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reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-09-05

愚かさは罪なのか

今日「話題の記事」に上がっていた

システムが無くなった日

というエントリを読んで、思うところがあったので書きます。


このエントリの結論は、

「一人の工場長の愚かな判断が、多くの人を過労死させ、自殺に追い込み、システムそのものをも失わせた。たった一人の判断が、このような悲劇を生むこともあるのだ」

というものでした。


この結論には同意します。


しかし、私は「愚かな側」に立ち、状況を何ら改善することができなかった過去があるため、複雑な心境になりました。


少し迂回して、書かせていただきます。


人はどんな時に残虐になれるか

アイヒマン実験」という、人はどういうときに屈従するのかについて行われた実験があります。

服従の心理

服従の心理


人は、

「自分は役割に従っているだけ」

「自分は大義の道具に過ぎない」

と思うと、どんな過激なことでも出来る

、ということが、ここから導きだされる一つの結論でした。


アイヒマン実験」の名前の由来は、ナチスドイツユダヤ人大量虐殺の指揮を取ったルドルフ=アイヒマンという人物から来ています。


彼は、実直に任務をこなす、生真面目な性格の人間でした。


第二次大戦後、行われた軍事裁判で、彼が出廷したとき、多くの人はみな驚きました。

悪魔のような人間を予想していたのに、まったくそうではない、線の細い官僚が出てきたからです。


彼の妻は、「家庭では良き夫だった」と証言しています。


しかし彼は数百万のユダヤ人虐殺しました。

そのことを、かれは理解していました。

そして、虐殺によって快楽よりも苦痛を感じていました。


彼ははっきりと、自分たちの行為が犠牲者に屈辱と苦痛と死を与えていることを自覚していました。


しかし彼は、こう考えてその窮状を抜け出しました。

「自分は人びとに対してなんと恐ろしいことをしてしまったのか!」と言う代わりに、殺害者たちはこう言うことができたのだ−自分は職務遂行の過程でなんとういう恐ろしいことを見なければならなかったことか。その任務はなんと重く私にのしかかってきたことか。

(「エルサレムアイヒマン」ハンナ・アーレント


自分たちの行為は汚く、呪われた仕事だ。

しかし、だからこそ誰かがやらねばならないのだ。


国家のために。

教義のために。


私は国家の道具に過ぎない。


むしろ苦しいのは私の方だ。

任務遂行のために、手を汚し、人びとの苦痛に歪んだ顔を見なければならず、罪を重ねなければならなかったのだから。

とてもとてもつらいことだったのだ。


これは現代の原理主義にも当てはまる考え方です。

「神が認めたのだから、私の行為は全て正しいのだ」と考えて、テロは行われます。


もしくは複合的に、

「神の認めた行為だから、正しいのだ、どんなに残虐で、無残で、恐ろしい行為であっても。

そして、私は神の僕なのだから、正しいことを行うのだ。つらく、苦しくとも。」

と。


これはむしろ、戦前の日本の考え方に通じるものかもしれません。


全体主義原理主義はとても相性が良いのです。


人が最もサディスティックに振舞うとき

ルドフル=アイヒマンの行為が、また、アイヒマン実験がしめしているように、人は「誰かから命令されたから」「正しいことをするためだから」「私はその道具に過ぎず、むしろ苦痛を受けているのは私なのだ」と考えることで、残虐な行為を行うこともできます。


これは、サディスティックな行為に当てはまるものです。


サディストは、あらゆる自由が許されている環境では、サディスティックには振る舞えません

彼の心にインストールされている「倫理」が、それを押しとどめるからです。


サディストがもっともサディスティックな行為を行えるのは、「私以外の誰かのために行動する」ときです。

誰かの教え、誰かの言葉、誰かの教義などのために、「しょうがなく」行動するとき、人は自分の持っているサディスティックな創造性を存分に発揮します。

サディストはその行為に吐き気を覚えながら、「しかたなく」それを行ないます

重要なのは、サディストは、その行為が通常の社会では「禁止」されていることを十分に理解していることです。


サディズムの快楽の根源は、「禁止されていることをする」ことなのです。


サディズムの例として、内藤朝雄さんは、第二次世界大戦中の日本についての新聞投書をひいています。

「昨日までニコニコしていたおじさんが、防火訓練だと言って、体の弱い母になんども水を汲みに行かせ、母はそれが元で亡くなった。割と良い暮らしをしていた私たちにターゲットが向いたようだ」

いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体

いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体

「おじさん」も、加害者と同時に被害者であり、自らのサディスティックな欲望を存分に発揮したのでしょう。


たった一人の暴走を止められない組織

システムが無くなった日」というエントリを読んで、わたしが思ったのは、「たった一人の愚かな判断が、なぜ組織そのものを壊したのか」ということでした。


  • 工場長の愚かな判断を止める人間がいなかったのか?
  • 工場長の愚かな判断を実行に移さない人間がいなかったのか?
  • だれかがそのとおり実行したからこそ、愚かな行為は進んでいったのではないのか?
  • 経営判断だから、口出しはできなかったのか?

そして、こういう事もできるでしょう。

「まるでアイヒマン実験のようではないか」

と。


現場の人間の責任も問われるべきではないか、と。

止められる場面はあったのではないか、と。


しかし、たぶん無理だったのでしょう。

現場の人間は、「システムの道具」だったのでしょう。


ひとりひとりはそのことに違和感を覚え、また、工場長の決定に不安を感じながらも、「仕事」を行わざるを得なかったのでしょう。


愚かな判断が、多くの人命を奪い、また希望を失わせ、心と体に深い傷を負わせた。


その判断の具体的執行者である従業員たちは、同時に被害者でした。

だから、その苦痛を知っていました。


その間、「暗黙的なサボタージュ」などの抵抗があったのかもしれません。


けれど、結果だけ見れば、アイヒマン裁判に照らせば、

「彼らにも罪があり、償わせるべきだ」

という意見が出てきてもおかしくはない。


弱い人間は罪人なのか?

でも、人間ってそんなに強いものなのでしょうか?


組織がどうしようも無い方向に暴走していくときに、「反対」を唱えて猪突猛進に進む人もいるでしょう。

この人の抵抗は英雄的かもしれませんが、この工場では単に失職を意味するでしょうし、それでは本人の倫理が守られるだけになります。


また、語られていませんが、先に述べたように、こういう状況で、最高にサディスティックな欲望を吐き出した人もいたのでしょう

他の人達は、その人たちに殺されないだけで精一杯だったのかもしれません。


「組織の愚かな暴走を止めるようにうまく介入するのが、頭を使うってことだろう。首の上のものは飾りかい?」と言われるかもしれません。


うまく立ち回れなかった人は、ある人は被害者になり、ある人は加害者になったのでしょう。

もしくは、どちらも体験したのでしょう。


この人達は、「裁かれる」べきでしょうか?


私も愚かな罪人です

私がこんなことをいうのは、糾弾できる立場になどいないからです。


以前こういうエントリを書きました。


これ、実際に書いたのは2009年の初頭なんですが、いろいろびびって消しました

でも復活させました。


このエントリに書いたとおり、わたしもまた罪人ですし、罪を重ねるにつれて、どんどんと感覚が鈍ってきました。


会社の掲げる理念と、具体的な現実とのギャップを埋めることができず、どうしようもなくなりました。


わたしたちも、「裁かれる」のでしょうか?

どんな組織でも、理念と現実のギャップがあるようです。


ある人は、それを「仕事のことだから」と整理して、仕事と私生活を分けて考えているようです。


すごく少ない人は、職場そのものを変えてしまいます。


頭の良い人は、自分の見える範囲内での、ゆるやかな秩序を保とうと、臨機応変に立ち回ります。


そして多くの人は、ワケも分からないままに仕事漬けになります。

まるで子どものような反逆をし、現状を変えないまま。


私のように。


私は会社にいるとき、根回しとか、広く浅く人間関係を築くことが苦手でした。

そのため、職場内で大きな決定を、それも誤った決定をしたとき、抵抗することができませんでした。

数は力です。数を集められない自分は無力でした。


ワケも分からないままに「仕事」をし、その「仕事」が同僚や関係業者を苦しめ、結局納品に間に合わずお客さんにも迷惑を掛けるとき、わたしたちは

「裁かれる」

のでしょうか。


愚かだという罪で。


私にはよくわかりません。


私は愚かです。無力です。だから罪深い。それは感じています。


みなさんはどう思いますか?


