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『建築と日常』編集者日記

07月21日(金)

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昨日()言及した「系譜のチャート」(『日本の家 1945年以降の建築と暮らし』新建築社、2017年、pp.8-9)。写真が悪くて申し訳ないけれど、話の成り行き上、引用させてもらうことにする(画像をクリックすると拡大表示)。

このチャートでは、縦軸を各住宅が立脚する主題の領域とし(「様式」「都市/家族」「産業」)、横軸を1945年から現在までの時間軸にしている。縦軸の3つもこうして等価に並置できるものかどうか疑問があるけれど(巻末の保坂さんのテキストではなぜか「都市/家族」の「家族」がなく、「様式」「都市」「産業」の3要素で1945年以降の時代性が説明されている)、より根本的なところで違和感をもったのは、この座標上で13の系譜がそれぞれ線で括られて位置を示されている点だ。むしろこうやってグラフィカルに明示できないところにこそ、オーソライズされた歴史とは一線を画した系譜学の意義があるのではないだろうか。系譜学の必然性を説明する次のような文──「平面に正方形を選んだ瞬間、素材にコンクリートを選んだ瞬間、窓に出窓を選んだ瞬間、別の住宅とのネットワークが生じる」(保坂、p.232)──は、まさに「クリシェ的な言説の中で埋没していたモノの特性を浮かび上がらせる」(保坂、p.234)思考として魅力を感じるのだけど、こうした言葉が示す思考の自由さは、「系譜のチャート」として視覚化されることで消えてしまう。

例えば、確かに「2. 日本的なるもの」が建築界で大きなテーマになっていたのは、戦後においては1950年代から60年代にかけてだったかもしれない。けれども「日本的なるもの」を積極的にテーマ化した作品は、その後もポストモダンの時代からクールジャパンの現在に至るまで少なからずあるわけで、系譜学の立場としては、そうしたもの同士の繋がりを踏まえることで(そのとき「日本的なるもの」の問題は、「様式」の領域にとどまらず「都市」や「産業」の領域にまで拡張するかもしれない)、それぞれの時代の特性やそれぞれの作品の特性、さらには「日本の家」総体としての性質も見えてくると考えるべきなのではないだろうか。「13. 新しい土着:暮らしのエコロジー」という系譜も、「新しい」という形容で過去との断絶を強調してみせるより、先人たち(例えば石井修や奥村昭雄など)との繋がりを示唆しておいたほうが(たとえ現実的な条件によって実際には出展できなかったとしても)、より系譜学らしい気がする(ただし、英文および保坂さんのテキストでは「新しい」がなく、「ヴァナキュラー:暮らしのエコロジー」となっている)。

すこし見方を変えると、この「系譜のチャート」が暗に前提にしているのは、まず個々の住宅が現実にあり、それらの存在が「日本の戦後住宅」という全体像を成り立たせているという認識ではなくて、あらかじめ「日本の戦後住宅」という普遍的・客観的で均質な時空間があり、個々の住宅はその枠組みの中にそれぞれの位置を占めている、という認識だろう。そしてこの認識は「系譜のチャート」に指摘できるだけでなく、今回の展覧会における作品のセレクトや構成の仕方にも節々でうかがうことができる。つまり、個々の作品の響き合いによって1つの系譜が生成されるというベクトルではなく、あらかじめある系譜を想定し、それに当てはまる作品をそこに分類していくというベクトルだ。もちろん2つのベクトルは相補的なものでもあるけれど、おそらく系譜学というコンセプトにおいては前者のベクトルが優先されるべきだと思う。しかし実際には、後者のベクトルで決まっていると思われる部分が多々見られる。例えば藤森照信さんの《ニラハウス》(1997)とアトリエ・ワンの《ポニー・ガーデン》(2008)は同じ「13. 新しい土着:暮らしのエコロジー」という系譜に属しているけれど、この2作が互いにことさら響き合うという実感は、おそらく塚本先生にも(藤森さんにも)ないのではないだろうか。「7. 遊戯性」と「8. 感覚的な空間」では新旧の作品が積極的に関係づけられているけれど*1、これもそこから取り出した2作の間にモノとしての必然的な繋がりを見出すのは、なかなか難しいのではないかと思う。(つづく)

*1:全体の作品構成はリンク先の新建築社のサイト()に図録の目次として記されていた。実際の誌面での表記とすこし異なるようだけど。

07月20日(木)

