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2015-02-27

「アーシャのアトリエ」のシナリオを考察する

アーシャのアトリエ Plus ~黄昏の大地の錬金術士~




(前置き)


・シナリオ考察なので、もちろんネタバレありです。ご注意ください。

・アトリエシリーズは「アーシャのアトリエ Plus」で初めてプレイ。

・1周目は真エンド。

・現在、2周目の途中。

・変異ボス、ウシの楽園、隠された楽園、追加ボスの戦神の偶像あたりまでクリア。

・それ以外の追加ボスはのんびりと。

・調合はうしクリームのロンダリングを覚えたあたり。

・エスロジ Plus も購入して、序盤をやってます。

・シャリーは未プレイ


基本的に「アーシャのアトリエ Plus」の本編だけで考察しています。シナリオブックなども読んでいませんし、続編もまだすべてはプレイしていません。なので、いろいろと違っていたら、すみません。




【ノアの方舟】


この作品のメインプロットは「ノアの方舟」ですよね。「管理者」=「ノアの方舟」であることはすぐに気づくところでしょう。シリーズ名称も「旧約錬金シリーズ」となっているようですが、この「ノアの方舟」も旧約聖書の「創世記」に出てくるお話です。ただ、この物語では、その「方舟」を主人公が破壊してしまうんですよね。これがなかなかすごい。




4Gamer.net ― 想像以上に難産だった? 「アーシャのアトリエ」,ディレクター岡村佳人氏が産みの苦しみと次回作への展望を語る

岡村氏:

何を隠そう,僕は今回「Fallout」のような世界でアトリエをやりたかったんです。




「Fallout」をモチーフにしているようですから、「アーシャのアトリエ」における前時代の技術もまた、「Fallout」における Vault のように暴走していたと仮定することは可能ですね。実際、リンカと偽リンカのエピソードなどはそういった負の側面を伝えるものでしょう。とはいえ、あちこちにいるスラグとか、いろいろと「暴走」している存在は出てくるものの、果たして「管理者」はどうだったんだろう、と。作中でアーシャも自問自答していることなんですが、種の保存を目的としたシステムとして正常に機能していた可能性も否定はできないんですよね。ハロス村やニオの件をイグドラシルの「ミス」と捉えるならばシステムは暴走していることになりますが、実は「きちんとした理由」があるのだとすれば「正常に」機能していた可能性もあります。ここらへんは「どちらとも言えない」というのが結論でしょうから、アーシャと同じようにプレイヤーも悩むべきところなのでしょうね。




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キースはスラグを作り出した人間の「悪意」を問題としていますが、ただ、「管理者」の場合は人類という種の保存を目的として設計されたものですから、これらのスラグとはやや異なる存在です。なので、キースも「管理者」については「悪意」を問題とせず、「暴走していたに違いない」と話しています。もちろん、これが「管理者」を倒してしまったアーシャを慰める言葉である可能性もじゅうぶんにあるわけですが、アーシャが納得できない理由にはアーシャとエスカの設定も深く関わっているような気がします。「アーシャのアトリエ」ではアルトゥール薬草園、「エスカ&ロジーのアトリエ」ではエスカの実家のりんご農園。主人公たちの近くにある植物だけがその生命力を保っていけるというのは実に不思議な話で、ここには何らかの秘密が隠されているのでしょうか。ラスボスであるイグドラシルもまた樹木を模した姿をしていますね。




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イグドラシルは北欧神話などに出てくる世界樹のことですが、薬草園やりんご農園が黄昏にあっても植物を育む力があるのだとすれば、同じく植物であるイグドラシルもまたそういった力を持っていると考えるのが自然ではないでしょうか。アーシャはそういった類似点に気づいていたからこそ、イグドラシルを倒したことについて自問自答を続けていたのかもしれませんね。




【MARIA】


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ラスボス戦でかかる「MARIA」。これにはかなり驚かされました。この曲を使った演出の何がすごいって、ラスボスを倒したあとに罪悪感が残ることなんですよね。本当に倒してしまってよかったのか・・・と倒したあとにいやでも考えさせられるという。海外のレビューにも目を通してみましたが、賛美歌がモチーフになっていることもあってか、海外ユーザーのあいだでもこの曲の人気は高いようです。そして、歌詞はすべて造語ですが、そこにはきちんと意味が込められているとのこと。


re di a. sem fi sem la.

re di a. sem di sem fa.

hal en na. ri en de.

hal en na. di en ra.


maria. fal ma fal xe.

maria. fal na fal ra. maria.


hal en na. ri en de. hal en na.

di en ra. meria.fal ma fal xe.

maria. fal na fal ra.


