坂本先生の豪雨の話に対して、僕は便器の話をした。何年か前に、便器に熱湯をかけると汚れがよく落ちるという情報が昼間のテレビ番組で紹介され、それを試みた人たちのうちのどれだけの人数かわからないが、それで便器が割れてしまったらしい。これは「大惨事」ですよ、という話を坂本先生にした。つまり、メディアが流すリアリティのまるでない情報を信じ、日常のなかで最もリアルな空間であるだろう自宅の、なかでもある意味で最もリアルな空間かもしれないトイレの便器を自らの手で割ってしまうこと。便器が割れるというのは、おそらく窓ガラスが割れるのとは比べものにならない精神的なダメージがあるだろう。便器の日常性、身体性、硬質なイメージ、それは建築のある側面が凝縮されたモデルとして捉えられるかもしれない。