2009-12-29
英語学習の「天竺」は何処にある?
曹洞宗のサイトに「西遊記」のマンガコーナーがあった。わたしは「西遊記」を読んだことがないし、ドラマや映画でも見たことがないので、大まかな筋書きくらいしか知らない。
だけど、三蔵法師一行が天竺に到着したとき、如来様から提示されたお経が白紙であったのは興味深いなーと思う。そして、「白紙のお経では困ります」と三蔵法師一行が掛け合うと、如来様はこんなことを仰る。
「しかし白紙のお経はすなわち無字の真経でかえって値打ちのあるものなのだが・・・」
仏様はストレートな物言いをされないので、わたしが代わりにその本心を言い換えるとすれば、「ダメだ、こいつら、わかってない・・・」という感じだろうか。その後、きちんと文字で書かれた「有字の経」を与えられた三蔵法師一行は長安へと戻っていく。
すると、一行の記録を調べていた観音菩薩様がもうひとつ苦難を与えなければいけないことに気付き、三蔵法師一行に最後の試練を与えてみるわけだが、一行はそれまでに培った経験をもとに難なくその困難を乗り越えることが出来る。
このくだりは「長く苦しい旅はムダではなかった」という象徴的な描写になっており、これこそが「無字の真経」ということなのかもしれない。
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さて、本論はここから。時は現代、場所は日本。
今年一番ブクマされたのは?2009年「はてなブックマーク 年間ランキング」 - はてなブックマークニュース
2009年のはてなブックマークの年間ランキング1位は、コツコツ積み重ねる英語学習法についてのエントリーでした。コメント欄では基礎の大切さを再認識する声や、「今度こそは身に付けたい」という声が多数見られました。また2位以下にも英語学習についてのエントリーが多数ランクインしています。
ベスト10のうち英語学習ネタが3つも入っている。思うに、これだけ英語学習ネタが受けるのは、それがパッケージ商品になっているからなんだろう。
「これをやっとけ」
「これをやればTOEICで900点取れる」
「これだけで十分」
「毎日コツコツやれば、大丈夫」
ほとんどがこういった書き方になっているし、具体的な教材やウェブサービスの提示もある。英語学習に関する情報が溢れかえっていることを考えれば、そういった方法論や教材を探す手間が省けるのは魅力的だ。
でも、このノリは間違いなくライフハックだろう。
そして、ライフハックだからこそ、こんなにウケるのだとわたしは思う。
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では、英語学習を「西遊記」になぞらえて考えてみよう。
1.「天竺」に行けば有り難いお経が貰えるのか?
これは「英語が出来るようになれば・・・」という発想に似ている。だが、果たして、英語で「何を」するのだろうか。また、三蔵法師には「人々を救う」というきちんとした目的があったようだけど、英語学習の場合はその目的は何なのだろうか。
2.「天竺」は西にあるのか?
「西遊記」は物語なので、観音菩薩様が「天竺は西にあります」と教えてくれる。でも、英語学習ではそんな方向指示は与えられない。そんな状況で闇雲に「天竺」を目指してもいいんだろうか。もし、そうとは知らずに北へ向かっていたら、おそらくアムール川あたりで凍えることになってしまう。見当違いな方角に向かっていくら歩いてみたところで、おそらく目的地には到着しない。
3.きちんと旅をしているのか?
「天竺」が「西」にあるように、英語習得のために「西洋」の大学に留学すれば、それですべてが解決するとは限らない。せっかく留学しても遊んで終わりという人はたくさんいる。もし、三蔵法師一行が道中で何の苦難にも出会わずにのんびりとした旅をしていたら、観音菩薩様が最後に与えた苦難を乗り越えられなかっただろう。
4.「有字の経」ばかり求めてないか?
日本における英語学習は英単語をメインに据えたものが多い。これは覚えたぶんだけ効果が出やすいためだとわたしは想像している。TOEICもそういった傾向がある。また、漢字検定が高い人気を誇っていたことからもわかるように、日本人は漢字に対して大きな信頼を寄せており、それと同じような感覚が英単語に対しても働いているのかもしれない。
これは「西遊記」で言えば「有字の経」に当たるような気がする。もちろん、それは必要なものだし、決して意味のない存在ではないのだろうけど、「無字の真経」のことを考えなくても良いのだろうか。しっかりと修行したお坊さんは経典がなくても有り難い説話をしてくださるはずで、それは必ずしも「有字の経」だけで成り立つものではないと思う。
5.律儀に戦う必要があるのか?
「西遊記」は物語だから読者を喜ばすために、電車の各駅停車のように困難に遭遇してそれを解決する過程を描く。何の盛り上がりも見せずに、一刀両断のもとに敵を切り伏せてしまっては読者が興醒めしてしまう。
しかし、英語学習においてはさっさと終わらせるべきところはさっさと終わらせるべきだ。別に、その過程を楽しみに見守ってくれる読者がいるわけでもないのだし、誰に気にすることもなく駆け抜けていい。英単語の暗記をいつまでもコツコツと継続したからといって、自動的に「天竺」に着くわけじゃない。
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英語学習のエントリーというのは、実に個人的なものだと思う。書いた本人にとっては有用な方法論であり、教材であるけども、それがそのまま他の人に適用できるとは限らない。なぜなら、「天竺」はひとつじゃないからだ。100人の学習者がいれば、100個の「天竺」がある。
そもそも、英語学習の「西遊記」においては「天竺」を自分で見つけるところから始めないといけない。また、その「天竺」までの道のりをコツコツと歩けばいいというものでもない。そこも自分なりに力の配分を考えなければいけない。さらには、「有字の経」ばかり求めてないか、自分でチェックする必要もあるし、「無字の真経」とはどんなものだろうと想像力を働かせる必要も出てくる。
そして、こういったひたすらに面倒くさい過程をすべて吹き飛ばしてくれるのが、前述したような英語ライフハックの真の魅力なのだろう。
「天竺はこちらの方角ですよ」
「そこへ行くにはこういう道具がいいですよ」
「それを毎日繰り返せば天竺に着きますよ」
それを信じて安易に旅を始めるのはどう考えても無謀なのだけど、旅を始めないのであればその危険性すらない。だからこそ、いつまでもこういったライフハックが注目を集めてしまう。
実際に旅に出てみれば、自ずと必要性が生まれるはずで、そこから自分のアレンジが生まれていく。無駄な買い物をしてしまうこともあるだろうし、痛い目に遭うときもある。でも、そこから学ぶことは多いし、それをもとに自分オリジナルのガイドブックが出来上がる。
ひたすら泥臭いけども、でも、わたしはそちらのほうがカッコいいと思う。
行くことのない「天竺」ツアーのパンフレットを集めても、結局は資源ゴミになって終わりだ。それならば、効率が悪くても、面倒くさくても、自分自身の手で旅の準備をしてみたほうが遙かに楽しいのではないだろうか。