確かに、一定の法則に従って文字が綴られています。実際にどういった内容を歌っているのか、そこはわたしにもわかりませんが、これもまた聖書の一部からの引用か、または、それらを下敷きにした内容なのではないか、と個人的には推測しています。以下に、その根拠を書いてみましょう。まず、ディレクターがモチーフとしていた「Fallout」では、その物語において「ヨハネの黙示録」第21章6が重要な役割を果たしているようです。




Revelation 21:6 - The Fallout wiki - Fallout: New Vegas and more




「Fallout」のセリフに出てくる聖書の引用部分は King James Version (KJV)のものですね。


{Revelation 21:6}


And he said unto me, It is done. I am Alpha and Omega, the beginning and the end.

I will give unto him that is athirst of the fountain of the water of life, freely.


(新共同訳)

「また、わたしに言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。」


水は「Fallout」でも重要なテーマでもあるので、「アーシャのアトリエ」の水涸れはまさにそこからインスパイアされたものでしょう。そして、プレイされた方であれば、この聖書の一節から深い意味を感じ取るのはそう難しいことではないはずです。というか、黄昏シリーズのテーマはまさにこれですよね。


「MARIA」がこの「ヨハネの黙示録」第21章6から直接に取られた歌詞なのか、そこはわかりません。ただ、「Fallout」においても引用されている重要な一節ですので、「アーシャのアトリエ」においても何らかの形で引用されていると考えるのが自然でしょう。なので、そのままではないかもしれませんが、「ヨハネの黙示録」第21章あたりを下敷きにした内容が歌われているのではないか、とわたしは想像しています。楽曲の作りは「Ave Maria」っぽい感じですけどね。




【アーシャという名前】


日本国内のゲームやアニメなどに出てくる人名はオリジナルのものも多いので、人名から多くの意味を読み取ろうとするのは少し危険なところがあるとは思うのですが、それでも、わたしは「アーシャ」というネーミングがずっと気になっています。


I am Alpha and Omega, the beginning and the end.


「わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。」


先に引用した「ヨハネの黙示録」第21章6ですが、'I am Alpha and Omega' というのはとても有名な言葉です。Alpha はギリシャ文字における「α」で、始まりを意味しています。Omega はギリシャ文字における「Ω」で、つまり、終末のことです。聖書における詳しい解釈には踏み込めませんが、ごくごく一般的な解釈では「わたしは始まりでもあり、終わりでもある」となり、これは「神は時間を超越した存在である」との宣言だと考えられているようです。


そして、この「Alpha」は英語では「A」に当たります。もし、Alpha and Omega が含意としてあるならば、アーシャ(Ayesha)という名前には「始まり」という意味を持たせてあるのかもしれませんね。もうひとつ、アーシャ(Ayesha)という名前はアラブのもので、意味としては Woman, Life になるらしいです。そう考えてみると、ラスボス戦でかかる「MARIA」という曲名にも、Maria - Ayesha という二人の異なった女性像を対比させる意図が隠されているのかもしれません。




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ともあれ、アーシャのすごいところは思いきりの良さであり、この気質は神の命令通りに「方舟」を作ったノアの「忠実さ」の対極にあるものです。




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そして、アーシャ自身もそのことに気づいているように見えます。




【ナナカの謎】


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ほとんどのプレイヤーが面食らったであろうポロちゃんの迷子イベント。なんと、帰ってきたら2匹に増えているんですよね。その理由はハッキリとは語られていないのですが、でも、これはわかりやすい話だと思います。




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どう考えてもクローンです。そして、この迷子イベントとホムンクルスの旅立ちイベントから推測すれば、リンカと偽リンカの関係もわかるようになっているわけですね。「アーシャのアトリエ」は三部作の第一作ということもあり、謎をすべて明かすことなく、このような婉曲的な伝え方をしているのでしょう。わたしはまだ見ていませんが、続編ではより理解しやすい形でリンカやホムンクルスと先の文明の関係などが語られているのではないかと想像します。


さて、ここまでは良いのですが、さらに謎めいているのはポロちゃんの飼い主であるナナカです。おっとりした性格の癒やしキャラなのですが、でも、あまりにも謎が多すぎます。



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驚いたことに、気球を使わず、浮島であるスタインフェーダーにまで牛たちを連れてきます。アーシャはおっとりした性格というか、基本的にボケてるので、「ナナカさんは不思議な人だなー」と素朴な感想を抱いて終わりなのですが、さすがにスタインフェーダーの件は普通ではありません。このとき、ナナカは「うし飼いだけが知っている移動手段」の存在を仄めかしていますが、やはり、遺跡に残っている前時代の交通手段を用いていると考えるべきでしょう。




