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2010-06-26

Globishのこと




楽天やユニクロが「社内公用語」を英語にするというニュースが話題になりましたが、その一方で、Globishも注目を集め始めているようです。




Globish (Nerriere) - Wikipedia, the free encyclopedia

Globish is a subset of the English language formalized by Jean-Paul Nerriere. It uses a subset of standard English grammar, and a list of 1500 English words.


According to Nerriere it is "not a language" in and of itself, but rather it is the common ground that non-native English speakers adopt in the context of international business.




Newsweekの記事はこちら。




All the World Speaks Globish - Newsweek




んで、その他にもいくつかの英文記事やレポートを読みましたが、Globish以外にもPlain Englishなど、いろんな「簡単な英語で!」運動があるようです。で、そんなライバルたちのひとつであるBasic Global English (BGE)の関係者がGlobishを批判しておりました。




http://www1.ku-eichstaett.de/SLF/EngluVglSW/ELiX/grzega-061.pdf (※PDFファイル)





まぁ、ライバルなので良く言うわけないんですが、ただ、中身を読んでみるとけっこう興味深いことも書いてあったりします。「Globishだ、わーい♪」と喜んでる人は読んでみるといいんじゃないでしょうか。例えば、文法について。




On p. 51 they use the sentence I have served twenty years in the Navy for Fr. Je suis dans la marine depuis vingt ans. In fact, the correct English sentence should have been I have been serving in the Navy for twenty years.


(Globish and Basic Global English (BGE) P.3より)




×I have served twenty years in the Navy

○I have been serving in the Navy for twenty years




「わたしは海軍で20年間勤務しています」という文章だと思うのですが、Globishに書いてある英文はちょっとひどくないですかねー。




×I have served → I have been serving




行為の継続を強調したいときは、現在完了進行形(present perfect progressive)ですよねー。




×twenty years → for twenty years




前置詞のforをすっ飛ばして、さらには後置せずに途中に置くってのはいいんでしょうか。Globish的には「会話ならば、これでも許容範囲です」というメッセージなんでしょうかね。




A few lines later I had waited fifteen minutes when the bus arrived should be corrected into I had been waiting for fifteen minutes when the bus arrived.


(Globish and Basic Global English (BGE) P.3より)




×I had waited fifteen minutes when the bus arrived

○I had been waiting for fifteen minutes when the bus arrived.





「バスが到着するまで15分も待たされた!」と不満を述べる文章ですから、これまた現在完了進行形(present perfect progressive)にすべきところですよね。過去完了形(past perfect)では「待っていました」と淡々と過去の出来事を語ってるだけになってしまいそう。




Throughout the entire book the authors themselves don’t master the difference between present perfect simple and present perfect progressive, nor the difference between present simple and present perfect simple nor the difference between past perfect simple and past perfect progressive (53f., 130ff., 166ff.).


(Globish and Basic Global English (BGE) P.3より)




んで、これを含めて、あれこれと間違いがあると指摘してまして・・・




1.現在完了進行形(present perfect progressive)と現在完了形(present perfect)の違い

2.現在形(present simple)と現在完了形(present perfect)の違い

3.過去完了形(past perfect)と過去完了進行形(past perfect progressive)の違い




・・あたりもわかってないらしいです。どうなの、それって・・。文法的な細かい間違いを指摘する人のことを"nitpicker"と呼ぶことがありますが、このレベルに関しては「重箱の隅を突く」に当たらないとわたしは思います。ここらへんは『English Grammar in Use』などの基本テキストで真っ先に説明される部分ですし、時制(tense)の基本的理解とされるものです。もしも、このレポートの指摘通りであるならば、これはちょっと稚拙に過ぎるミスではないか、と。


そもそも、Globishの提唱者であるJean-Paul Nerrièreはフランス人で、IBMにいたビジネスマンらしいですね。んで、日本支社にいたときに日本人や韓国人あいてに簡単な英語を使ったらウケたので、このシンプル英語を思いついたとのこと。




Nerrière, posted to Japan with IBM in the 1990s, had noticed that non-native English speakers in the Far East communicated in English far more successfully with their Korean and Japanese clients than British or American executives.