昨日()ああは書いたけれども、実のところ「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展において東工大色が強いかどうかということ自体は、あまり本質的な問題ではないと思っている。そもそも東工大色が強いに違いない企画者(塚本先生)が自分の実感に根ざしてよりよい展覧会を誠実に作ろうとすれば、結果として東工大色が強くなるのは自然とも言えるし、むしろそれは偏りではなく、ある秩序に基づく調和だとさえ言えるかもしれない。

ただ一方で、この展覧会はある種の客観性を標榜してもいる。「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」というタイトルは、本展独自のコンセプトである「系譜」という言葉も含まず、主観性を排して網羅的に対象を捉えているという印象を与えるし、企画の実質的な中心人物であっただろう塚本先生は、公式にはディレクターやスーパーバイザーあるいはゲストキュレーターといった位置づけではなく、あくまでアドバイザー(助言者)とされている*1。そのことの是非はさておき、そうした客観性の標榜が、むしろ玄人衆には「東工大色が強い」といった印象をことさら「偏り」として浮かび上がらせるのかもしれない。さらには「なぜ○○○が入っていて△△△が入っていないのか」といった、この種の企画には定番である外野からの物言いも、より多く誘発することになるだろう。それを先取りするかのように、保坂さんは巻末のテキストで次のような注釈をしている。

注7)当然のことながら13の系譜だけで戦後の日本の住宅の全てを語れるわけではない。たとえば、《λハウス》(RIA建築綜合研究所、1960年)や《松川ボックス》(宮脇檀、1971/1978/1991年)、あるいは《原邸》(原広司、1974年)など、これまで日本の住宅の歴史の中で重要作とされてきたものも、今回抽出した系譜に入れづらいということを主な理由として、残念ながらリストから外さざるを得なかった。

  • 保坂健二朗「日本の戦後の住宅の系譜学について」『日本の家 1945年以降の建築と暮らし』新建築社、2017年

ところでこの注釈に妙に引っかかってしまった。この注釈で書かれていることは、図録の巻頭に掲げられている「系譜のチャート」の在り方と矛盾するのではないだろうか。「系譜のチャート」では、13の系譜によって「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」の平面がほとんど覆い尽くされている。つまりその期間に日本で建てられたあらゆる建築家の住宅は、必然的になんらかの系譜に所属するのだと思わせる。ならば注釈で書かれていることは事実と異なるのではないか。しかしおそらくより重要な問題は、巻末の注釈のほうにではなく、巻頭のこのデカルト座標的なチャートのほうにあるのだと思う。(つづく)

*1:これは先ごろ豊田市美術館で開かれた展覧会が、「岡乾二郎の認識:抽象の力―現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」というやや冗長なタイトルにしてまでも監修者の岡乾二郎さんを前面に立てていたことと対照的だ。どちらの展覧会も「系譜」をキーワードにして既製の歴史(美術史/建築史)に批判的なスタンスをとり、具体的な作品に則した新しい歴史的ネットワークを構築するという点で、試みとしては共通するところがある。岡さんのほうは観ていないが…

07月19日(水)

昨日()の「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」の開会式で、伊東豊雄さんが「東工大色が強い」と言われたことについて考えてみた。会場の目玉として作られた《斎藤助教授の家》(1952)の原寸模型は、まさにその印象を強めるだろうけど、ローマ展で《中野本町の家》(1976)、ロンドン展で《森山邸》(2005)の原寸模型が作られたことを考慮すると、その模型がもたらす東工大色はすこし割り引いて考えてよいのかもしれない。東京展の会場は天井が低く、原寸模型を作るには平屋の背の低いものに候補が限られたという話もある(ならば別に原寸模型を作ることにこだわらなくてもよかったのではないかという気もするけれど)。

出展数の割合としてはどうだろうと思って、数を数えてみた。図録(『新建築住宅特集』2017年8月号別冊として発行されたもの)の目次には作品名のみで設計者名が記載されていないので数えにくいのだけど、全体で77作品あるうち(しかし巻末の保坂健二朗さんのテキスト「日本の戦後の住宅の系譜学について」では「75件」と書いてある)、東工大出身者の作品は19件(清家清2件、篠原一男4件、坂本一成5件、山下和正1件、アトリエ・ワン4件、西沢大良1件、長谷川豪1件、金野千恵1件)で、割合にすると約25%(あるいは篠原研の研究生だった長谷川逸子さんの2件も加えてよいのかもしれない)。ちなみに個人最多はおそらく伊東豊雄さんの6件なので、伊東さんは開会式のスピーチで「住宅の展覧会で自分が代表として挨拶する資格があるかどうか…」というようなことを言われていたけれど、少なくともこの展覧会においては「ある」と言える。

