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『建築と日常』編集者日記

01月13日(土)

熊谷守一 生きるよろこび

東京国立近代美術館で、岡乾二郎さんによるレクチャー「モリカズについて、いま語れることの全て」を聴き、「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」展(〜3/21)を観た。昨日の話の流れで言うと、当然岡さんは長いこと熊谷守一の作品に向き合っていて、自分の中に熊谷が生きている。ちょうどレクチャーの内容も、ステレオタイプな熊谷像(「畳の上の水練」とまでは言えないものの)を相対化し、同世代および同時代の海外の画家の作品画像も多く用いながら、それらとの関係のなかに生きた熊谷守一のありようを位置づけようとするものだった。その意味でスタンスとしては3年前(2015年4月5日)のシンポジウム「歴史の停止」のときと通底していたように思う。

それは例えば僕がフィッシュマンズの音楽に忌野清志郎の音楽と重なるものを見いだす(11月17日11月30日)のと同型の行為の積み重ねに基づいていると言えるかもしれない。そう言うと「お前なんかが岡さんと比べられるはずないだろ」と思われてしまいそうだけど、そう思わせるのはたぶん権威主義であって、むしろ岡さんの作業は既成の美術史やジャーナリズムに備わる権威性を批判し、その作品に親しんでいれば誰でも素朴な実感として感じうるような作品同士の繋がりを、しかし膨大な知識と優れた感覚によって美術史的なレベルで織りなしていく、というものではないかと思う。

01月12日(金)

僕が学生の頃、わりと近い時期に出版されたミースに関する2冊の本を評して、ある先生がこういうことを言っていた。一方はミースを使って自分が言いたいことを言っているだけ、もう一方はミースにきちんと向き合って、そこから論を立てている。

以来十数年、僕は未だにその2冊の本のどちらも読んではいないのだけど、そうした些細な雑談のなかの一言を覚えているというのは、自分なりに何かしら本質的なことをそこに感じたからなのだろうと思う。やはり評論でも歴史研究でも、その文が扱う対象そのものへの関心よりも、その対象を著者が自分でどう解釈し料理してみせるかという関心のほうが先に立って書かれているものは、読んでいてどうしても身構えてしまう。禿鍔饌犬蓮峭佑┐襦廚箸いΩ斥佞慮豸擦蓮屬むかう」、すなわち物事を「考える」というのはその物事に「向かう」ことであったという説を紹介して論じている(「考へるといふ事」『婦人公論』1961年3月号)。対象と向き合わなければものを考えたことにはならず、確かな主体も存在しえないというわけだ。これはかつて引いた(2013年6月23日)前田英樹さんの言葉にも繋がっていく。

 畳の上の水練が面白い人はいない。空っぽのプールで魚釣りの真似をして面白がる人はいない。これは誰でもわかるが、言葉を操るだけの仕事となるとそうはいかない。水がないところで泳ごうとする人は、幾らでも出てくる。畳の上ならぬ一般観念の寝床の上で水泳の真似をする。どんな泳ぎの型でも自由自在、やりたい放題に泳いでみせられる。むろんこんなことは、それ自体として面白くはないが、それに拍手喝采する人がいるとなると話は別だ。当人もほんとうに泳いでいる気になる。面白くもない本心を隠して、架空の泳ぎを続けることになる。これはこれで苦しいことに違いない。

 架空の泳ぎに拍手喝采する人々が生まれるのは、どうしてだろう。言うまでもない。彼らもまた、自分たちの架空の泳ぎに一生懸命だからである。ここでは、何もかもが抵抗物のない虚構で成り立っている。泳ぎの巧拙を決める尺度は、水の抵抗でもそれに応じる身体でもない。互いの称賛や罵倒である。この世界は単に滑稽なだけではなく、人々を強く圧するやりきれない機構になる。この機構のなかに、さまざまな支配や服従や憎悪や嫉妬が生産される。するとこのことから、偽の楽しみ、架空の快楽さえ生まれてきて、もう私たちは苦しんでいるのか喜んでいるのか、自分でもわからなくなる。これは危険極まりないことではないか。

  • 前田英樹『倫理という力』講談社現代新書、2001年、pp.133-134

01月11日(木)

すばる2018年2月号

第1回すばるクリティーク賞受賞作の近本洋一「意味の在処──丹下健三と日本近代」を読んだ(『すばる』2018年2月号)。本格的な丹下健三論ではあるものの、著者は建築の専門外で、すでに小説家として知られている人らしい。新鮮な語り口による2段組22ページの力作。ただ、僕が文学的批評(?)を読み慣れていないせいもあってか、全体はうまく把握しきれずにいる。