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これは隧道跡に落ちているチラシなのですが、ここにそのヒントが隠されているように思います。このチラシを拡大してよく読んでみると、アーシャたちの時代の1年分の交通・物流量が、技術の進んでいた前時代においてはたったの1日分でしかないと書かれているんですね。驚くべき輸送能力の高さです。




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レジナの説明によれば、遺跡には「生きている」ものと「死んでいる」ものがあるとのことですから、ナナカが使っていた移動手段というのはこれらの「生きている」遺跡の施設だったのではないかと考えられます。




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こちらは塩の砂漠でのやりとりですが、チラシで拾えるホルンハイムについての新聞記事を読むと、塩の砂漠とホルンハイムのあいだが断崖絶壁となった地殻変動というのは200年以上も続いていたとあります。




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こんな大規模な地殻変動の最中であっても、ナナカのご先祖様たちは塩の砂漠で放牧をしていたことになるわけで、これまた普通ではありません。こうなると、「ナナカの一族とはどういった存在なのか?」という疑問が湧いてくるわけですが、やはり、ナナカの一族のモチーフも聖書にあると思うのです。牛などの家畜を飼い放浪するというのは、旧約聖書の「創世記」において、「ノアの方舟」のあとに登場するアブラハムとその末裔たちと同じ暮らしです。




Nanaca Gruden - Atelier Wiki




そして、何より決定的だと思うのは「ナナカ」という名前です。ナナカは英語版の表記では「Nanaca」となっていますが、これは間違いなく「カナン」(Canaan)のアナグラムでしょう。


Nanaca

Canaan


こんな感じですね。また、「出エジプト記」では以下のような描写が出て来ます。


{Exodus 3:8}

And I am come down to deliver them out of the hand of the Egyptians,

and to bring them up out of that land unto a good land and a large,

unto a land flowing with milk and honey;

unto the place of the Canaanites, and the Hittites, and the Amorites,

and the Perizzites, and the Hivites, and the Jebusites.


(新共同訳)「わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。」


カナン(Canaan)は「乳とみつの流れる地」(a land flowing with milk and honey)であり、これはナナカのうし飼いという仕事とも符号が一致します。また、Holman Illustrated Bible Dictionary によれば、聖書において 'the Canaanites' は 'trader' 'merchant' という意味で用いられることが多いとあります。これまたナナカのキャラクターと重なる部分があります。




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この「王冠印のうしミルク」はナナカのところでしか入手できない最高ランクのミルクですが、「王冠」もそういった隠喩のひとつなのかもしれません。そして、この「王冠印のうしミルク」をナナカのところ以外で入手出来るのがウシの楽園なのですが、まさにこのウシの楽園とその出現場所であるハロス村こそが、ナナカとイグドラシルの謎を解き明かす鍵ではないかと思うのです。




【ハロス村の神隠しとは何だったのか?】


メインストーリーを進めていくなかで、どうしても腑に落ちないことがありました。それは「管理者」はなぜニオを取り込んだのか、そして、アーシャがその行方を追う道中で起きたハロス村の神隠しとはいったい何だったのかという疑問です。




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「管理者」であるイグドラシルが暴走しており、近くにいる人間や動物を無作為に取り込んでいたのだとすれば、とりあえず、ニオの件は納得がいきます。しかし、ハロス村の集団神隠しのほうは説明がつきません。村ごと神隠しに遭うというのはかなり常軌を逸しています。




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わたしも途中までは何が何やらさっぱりだったのですが、あれこれ考えながらウシの楽園で採取をしていたときに、これはナナカと関係があるのではないかと思ったのです。なぜ、ナナカだけが売っている「王冠印のうしミルク」がこのウシの楽園で採れるのか。そもそも、なぜ、ウシの楽園はハロス村の廃屋が出入り口となっているのか。もしも、「乳とみつの流れる地」=「約束の地・カナン」がハロス村であったとしたら、そして、前時代の文明と深い関わりを持つナナカの一族にとってこの村が特別な場所であったとしたら、すべて辻褄が合うのではないか。


つまり、このハロス村が特別な場所=「約束の地・カナン」であったなら、その村人たちをイグドラシルが保護するのはごくごく当たり前のことなのではないか、と。もし、この推論が正しければ、イグドラシルはたまたま近くにいた人々を無作為に取り込んでいたのではなく、きちんと救うものを選定したうえで保護していたことになります。言い換えるならば、イグドラシルは暴走などしておらず、「実は正常に機能していた」という結論になるわけです。そして、このウシの楽園にもイグドラシルと同種の「太古の生命なる樹」というボスが待ち構えており、ここでも「MARIA」が流れるんですよね。あれは単なる使い回しではなく、実は、きちんと意味がこめられていたのではないでしょうか。


