古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

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デジタル・ロック

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これはひどい。この脂ぎったサウンドと内面の空虚さは。
でも多分、フロアではアーティストの内面なんて必要ないのよ。
ただ、踊ることだけが。(俺はフロアにはいけないわけなんだけど)
内面なんてそんな重っ苦しいもんはそこら辺の「アーティスト」どもに食わしとけ。

社会ミンナで考えるべき非モテ問題


http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2006/07/post_527b.html


最近の非モテ論壇にて大絶賛放映中のジェンダーフリーとかと非モテの話。しかも、発火点はまたMasaoさんだ!いつもご苦労様です。
弱者男性なんていう話も出てきていて結構ですなぁ〜と縁側でお茶をすすりたい気分になります。
以前(といっても1年ぐらい前)に少し書いたんですが、

非モテがそれら(世の中で色々いる「弱者」)の「弱者」の眷属として非モテが「救うべき弱者」になり、、モテない事が「社会ミンナで考えるべきモンダイ」になった時、その時こそ真に非モテは死に、私は非モテの敵になる

これが私の考えです。私も「弱者」というのがそれなりに旨味のあるビジネスであるということは多少は知っているわけですが、でも弱者の看板を掲げて資源の再配分のおこぼれに預かろうとは思わないなぁ。


・人は自由に生きることがよいことだ(他人の自由を制限することはわるいことだ)

・人が恋愛したいか、パコパコしたいかは本人の自由だ

・人が恋愛したりパコパコするのを本人の自由に選択できることはよいことだ

・人に恋愛しろとかパコパコできないのはだめだということはわるいことだ


※これには自動的に「その結果起こった事は全ては自分の責任である」という但し書きがつくんだけど…。


これじゃダメなんですかね。別になんだかんだと難しい理屈をこねくり回さなくてもいいと思いますけど。
Masaoさんはとても優しい方なので、社会的に抑圧された人たちはみんなで共感しましょうとかそういうことをおっしゃるんだけど、私は別に共感しなくてもいいと思うんですけどね。馴れ合わなくていいよ。だって、非モテ内部ですら抑圧のされ方や強度によって本当にいろんな形があるんだから、ましてや、ね。それに色々なバックボーンがある人がウダウダやってるからいろんな解釈が出てきて面白くなると思うんだけど。
少なくとも私が弱者女性ですか、フェミニストですかジェンダーフリーですかよくわからんけれども、そういうのに「共感」するかというと「人による」。フェミニストでいくら「正し」かろうと嫌な人はいるし、
2Chで⊂ニニニニ( ^ω^)ニニニ⊃とかやってる人にも共感できる人はいる。それだけの話だと思いますが。
あとこれは著しく政治的な話になるんですが、フェミニズムでもなんでも、なんかそういうのと同盟組んでやってくじゃないですか。非モテが。そうすると、いわゆる非モテの解消じゃない事にもコミットしないといけなくなりますよね。例えば従軍慰安婦みたいなのにもお付き合いしなくてはいけなくなる。世の中にはいろんな弱者がいて皆さん連帯しているわけでしょう。そういうのお付き合いするのはいやだなぁと思います。だってつまんないから。そんなのにまで怒ったりするほど暇じゃないのよ。
もし非モテで政治活動とかやりたいっていう人がいたらそういうのを考えたうえで発言していただけると大変助かります。私はそれには一切関わらないけど。