空にわ再解放

8/7,8のゆりの木通りのイベントに合わせて空にわを再解放しました。ゆりの木商店会の皆さんのご協力もあり、結構多くの人が来てくれました。浜松市の奥の方にある春野町でアーティスト村をつくろうとしている方がいらして交流させて頂きしました。http://harunoart.web.fc2.com/index.html
「春野の木材使ってよ!」なんて言ってもらえたりしました。ぜひkenkenで使いたいと心の中で思いました(笑)

郊外に住んでいる人が中心市街地にやってきて興味を持ってくれたというのは非常に嬉しいことでした。同時に再び解放しながらこれからの活動についても考えたりもしていました。浜松のことを俯瞰的に見ていくことをしたいと思ってはいますが、その第一歩をどこに誰がいつ踏み出せばいいのか悩んでいるような状況です。

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ちなみに空にわの今後の予定は、11月までは決まりました。ユミンポ率いるポ組(ユミンポの制作を手伝う学生などの愉快な仲間たち)がSUAC文化祭に向けて制作作業のためアトリエとして使うことになりました。ユミンポは昼夜問わずに活動するし、ポ組のメンバーも出入りするし、ユミンポはゆりの木の人々にも人気なので街の人も出入りすることになります。夜も光るし、他者も介入してくるということで良い使われ方なのではないかと思います。ブルーシートで覆い尽くしたことも新たに机や椅子を用意しなくとも気楽に使える状況というのをつくる役目を果たしていると思っています。


(M2テラダ)

浜松建築会議を終えて

浜松建築会議の皆様、こんにちは。403のナガタです。お久しぶりです。

浜松建築会議ではお世話になりました。

403は今回の建築会議では東京から参加ということで、浜松という街を幾分客観的に捉えてプロジェクトに参加していたと個人的には思うのですが、振り返って思うのは、浜松という都市のもつ輪郭と規模がこの面的な盛り上がりを可能にしたのだろうということです。

最初に浜松に訪れた時、個人的にはここは輪郭が見える都市であるという印象を持ったのですが、東京にずっと住んでいる自分からすればそれはなかなか不思議な感覚で、自分の地元をイメージしてみると実際どこまでを地元と認識出来るのかかなり曖昧なところがあります。その点で浜松という都市は街の構造や規模を含めなかなかイメージしやすいというのが初見の印象でした。平たく言ってしまえばつまり街に輪郭があるということだと思うのですが、輪郭があるということは明確に対象化できるという事で、対象が明確であるということは運動の方向性を定め易いということでもあると思います。商店街から行政、学生から建築家まで皆が「浜松の中心をなんとかしたい」とそもそも思えたことが、今思えばこの街において最大のポテンシャルだったのではないでしょうか。

また浜松が「自らの手を加える余地がある」と期待できる規模の都市であることも重要であったと感じます。把握出来る規模の街というか、自分の生活と街が直結し、主体的に街の問題にコミットできる土壌が残っている都市であるという印象です。事実、ゆりの木商店街の鈴木さんの案内のもと市内を巡ったときにも、多くの方々の街に対する熱い思いを耳にすることが出来ました。

そしてこの街の輪郭と規模は人のつながりという一番の価値をもたらしていると感じます。今回のプロジェクトを可能にしたのは人のつながりが最大限に機能していった結果と言えると思います。最初の403の静文芸へのコンタクトは、突然大学に押し掛けるという半ば強引なやり方ではありましたが、その後の多くの人とのつながりの早さと実現可能性の広がりの早さには感動すら覚えました。

様々な主体が共通する意識のもと、明確な方向性を持って走れた事、そして街の中に潜む数々の熱い思いの存在を表面化し繋いで行くことで面的な盛り上がりを構築していった事が今回のプロジェクトの一つの成果として上げられるのではないでしょうか。そうして繋げられたネットワークは良い意味で不可逆的であり、イベントの前後で明確に変化をもたらしたものになっていると感じています。

シンポジウムでも話に上がりましたが、今後はこのプロジェクトをどのように継続させていくかに焦点がいくと思います。1回目と2回目以降でプロジェクトが意識すべき点というのは明確に変わってくるので、第1回で構築することが出来た面的な盛り上がりをどう活かしていくかが今後の課題となるでしょう。シンポジウムで指摘を頂いたように私たちが取り組むべき市街地への本質的な問題に対しても目を向け、よりよい形で第2回建築会議へと繋げて行けたらと思います。そのためにも今後は「敷居を下げる」ことが鍵となる気がします。それはつまりより多くの主体が参加可能なプロジェクトにしていくという意味で、また浜松という都市の抱える問題に自らの手元からコミットが可能であるという意識を育てていくという意味においてです。