併載されている選考座談会(大澤信亮×杉田俊介×浜崎洋介×中島岳志)で、ゲスト選考委員の中島岳志さんは「アカデミズムの世界では絶対、これは書けない」「批評でなければならない必然性がある」と発言されているけれど、この受賞作は、例えば禿鍔饌犬次のように書く批評の条件は満たしていないように思われる。

批評家たらうとするもののけつして頼りにしてはならぬもの──一に知識、二に體驗、三に獨創性。

[…]常識、常識、常識──これ以外に頼りになるものがあらうともおもはれぬ。

  • 禿鍔饌検愴歡蠅寮鎖澄拔篋遜佝納辧1949年(『禿鍔饌孤章製 第十六巻』麗澤大學出版會、2010年、pp.57-58)

おそらく本論は「常識」ではなく、「知識」や(小説家としての)「体験」や「独創性」に基づいている。同じ座談会で選考委員の浜崎洋介さんが「これは正直、難しかったですね。[…]初読のときは、途中から全く論の展開についていけなくなってしまいました(笑)」と言われているのも、この非常識性に由来するのではないだろうか。著者が「身体、論理、言葉、意味、価値、風土など互いを結びつける普遍性によって成立するのが広場」であると「広場」の重要性を説くとき(それは本論の軸にもなっている)、その「広場」が成立するために「常識」は不可欠だと僕には思えるのだけど。以下、テキストを読んでいないと分からない話。

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01月08日(月)

雪あかり日記/せせらぎ日記

谷口吉郎『雪あかり日記/せせらぎ日記』(中公文庫、2015年)を読んだ。絶版の単行本2冊を合わせた分厚い文庫。発売当初に買って2年ほど寝かせておいたものだけど、『雪あかり日記』のほうは3年ほど前にも部分的に読んでいる(2014年11月1日)。どちらの本も1938年から39年にかけてのおよそ1年間、30代半ばの谷口吉郎(1904-79)がベルリンを中心にしてヨーロッパに滞在していたときの日記(当時書かれた日記そのままではなく、出版のために後日書き改められたもの)。谷口は1939年9月のドイツによるポーランド侵攻を受け、当初の予定を変更して、緊急の避難船で日本に帰国している。

 それ故、私がドイツに滞在した約一年間は、歴史が暗転していく激流のさ中だったと言えよう。その点で、私には得がたい体験であったと言えるが、いろいろと深刻なショックを受けたことは確かだった。

 まず、神戸を出港して約一ヵ月、はるばるベルリンに到着すると、その第一夜に暴動が起っている。ナチス党員がユダヤ人の経営する商店を襲撃し、教会堂も焼けているのに驚いた。そのベルリンに住んでみると、ユダヤ人に対する政策が想像以上にすさまじいのを知り、ますます驚愕を深めた。

[…]

 そんなベルリンで私は冬を越したのであった。毎日、暗い天候が頭を押しつけ、気分を重くしめつける。それは想像以上のもので、日本の北陸地方で育った私にさえ、ドイツの冬の心理的重圧は、骨身にこたえた。その憂鬱さから逃がれるために、私はできるだけ美術館を訪れ、オペラ劇場へ出かけた。絵や彫刻に接し、音楽と舞台に包まれていることが心の救いとなり、寒い夜、ローソクの火が光る古い教会堂の中でミサの曲にも耳を傾けた。

 しかし、それによってドイツの冬がドイツ人の美意識に強い影響力を与えていることを実感することができたのは、得がたい経験であった。それが日本の建築家である私の意匠心に、風土と造形という問題についていろいろな示唆を与えた。そう考えると、緊迫したベルリンの世相の中で暗い冬を過ごしたことが、私にとって有意義な体験であったと、今、つくづく思う。(pp.522-523)

谷口はもともとベルリンで建て替えられる日本大使館の工事監理のため、伊東忠太の指名でベルリンを訪れている。言ってみれば国家の代表としての訪問であるわけだけど、そうした立場の使命感や風格や落ち着きが文章から感じられ、とても今の自分と同年代の人間とは思えない。ではまったく高みにいて自分の手の届かない人間かというとそうでもなく、建築や芸術、社会や政治や文化や日常の様々な出来事に対する姿勢は地に足がついていて、その「地」は時代を隔てた自分とも連続しているように思える。すぐれたバランス感覚をもち、確かな常識や教養に支えられた観察や考察は、当時の時代や環境の制限をほとんど感じさせることなく受け入れられる。むしろ特殊な時代や環境であるぶん、その谷口の確固とした自律的な思考が際立って感じられる。建築史の表層だけを見ていると、この時代の日本の建築家たちはモダニズムの流行や時代性に従属しているように見えてしまいがちというか、後世の自分のほうがそのドグマを相対化して彼らの上に立っているような気がしてしまいがちだけれども、そんなことはまったくない。下は堀江敏幸先生による文庫版解説「あの軍帽と口髭が」より。

