季刊と化したブログ

 今年は昭和の日が土曜日に吸収されて、祝日が少ないGW。その点は残念だけど、平和な日々だね。こんな日は、生き急ぐようなオートマティスムじゃなくて、普通に言葉を練ろう。脳の回転も鈍っているだろうしな。最近は、睡眠時に無呼吸疑惑があって、脳細胞が日々死にまくっている可能性がある。物覚えも悪くなったような気がする。「アレ何ていうんだっけ?」「何の話をしてたんだっけ?」「なんでこの話をしたんだっけ?」とかの機会が増えてるような気がする。けっこうやばい。これって頭髪みたいなもので、まだ若くしてキテしまったり、歳がいってもぜんぜんその気配がなかったり、人によって多様なものだと思うんだけど、さて32歳でこれが多くなるのは早いのか遅いのか。能力的な劣化が早いのは損失大きいよなあ。参るね。物を覚えるよりも、その物を調べる方法を覚えるように、脳がリファレンスに特化してきているのでは?と思ってやり過ごそう。
 この頃、和食の旨さにプチ感銘を受けている。というのも「わが家の食堂」という食堂に最近通っているため。日暮里と鶯谷の間にあるのだが、西日暮里に住むことおよそ6年にしてようやく存在に気づいた。おかずを取ってトレイに載せ、ご飯配給所に行くと、加熱が必要なおかずを温めてもらいながら、ご飯と味噌汁もしくは豚汁をもらえるというやつだ。この形式の飯屋を俺は強く認識したのは、つい最近。西日暮里駅前にも「はってん食堂」というところがあって、1,2回行ったことがあり、そこも確かそんな感じだったのだが、おかずを包むラップが汁びたしになっていて指が汚れまくったあげく、テーブルに紙ナプキンのひとつもなく、ベトベトのまま飯を食った苦い思い出から、二度と通っていない。いや、1,2回行ってるんだから、二度は通っているかもしれない。あっ、オートマティスムの癖で、削除せずに上塗りすることで解決している。っていうのもまた書いてる。というのはまあいいとして、わが家の食堂においては、けっこうキレイだし、魚料理多いし、生卵とか、ちりめんじゃこ&大根おろしとか、豆腐とか、けっこう健康によさそうなものが豊富にあるので、気に入った。ところで、俺はこの頃、一部の白身魚が本格的に食えなくなってきている。食うと吐き気がする。これは確率で起こる。カレイや鯖、フィレオフィッシュなんかは今の所0%なのだが、サーモンは15〜25%ぐらい、焼鮭に至ってはほぼ100%、気持ち悪くなる。焼鮭を封じられると、余計に魚を食う機会は少なくなる。しかし、この食堂には、カレイとか鯖とかの、食える魚がまあまああるので、うれしい。ただ、高い。俺が満足するぐらい食うと、例えば、卵焼きにカレイ、じゃこおろしに豆腐に味噌汁とご飯などとチョイスすると、もう1000円超えである。でも、これは相対的には全然安い。ラーメンとか食うとそんぐらいいくし、王将で飯食ってもそんなもん。定食屋でもザラに900〜1000円する。そう思えば、別に高くはない。後片付けも準備も不要。しかも、24時間、開いている。すごい。これは、ワンチャン、痩せに寄与するのでは……? 俺はダイエットにことごとく失敗しているが、その原因はいつもストレスである。太るものを食えないとか、特定のものを食い続けないといけないとか、それが嫌でやめている。なるべくストレスはかけないことがコツである。失敗しまくりでコツもクソもねえが、失敗から学ぶのである。ホントか? ともあれ、「俺は今、別にダイエットをしていないのでは?」ぐらいのストレスのなさ、自覚のなさが肝要だと思う。ダイエットをしている自覚がなければ、やめるダイエットがない。という理屈である。その点、旨い和食を旨い旨いと思いながら食っていれば、暴飲暴食をする飲食店に自然と入らないことになり、イケるのでは? と思ったのだが、こう思ってしまった時点で、あ、俺はダイエット風なことしてるんやん、暴飲暴食を封じるように仕向けてるんやん、と自覚してしまったので、それに逆らう可能性が出てきてしまった。まずい。食いたくもないのに、ラーメン屋に入ってしまうかもしれない。禁じられると、禁じられたものに対する元々の関心の度合いにかかわらず、やってみたくなるものである。ヤベッ! 得意の物忘れで忘れなきゃ。俺は旨いから食堂に行っているだけである。近いし、24時間開いてるからである。でも、すき家も24時間開いてるよな……。牛丼は食い飽きたのである。米ばっかりを、僅かな上澄みの牛肉で食うのに飽いたのである。そういえば、よさそうなことに、わが家の食堂では、20杯分の味噌汁券として使えるプリペイドカードが、1000円ぐらいで売っている。普通に味噌汁を20杯頼むと1800円ぐらいかかるらしい。20回行けば800円浮くというのは、なかなかのパワーである。これを買うことによって、通うのをやめない方向に俺の意志を引っ張れるのではないか。こういうところ、俺はケチだから、それを利用するのである。ん? それは、ダイエットしようとしているということなのでは……? いかん!