この東工大率25%という数字を高いと見るかそうでもないと見るかはともかくとして、より重要なのは、出展数よりもその作品の取り上げ方なのではないかと思う。つまり、現在に至る東工大色の源泉たる篠原一男と坂本一成(および伊東豊雄)の作品が、この展覧会では特権的に位置づけられているように見える。

この展覧会では、住宅を時代や規模や地域などで分類するのではなく、13の系譜によってグループ分けしている。そのことが重要なコンセプトとして打ち出されている。

そのために本展覧会では、家をひとつだけではなく、ふたつ3つと複数組み合わせて観察することにより、家どうしが共有する関心や、問題を浮き上がらせようとしている。そこには暮らしのエコロジーが切実に投影されるからである。この複数の家の間に生まれる関係性の空間を、この展覧会では「批評空間」と呼ぶことにする。批評空間は時代背景のある側面を色濃く反映し、建築のある側面を先鋭化する。それはひとつにとどまらず、分裂・増殖する。その一方で批評空間に参加する家は、いつの時代に誰がつくったものでも構わない。それぞれの家は、別の角度から同じ問題を検討、関心を展開することで、この批評空間を豊かにする。伝統的な家屋と、1950年代の家と、2000年代の家が同じ批評空間によって関係づけられることもあり得る。それらの家は同じ批評空間の系譜にあるということができる。

  • 塚本由晴「イントロダクション」『日本の家 1945年以降の建築と暮らし』新建築社、2017年

しかしその13の系譜のなかで、「5. 住宅は芸術である」(篠原一男《白の家》《谷川さんの住宅》《上原通りの住宅》《高圧線下の住宅》)と、「6. 閉鎖から開放へ」(坂本一成《水無瀬の町家》《坂田山附の家》《祖師谷の家》《House F》、伊東豊雄《アルミの家》《小金井の家》《花小金井の家》《シルバーハット》)の2つは、他の系譜と比べて異質に思える。そのグループは系譜的(相対的・拡散的)というよりも歴史的(絶対的・収束的)であり、それぞれの建築家以外の作品を受け入れない自律性・純粋性を感じさせる。他のグループのあり方からすると、例えば「5. 住宅は芸術である」は「7. 遊戯性」と統合したり、「6. 閉鎖から開放へ」は「閉鎖性」と「開放性」に分割して、それぞれ藤本壮介さんの《T house》(2005)や柄沢祐輔さんの《s-house》(2013)と関係づけたりしてもよかったかもしれない。あるいは保坂さんのテキストでは篠原一男の住宅について「日本の茶道や華道に見られる「日本的スノビズム」にも通じるものがあるかもしれない」(p.238)と指摘しているから、その意味ではある種の篠原作品と藤森照信さんの《ニラハウス》(1997)を同じ系譜として扱うことも妥当であり興味深いように思える。しかしおそらく、そういった位置づけは絶対にありえなかっただろう。

保坂さんは本展における「系譜」という概念を、「系譜学的に進められる歴史の目標は、われわれの本体の根を再発見することではなくて、逆にそれを消散させようと執拗に努力することである」というフーコーの言葉*1を引いて説明している。ところが少なくともこの2つの系譜──「5. 住宅は芸術である」と「6. 閉鎖から開放へ」は、どちらかと言えば「われわれの本体の根を再発見する」ものであって、それを消散させようとするものではないように思われる。日本の近代の住宅において「芸術性」や「閉鎖性/開放性」が重要な意味をもつ住宅は、この2つの系譜に括られた作品のほかに、それ以前にもそれ以後にも多数あると思うのだけど、この展覧会では、それらとの繋がりを見出すよりもまず、篠原一男や坂本一成・伊東豊雄がなしたことを歴史的に確固たることとして位置づけようとしているように見える。(つづく)

*1:出典=ミシェル・フーコー「ニーチェ、系譜学、歴史」『フーコー・コレクション3 言説・表象』小林康夫他編訳、筑摩書房、2006年、382頁

07月18日(火)

明日から一般公開される東京国立近代美術館「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展(7月19日〜10月29日)の内覧会へ行ってきました。

図録もいただいたので読み込んでみたいと思いますが、とりあえず以下、撮影した写真何点かと簡単な紹介です。

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07月17日(月)