浜松建築会議という場を継続的かつ定期的に設け、より多くの主体にとってコミット可能な状況を作っていく、そしてその都度そこに関わっていき、その時の状況に応じて柔軟な姿勢で運営していく。そうして反応していく事を継続的に行っていくということで社会に接続する面が増え、また新たに反応可能な事象も増えていくと思います。継続性、周期性はそれだけで敷居を下げて行く働きがあると考えていますのでトートロジカルではありますが継続してやっていくことが継続可能性を高めると言えると思います。

浜松の明確な中心性と規模が、同じように明確な中心性と規模をもつ地方都市にとって汎用性のある事例の先駆けとなる事を期待しつつ、今後も継続的に関わって行けたらと思っています。

最後になりましたが、suac403のメンバー、関係者の皆様、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします!!

403architecture 永田賢一郎

すべてはコミュニケーションのために

去る6/27suac+403architectureの協働プロジェクト「みんなのにわ/represent_garden」は無事終了した。リサーチ+制作の濃密なワークショップは、構想一ヶ月、実働一ヶ月、総予算10万円という非常に厳しい条件で行われた。
通常授業もある中、単位もお金も出ないこのプロジェクトに積極的に参加してくれた学生には本当に本当に感謝しています、どうも有難う。

さて、この厳しい条件を乗り越えることが出来たのは、ここに、2つのフェーズで高度なコミュニケーションが存在していたからに他ならない。
一つめは、プロジェクトの枠組みを決定するメタレベルでの主体コミュニケーション。
このプロジェクトに関わった主体は、非常に多様である。学生、403 architecture、若手建築家、ゆりの木商店街、地元企業、まちづくり団体、行政、大学、良質な商業主とその若手ネットワーク、各種マスメディア、アーティスト、空室オーナー。年齢も背景も違うそれぞれの主体の共通点は、皆、「中心市街地がやばい」と思っているということである。それが、コミュニケーションツールとして発動していた。「中心市街地がやばい」ということを最初の時点で共有出来たから、皆快く関わってくださったのだと思っている。

結果的にではあるが、それぞれがこのプロジェクトを捉える視点、というものがあった。403と学生にとっては自分たちの「実現の場」であり、行政や商店にとっては「まちづくり」であり、マスメディアにとっては「学生が街にコミットし始めた動き」であり、アーティストにとっては「創作の機会」である。その複合性を担保したのが「中心市街地がやばい」という概念の共有とそれに伴なうコミュニケーションなのである。そして、私個人的には中心市街地をどうにかするために仕掛けたのではなく、社会関係資本を浜松に投下するために仕掛けたのである。あるいは、403的には、実現の照準を見極めた結果である。これだけ多くの意図を投入できる「中心市街地がやばい」という概念にはとてつもない価値が内包されているのである。そこを最初に見極められるか否かが勝負の分かれ目で、403は例によってそのために膨大な議論を行った。

2つ目は、学生同士、あるいは学生と他者とのベタレヴェルのコミュニケーションである。今回、学生にとって高度なコミュニケーションのきっかけとなったのは「実現する」ということ自体である。

テーマを空室に絞ったことも「実現」の照準を見極めた結果である。空室であれば、上記のように多くの主体が意見を共有しやすく、敷地を選んで建築を作るよりも、規模が実感出来るレベルで管理体系も明確で場所を確保しやすい=圧倒的に実現しやすい。さらに、何度か言及しているように、大学のフィクショナルな課題ではなくて、眼前に迫り来る「実現」に向きあうことで、学生たちは自らに立脚して、非常に具体的な議論を展開した。ギャラリーを開きたいのなら、まず知り合いにアーティストがいるのかをプロジェクトの条件にする。この素材を使いたいのなら、まずそれが安価に入手可能でかつ施工も学生で出来るのか、を検討する。こうした論理展開を繰り返すうちに次第に安価、自分のつながり、施工可能性という前提を共有した状態から具体的で高度な共有が発動するようになっていった。