重力

 オナニーとして文章を書く。なかなか現状を打開できない。答えが見当たらない。何やったっていつも悩んでいる。割とすぐ人間関係をリセットする奴は、その人間関係に得がなくて、自分がむかついたり疎ましかったりするばかりの損なものでしかないか、その理性に勝る感情により横槍を入れられているか、というところだろう。自分に理性と得があれば、リセット一択なんてわけはないし、得のある人間関係ばかりを構築できていることを、誇ってもいい。が、それが得と損を併せ持つ場合は非常に難しいものだ。単なる数学であれば、プラスだったら得、マイナスだったら損、と定義して、+4+(−3)=+1のように、値を足せば、総合的な判断を下すことは容易だ。プラスだから、得ですね。しかし実際には、まず値を見定めることから始まる。+4っぽい+(−3っぽい)=+1っぽい。たぶん得じゃなかろうか。と判断する。でも実は−3っぽいと思ってたものが−5っぽいと判明すれば、たちまち−1っぽいとなり、損に転じる。ぽいぽいぽい。そしてその両方の値が非常に近いものであると、正負を誤る。数学になぞらえて書いたが、この種の問題は、実際には、a+b=cを求めるのではなく、a+b≧0の真偽を求めるのだろう。人間、水槽に石が1092個入っているのか1093個入っているのかを見定めることは容易ではないが、100個と1000個なら分かるだろう。それぐらいスケールに差がないと難しい。
 俺は案外に根が真面目なのだなと思った。特に、筋を通すことが重要なようだ。他人にもそれを求めるし、自分にもなかなか求めるようだ。厄介なところだ。おそらく一番よいのは、他人にも自分にも求めないことだろう。それを徹底できるのがサイコパスだと思っている。サイコパスはとてもよさそうだ。しかし単なるサイコパスは、他人の感情、特にこの、筋が通っているかについての共感が欠落しているので、他人から不評を買いやすい。そして結果的に損をさせられる。普通、自分の行動や言動を相手がどう思うのかを予想するには、自分がされたらどう思うかを問い合わせて答えを得る。自分の中に存在する感情回路が、おおむね他の人と同じようにできていることを知っているからだ。しかしサイコパスは、問い合わせ先がまともな答えを返さない。だからサイコパスになるなら、こうしたらどうやら人は怒るようだ。とか、こういうのは喜ばれるようだ。などを経験や分析などから記憶し、感情を模せなければいけない。それができる頭があるなら、感情問い合わせ先を持っているよりもサイコパスが優越すると思う。感情を問い合わせることは、しばしばしんどいからだ。これは人間の遺伝子に組み込まれた重力のようなものだ。全員が持ち合わせていなければ人間にとって損だが、みんなが持ち合わせている中で、一人だけ、あるいは少人数だけ持っていなければ、そいつらのみ得である。税金を誰も払わなくなったら困るが、俺だけが払わなくてよいなら、超得である。感情がなくて、困らないのであれば、免税のようなものだ。しかし、サイコパスというのはかなり先天的なもので、後天的に獲得できるようなものではないと思う。仮にできるとしても、サイコパス獲得したい!と思えるぐらい物心ついた頃には、もう獲得できないぐらい人格形成が進んでいるだろう。それぐらいの重力がなければ、もっとサイコパスの人は多くて、人間は困っているだろう。ああサイコパスになりたい。感情に振り回されず、自分の都合のいいように他人をコントロールすることだけに心血を注げる。部分的サイコパスでもいい。擬似的なサイコパスにはなれる。サイコパスのように振る舞うことはできる。しかし感情があるのにそんなことをすると、重力によって壁に叩きつけられたりする。重力が邪魔だ。でも重力はあるからしょうがない。

