Hatena::ブログ(Diary)

『建築と日常』編集者日記

11月16日(金)

建築×写真

東京都写真美術館「建築×写真 ここのみに在る光」展を観た(〜2019年1月27日)。見慣れた写真も多いなかで、初めて見る原直久〈イタリア山岳丘上都市〉シリーズに目を引かれた。対象自体の魅力も大きいかもしれないけど、対象の魅力をそのまま魅力として感じさせるのも建築写真の重要な役割だろう。人物が入ると甘くなりすぎてしまう気もしたものの、客観的に撮られた写真は美しかった。

展示全体としては、有名な写真も多く出展されて見応えがある一方、良くも悪くもキュレーションの印象は薄かった(「ここのみに在る光」という副題だけど、光と影の表現が際立つ建築の写真が集められているというわけでもない)。収蔵作品を中心にした展示で、批評的な視点を設定するのが難しかったのかもしれない。世界初とされるニエプスの写真を指して、「写真と建築の関係は写真の黎明期の時代から密接にかかわっています」という指摘がされているわりに()、写真と建築の本質的な関係を探求するような志向はうかがえなかった(写真と建築の関わりが深いということは、建築を写した写真はそれ自体別段珍しいわけではなく、世の中に無数に存在するということでもある)。

写美の元学芸員である金子隆一氏は、かつて建築雑誌の連載で、一般的・芸術的な「建築を写した写真」と建築界の専門的な「建築写真」とを区別し、後者の「建築写真」は「写真史のなかに存在していない」と書いている(『建築知識』1994年11月号)。確かにそのとおり、「建築を写した写真」と「建築写真」は社会的に明確な棲み分けがされていると思うのだけど、しかしそれでも建築の存在を捉えるという点で通じるところがあるのは間違いないのだから、両者の性質や意味の相異を踏まえた上でなお個々の写真を同一平面上で見比べてみることに、建築写真をテーマにするひとつの確かさがある気がする。今回の「建築×写真」展はそうした問題系は曖昧にされていて、建築畑の人間としてはやや残念だった(出展写真は基本的に時系列で並べられていて、やんわりと「写真史」ないし「建築写真史」を感じさせるようになっているのだけど、その「歴史」はどこまで確かだろうか。例えば展示の最後が瀧本幹也さんの写真ではなくホンマタカシさんの写真だったとしたら、それだけでその「歴史」のあり方はずいぶん変わるはずだ)。特に写美は単なる写真ギャラリーではなく日本を代表する写真の研究機関でもあると思うので、今後の展開に期待したい。

鑑賞後、ミュージアムショップ(NADiff BAITEN)に立ち寄り、号外『建築と日常の写真』と、ついでに別冊『多木浩二と建築』の営業活動。『多木浩二と建築』は阿野太一さんによるテキスト「多木浩二の建築写真を通じて、写真と建築の関係について考える」を載せているほか、著作目録には多木さんの写真論や写真批評も可能な限り記載している。『アサヒカメラ』などいくつかの写真雑誌を通覧してチェックしたりもした。

11月15日(木)

f:id:richeamateur:20181115220249j:image

二夜連続で飲み歩く。今夜はatelier nishikataの小野さんと西尾さん。1軒目から2軒目へハシゴする途中に、これもiPhoneで撮影。普通に撮るつもりが意図せず連写になってしまい、そのおかげでお二人の足並みがうまくそろったカットが撮れた。

下の写真はブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)図書館の本棚で、下段中央に僕が編集と執筆をした『建築家・坂本一成の世界』()が置いてある。文化庁の新進芸術家海外研修制度で1年間バンクーバーに滞在していた西尾さんが撮ってきてくださった。

続きを読む

11月14日(水)

f:id:richeamateur:20181114202425j:image

生前の谷口吉郎にゆかりのある方に、新宿の柿傳(8階椅子席、1970年竣工)へ連れて行っていただいた。明石信道が設計した安与ビル(1969年竣工)のなかで、谷口が柿傳3フロアの内装設計を担当している。iPhoneで写真を撮るのにまだ慣れない。