こうした高度なコミュニケーションを持続的に行ない、結果的に、「実現」という高度な目的を達成し、学生同士の社会関係資本は蓄積された。

心から幸せな運動体であった。

もちろん、中心市街地への明確なビジョンの提示や、郊外や車社会との連動性の確保、移民問題への接続など、「意識した方が、プロジェクトの専門性の射程が伸びる」要素は多くあったと思う。シンポジウムで403のスタンスを問われたこと(もっとメタに振舞えよという批判)も、専門的な見地からのビジョンの欠如が起因していた。
この批判に対して、個人的には「専門的な見地からのビジョンの提示」の有用性が、専門性の担保だけにあるのなら納得はいかない。そこに寄与する必要性は実感出来ないからである。専門的な見地からのビジョンの提示もあくまで「高度なコミュニケーション」の発動のためにあるべきだと思っている。あれが、もっと高度なコミュニケーション出来たよね、という批判だったのであれば甘んじて受け入れようと思っているし、多分藤村氏は後者の意味で批判を投げてくださったと思っている。来年に続くプロジェクトに反映したい。継続する、ということも良質なコミュニケーションのための要素の一つなのである。
論理も、言葉も、建築も、中心市街地の問題も、学生にお金がないことも、空室も、まちづくりも、専門的難しい議論も、私がここにいることも、すべてはコミュニケーションのために。

403 architecture/浜松建築会議実行委員 辻 琢磨

みんなのにわを振り返って

「浜松建築会議」並びに「みんなのにわ/represent_garden」関係者の皆様、おつかれさまでした。403のタドコロです。


今回は浜松でのプロジェクトということで、403の東京組は現場でリサーチに参加したり、実際の制作に加わったりすることはなかなかできませんでした。では何をやったかというと、ワークショップのコンセプトを示したり、タイトルを決めたり、リサーチの枠組みをつくったり、リサーチをまとめたり、木曜のkenkenに顔を出したり、日曜にエスキスしたり、ブログでコメントしたり、スカイプでの議論をフィードバックしたりと、どちらかというとメタなかたちでの参加の仕方でありました。


今回のプロジェクトでいちばん印象的だったのは、日を追うごとに静文芸のみんながどんどん“いきいきと”していったことです。


浜松でなんかやろうということになり、勝手に企画書つくって勝手に静文芸に乗り込んで勝手にプレゼンして勝手に飲み会して勝手にエスキスするという403の様々な勝手を、はじめは訝りながらも面白がり、最後まで真剣に付き合ってくれた静文芸のみんなには心の底から感謝アンド尊敬です。というか、最終的にはみんな、自分たちのプロジェクトとしてこのプロジェクトに取り組んでくれていたのではないでしょうか。


403と静文芸の学生の、そのどちらがいなくても今回のプロジェクトは成立しなかっただろうということは、とても大事なことのような気がしています。それはつまり、活動においてはその参加主体は交換不可能であるということですが、各個人が交換不可能な主体としてプロジェクトに取り組むということが自然にできていたという事実は、非常に価値のあることだと思います。


さて、浜松建築会議第三部の議論でも話題にあがった「メディア的な振る舞い」ということについてですが、僕個人としては今回の403の立ち位置こそ、まさにメディア(媒体)的な振る舞いだったのではないか、と思っています。


メディアというのは新建築や10+1などのジャーナリズム(批評空間)だけではなく、人と人、人と情報、人とモノなど、人と何かを結びつけるものは全てメディアと呼べると思います。あるものがメディアであるかどうかは、それが人と何かを結びつけたときにはじめて、事後的にわかるものです。今回のプロジェクトでは、もともとはつながっていなかった浜松の空き室と静文芸の学生とコラボ相手とが、「みんなのにわ」というかたちで結びつきました。これは403がメディアとして、それら様々な主体を結びつける役割を果たしたことの帰結であろうと思います。


自分たちがメディア(媒体)として人々を結びつける活動を草の根的に(ベタに)続け、それが事後的に批評される(メタ化される)ということの方に、403としては可能性を感じています。その方が、物事の本質に触れることができる、あるいは、物事に新たな意味を与えることができるのではないか、と思うからです。


今回の「物事」とは「浜松の中心市街地の現在をあぶり出し、その現状に反応し、その中で何かを実現すること」でした。それは結果的に、浜松の中心市街地の衰退という問題を解決することにつながるかもしれませんし、つながらないかもしれません。しかし、いろいろな立場の人を巻き込みながら、各個人が各個人として共通の物事に取り組み、ある成果を生み出すという一連の活動によって、中心市街地の4つの空き室に「みんなのにわ」という新たな意味が与えられた、という「事実」が、もっとも大事なことのような気がしています。


とはいえ、地方都市にまつわる本質的な議論を続けるなかで、中心市街地の衰退の背景にある「構造的な問題」に、403としてコミットしていきたいとも思っています。それにはまだまだ無知すぎるので、さらなるインプットを重ねていく必要が、あると思います。