このブログに見にきた人向け「お願いの撤回」の補足

約束や宣言を最小化して正確に記述するため、分かりにくい文書になってしまったかなと思います。平たく言うと、「お願い」によってお互いに制限していたことはすべて撤回する。元のように、私が自分のサービスに何を登録するか、削除するかについて、何も約束しない、という状態に戻す、ということです。

つまり、勝手に登録される、勝手に削除される、勝手に無限に追われる、ということもありうるし、たまたまある人にとっては意志に沿うような状態になるかもしれない。

それを受けて、各人が、登録申請や変更申請をする、無限にチャンネルを変える、意見を言う、俺を叩く、絶縁するなど、何をするのも、法令等に違反しない限りは自由。ということです。

そういう状態に戻すのは、俺が見たいチャンネル、人が見たいチャンネルの一覧性が失われるのは、私にとって損だからです。お互い勝手にやりましょう。という話ですね。

「お願いの撤回」として、「お願い」を配布した配信者に、その後配布した文書


お疲れ様です。
Revinです。



先日、件のお願いをさせていただき、受け入れていただけたり、いただけなかったりしましたが、そのお願いをしていた時から、状況が変化したため、お願いそのものを撤回させていただきます。



以下は、その説明になりますので、読んでいただかなくても結構です。



状況の変化というのは、私が「Ustream Checkerに載せない」という前提であろうチャンネルが、お願いの範囲を超えて、生まれてきたことです。
具体的には、TRPGをおこなうチャンネルは別にする、という人が現れ始めたことです。
お願いによる私のねらいとしては、その文書に記したとおりですが、Ustream CheckerにおいてTRPGがおこなわる配信が掲載されなくなるというのは、妥当な判断だと思いますが、私や視聴者の一部にとっては損失であり、ねらいではありません。
そのような状態になった配信者に対し、お願いの成立で互いに課した(あるいは期待される)事柄を維持する理由が、私にとっては薄れました。



本来、「Ustream Checker」において、あらゆるチャンネル登録・削除は、私の判断によって自由におこなうという前提でした。
それを、お願いを受け入れてもらえば、特例的に、削除に関してはおこなわない(正確には「受け入れられなければ、削除する」というような内容であり、論理学でいう「裏」である「受け入れられれば、削除しない」は必ずしも真ではなく、私はそれを保証していませんが、保証しているように受け取れるような)内容を記していました。
しかし逆に、そのお願いをした結果、「載せない」ことを期待するチャンネルが出現することは、私に対する制約に他ならないと考えております。
また、その制約を受け入れながら、削除しないこと、あるいは登録されないことを期待するチャンネルの、その期待を維持する理由が私にはありません。



上記のような判断から、お願いは撤回します。
つまり、お願いを受け入れてくださった皆さんの配信チャンネルについての行動の制約を撤回し、私の登録や削除についての制約もしくは期待も、撤回いたします。



検討に時間や思考を費やしていただいたにもかかわらず、申し訳ありません。
以上です。



2017/1/7
Revin

「お願い」として一部の配信者に配布した文書


お疲れ様です。
Revinです。
私事で恐縮なのですが、お願いがございます。



昨年の10月か11月頃、今より数ヶ月ほど前に、私は丫戊个堂氏から、私視点で、非常に不条理に見える、今までに培ってきた友好的関係性を無に帰すような、それどころか敵対を宣言するような行為をされました。
これまで友人関係にあった私は、苦悩しておりました。
このことは、二者間の閉じた関係の上のことなのですから、それについて周囲の人を巻き込んでどうこうするのは、本来ならば避けるべきことであると考え、波風を立てないで事が済むのなら、それがいいだろうと思っていました。