Standard English was all very well for Anglophones, but in the developing world, this non-native “decaffeinated English”―full of simplifications like “the son of my brother” for “nephew,” or “words of honor” for “oath”―was becoming the new global phenomenon. In a moment of inspiration, Nerrière christened it “Globish.”


(All the World Speaks Globish - Newsweek)




なんか、こういった経緯で生まれたコンセプトを日本人が喜ぶのって、ちょっと不思議じゃないですかね。「オレたちのカタコト英語が世界デビュー!」的な違和感を覚えます。それに"nephew"はそのまま覚えちゃったほうが早くないんだろか・・。まぁ、ド忘れしたときの緊急避難としては“the son of my brother”もアリですし、それぐらいの度胸はあったほうがいいとは思うんですが。




キタ━━( ´∀`)・ω・) ゚Д゚)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)`Д´)-_-)冫、 )ノД`)=゚ω゚)━━!!!




確かに、完璧主義は良くないです。また、こう書いてるわたしにしても、たいして英語を使えませんし、うっかりミスもよくやります。なので、ミスを怖れずに発信しようってのはいいと思うんです。ただ、お手本を慎重に選ぶのも大事じゃないでしょうか。もし、Globishをお手本に選ぶならば、ウリのひとつである1500の英単語を実際に見てみるべきでしょう。



http://www.jpn-globish.com/file/1500motsGlobish.pdf (※PDFファイル)




そして、「わーい、知ってる単語ばっかりだー♪」と安易に喜ぶのではなく、「これらがどういう基準で選ばれてるのか」「実際に使うにあたってどういう注意点があるのか」などを自分なりに考える必要があります。




Obviously, it is not based on any empirical observations, neither on native-nonnative nor on nonnative-nonnative discourse.


(Globish and Basic Global English (BGE) P.2より)




ライバルは「実験によって証明されてない」と批判しているようですが。いずれにしても、自分自身でそこらへんをケアするのはけっこう面倒くさいというか、ほとんど無理という気もします。逆に、この1500語のリストが与えてしまう「たいして英単語は覚えなくてもいいんだ」という妙な安心感こそ、警戒したほうが良いのではないか、と。そんな手間暇をかけるくらいだったら、英語圏でいろいろと工夫された教材も出てるわけですし、そちらをお手本に少しずつ勉強したほうが安全じゃないでしょうか。お手本があることのメリットは、もし間違ったとしても、お手本を見ながら修正できることですから。




1.お手本を参考にしながらも、それでも、やっぱりヘタクソなのでGlobishレベルになってしまう。

2.「Globishは世界語だ」「これでいいのだ」とそのまま修正せずに使い続ける。




この違いは大きいような気がするんですけどねー。




おわり

2010-06-23

英語学習の「富士山に登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」




とりあえず、順不同で並べてみます。




三木谷浩史・楽天会長兼社長――英語ができない役員は2年後にクビにします(1) | インタビュー | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン


日本企業は「社内公用語=英語」しないともう世界で生き残れない - My Life in MIT Sloan


「通じる英語」でいいんですよ - My Life in MIT Sloan


英語の敵は刷り込まれた苦手意識 - 雑種路線でいこう


必要なのは「共通語としての英語」 - Rails で行こう!


死ぬほど英語を勉強してきたからわかる、英語学習の限界


英語を死ぬほど勉強してきたからわかる、英語学習のありかた


死ぬほど英語を勉強してきたこととは別に関係ない、英語との付き合い




英語ネタと言えば英語ネタなんですけど、英語「周辺」ネタって感じですよねー。んで、これらのエントリーで共通しているのは・・




「英語のネイティブスピーカーに非ネイティブが追いつくのは無理。」




・・という認識なんですが、普通に英語を勉強してる人だったら「そりゃ、そうだー」と理解してますよね。巷に溢れる「わずか2週間でペラペラに!」的な情報商材を鵜呑みにする人は別にして。


