違い

僕らは、明かりの消えたデパートの軒先でキスをしました。
行き交う人々に見つからないように辺りに目を配りつつも、
見つかってしまってもいいかなと、どこかお互いに了解しながらキスをしました。


雨の強い日でした。
僕の持っていた小さな折り畳み傘では、この強い雨から頭を濡らさないようにするのが精一杯でした。
終電の近くの駅前は、家路を急ぐ人々が時々、肩をすぼめながら通り過ぎていました。


彼女には恋人と呼べる人がいました。
それでも、僕らの間にある、微妙な親密さは消えることはありませんでした。
それは、彼女が、ある種この"遊び"の関係を楽しんでいたように思えたからです。


ただ、僕の方はといえば、この関係に"遊び"以上の何かを求めていました。
あわよくば、と心の何処かで企んでいたのだと思います。


その思いは、結果、このキスへと向かってしましました。
"遊び"以上の何かを求めていることを告げると、彼女は困ったような顔をした後、曖昧に微笑みました。


僕もまた、曖昧に微笑み返しました。
とりあえず僕は、彼女の微笑みを保留しました。
あるいは、僕は判断を無意識的に中空に留めておくことにしました。
思考停止。


僕は再びキスをしてやりました。
さっきのとは違うニュアンスを込めてキスをしてやりました。

僕の下で

彼女はねだるように唇を差し出してきた。
僕は平静を装いつつ、その様子を黙ってみていた。
それでも彼女は、僕の気持ちを見透かしたかのように、何度も何度も唇を突き出してくる。
ーやれやれ、でももう少しだけ。


僕はそのまま軽くキスをして、再び彼女の様子を伺った。
ニヤリとした笑みが浮かぶ。
そして彼女は、最後にもう一度、唇を僕に向けた。


やれやれ、やっぱり彼女には叶わない。
どうやったって彼女には叶わない。
恋は落ちたほうが負けなのだ。
追いかけるほうが負けなのだ。


そうして僕は彼女に深く口付けた。
焦らしてしまった分、息継ぎが出来ないぐらいに、深く。
真綿で絞め殺すように、ゆっくりと。
彼女の期待に答える、従順な犬のように。

今年は20本の映画を劇場でみたようだ・・。

何か書いてみた

[雑記]昨年みた映画はなんだっけ?


今年はどんな映画を見たんだっけ。年も迫った12月最終週の某日、冬の陽が暖かく差し込む閑散とした車内で考えてみた。wikipediaというのは便利なもので、今年公開された映画が一覧で表示できる。スマートフォンを親指でツルツルと撫でる。


順番は適当の計12本でした。
ウォール・ストリートは「にゃー」という感じがなくはないけれど、基本見た映画すべてが面白かった。素晴らしいことだね。
ということで、何か書いてみた。


1/2 京王永山駅近くのタリーズなう

雑記

[雑記]
当時あれだけ存在した人々はどこに行ってしまったのだろう。


ちょっとtwitterに飽きて、ふと昔なじみのサイトを覗いたときには、時既に遅く、あれだけ更新していたテキスト群が次々と廃墟と化していく様は、なんとも切ない。


僕がテキストサイトを読んでいた2000年代初頭、いや、はてなに登録した2005年という年を起点にして考えても、人々は実に拡散してしまった。
人々は様々なwebサービスに拡散し、さらにリアルタイムの時間の流れへと拡散してしまった。そして、人々は現実の"人々"へと収束しつつある。


今は "あの" 居心地の良さがどこか遠い。
でも戻りたいかと言われれば、難しいところ。
戻りたくても、今更戻れない。
戻れるのか。