明日の桑沢デザイン研究所「建築・都市概論」第13回は「映画における建築・空間」というテーマ。授業で紹介する映画のいくつかは学校の図書室でDVDを借りる。そのついでに以下の作品もDVDを借りて観た。

  • チャールズ&レイ・イームズ『パワーズ・オブ・テン』(1977)他
  • フランソワ・ジラール『グレン・グールドをめぐる32章』(1993)
  • 佐藤真『阿賀に生きる』(1992)、『SELF AND OTHERS』(2000)

『阿賀に生きる』は新潟水俣病の被害に遭った地域に制作スタッフ7人が3年にわたって住み込んで作ったドキュメンタリー。裁判の様子なども撮られているのだけど、メインはあくまでその土地の消えゆく伝統や文化、それを体現する人々の日々の営みで、たいへん充実している。適度な距離感をもって対象に接近する主体性とともに、それとは別個の映画的教養が作品の土壌になっているように見えた。鮭採りのシーンなどは古典のサイレント映画を見るようだった。

一方、写真家の牛腸茂雄を題材にした『SELF AND OTHERS』は、牛腸の写真もいいし田村正毅の撮り下ろしの映像もよいのだけど、関係者へのインタヴューなどはあえて入れずに詩的に全体が構成されていて、どこまでを牛腸本人の領分と受け取ってよいのか、今一捉えにくい。この印象は『グレン・グールドをめぐる32章』と共通する。

桑沢の図書室は毎週の授業の後だいたい立ち寄っていて、ずいぶん利用させてもらっている。最新刊も含めて、建築以外の分野の本にも気軽に触れられるのがよい。最近は、金村修・タカザワケンジ『挑発する写真史』(平凡社、2017年)、畠山直哉・大竹昭子『出来事と写真』(赤々舎、2016年)、『デジタル一眼 撮影テクニック大事典 最新版』(学研プラス、2015年)などを借りて読んだ。

07月16日(日)

ここ最近、家で観た映画。ヴィットリオ・デ・シーカ『ウンベルトD』(1951)、イングマール・ベルイマン『夏の夜は三たび微笑む』(1955)、川島雄三『しとやかな獣』(1962)、ハワード・ホークス『男性の好きなスポーツ』(1964)、田中重雄『女の賭場』(1966)、ヴィクトル・エリセ『ミツバチのささやき』(1973)、ジョージ・ミラー『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)。

『ウンベルトD』は『映画空間400選』(INAX出版、2011年)の選出作品だけど、僕自身はこれまで観たことがなかった。ローマという歴史ある街で、住まいを追われて彷徨うような話。パリを舞台としたロメールの『獅子座』(1959)を思い起こさせる。どちらの映画も、それぞれの都市で暮らしてきた主人公が、ある時点を境にして、なじみ深い都市から排除されてしまう。それも他の人は変わらない日常を生きているなかで自分一人だけという点が非常に切実に感じられるし、都市というものの性質を示しているようでもあって興味深い。『男性の好きなスポーツ』はホークスの晩年、『ハタリ!』(1962)の次の作品。他愛ないアメリカのコメディだけど妙に面白かった。

07月13日(木)

かつてウィンストン・チャーチルは次のように言ったという。「20歳のときにリベラルでないなら、情熱が足りない。40歳のときに保守主義でないなら、思慮がたりない」(宇野重規『保守主義とは何か──反フランス革命から現代日本まで』中公新書、2016年、鯤如法

歳を取って保守的になるということは、テレビで大相撲中継を観ていても実感する。昔は下位の力士が上位の力士を倒すような番狂わせを、それなりに痛快に観ていた気がするけれど、最近は上位の力士にはなるべく負けないでいてもらいたいという意識がある(もちろんその取組の内容や各力士に対する好み、場所の状況などによって例外は少なくない。白鵬を除いて最近の横綱や大関は下位にあっさり負けすぎるという現実も関係しているかもしれない)。上位の力士があまりに負けると、その力士個人の問題を超えて、大相撲の伝統的な秩序まで崩れてしまうような気になってくる。

あるいはそうやってどんどん下克上のようになったほうが、むしろ大相撲全体が活性化してよいという考え方もあるかもしれない。しかし下克上で上位と下位が入れ替わるのはいいとしても(それはこれまでもずっと続いてきたことだろう)、上位と下位という序列自体が無効化されていくのではないかという恐れがある。とりわけ最近、横綱や大関に昇進する以前は強かった力士が、昇進すると力を発揮できずに負けが込むという傾向を感じる。上位の権威が薄れていっているような気がする。