で、「ネイティブレベルは無理」となると、その次善策として「通じる英語」という、これまたよく耳にする考えが出てくるわけですがー。


ただ、それって「エベレストは無理だけど、○○山なら大丈夫」的なニュアンスですよね。「○○山なら大丈夫」の「○○山」にどんな山を入れるのか、でけっこう違ってきます。




「エベレストは無理だけど、高尾山なら大丈夫」

「エベレストは無理だけど、富士山なら大丈夫」

「エベレストは無理だけど、マッターホルンなら大丈夫」

「エベレストは無理だけど、キリマンジャロなら大丈夫」

「エベレストは無理だけど、アコンカグアなら大丈夫」

「エベレストは無理だけど、マナスルなら大丈夫」




それぞれの環境や必要性に応じて「○○」に入る山は変わるのでしょう。ビジネスでバリバリと書面のやりとりや交渉をするならばマナスルかもしれませんね。身振り手振りコミコミで「通じればいい」という旅行英会話ならば、高尾山かもしれません。ここらへんも人それぞれにイメージがあることでしょう。


んで、富士山好きな日本人的には「エベレストは無理だけど、富士山なら大丈夫」を選ぶ人が多いんですかね。その富士山にはこんな諺があるんだそうです。




「登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」

「登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」というのは富士登山をさしていう。日頃山登りしない人でも一生に一度は富士山に登りたいと思う人は多い。「日本一高い富士山に一度も登らないというのは馬鹿げたことだ。しかし退屈なおもしろくない山だから二度も登るのも馬鹿げたことだ」というほどの意味だ。




(´-`).。。ooO○◯(何かに似てるような気が・・・)




退屈でおもしろくない山―というと意外に思われるかも知れない。しかし実際、富士山は5合目以上は森林限界を超えた荒涼とした斜面をジグザグに登るだけだ。近隣に山がないから山岳展望がよいはずがない。独立峰だから風の影響をもろに受け、強風の時は危険だ。


(「登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」)




( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )英語学習ネタと同じよね、奥さん?




「勉強しない馬鹿、二度勉強する馬鹿」というのは英語学習をさしていう。日頃英語を使わない人でも一生に一度は英語が出来るようになりたいと思う人は多い。「世界の共通語である英語を一度も勉強しないというのは馬鹿げたことだ。しかし退屈でおもしろくない学習だから二度も勉強するのも馬鹿げたことだ」というほどの意味だ。


退屈でおもしろくない学習―というと意外に思われるかも知れない。しかし実際、英語学習は中級以上は普通教育の限界を超えた荒涼とした斜面をジグザグに登るだけだ。近隣に英語話者がいないから環境がよいはずがない。島国だから西海岸からのアジテーションの影響をもろに受け、不景気の時は危険だ。




ま、半分シャレですが。ただ、「なんとなく富士山に登ってみたい」という気分と「なんとなく英語を勉強してみたい」という気分はどこか似たものを感じます。なんとなく。




4000mに近い高峰とあって、8月でも最低気温は一桁になり、9月には初雪が降る。だから数十万人の一般登山者が7〜8月に一気に押し寄せ、山小屋は混雑をきわめる。1畳に3人押し込められるということもあるし、小屋からあふれる人も出てくる。くわえて成層火山だから水がないので食事はきわめてお粗末だ。最近は改善されているかもしれないが、僕が8合目の小屋に泊まった時はおかずは缶詰だけだった。しかも圧力釜で炊いたというご飯もまずかった。富士山に二度登ったがいい思い出というのがない。富士山は眺めて楽しむのがいいというのが正直な実感だ。


(「登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」)




「富士山は眺めて楽しむのがいい」というのは、「英語ネタは(周辺から)眺めて楽しむのがいい」と言い換えてもよさそうです。そうなると、英語「周辺」ネタでわいわいやってるのは、ある意味で正しい「富士山」の楽しみ方なのかもしれません。


