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『建築と日常』編集者日記

03月25日(土)

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蒲田の駅の近くで、《HUNCH》(設計=本橋良介+内部美玲)を見学した。鉄骨造6階建てのオフィスビルをアーティストのシェアアトリエにコンバージョンしたもの。ファサードには上下に分割可能な2層分の高さの扉が付いている。内部に梁が架かっているため、上半分は搬入・搬出の用はなさず、1階の床レベルよりも1.5〜2mほど高い位置に線路が走る外部空間に向かって都市的な関係をつくっている。以下、写真2点。

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03月23日(木)

大相撲の三月場所が終盤戦に入っている。ふと考えてみると、僕が好きになる力士というのは、単に相撲の内容で好きというよりも、顔つきや人格みたいなところまで含めて好きなのだという気がする。それはこのまえ映画について書いた(2月6日)、物(作品)よりも人(監督)のほうを見がちであるということと通じるかもしれない。僕が好きな力士は、もしも小学校や中学校の同級生だったら自然と友達になっている、そう思えるような人が多い。

おそらく大相撲は他のスポーツと比べても、それぞれの人間の個性を感じさせやすいのではないかと思う。体重による階級差がなく、大きい人もいれば小さい人もいて、その個人個人がまさに裸同然で身をさらけ出す。シンプルなルールで一瞬のうちに決まる勝負は、各力士の生を凝縮していると言えるかもしれない。大相撲全体を規定する伝統の様式も、力士たちの個性を消すのではなく、むしろその様式との対比で、それぞれの存在を際立たせるほうに働いているように思える。例えば仕切りの際の動作にしても、基本的には大相撲の細かい様式に則りつつ、しかし各力士において様々な独自の動作がある(分かりやすいところでは、日馬富士の土俵すれすれまで体を沈める仕切りや、琴奨菊の体を大きく反らせて胸を張る仕草など)。それらのなかには長年夢中に相撲を取るなかで自ずとかたちづくられてきたように見える動作もあれば、より意識的に、伝統的な全体性に対して自己主張しているように見える動作もあり、そうした態度によってもそれぞれの人間がよく示される。

03月21日(火)

マイケル・オークショット「保守的であるということ」(1956年、石山文彦訳)を読んだ。『政治における合理主義』(嶋津格ほか訳、勁草書房、1988年)に収録された、A4判で39頁分のテキスト。これはこの前(1月22日)の『保守主義とは何か──反フランス革命から現代日本まで』(宇野重規、中公新書、2016年)で書かれていた、「保守主義者による本が、しばしば保守主義についての解説を超えて、自らの立場の正当化へと向かう」(p.210)という指摘が当てはまるようなテキストかもしれない。かといってそのこと自体が、対象から距離をおいて客観主義・相対主義を自認するテキストよりも悪いということはない。例えば禿鍔饌犬離謄ストと比べて、恣意性が感じられるところも多少あるけれど(それはただ単に僕の感覚や認識とぴったり一致しないというだけの可能性もある)、自分が正しいと思うことを自分の生き方をかけて書いているという意味において信頼できる。そういった有機的な言葉は、そこから様々なものを引き出すことができる一つの源泉になる。以下メモ。

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03月20日(月)

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土曜に神保町で立ち寄った南洋堂書店のディスプレイ。『建築のポートレート』は売れ行き好調らしく、その日の時点で在庫は残り1冊だった。

以下、刊行後にインターネット上で目に付いた本の感想や紹介など。

03月19日(日)

昨日は午前中にギャラリー・間へ行ってから、午後に神保町の岩波ホールで、ルキーノ・ヴィスコンティ『家族の肖像』(1974、英題『Conversation Piece』)を観た。多木浩二『生きられた家──経験と象徴』でフリッツ・ラングの『メトロポリス』(1927)とともに論じられている映画。ヴィスコンティという監督にはあまり馴染みがないのだけど、建築的・歴史学的な興味(前近代と近代、保守と革新)があって観に行った。

映画はまずびっしりと美術品と家具調度類にかこまれたバロック的な部屋のなかで、画商のもってきた絵を「教授」が調べているところからはじまる。そこで私たちは、その部屋、話題の中心になっている美術品などをとおして、すでにその部屋という個別の空間をこえたヨーロッパ文化の空間的ひろがりに触れることになる。[…]やがて上階はモダニズムの内装に改修され、下階のバロック的空間ときわだった対比をなし、あとは上下の階の人びとの関係が深まるにつれて、長い間ローマの奥深く孤独を守ってきた教授の世界の崩壊の幕が切っておとされる。