11月06日(火)

f:id:richeamateur:20181112220505j:image

新刊の号外『建築と日常の文章』の表紙ができた。この10年くらいで僕自身が書いた文章を集め、去年の号外『建築と日常の写真』()と対になるようなものとして制作している。号外ということで今回も表紙のデザインは自分でした。『建築と日常の写真』でも書いたけど、縦位置の写真をあまり撮らないので、横位置2点で構成。11月25日(日)の文学フリマで発売予定です。

11月03日(土)

BSで放送していた、エリック・ロメール『緑の光線』(1985)と『木と市長と文化会館 または七つの偶然』(1992)を観た。『木と市長と文化会館 または七つの偶然』のほうは初めて。風光明媚な田舎町に計画された文化会館の建設をめぐる喜劇で、ロメールのなかでも特に言葉が多くて知的な作品だと思う。恋人と比べたときの市長は保守的だけど町の教師と比べると革新的というように、保守と革新、右派と左派、現実主義と理想主義、文化と経済、都会と田舎、大人と子供といった二項対立を相対化して宙吊りにしていく。かといってそれで全体が虚無に覆われることはなく、それぞれの状況においてそれぞれの存在に真実があるように見える。白か黒か二元論で観念的に世界を切り分ける思考に対し、「偶然」を織り交ぜながらすぐれた平衡感覚で世界を動的に組み立てる。こういう作品を観ると、フィクションによって建築論や建築批評を展開することの可能性を感じる。

11月02日(金)

iPhone 8を購入。初スマホ。2009年から使っていたNOKIAのケータイからはデータを移すこともままならず。9年前に同じ店で買っているのに、若い店員に「これすごいっすね!」と驚かれた。

10月27日(土)

国立新美術館で岡乾二郎さんと松浦寿夫さんによる公開対談「ボナールの教え」を聴き、「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」を観た(〜12/17)。「ボナールの絵には〈私〉がある」というときの〈私〉は、どちらかというと私小説的な〈私〉というより現象学的な〈私〉ではないかと思うのだけど、有名なマッハのイラスト()と例えばボナールの《ボート遊び》()の類似性みたいなところを指して、「ボナールの絵には〈私〉がある」と捉えたのではあまりにベタな気がする。しかもその場合の〈私〉は、具象画でしか成り立たないことになってしまう。対談ではボナールとロスコの類似性も語られていた。具象と抽象の両方で成り立ち得る〈私〉とはどういうものなのか。とはいえボナールの〈私〉にとって、具象であることはやはり決定的に重要にも思える。

f:id:richeamateur:20181207013459j:image

岡さんも松浦さんもこのバルコニーにあの人は描けないけどそれを描くのがボナール、ということらしい。とするとボナールの〈私〉は私小説的な〈私〉でもあるのかもしれない。

続きを読む

10月21日(日)

旧中野刑務所の存続をめぐる問題(10月12日)の件、「旧中野刑務所正門のあり方についての意見書」をメールで提出した。以下、その画像。InDesignを駆使してレイアウトした。

続きを読む

10月20日(土)

f:id:richeamateur:20181021111812j:image

谷口吉郎『雪あかり日記/せせらぎ日記』(中公文庫、2015年)の書評「谷口吉郎の教養と常識」を昨日発売の『住宅建築』12月号に寄稿しました(約3500字)。本の選択は任意だったので、いま特に実感をもって書けそうなものを選びました。ぜひお手にとってご覧ください。以下、今年に入ってからの谷口吉郎に関連する主な日記。

10月19日(金)

映画分野におけるインディペンデントの代名詞のようなカサヴェテスだけど、単に「自分がやりたいからやる」ということではなく、「ぼくにはこの映画を作る権利がある」と、ある種の社会的な意識を持っていることが興味深い。彼がそれをする必然性、使命感とも言えるだろうか。むしろインディペンデントだからこそ、そこが重要になるのかもしれない。「映画監督には映画を撮る権利がある」「クリエイターには表現をする権利がある」と抽象化するのではなく、あくまで自分と対象の固有性に基づいていること。