しかし、その後、しばらく考えた結果、このままでは気持ちの上でも、実際としても、私にとっての解決にならないという結論に達しました。
配信という複数人が集まることが多い場での繋がりですから、丫戊个堂氏と関係しないまま、それ以外の人と関係していくということが非常に難しいです。
また、他人との関係を、自分の所有物のように壊したり直したりできるかのような態度を、私に対してだけに限らず、これまでに多く見てきていることもあり、関係性を修復・再構築する気が、ついに起きませんでした。
これから先も同じようなことが何度もあるだろうし、そのたびに気を揉む、というようなことを、もう繰り返したくないからです。
率直に言って、私は丫戊个堂氏と、今後、関わりを持ちたくなく、彼のこれからの活動についても応援するつもりがありません。



Ustream Checkerの管理・運営をしている私としましては、そちらにおいてもその意志を貫徹するつもりであります。具体的には、彼が出演や客演をする配信について、掲載するという形での応援をやめることに決めました。



お願いというのは、「あなたのチャンネルとして現在Ustream Checkerに登録しているチャンネル、あるいは今後登録するチャンネルにおいて、丫戊个堂氏が出る配信をしないでほしい」というものです。
登録されていない・登録しないチャンネルにおいては、特に何もお願いはありません。
私が丫戊个堂氏に対する間接的な応援をしたくないためです。
また、その他でのあなたと氏との関係については、私に関わらない範囲で、問いません。
これを受け入れられないということであれば、この件がなければまったく本意ではないのですが、Ustream Checkerでの登録を削除させていただこうと考えております。



つきましては、このお願いを受け入れていただけるか、いただけないか、2017年1月6日20時までにお返事をしていただきたいです。
連絡手段は、Skypeのコンタクトがお互いにあるようならSkypeでも構いませんし、TwitterのDMでも構いません。
「受け入れる」という場合は「YES」、「受け入れない」という場合は「NO」という短いお返事でも構いません。
2017年1月6日20時までにお返事をいただけない場合、「NO」と捉え、私の裁量で削除等を実施しようと考えております。
また、「YES」というお返事をいただいたにもかかわらず、お願いにそぐわない状況があった場合、「NO」というお返事があったと捉え直し、同じく私の裁量で削除等を実施しようと考えております。



弓を引いておきながらいいとこどりだけはしようと、何食わぬ顔で私の目の届く範囲にて堂々と振る舞うさまが我慢ならないゆえの、恥ずかしいお願いだという自覚はあります。
ただ、これ以上、苦悩が続くことを私は維持したくないため、不躾ながら、上に記しましたご判断をしていただきたいと思っております。
いずれの答えがあっても、あなたとの関係については、望んでくれるならば、今後も維持していきたいと考えております。望んでもらえないのであれば、寂しいですが、それもしかたがないと思っております。
排斥的で政治的な行為であることを否定はしませんが、それでも平穏のためにこうすることを私は選びました。
TRPGについては、楽しい遊びだという思いは変わっておらず、またやりたいし、私に関係する限りは、現在盛り上がっていることはほぼほぼ好ましいことだと思っています。



一方的なお願いで申し訳ない。
お返事をお待ちしております。



Revin
2017/1/5

プログラミング必修化検討について

 小学生の段階でプログラミングが必修化することを検討とかなんとかいう話を聞いて、いろいろ考えてみると、他の数多の制度に比べて、思ったより一長一短あったので、驚いた。所得税が下がるとうれしいし、消費税が上がると悲しいし、介護士の給料が上がってもうれしくも悲しくもない、などと、ほとんどの決まり事は、俺の立場では損得がはっきりしているのだが、非天才的中堅プログラマである俺の立場では、メリットだと感じる点が想像より大きかった時や、デメリットだと感じるそれが同様だった時に、インパクトが大きいなと思った。

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