しかしながら、本当にゼロのゼロから始めて3ヶ月、結果として、商店街の協力、市からの補助金や新聞各紙の取材、議員さんからの支援、さらには辻への出馬要請まで(!!)、思ってもいなかった様々な出会いが「事後的に」やってきたという事実、そのプロセスのひとつひとつが本当に貴重な体験でしたし、403の活動としても大きな転機になるプロジェクトになったのではないかと思います。


このプロジェクトのおかげで生まれた様々な出会いを糧に、これからも403はまたどこかで、そこにしかない現在に潜り込み、そこでしか生まれない反応を繰り返す中で、そこでしか生まれない何かを実現するというプロセスを繰り返し、勝手に色々とやっていくのだろうと思います。無知な点、至らない点も多々ありますが、あたたかく見守ってやってくださると幸いです。


最後になりましたが、「みんなのにわ」に参加してくれたSUAC403のメンバー、竹山、ありがとう。そして「みんなのにわ」を支えてくれたすべての人たち、ありがとうございました。今後19年間のお付き合いになりますが、よろしくお願いします。それではまた!!!!

403architecture 田所雄大

みんなのにわ完成動画

みんなのにわ、空室利用完成動画です。会場にいらしてくださった方も、来れなかった方もお楽しみください。


[DIA_ROG]
4人の写真家とのコラボレーション。写真展の設えとして、多様な背景と形を持った家具に一つ一つ名前をつけて居場所を作る試み。




[空にわ]
角地の二階をブルーシートで空に。アーティストYUMIMPO*とのコラボレーション。




[しょっかくてい/書々庭]
書道家・磯村厚氏とのコラボレーション。磯村さんの書道展の空間を書道紙で構成。



[あやとリンク]
浜松市、全国のフライヤーを集め空間を構成。ピンクの毛糸を自分の興味のあるフライヤーにくっつけて、情報と共にみんなの興味を顕在化。

(撮影協力・竹山友陽)

滋賀の建築家からのメッセージ

403 architectureの大学時代の先輩でもあり、デンマークの建築事務所BIGへ就職後、現在は帰国し地元の滋賀県で建築設計事務所・PLAY 建築都市人間デザイン研究所を主宰されている青木健氏からメッセージを頂きました。御覧下さい。

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浜松建築会議実行委員会さま

どうも横浜国立大学出身の青木です。
浜松建築会議のワークショップに関して思うところがいくつかあったので、一応送らせてもらいます。
すでに議論済み、対応済み、的外れならスルーしてもらって構わないのでとりあえず目を通してみてください。

1.時間的、空間的に大きなスケールでのリサーチ
商店街の空室だけの話ではなく、空室がうまれた背景(時間軸)、原因(郊外化?→マッピング、利用状況など)、中心市街地の再活性化の必要性、可能性(城中心<城下町>→駅中心<駅前商店街>→郊外<商業>、駅前<文化>の多極化??)を、ショッピングモール(否定ではなく共生)、高齢化、環境問題といったコンテクストの中で説明するほうがよい?

2.地方都市としての浜松の凡庸性
地方都市再生のロールモデルとしての可能性を示すなら、どういった点が凡庸なのか、どうすれば他の地方都市でも展開可能なのかを、人口、都市構造(交通、郊外化、公共施設、大学など)で示す必要性?郊外の状況の均質さは、ひとつロールモデルを示せれば、一気に展開される可能性がある??

3.インスタレーションが今後も自動継続、発展させていくためのシステム
みんなのにわ/represent_gardenを今回だけで終わらせるのではなく、今後も継続させ、街の再活性化を目指すなら、生成力の強いシステム(環境)をつくる必要性。展示期間、入れ替わり、評価のシステム(毎年優秀な作品は横浜トリエンナーレ、越後芸術祭、瀬戸内芸術祭などに出展するためのサポートを市がするとか??あの規模のイベントの受け皿を準備するにはコストと時間、リスクがかかりすぎるから、そうではなくて浜松をアートの生産地として発信していく?)など


こんな直前になってしまって申し訳ないけど、今回のイベントの成功を願ってる者として、上記の項目は考慮されるべきだと思います。
プレゼンの準備の時間がなければ、口頭でさらっと触れるだけでも変わってくると思います。

どちらにしても、沢山のひとを巻き込み、関心をもたせ、実際に動かした今回のイベントからは僕自身学ぶべきところがたくさんあると思っているので、当日楽しみにしてます。

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青木健
あおき・けん
滋賀県大津市生まれ
2007 横浜国立大学建築学コース 卒業
2009 YGSA 卒業
2008‐2010 Bjarke Ingels Group/Copenhagen
2010- PLAY 建築都市人間デザイン研究所 主宰

@kenaoki http://twitter.com/kenaoki