まぁ、「富士山」を「眺めてる」だけでは歩き方のコツも体力も視野の広さも身につかないんですが、そもそも「山に登る必要性があるのか?」「山登りに関心があるのか?」という基本的な部分がクリアにならないかぎり、いきなり「山」に繰り出すべきではないという気もするんですよね。


なぜなら、わたしは英語学習の「富士山」もじゅうぶんに「高い山」だと思うので。「通じる英語」と簡単に言いますが、たまたま通じているだけかもしれませんし、我流になってしまっている可能性だってあります。


実際やってみると、デンマークのヒンメルビヤーやミョレホイのレベルだって、けっこう大変だったりするわけで。ま、あれは山じゃないけどw (デンマーク ヨーロッパで一番低い国 ヒンメルビヤー 147メートル ミョレホイ 170メートル)


ともあれ、「富士山はどこから見るのが最も美しいか」という議論も退屈しないものではありますが、もし、本当に英語に関心があるのならば、「近所の小高い丘」を実際に歩いてみるのも楽しいんじゃないか、と思うわけです。それこそ、富士山を違った目で眺めることが出来るようになるかもしれませんしね。




おわり

2010-06-19

英語の先生はTOEICを受験する必要があるのか




このネタを発端にしてTwitterで英語教育うんぬんって話題になってたんですがー。




平成18年度小学校英語活動実施状況調査及び英語教育改善実施状況調査(中学校・高等学校)について 「英語教育改善実施状況調査(平成18年度)」主な結果概要(高等学校)−文部科学省

3 教員の英語力について (新項目)


調査に協力した英語教員17,627人のうち、英検準1級以上、またはTOEFL(トーフル)のPBT550点以上、CBT213点以上、TOEIC(トーイック)730点以上のスコアを取得している者は、8,539人(48.4パーセント)。


 なお、外部試験の受験経験のある者のうちでは、74.2パーセントが英検準1級以上(TOEFL(トーフル)等を含む)を取得している。




えーと、すべての教師数を分母にして計算すると「8,539人(48.4パーセント)」になって、受験経験のある教師数を分母にすると「74.2パーセント」になるってことなんですかね。ちょっと計算しなおしますと・・




項目総数パーセンテージ(分母はすべての教師数)
すべての教師数17642人-
受験経験者数11508人65.2%
ターゲットスコアをクリアした教師数8539人48.4%(受験経験者数を分母にすれば74.2%)
未受験者数6134人34.8%



・・・とこんな感じになります。


で、「5割以上の教師がある一定ラインを超えてない」=「ダメ教師」的なノリで叩かれてたわけですが、未受験の割合が34.8%もいるわけですから、まず、そこはどうなんだろうね、と。


それでも、何がなんでも叩きたいんだったら、こっちの数字じゃないんですかね。




項目総数パーセンテージ(分母はすべての教師数)
すべての教師数17642人-
受験経験者数11508人65.2%
ターゲットスコアをクリアした教師数8539人48.4%(受験経験者数を分母にすれば74.2%)
受験したけどもターゲットスコアをクリアできなかった教師数2969人16.8%(受験経験者数を分母にすれば25.8%)
未受験者数6134人34.8%



「受験した教師のうち、20%以上の教師が望ましいレベルにいない! ダメ教師だ! ワーワー!」とか言う人もいるんでしょうね。ただしー、文科省のサイトには・・




3 教員の英語力について (新項目)




と書かれていて、「お手軽に試験の点数で測っちゃえ」的な匂いも感じますねー。それに、TOEICってビジネス英語のための試験ですよね。どうして英語の先生たちが全員受けなきゃいけないのですかね。


以前にも書きましたけど、TOEICって絶対評価じゃなくて相対評価なわけで、あのスコアはTOEICを受験した人たちのなかでどこらへんに分布しているか、ということ。(参照 → TOEICのスコア計算の仕組みがややこしすぎるのでグラフを作ってみた - はてな読み


いきなり文科省やら教育委員会から言われて、ろくに準備しないまま受験させられた先生もいるんじゃないですかね。それでも「英語の教師はプロなのだから、準備なしでも730点以上を取ってしかるべきだ!」とか言うんでしょうか。