  • 多木浩二『生きられた家──経験と象徴』岩波現代文庫、2001年、pp.79-80

「家族の肖像」というのは「Conversation Piece」(保坂和志さんの小説のタイトルにもなっている)の一般的な訳語で、18世紀のイギリスで流行した特定の絵画の形式を示している。多木さんは『欲望の修辞学』で、ヴィスコンティの映画とは別に、この「家族の肖像」についても論じていた。

なぜ家族集合図が「カンヴァセーション・ピース」と呼ばれるのか。この英語は、プラーツによれば、イタリア語の「サクラ・コンヴェルティオーネ」に由来するという。それは聖母子のまわりに集まった聖人たちのグループをさしており、カンヴァセーション・ピースは精神を共有する集団という主題の世俗化したものだといえる。

  • 多木浩二「家族の肖像」『欲望の修辞学』青土社、1987年、p.310

映画『家族の肖像』は、多木さんが要約しているように、伝統的な世界が時代の変遷のなかで崩壊ないし急変していく状況を象徴的に描いていると言える。舞台はローマのある邸宅、引っ越しと建物の改修に端を発する他愛ない室内劇(すべてセット)であるものの、スクリーンで繰り広げられるそのドラマを見ることが、そこに凝縮されているヨーロッパの歴史の一部分を見ることと重なり合ってくる。

ただ、途中までは物語のその二重性が手に取るように分かったのだけど、終盤の書斎での会話からラストまでの展開は今一把握しきれなかった。それは僕の歴史認識の不足ということだと思う。あるいは字幕の翻訳の制約もあったかもしれない。単に古いものが滅びていく様を悲劇的に描くのではなく(ヴィスコンティ自身が貴族でもあった)、新しいものの抗いがたい魅力やその脆さも合わせて歴史を批評的に捉えているように見える。吉田健一のヨーロッパ史観などとも比較しうるかもしれない。

03月18日(土)

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乃木坂のギャラリー・間で「堀部安嗣展 建築の居場所」を観た(〜3/19)。小さいサイズの模型がたくさん並んでいて、僕も学生時代以来で模型でも作ってみるかという気分になった。それらの模型に魅力を感じるのは、単に建築模型というもの全般がもつ面白さというより、やはり堀部さんの建築の質に関わっているように思える。おそらく篠原一男の建築の模型()を見るときと同じように、もともとの建築に備わっている超越的な幾何学性を、縮減模型という在り方において(まさに超越的に上から目線で)追体験することの魅力。それは今回の展覧会の主旨文で堀部さんが書かれている「ふたつの風景とその重なり」ということにも、どこかで通じるのではないかという気がする。

03月12日(日)

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昨日は水戸芸術館へ行く前、《茨城県営水戸六番池団地》(1976年竣工)を見に行った。茨城県庁舎のすぐ近くで、水戸芸術館からはバスで20分くらいのところにある。設計は、大盞築設計事務所出身の3人(藤本昌也・増山敏夫・下山政明)によって1972年に設立された現代計画研究所。中庭を囲むように分棟配置された全90戸の低層公営住宅(日本初とのこと)で、地面をうねらせたようなランドスケープは関根伸夫の環境美術研究所が設計協力をしている。

2戸×3層の各住棟は壁式RC造の瓦葺き。レベル差を用いた立体的な空間構成による居住性の向上、各住戸の独立性と連帯性のバランス、団地内の領域性と都市への開放性のバランス、ヒューマンスケールの路地的空間の形成、建物のかたちやヴォリュームと周辺環境との関係などが問題にされているようで、前川國男→大眄疑佑了彖枦・手法的な系譜をたしかに感じさせる。坂本先生の建築とも共鳴するところが多いかもしれない(藤本昌也さんは《幕張ベイタウン・パティオス4番街》()で全体計画との調整役を務められていた)。以下、写真3点。

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03月11日(土)

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水戸芸術館で今日から始まった「藤森照信展―自然を生かした建築と路上観察」を観た(〜5/14)。じつは水戸芸術館には初めて行った。同じ関東地方にしては遠い。磯崎新アトリエ+三上建築事務所の設計で1990年竣工。

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03月10日(金)

ここ最近テレビで放映していたのを観た映画。リチャード・フライシャー『海底2万マイル』(1954)、ビリー・ワイルダー『麗しのサブリナ』(1954)、ブレイク・エドワーズ『ティファニーで朝食を』(1961)、ロバート・ワイズ『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)、山田洋次『男はつらいよ 望郷篇』(1970)、ロバート・アルドリッチ『ロンゲスト・ヤード』(1974)、マーティン・スコセッシ『タクシードライバー』(1976)。

『男はつらいよ 望郷篇』は前年に始まったシリーズの5作目。地道な暮らしへの憧れ。まだ後年の形式が完全には確立しておらず、それゆえに破調に思われるところがむしろエモーショナルに響いてくる。他は『麗しのサブリナ』と『ロンゲスト・ヤード』がよかった。