正史三国志再読はじめました

ちくま学芸文庫のあれを買い始めたので。
「って、お前正史持ってなかったのかよ! この国賊!(三国志5的に)」と言われるやも知れませんが持っておりませんでした。実は15年ほど前に何かハードカバーの正史を学校の図書室から借りて読んだきりだったりします。
大学の時分まではまずお金がありませんでしたしわりと記憶も鮮明だったので特に問題はなかったのですが先日史実ベースの話をしている中で呂義の名前を出してしまい、こりゃもういかん私の記憶は怪しい正史再読が必要だと思いましたので購入を開始した次第であります。
しかしこの紀伝体というのは私には大変読みにくいものであります。誰かにキャラ萌えしてその事績を追いたい時は便利かも知れませんがそれにしたって別の人の伝も読まないと完全に把握できなかったりしますからね。
ただ、こういう書き方だからこそ(各伝を横断的に確認しなければ全体を把握できないからこそ)、書くことをはばかられるようなことも事件の断片だけなら各伝の中にバラバラにして記載することができるんですよね。
新設したこのカテゴリでは正史三国志を読んで興味深かったり疑問に思ったりしたことがあったら書いていきます。

正史 三国志〈1〉魏書 1 (ちくま学芸文庫)

正史 三国志〈1〉魏書 1 (ちくま学芸文庫)

高幹のヘイ州刺史就任はいつ?

宮城谷三国志の4巻を読んでいたのですが、その中で193年当時の各州の長官が誰かという記載があって
幽州 劉虞
冀州 袁紹
ヘイ州 高幹
豫州 郭貢
エン州 曹操
青州 田楷
徐州 陶謙
荊州 劉表
揚州 陳ウ
益州 劉焉
涼州 韋端
交州 朱符
とあってへー高幹って随分早い内から就任してたんだなと思ったんですけど魏書をひっくり返した限りでは高幹の就任は袁譚青州を任されたのと同じ時期にしか思えないんですね。
でも宮城谷先生がいい加減なことを書くとも思えません。何でしょうね。後漢書ベースでしょうか。高幹が韓馥を脅して冀州袁紹に譲らせたのは191年ですが……。それから2年でヘイ州を勢力下に置けるかというと? ただ、これから制圧するよーという段で就任するというのもありですよね。はて……。高幹が早い時期から刺史だったとすると、袁紹死後独立的な動きをしているのも、袁紹によって取り立てられたわけではなかったから、と理由が付くのですが。