ちなみに、ハロス村の英語表記は Hallos Village となります。この意味については、はっきりとはわからないのですが、Hallos という綴りから真っ先にわたしが連想したのは Halo で、これは聖人の頭の周囲にある光の輪のことです。




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このようにキリストなど聖人たちの頭部に描かれたりします。ハロス村が「約束の地・カナン」であり、そこに住む人々が神(=管理者、イグドラシル)によって選ばれた人々なのだとすれば、これもまた意味のあるネーミングなのかもしれません。




【ナナカとアーシャ】


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ナナカはある種の運命論に近い思想の持ち主で、運命は自ら切り開くものではなく、自分以外の誰かの意思によって定められていると考えています。




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かたや、アーシャはそういった世界観からはみ出たキャラクターです。妹のニオを救うためとはいえ「管理者」=「ノアの方舟」を破壊してしまうわけですしね。また、思いきりの良さも持っており、ギリシャ神話のプロメテウスのようなところがあります。この二人は実に対照的な存在として描かれいるわけですが、簡単にまとめるとこんなふうになるでしょうか。


旧時代を象徴するキャラナナカ
新時代を象徴するキャラアーシャ

もちろん、この二人が敵対しているというわけではありません。単に、象徴している時代が違うだけです。この二人は良き友人であり、それはナナカがアーシャのアトリエを訪ねるくだりでも同じことです。




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ナナカは何らかの方法でアーシャのアトリエの場所を見つけ出しているのですが、これもナナカが遺跡の転送施設を使用しているので、アルトゥール薬草園の周辺についての知識を持っていたということでしょう。




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そして、アルトゥール薬草園のチラシにはこんなことが書かれています。


Only recently, a family of doctors has built a factory nearby.


アルトゥール薬草園は医療用の植物の栽培や研究をしていた施設だったが、ごくごく新しい時代になってから、その近くに医者の一家が工房を設けたとあります。これはアーシャの家系のことではないでしょうか。そして、古くからアルトゥール薬草園の転送施設を利用していたナナカの一族がそれを知っていたとしても、何の不思議もありません。




(まとめ)


ディレクターのかたが言うように、「アーシャのアトリエ」の世界観は「Fallout」と共通する部分があります。先の文明が滅んだあと、黄昏の時代を生き抜こうとする人々を描いているという点はまったく同じですね。また、水涸れは「Fallout」でも引用している「ヨハネの黙示録」から生まれた設定でしょう。しかしながら、そういった重いテーマを隠し持ってはいるものの、繰り広げられるドラマは実にのんびりとしていて、また、シナリオのうまさもあって、随所に笑いの要素まで散りばめられています。




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このお料理教室イベントなどがそうですねw これもリンカの設定をはっきりと示してしまったら描けないでしょうから、婉曲的に匂わす程度にしているのは必ずしも悪いことではないと思います。また、これはまったくもって個人的な好みなのですが、「アーシャのアトリエ」は食べ物をとても大事に扱っている作品で、そこもわたしが気に入った理由のひとつです。何を食べているのか、よくわからない登場人物たちが簡単に世界を救ってしまう話よりも、「お腹が減ったなー」「これ、おいしいね」というやりとりが繰り広げられるドラマのほうがよほど人間味に溢れていると思うので。ハリーの飢饉についてのイベントなどはその典型例でしょう。


もし、アーシャが「管理者」を倒したことが間違いだったとしても、それでも、妹のニオと一緒にごはんを食べる生活を取り戻したいという願いまでは否定できないでしょう。矛盾しているかもしれないけど、そんな素直な感情を失ってまで生きたくないというのも、これまた、ひとつの真実ではないでしょうか。スラグのように使役される存在にはなりたくないし、妹のニオもそんなふうにさせない。だからこそ、ふだんは温厚なアーシャがニオを「モノ」扱いされたときだけ激高したのだと思います。「管理者」を倒す「正当性」のようなものを探すとしたら、あの場面がまさにそれではないでしょうか。




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そして、キースが言うように「答え」は意外とシンプルなもので、「世界」といった大きすぎるテーマを扱わないアトリエシリーズらしさがこの一言に凝縮されているような気がします。小粒ではあるかもしれないけど、でも、どのキャラクターにも可愛らしさがあって、そして、暖かみの感じられる物語。




「アーシャのアトリエ」は間違いなく傑作だと思います。




D


(おわり)