質の低さ

先日書いた日記のキーワード繋がりで[id:zames_maki:20091009]のエントリを見かけました。STGの歴史を執筆していくに当たってMSXは避けて通れないのでいずれは突き当たるところでもあり、取り上げることにしました。このエントリではWikipedia:西和彦の編集を通して、Wikipedia運営側の問題点を鋭く指摘しています。実際、炎上したノートを見てみると呆れてしまいましたが、「Googleで調べれば自明」などWikipediaの方針を自分の都合の良いように解釈して押し付けている印象が否めません。まとめサイトだってもっとマトモな編集をしているでしょう。

ノートの経緯は上記エントリで解ったので、本文の履歴を遡って読んでみたらビックリしました。白紙化されて暴れるような分量じゃない! まともな文献を1冊当たればもっと分量は書けるでしょう。西氏くらいの人であれば10冊くらい文献を当たれば相当な量の文章が書けるはずです。適当に地元の図書館で本を借りて執筆するくらいの労を省いてはいけません。

この項目はWikipediaにありがちな「継ぎ接ぎに次ぐ継ぎ接ぎ」になっています。全体として体裁が整っていない状態です。「ありがち」になっている時点でWikipedia全体のレベルが推し量れてしまうところが悲しいところです。秀逸な記事を書くような人を除けば、一般的な記事を書く人はこのくらいのレベルだと思っても間違いないでしょう。

さて、手近にある文献で西氏の経歴が書かれたものを1冊取り出してみました。西氏がひとりのウィキペディアンに対して返信したメール(ノート内に引用されている)で指摘しているように間違いだらけでまったく正確ではありません。例えば、適当に同項目(2006年4月16日 (日) 13:45(日本時間)版)から引用すると「マイクロソフトに国際電話を入れ、たまたま電話に出たビル・ゲイツ」となっているけれども、文献を要約すると「ソフトウェア事業の立ち上げようと思い、マイクロソフト社に国際電話を掛けた。そして、社長が誰であるかを尋ね、取り次いでもらった」となっています。全然違いますね。

また、代理店契約を「要求」と書いてあるけれど「交渉」でしょうか。こういうところでもWikipediaの質の程度が知れてしまいます。この件に関しても再び文献をみると、この代理店契約交渉の際に契約条件が課されたそうで、条件をクリアするまではひとまず仮の代理店という扱いになったと記されています。そして、この条件をクリアする過程でNECのパソコンへMS-BASICが組み込まれるようになった、とあります。ここまで検証しただけで「全くのデタラメ」と言われても仕方がない状況になってしまいました。

Wikipediaはある程度の人がまず参照する媒体であることから書きたがる人が増えていますが、今回暴れた人はそういう輩でしょう。Wikipediaがどういうものか、周りからどのようなものとして見られているか、そういう点を自覚して執筆に当たらないとこのように迷惑を被る人が後を絶たない状況となります。結果、Wikipedia自体の信頼を地に落としかねません。

独自研究の好例

Wikipedia関連の記事を書いたのでそこら辺をネタにしようと思います。非常に良い独自研究の例としてwikipedia:スターフォースがありました。この中でクレオパトラの出現を示唆するヒエログリフの記載があり、こうなっています。

ヒエログリフはいずれもアルファベットを意味し、1行目はクレオパトラ、2行目は輝く 喜び 魚、3行目は見る 黒い 大地を意味する単語があり、「クレオパトラ輝く喜びは魚が見る黒い大地」となる。実際に、100万点ボーナスが隠されている場所も黒い大地で、魚のモチーフの視線の先である。

Wikipedia 「スターフォース」 2009年4月23日 (木) 23:34版より引用(日本時間)

まず「魚」という単語自体が存在しないことが明白ですが、「アルファベットを意味する」「アルファベットに対応する」というところからして間違っています。その後、解釈をした部分も「クレオパトラの輝きは魚が見つめる黒い大地に現れる」「クレオパトラの輝きは黒い大地に現れる」と修正されていきましたが、この解読結果はどこかに発表されたものではなく、執筆者の解釈です。つまり独自研究に値するため削除されても文句は言えません。

Wikipediaの理念を理解しているならば、ベーマガなどで発表された解釈「クレオパトラ、喜びが輝き、黒い土地を見る」を出典付きで記載します。ただし、ここで注意が必要なのは「これは完全な解釈ではないかもしれない」という文献の内容に対する解釈を記述してはいけないという点です。これも執筆者がそう思っているだけで、検証可能性は全くなく、単なる独自研究となってしまうからです。


ちなみに、ヒエログリフ解読については私も以前やりましたが、これをWikipediaに執筆しても独自研究です。

Wikipediaの質を上げる方法を考える

結構前にこんなエントリを書きましたが、実際にWikipediaの質を上げることを考えてみると一番良い方法は手持ちの文献をもとにして現在ある文章をクリンナップするということです。元々からしWikipediaは「知らされたこと」を書くようなシステムになっているのでこれは最低限やらなければいけないことと言えるでしょう。同時に誰かが検証できるように文末にはその文献を挙げることが重要です。

「知の集合」とは知識を集めることが可能な場所とも考えられます。ひとりの人間が多くの文献を蒐集するのは場所や時間、それから金銭的にも限界が出てきますが、世界に散らばる人が手持ちの文献を持ち寄れば少ない情報が集まって大きな情報となります。塵も積もればなんとやら、というわけです。逆に検証というプロセスもしかり。

特定の分野に興味を抱く人はまったく別の分野に興味を抱かないこともままありますが、何かの本を読んだときに丸で別の分野のことについて言及されることがあるということはよくあることです。それがたった数行でも意味を持つ場合もありえます。そうなってくると質的に文献蒐集というのは限界が出てくる訳です。またもやスペースインベーダーのケースに挙げますが、「孫正義がインベーダーで儲けた」というのはゲーム系の本を読んでいるだけではまず見かけることがありません。少なくとも私はゲーム系以外の本で見つけた記述でした。

面白いことに「孫正義がインベーダーで儲けた」ということは一旦加筆された形跡があります。しかし、文献を挙げないために削除されていました。どこかで聞きかじったか、単にWeb検索して知ったことを書いてしまったのでしょう。繰り返しになりますが、Wikipediaまとめサイトではありません。しかし、ここにWikipediaの質を挙げる方法がひとつ見えています。それは「自分の書棚に良き文献をがない人は敢えて参加しないというスタンスを採ることが肝要である」ということです。どんなに記憶力に自負があったとしても憶えていることを書いてはいけません。記憶というのは非常に曖昧なものですし、特に「どこで情報を得たか」ということはどんどん欠落していくものなので、そのような自負を抱いても結局は過信以外の何ものでもないことをいつか痛感するでしょう。

調べ物が好きな人ならば図書館に入り浸たって文献を漁ることくらいは苦ではないと思いますが、そんな酔狂なことをやってまでWikipediaに参加する意味はほとんどないでしょう。Wikipediaの執筆が人生最大の趣味というのであれば止めたりはしませんが、Wikipediaがそれを常に望んではいるとは思えませんし、本格的に調べ物をするくらいの技量があるなら自分でサイトを起こして系統だった情報を発信したり、専門誌に寄稿したほうがモチベーションは上がるでしょう。なぜなら、Wikipediaの記事になってしまえば、あなたが書いた文章はコミットボタンを押した瞬間にあなたの手から離れてしまうのですから。

つづく・・・かも?