関連:

アビゲイルアビゲイル 2010/09/05 08:35 無力は結果であって、原因であってはならない。誰かが暴走しようとして、それを止めようとして、止められなかったのは罪ではないが、止めようとしなかったのは罪だ。

通りすがり通りすがり 2010/09/05 09:44 必要にして十分なコメントが最初に来て
このコメント欄、終了

fu7mu4fu7mu4 2010/09/05 11:41 http://semiprivate.cool.ne.jp/blog/archives/000366.html

charlestonbluecharlestonblue 2010/09/05 12:05 仕事を勝手に進めるのではなく、上司と相談して進めることをやっていないと思う。特に、苦手な上司であれば、なおさらのこと。コミュニケーションが大事。

タコタコ 2010/09/05 12:21 見ていて学校のいじめを連想していました。
ここはこういう場なんだ、それはしょうがないんだ、それに適当しなきゃ自分がやられる。
悪いのは自分ではなく、システム或いはそれを作った人間、みたいな。

夜 2010/09/05 12:41 自分が従うと決めたのなら、その決断の責任を持ってください。
言い訳するなら従うな。
従ったなら言い訳するな。
あなたが決めたんだから、罪悪感があるなら引き受ければ。
と思います。

世の中に良くも悪くも大きな流れがあるならそれを仕掛けたのも人間なのだし、直接文句言って小さな流れでも作ろうという行動もないのに、あとでぐちぐち言い訳するのは違うかと。

ruso17ruso17 2010/09/05 12:41 「しかたなく」という感情は本当にしかたないのか? もしかしたらただの幻想なんじゃないのか? 止めようとするのに勇気もいるけど、まず、幻想を打ちやぶらないと、止める対象すら見つからないし。 幻想だとわかってんなら、止めなくても自殺には至らない。

PSVPSV 2010/09/05 13:02 安全配慮義務違反というものがありましてね・・・。
http://news.google.co.jp/news/search?pz=1&cf=all&ned=jp&hl=ja&q=%22%E5%AE%89%E5%85%A8%E9%85%8D%E6%85%AE%E7%BE%A9%E5%8B%99%22

苺 2010/09/05 13:18 おろかな者が人の上に立つ事は罪だと思いますね…。

shingotadashingotada 2010/09/05 13:50 止めなければ罪というのも強引な気がします。。。
それよりもその状況から離脱する勇気が大事なんじゃないかなーと思います。

自分が離脱すれば一時的にかもしれないけど、それより下の人達に波及しなくなるし。

踏み込んで言えば、離脱しても他のとこで十分食っていけるぐらいのコミュ力と技術力をつけろということかも。

通りすがり通りすがり 2010/09/05 14:13 ゼークトという人が言うには、勤勉で愚かな人間は組織を崩壊させるので、銃殺するしかないそうです。罪という人間が勝手につくった概念で論じるから、結論が難しくなるのです。考えるべきは、集団にとって、その特性が役に立つかどうかです。残念ながら、愚かという特性は役に立ちません。それが事実です。

AIAI 2010/09/05 16:32 愚かな人間は裁かれるべきだが、あなたが裁かれる義務はない。上司があなたを手足のように使ったのだから、それは上司がやったことと同義である。なので裁かれて獄炎の炎に焼かれるべきは上司である。

reponrepon 2010/09/05 18:18 コメントありがとうございます。

長文になってしまったことと、私の体験が結構古い(10年くらい前の話)なので、古い愚痴みたいになってしまってすみません。

ただ、同じような気持ちになったり、状況に置かれている方がいたら、何か参考になるかと思いましたので書きました。


賢い人は、多分こうはならないし、もっと賢明な人は、こういう状況を鎮火し、こういう事態がなるべく起きないようにするのでしょうね。

もしくは、上手に逃げて、それからどうにかするのでしょうね。

   2010/09/06 00:06 例えが大げさ

たけろうたけろう 2010/09/06 05:28 そりゃ愚かさは罪でしょ。少なくとも自分が愚かであるということと、更にその愚かさによって周囲の人間に迷惑をかけていることについて自覚があるならね。愚かですがなにか?弱者ですがなにか?これは開き直りだよ。