わたしは受験したことありませんがー、TOEICってけっこう「語彙を知ってるか、どうか」が大事のようですからー、英語の先生が知ってる語彙とTOEICで求めてる語彙がズレてたりすれば、誤答してしまうんじゃないでしょうか。


例えば、ターゲットスコアの730点に出ると思われる英単語は以下のようなもの。




deregulation (規制緩和、規制撤廃

enact (法律の実施、立法化)

subsidy (助成金、奨励金)

dodge (身をかわす、はぐらかす)

scarce (乏しい、不十分な)


『TOEIC TEST 3000語 完全マスター』Target Score 730のパートより




すべての英語の先生はこれを知ってないとダメなんですかね。990レベルになるとさらに難解な語彙になっていきます。




comptroller (会計検査官)

auspicious (さい先のよい、めでたい)

galvanize (電気を通す、電気で刺激する)

stratify (層に配列する、層にする)

proprietor (持ち主、所有者、経営者、家主)


『TOEIC TEST 3000語 完全マスター』Target Score 990のパートより




galvanizeとか出てくるみたいです。




galvanize in English - Google Dictionary

The aid appeal has galvanised the German business community.




「景気を刺激する」といったニュアンスで使われますが、これをすべての英語の先生が覚えなければいけないのでしょうかねー。




項目総数パーセンテージ(分母はすべての教師数)
すべての教師数17642人-
受験経験者数11508人65.2%
ターゲットスコアをクリアした教師数8539人48.4%(受験経験者数を分母にすれば74.2%)
受験したけどもターゲットスコアをクリアできなかった教師数2969人16.8%(受験経験者数を分母にすれば25.8%)
未受験者数6134人34.8%



きちんと準備期間を取って、TOEIC向きの語彙を覚えて試験慣れすればターゲットスコアの730点はほとんどの先生が取れるんじゃないんでしょうか。ま、中にはそれでも取れない人はいるんでしょうけど。(でも、そんなのはどこの会社や組織でも同じでしょ?)


で。


そもそもTOEICやその他の試験で「英語教師の能力を測ることが出来るのか」っていう問題がありますよね。また、すべての先生が各種試験で高得点を取ったとして、それによって劇的に効果が上がるのでしょうか。教え方のプロであるべきかもしれませんが、各種試験のプロである必要はないですよね。


「英語のプロなんだから」的な物言いを見かけましたけど、それって近所の内科に行って「医者なんだから内科だけでなく外科、脳外科、耳鼻科、眼科、皮膚科などのすべての分野に精通してるべきだ」と何でもかんでも治せと要求するのと何が違うんでしょうか。まぁ、その患者が小学生ならば仕方ないと思いますけど。


また、「試験で高得点を取った人」=「優秀」って考え方は、それこそ「学校英語はクソだ」という人たちが忌み嫌う大学受験の価値観と何が違うんでしょうかね。


教育の問題についてはプロの人たちがいるわけですから、そういった人たちにお任せしつつ、事態が好転していくことを願うほうがいいのではないでしょうか。


んで、それぞれの学習者は「卒業後」にどうやって自覚的に勉強していくか、と考えるべきではないのですかね。どっちみち6年間でマスターできるようなモノじゃないのですし。


あと、先生のレベルばっかり揶揄されてますけど、わたしたち学習者のレベルだって問われてるんじゃないんでしょうか。もし、たった6年間であらゆるスキルの基礎部分をマスターさせる素晴らしいカリキュラムが出来たとして、学習者(=生徒)のほうはそれに付いていけるんですかね。


無理だと思いますけどねー。


少なくとも、わたし自身は付いていけずに落伍してしまうでしょう。そんなに優秀じゃないので。だからこそ、地道に辞書を引いて本を読むしかないわけです。試験から解放された自主的な勉強って、けっこう楽しいものですよ。わざわざ試験を受けなくても英語は勉強できます。




おわーりー

2010-06-17

Virtual Insanity




D




ひどいね、これww 日清って、変なCMばっかりだなー。しかも、このジャミロクワイの曲って歌詞を読んでみるとけっこうデリケートな歌みたい。




D


Ooh, he-hey

ah-oh

Why-we’re-livin’-in

Lemme-tell-ya


It' a wonder man can eat at all when things are big that should be small

Who can tell what magic spells we'll be doing for us.