もちろん番付の差が絶対的になりすぎてもつまらないから、結局は程度の問題なのだろう。ある程度の範囲内で、上位は上位らしく、下位は下位らしくあってほしい(その「下位らしさ」には、時折上位を倒したり、力をつけて上位に上がったりすることも含まれる)。それは保守の思慮というものかもしれない。以前書いたこと()とも通じるだろうか。

07月12日(水)

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11年前に『ザ・藤森照信』(エクスナレッジ)の取材で訪れたときに撮影した《高過庵》(2004)の写真。昨日、桑沢デザイン研究所の「建築・都市概論」の講義で日本建築について話をするなか、現代の茶室の例のひとつとして紹介した。あらためてこうして写真で見てみると、周辺環境(藤森さんが生まれ育った土地)との調和に大きな魅力がある。なぜ建物が右に寄っているのかは分からない。左のほうが下りの斜面になっていて、その空間の広がりを捉えたかったのかもしれない。

当時から構想はずっとあった《低過庵》が、今年いよいよ建設されるらしい。

07月11日(火)

テアトル新宿で、城定秀夫『方舟の女たち』(2016)と、いまおかしんじ『夫がツチノコに殺されました。』(2017)を観た。ピンク映画2本立て。成人映画館での公開時のタイトルは、それぞれ『痴漢電車 マン淫夢ごこち』と『感じるつちんこ ヤリ放題!』。

いまおかしんじは、先日観た『ろんぐ・ぐっどばい 〜探偵 古井栗之助〜』(2017)よりも、やはりこちらのほうが本領発揮という感じがする。10年越しの企画らしい。わりと支離滅裂なストーリーに加えて、随所であからさまに観客に対するウケ狙い(笑い的にもエロ的にも)のカットがあるにもかかわらず、それによって作品世界が分裂し破綻するということはない。混沌としたなかに内的な秩序を感じさせる。これはいかにも入念に構成を組み立てたという印象の『方舟の女たち』とは対照的だ。各部分がネタ的で断片的であり、それでいてその断片が有機的に響き合うような作品世界のあり方。それはもしかしたら、低予算のピンク映画を次から次へと撮らなければならないという現実の条件のなかで、その都度より充実した作品をつくっていくために導き出された実践的な方法でもあるのかもしれない(それほど多くの作品を観てはいないので確信はない)。そして役者や演出や撮影の確かな仕事が、その作品世界のリアリティを成り立たせている。


07月08日(土)

国立新美術館「ジャコメッティ展」を観た(〜9/4)。ジャコメッティの作品をまとめて観るのはおそらくこれが初めてだと思う。多くの哲学者や文学者が惹かれるというのは分かる気がする。人間や世界に対する思考を誘発し、言葉を生むというか。『建築と日常』No.0(2009)のインタヴューで、香山先生は下のように言われていたけれど、ジャコメッティの彫刻、特に人間の像は、観念的に捉えやすいものではないかと思う(批判的な意味ではなく)。

建築を観念的に捉えるようになったのはルネッサンスからだと言っていいでしょうが、それは長い人間の建築の歴史から見ればまだわずかです。ルネッサンスはまだ中世の技術の世界で、それゆえに観念そのものが非常に新しく見えた。観念がどんどん肥大してきたのは啓蒙主義からで、その後近代に流れ込んできましたが、そこで歪みが大きくなった。ですからより観念的になりうる芸術が、今日はより高く評価されるわけです。すなわち音楽、文学、それから絵画も非常に文学的になりうるジャンルですね。一方、彫刻と建築はぐっと下がった。とりわけ建築は下がりました。

  • 香山壽夫インタヴュー「建築にしかできないこと」『建築と日常』No.0、2009年

ただ、僕自身は彫刻を観る経験や能力に欠けていて、なかなかダイレクトに言葉が出てこない。しかし例えば《3人の男のグループ(3人の歩く男たち)》(1948/49)()など、複数の人間の像が集合した〈群像〉のシリーズだと、そこに人間同士の関係が発生して、その関係を頼りに空間が捉えやすくなったり、そこで表現されている人間の意味を考えやすくなったりする感じがある。〈群像〉のシリーズでは、同一の作品内で個々の人間のスケールが異なっていたり、《3人の男のグループ(3人の歩く男たち)》では現実に人間がすれ違うときにはありえない配置だったり(あたかも互いの体をすり抜けたかのような)、そういうことも哲学的な思考を誘発する。