正と負の両面を理の力で見きわめ、負の要素のつよい部分であっても、日常と接続した感覚や情に訴えるところがあれば素直にみとめたうえで、なお負の比重の大きさを伝える冷静さ。[…]

谷口吉郎の思考の「形」は、あらたな「事変」の種を抱え、「くりくり坊主」のような言葉と子どもじみた振る舞いが横行する現在の日本でこそ読み直されるべきものだろう。

下記リンク先は、解体間近のホテルオークラ本館(設計=谷口吉郎他、1962年竣工)を訪れた日の日記。

01月04日(木)

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先月(12月2日)見学した《佐賀県歯科医師会館》(設計=坂本一成、2017年竣工)、雑誌発表も済んだようなので(『新建築』1月号)、こちらでも写真をいくつかアップしておく。敷地の手前側にある低層のホールと奥側にある中層のオフィス(5階建て)とが形態上の対比をなしている。そのことでタワー的なプロポーションをもった中層棟が町のあちこちから望めるのがよい。坂本先生の建築でひさしぶりに外観があるという感じがした。以下、写真9点。

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01月02日(火)

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近所の家並み。微妙に垂直が取れていない写真は、つい後で傾きを補正してしまう。以下、写真3点。

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01月01日(月)

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年末年始は例年どおり帰省。よく晴れた三が日だった。波とか岩とか木とかの自然物だけという写真も撮ってはみるのだけど、選ぶときはつい人工物や人物が入ったものを選んでしまう。以下、写真2点。

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12月30日(土)

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『建築と日常』No.5の制作が思うように進まず、現実逃避的に作成した表紙案。いずれもモランディの絵画を使っている。1964年没のモランディは死後50年以上が経ち、日本での著作権が切れていることに気がついた。しかしモランディだと特集のテーマ的には申し分ないものの、縦長で建物が描かれた作品は数が限られるし、印刷用の原稿になるような大判で高画質の図版も見つけづらい。また世俗的な意味で、雑誌の表紙としての迫力に欠ける。

12月26日(火)

古谷さんがブログ()で取り上げていた島尾敏雄の「夢の中での日常」(1948)を読んだ。文庫版(『その夏の今は・夢の中での日常』講談社文芸文庫、1988年)で30ページ足らずの短編。たしかに実際の夢の体験を追体験させるような作品で興味ぶかい。夢の体験については前にすこしだけ書いたことがあったけど(2015年4月8日)、現実の体験のある種のモデルにもなりうるようなものとして、なんとなく気にかかっている。以下は中平卓馬のテキストより。

ぼくたちが普通夢の中で体験するものは、空を飛びながら飛んでいる自分をみるといったコンプレックスなものである。夢の中では視点はひとつと限られたわけではなく、ふたつ、みっつ、時には無数の視点が同時に存在する。夢の中でぼくたちを襲ういいしれぬ不安は実にここから生まれるのである。それはぼくたちの習慣となった生活の時・空間を一挙にくつがえし、醒めている時には考えられもしない新しい世界へとぼくたちの意識を開放する。しかも夢の中では一切の事物はばらばらで、平面的で、羅列的に現われる。そこでは私のパースペクティブによる意味づけがきれいさっぱりそぎ落されているのだ。

  • 中平卓馬「不動の視点の崩壊」『見続ける涯に火が… 批評集成1965-1977』八角聡仁・石塚雅人編、オシリス、2007年(初出1967年)

12月23日(土)

ここ最近、家で観た映画。イングマール・ベルイマン『魔術師』(1958)、ヴィットリオ・デ・シーカ『ひまわり』(1970)、増村保造『遊び』(1971)、ティム・バートン『シザーハンズ』(1990)、マーティン・スコセッシ『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』(2005)。

『ひまわり』みたいな作品をメロドラマと言っていいのだろうか。普段それほど興味をもつタイプの映画ではないはずだけど、学生のころ観たときも『ひまわり』は妙に真に迫るものがあったのを覚えている。2人を分けたのも戦争であれば、2人を結んだのも戦争であるという運命。僕はどうしても作品を相対化して、そこに作者の存在や映画の構成を見てしまいがちだけれど、この作品はいい意味での大衆作として、物語をひとつの現実としてそのまま受けとめさせる。それもデ・シーカがリアリズムの作家であるゆえなのかもしれない。