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『建築と日常』編集者日記

09月21日(金)

THE TOKYO ART BOOK FAIR 2012の初日。16〜21時の5時間で、販売10冊(窓の観察=7冊、No.2=2冊、No.1=1冊)。やはりイベントの性質上、なかなか立ち止まってテキストを読んでもらえるような雰囲気がない。売れない時間が続くとどうしても気分が沈んでくる。遊びにきてくれた中山さんは、そんな僕の姿を遠くから見て、「死人のような表情をしている」と言った。qpさんも来てくれた。「もっと人を呼び止めないとダメですよ」と言い、椅子に座っている僕の横に立って、『窓の観察』を手に取ったお客さんに「どうですか、値段以上の価値はあると思いますよ」などと売り込んでくれた。そういう積極的なコミュニケーションができる人だとは思っていなかったので、ちょっと意外に感じつつ、明日はqpさんに店番もお願いしているから頼もしい。

下階のARCHIZINES TOKYO展は準備時間中に顔を出してみた。展示方法はシンプルかつアイデアがあり、見やすくてとてもよかったと思う。海外のほうはあまりしっかり見ていないけど、日本のほうは知らない雑誌もあって、やはり充実している。ただ、その一方であらためて思ったのは、ひとつの雑誌は、ある時間のなかで刊行された何号かのまとまりを見て、初めてその雑誌の営みに触れられるようなところがあるということ。もちろん無い物ねだりには違いないとしても、今回、ひとつの雑誌について用意されているのは特定の号1冊のみだったので(1、2号で終わってしまった雑誌も、数10号続いた雑誌も)、個々の雑誌として、また建築ジャーナリズム全体の位置関係として、なんとなく捉えどころのない印象も残った(これまた無い物ねだりだけど、集められた雑誌がたとえば創刊号で統一されていたりしたら、また印象は違ったかもしれない。一方、海外のほうはみな「現在」という同一平面上にあるためか、その問題は気にならなかった)。だからこの展覧会で古い雑誌に興味を持った人は、開架で雑誌が手にとって見られるような、そこそこ大きな図書館へ行ってみたらよいと思う。製本された雑誌の背がずらっと並ぶ本棚を眺めることで、歴史のなかでの雑誌の厚みを体感できるということもあるかもしれない。そしておそらくこの展覧会で集められた雑誌すべてを網羅する図書館はないから、そのときあらためてこの展覧会の意義を確認できるかもしれないし、あるいはたとえそこにインディペンデント系の雑誌がなかったとしても、70年代以前の雑誌になら、いまインディペンデントという言葉が漂わせているような空気は少なからず感じられるかもしれない。

ところで僕のインタヴューページが左右逆になってしまったカタログ(9月5日)は、その後あらためて刷り直したらしい。それなりにお金もかかったことだろう。著者(話者)の立場としては、たぶん編集のミスには気になるミスと気にならないミスがあって、これはそれほど気にならないほうだったのだけど、編集サイドにしてみれば、悔やんでも悔やみきれないという気持ちはよくわかる。いかにもzineらしい、ほほえましい失敗だったようにも思うけれど。