匿名匿名 2010/09/06 08:08 その方の立場によると思います。
私も、弱く上司を使いこなせないことが有りました。
「何もやらないよりはまし」という行動動機でいろいろ試みましたが、失敗の繰り返しと上司のお叱りで摩耗し、「何もしない方がまし」という考えに変わってしまいました。
ただ私は、「人に迷惑になることはするな」と親から刷り込まれていたので、連鎖は自分で止め、責任はすべて自分で被る覚悟でした。
その場合、失職は覚悟しなければならない。
その結果、「私はいつ死んでも構わない。ただし、自分の命に責任を持てない人間は、他人の人生を背負ってはならない」と考え、結婚願望などを捨てました。
ですが、これは他人を犠牲にしない代わりに自分を犠牲にするやり方です。(家族がいる場合、家族が犠牲になります)。
うまくやる方法が見つかるのであれば苦労はしません。出来なかった場合にどうするのか。本人の責任にするのか、それとも社会の責任にするのか。
私には裁けませんが、少なくともできなかったこと、諦めたことが罪であるのであればそれは私の罪だと認めます。
ただし、対処方法がわからない以上、同じ環境に放り込まれれば同じことを繰り返すでしょう。
Reponさんが苦悩されているのであれば、それを告白されるだけでもすごいと思います。
良い相談者が見つかり、解決策が見つかるといいのですが・・・。

過倫過倫 2010/09/06 09:07 @shingotada
後任がもっと酷いことをすることが判っている場合はどうなんでしょうね。自らの待避の決断が他人をさらなる苦境に追いやるわけだけど。
 
>10年前
「上司は責任を取るために存在している」なんて美辞麗句。完全に死語だよねぇ。
 
自分の身代わり(責任転嫁)の生贄を、自由に選べる存在…だものね。相手のキャパを越えた仕事量を調節すだけで、誰でも自在に潰すことができる。別の言い方では、尻尾切りとも。
 
無能な者ほど…他人にしわ寄せをするのが上手い有能な者ほど…、出世するんだから。「オレに判るわけ無いだろ」と言い張る上司が通用する組織…そんな組織でも、ちっとも淘汰されていないんだろうな。
 
だから部下の立場にある者を 断罪するコメントが多いのかな。怖い。
 
命令に逆らわなかったら罪ですか…。逆らったら罪なのが普通でしょうに。戦中の…命令に逆らえば銃殺、従えば戦犯で絞首…並の八方ふさがり。結論の変わらないパラドックス。
 
ほんと、無能な上司にとって、安泰な世論だこと。
尻尾切りを肯定する価値観に満ちているのだから。

savorysavory 2010/09/06 12:46 でも、その人が自分の良心にしたがって、それが結果的にまちがっていたら、ここに立派なことを書いている人々はみんな「謙虚になれ」「勝手な行動は許されない」「社会のルールが大事」「決まりにしたがわないのがいけない」といってその人を非難するんでしょうね。

JokerJoker 2010/09/06 15:28 「愚かな人間は消えるべき」とは実に気楽な世界観だな。

the48the48 2010/09/06 15:36 はてなの人事と関係ある話なのかな?

kaikai 2010/09/06 23:25 健康な人は自らが健康であることを意識しないように愚かな人は自らが愚かであることを意識しないし、弱者は自らが弱者であることを意識しません。そして意識しない以上そこに罪は生じないため裁かれる必要もありません。

それでも自分は愚かだ、弱者だ、罪深い、罰せられるべきだと考え裁かれたい、救済されたいと考えるのであればその罪を自らが繰り返さないように、そして他の人が行わないように情報を発信することです。

法に違反していることを証明できる材料が揃っていれば話は別なんですけど、この手の話は倫理、道徳、感情論が強いですので個人が納得できればそれでよいと思います。

あとサディストはあらゆる自由が認められていれば倫理なんて忘れて阿鼻叫喚の地獄絵図をニヤニヤしながら愉しんでいると思います。

enokienoki 2010/09/07 03:13 業者が被害者のように書かれているけれど、独自性を持たずに他の業者と同じことしか出来ずに、仕事を貰っている立場にあれば、仕方ないことではないか。自分が物を買う時のことを考えれば、同じものなら最も安い店で買うというのは自然な行動ではないだろうか。つまり弱いとしわ寄せがやってくる。業者はそんな条件では受けられないと言えばよいし、reponさんは愚かな上司の下におらずとも、さっさと転職すればいいだけの話。

reponrepon 2010/09/11 01:39 >the48さん
はてなの人事とは全く関係ないです。

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