And I'm giving all my love to this world

Only to be told

I can't see, I can't breathe

No more will we be


And nothing's gonna change the way we live

Cuz we can always take and never give

And now that things are changing for the worse,

See, it's a crazy world we're living in

And I just can't see that half of us immersed in sin is all we have to give these



Futures made of virtual insanity now always seem to be governed by this love we have for useless, twisting, our new technology

Oh now there is no sound for we all live underground


And I'm thinking in what a mess we're in

Hard to know when to begin

If I could slip the sickly ties that earthly man has made

And now every mother can choose the color of her child

That's not nature's way

Well that's what they said yesterday

There's nothing left to do but pray

I think it's time I found a new religion

Whoaaa it's so insane to synthesize another strain

There's something in these futures that we have to be told.


Futures made of virtual insanity now always seem to be governed by this love we have for useless, twisting, our new technology

Oh now there is no sound for we all live underground


Now there's no sound if we all live underground

And now it's virtual insanity

Forget your virtual reality

Oh, there's nothing so bad, I know yeah


(Bridge)


Futures made of virtual insanity now always seem to be governed by this love we have for useless, twisting, our new technology

Oh now there is no sound for we all live underground


Now, there's life that we're livin' in

It's all going wrong and

Out of the window, did you know that

There's nothing worse than a melting mind

There's nothing worse than a foolish mind


Falsetto: Virtual Insanity is what we're living in

Yeah~ is all ra-ha-hite




これ、遺伝子操作を批判した歌ですよね。コロチャーって(ry


カップヌードルのCMって、どうしてこうもセンスがないんだろ。




おわり

2010-06-15

日本がカメルーンに勝った試合はとてもレアな展開・・らしい




日本がカメルーンに勝ったわけですが、ワールドカップにおいて3本しかシュートを打ってないチームが勝ったのは、かなりレアだったようで。




http://twitter.com/optajoe/status/16158433918

3 - Japan had only three shots in their win against Cameroon; the fewest by a winning side in the World Cup finals since 1966. Counter.


optajoe

Opta Sports




ちなみに、optaがデータを取ってるのはテレビ中継された試合だけだったので、こんな言い方になってるようですね。




http://twitter.com/optajoe/status/16158875048

@chic1967 Because we've analysed every WC finals match from 1966 onwards. Before that, not all games were televised.


optajoe

Opta Sports




ま、このデータを信じるならば、今回の勝利であまり過信してはダメなのかも。とはいえ、自国開催以外で獲得した初勝利なので大切な一歩ではありますね。ちなみに、英語ではこう表現するらしい。




FIFA.com - Japan-Cameroon - The matches of 2010 FIFA World Cup South Africa

Japan recorded their first FIFA World Cup win on foreign soil after Keisuke Honda's first-half goal downed Cameroon at the Free State Stadium.




へぇ。知りませんでした。まー、でも、on foreign soilがノーマルなわけですから、スタート地点に立てたというくらいの認識がちょうどなのでしょうね。




おわり

2010-06-05

イ・ヨンスクと英語




第2部・シンポジウム「日本人にとって英語とは何か?」




イ・ヨンスクの意見だけをコピペしておくテスト。




http://www.taishukan.co.jp/event_genius/sympo_1.html

イ:現在、日本で議論されている「第二公用語論」は、英語教育と混同されて、公用語にすればいきなり日本人の英語力が高まるという迷信に陥っている気がします。そこで私は「公用語論とは何か」という問題をもう少し深く検討していきたいと思います。前提として、母語ではない言語を公用語にする国は大体二つのタイプに分けられます。まずは多言語社会。もう一つは旧植民地の国。しかしこの二つに属さず、母語ではない言語をわざわざ公用語にしようという例は、日本と私の出身国である韓国だけです。これは非常に新しい、面白い現象だと思います。


