(保存版)retifの都市探検日記(高層ビル編)

2008-09-12 東急多摩川線鵜の木駅西口(パークハウス多摩川南参番館)

パークハウス多摩川南参番館

高田馬場から山手線渋谷へ。東急東横線に乗り換える。

さらに多摩川駅で東急多摩川線に乗り換える。

東京の西側から見ると、本当にここらへんは、縁のない場所だなあ、と思ってしまう。

大森や蒲田のある大田区だが、本門寺の西側あたりから世田谷山の手が始まっているので、界隈は閑静な住宅街となっている。だからますます縁がないのかな。

だが、東急多摩川線の西側は多摩川の川岸、ということで少しは庶民的な感じがするかもしれない。

鵜の木駅で降りる。

西へ歩いていく。庶民的な商店街はどうやら駅の東側らしい。

西側は、静かな住宅街。その中を歩いていく。

やがて多摩川に行き当たるが、その途中、多摩川の東岸に集合住宅群、パークハウス多摩川が広がっている。

その集合住宅の中に高層住宅のパークハウス多摩川南参番館がある。

竣工は、バブルの終わり頃、となっている。

三菱自動車の工場跡地だったらしいのだが、当時は、億ション、とかいわれていた。

今でもそうかもしれないが、わからないし、そもそも興味もない。

世田谷山の手に対する人工の山の手

パークハウス多摩川は、そのわかりやすい例なんだろうなあ。

話は変わるが、多摩川の川岸、というと、高度成長期が終わった頃のテレビドラマ、「岸辺のアルバム」、というのを思い出す。

多摩川決壊、という実際にあった事件と家庭崩壊とを結びつけた作品だったと記憶している。

このテレビドラマから、川岸、というのは、昔は、不安なもの、不安定な先行き、を象徴していたのかもしれないと感じてしまう。

だが、バブルを過ぎると、川岸は、ウォーターフロント再開発地、ということになっていく。

でも、川岸の持っていた「不安」といったものは、どこへ行ってしまったのだろうか。

パークハウス多摩川を見ていても、安定した山の手、という雰囲気しか感じない。

「不安」がなくなったわけでもないのだけど。

(2008年1月記)