http://www.taishukan.co.jp/event_genius/sympo_2.html

イ:議論に水をさすようですが、日本人が言語に関して無関心だというのは、歴史的に見ると決してそうではありません。日本が植民地や占領地の人々を同化させようとする際の一番の柱は日本語でした。また日本は明治の出発点に、「日本語は日本人の血液である」ということでナショナリズムを立てていた。つまり「日本人以外は日本語を理解できない。日本語は日本人の心である」という考えが根底にあり、そこから「排除の論理」が生まれてくる。もしかしたら日本人の英語に対する恐れは、こうした日本語に対する意識が影を落とし、英語に恐れを抱いているのではないか。


 さらに今日の議論では、国と国とが闘って勝利することが前提となっています。20世紀を通して、国という枠組みのなかで闘うことを繰り返し、どれほど多くの人が傷ついてきたか。それを踏まえて私たちは、これまでとは違う別の世界をと、希望を抱いているわけですね。国という枠で出発点に立つとすると、日本はアメリカに対して勝算はありません。ですから国という枠を破ることで、もしかしたら日本人は英語に自信を持てるのではないか。


 先ほど、鈴木先生が「国際英語は完璧ではなくてもいい」とおっしゃいましたが、その意見には同感です。そして同様に、日本にいる外国人が日本語を話すとき、日本人はどのように思うか。西洋の人がちょっと日本語を話すと感激するけれど、それ以外の国の人が日本語を上手に話せなかったとき、それをオープンな気持ち――日本人が海外で完璧な英語を話せなかったときに英語のネイティブ・スピーカーに要求されるような気持ち――で受け止めてきたか。このことは反省すべき点として残るものと思います。


 日本の「言語=民族=国家」という枠組みは既に崩れています。日本がどんどん移民を受け入れるようになったとき、その枠組みでは対処不可能となる。旧い枠組みを破って新しい考え方をせずして、日本人は英語の呪縛から解放されないでしょう。


http://www.taishukan.co.jp/event_genius/sympo_3.html

萩谷:イ先生、韓国の目から見て、日本の公用語論についての御感想は。


イ:まず韓国で公用語論というと、先ほどふれたやや歪んだ民族主義への反省から来ているのが一つ。もう一つは、現在韓国からの移民が100 万人くらいアメリカに住んでいることです。現在も毎年、1万から2万の人がアメリカに行きます。5000万の韓国人口のうちの100万ですから、親戚の誰かがアメリカに住んでいるということになって、日本よりは生活の中で英語を必要としていると考えられる。


 日本の公用語論ですが、『二十一世紀の日本の構想』を分析してみると、「英語を国民の実用語とすることに全力を尽くす。これは日本の戦略課題である」というのが非常に気になる。鈴木先生が「国力、これはすばらしい考え方だ」とおっしゃいましたが、私はちょっと心配になるんです。やはり言葉は闘うためのものではなく、共存のためのものであるということが、まず私の考え方なのです。


 第二公用語に積極的な朝日新聞の船橋洋一さんは「多言語主義に基づく言語政策は日本語を守っていくことである」と明言されています。それも一理ありますが、さらに、「日本が将来、移民国家になると、日本語を公用語として位置づける必要が出てくるかもしれない」そのうえで「第二公用語を英語とする」としています。


 しかし英語を母語にしている人が将来日本に移民してくるかというと、現状からみて違うだろう。そうすると、英語をnativeとしない人が日本に移住してきたとき、「日本の社会」と「英語」という二つの車輪の中で、より一層彼らを排除するような危険性がある。ということで、私は第二公用語論には若干反対の立場です。


 もう一つは、英語が世界に広まったのはそんなに古いことではなく、第二世界大戦の後なんです。イギリスのロボット・ピリクソンは「英語は便利なのではない。世界に自然に広まったように見えるがそうではなく、アメリカの政治力・軍事力の強大化と並行して広まっていった。我々が言葉に拠って生きている人間である限り、極力言語的な不平等は解消した方がいいのだ」と。私はその立場を選択します。この立場からしますと、英語が広まることは言語的な不平等をより助長する結果になるので、そういう根拠においても私は日本における英語の第二公用語論にはあまり賛成できません。


http://www.taishukan.co.jp/event_genius/sympo_4.html

イ:先ほどは、私がまるで「英語を勉強すると悪だ」と発言したように皆さんお思いかもしれませんが、私が強調したかったのは、どういう背景・コンテンツ・コンテクストで広まっているかを意識しているか否か、英語の広まりは自然な現象ではないということです。また、第二公用語論と英語教育とは切り離して考えるべきだと思います。


 韓国でも、パソコンは家庭に広く普及し、町にはネットバーもありますが、実情は、得た情報がそれほど役に立っているわけでもなく、遊び半分で用いられることが多いという印象です。


 英語教育との関連では、アジア人、特に日本人は音声言語としての英語は苦手で、よく読めはするけれども話せないという点は、非常にあやしいものだと思うんです。本当に読める力があるかは甚だ疑問だと。学生を見ていてもよく読める人は非常に少ない。インターネットに関連した英語教育というと、私は、「書く能力」「読む能力」「文字言語としての英語」により力を入れるべきではないかと思います。


http://www.taishukan.co.jp/event_genius/sympo_5.html

イ:まだ聞いていませんが、韓国でも自国の将来を気にする人の中から、そのような発言をする人が出てくるかも知れません。


 確かに、「大衆化」にはさまざまな問題が含まれています。私の母が65歳頃、遅い更年期で鬱になったとき、学歴に対するコンプレックスが彼女をずっと苦しめてきたことを聞いたんです。教育を受けることが当たり前な人にはわからぬ心の痛みを目の当たりにし、「大衆化」の問題点を認めつつも、私は多くの人に門戸を開く方に賛成します。


 「英語のエリート化」については、国益などの面で一理あるとは思いますが、利益やコスト削減の追究を専一に考えすぎると、この地球上に、極端にいうと人間は全部絶命してしまう結果になる。京都議定書をアメリカが撤回したことに対して、何も反論できない。国際理解というのはもどかしいし、費用がかかるし、腹も立つ。しかしそこから私たちは何かを学んでいくような気がします。したがって英語を全員に義務づけることは問題かもしれませんが、一部のエリートだけに英語を集中させることには、私は大変疑問を感じます。


 韓国では高校に第二外国語があり、多くの高校で日本語が学べます。受験科目ですので、高校生は熱心に日本語を勉強しています。韓国は、しきりに反日を叫ぶやっかいな国だという印象がありますが、一生懸命日本語を勉強しながら、日本に憧れている若い人が多いという現実はほとんど紹介されていません。日本語がそんなにうまくなくても、彼らが窓口となって日本に対する好奇心が高まっていき、これまでの50年間、先輩たちが崩していった歴史を立て直す役割を果たすかもしれない。日本人にとっての英語の問題についても、そのような視点で見ることができないだろうか、と思います。


イ:韓国では、三年ほど前からすでに小学校から英語学習がスタートしています。早期教育も含めた英語教育の建前は「国際化」――韓国ではこれを「世界化」と言いますが、世界化に見合う人間をつくり出すということですね。しかし韓国でも日本と同様に大学受験という大きなハードルがあり、そこに収斂されてしまうんです。だから、早くから勉強したからといって英語が好きになるわけではなく、むしろ嫌になる時期が早まるような感じがある。


 「文法は不要で、耳から入る」ということもある部分正しいと思いますが、言語というのは、外の環境にある程度言語共同体がないとその言語を使う機会がないわけで、その意味で日本や韓国は、耳から入っていくというやり方がちょっと難しいという気がします。


 面白いのは、英語圏の人は、日本に来て20年くらいたってもなかなか日本語を習得しません。しかし、私のような非英語圏の人間は、日本に来て半年もたてば大体コミュニケーションがとれるようになる。それは能力の問題ではなくて、必要性というのがあるのではないかという気がいたします。




まともだわ。