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『建築と日常』編集者日記

04月28日(日)

ページ構成の都合上、『多木浩二と建築』には奥付がなく、編集後記も書かなかった。あるいは『窓の観察』でも編集後記は書いていないから、別冊では書かないというルールだったのかもしれないが、せっかく長い時間をかけて作ったので、特集を振り返って、巻頭言を捕捉するような覚え書きを記しておくことにする。

巻頭言で書いたとおり、『多木浩二と建築』は「多木の仕事を現在や未来、あるいは歴史に開くという問題意識を持っている」。そのために、こうした回顧的な企画にありがちな「今、なぜ多木浩二か?」という問いは立てないように気をつけた。そもそも多木さんの死を直接のきっかけにした特集なのだから(だいぶ遅れてしまったけど)、「今、なぜ」などと問うてみせるのは誠実さに欠けたポーズでしかない。実質的には「今、なぜ」と問うてもよいほど多木浩二というテーマには今日性があると思うけれど、まずは問題をひとつの切り口で閉じずに、開放系を保っておくことが必要だと考えた。「前半」の網羅的な著作目録や、あえて客観的な5つの領域を設定した論考はそうした意図に基づくし、多木さんとの関係が深かった人たちへのアンケートは、時代の貴重な証言であるとともに、そのややシステマティックな誌面に故人の息づかいを漂わせることになる。

「後半」の坂本一成インタヴューと坂本論の再録は、開放系としてのバランスを欠いているかもしれない。ただ、「多木浩二と建築」というテーマで『建築と日常』がより充実した企画を作ろうとしたとき、「坂本一成」はとりわけ有効な題材に違いない。それは言い換えると、「多木浩二と建築」にとって坂本一成の存在はとりわけ重要であると僕には思えるということであり、そこを突きつめることで多木浩二の一断面が見えてくるだろうし、さらには固有名を超えた普遍的なレベルで建築のあり方や時代性、創作と批評の関係などが浮かびあがってくるかもしれない。

また、特集の開放性ということを言えば、坂本一成に明らかに偏らせることで、「多木浩二と建築」に関わるそれ以外の部分を余白として残し、その余白をめぐるダイナミズムを生み出せるのではないかとも考えた。たとえばここで坂本一成に凝縮させることで、同様に篠原一男に凝縮された『建築家・篠原一男──幾何学的想像力』(青土社、2007)と相互に響き合うことになるだろうし、未だなされていない別の切り口でのアウトプットを誘発することにもなるのではないか。ともかくこの特集が「多木浩二と建築」を考える上で必須でありながら、「多木浩二と建築」のすべてではないと感じさせるものになっていたとしたら、この意図は達成している。言ってみれば、現在的視点のみで閉じるのを避けるとともに、完全版を装って閉じてしまうのも避けようとした(著作目録に「網羅編」などという名前を付けたのも似たような意味で、まさに雑誌記事まで網羅的に調べているというデノテーションと、網羅という主観的な言葉の選択をする程度には非公式的であるというコノテーションの重ね合わせを意識している)。

ただ、こうした開放系のバランスを成り立たせるためには、単に各記事の内容およびその総和というだけでなく、雑誌としてのページ構成のレトリックも大きく関わってくる。まず単純なヴォリュームとしては、坂本関連の部分がそれ以外の企画すべてよりも圧倒的に大きい。つまりヴォリュームとしてのメインは坂本関連の企画なのだが、それが支配的であるという印象はなるべく薄めたかった。それは全体を開放系に保っておきたいということでもあり、一方で販売戦略にも関わっている(たとえば『多木浩二と建築』ならば建築分野以外で多木さんに興味がある人も買うかもしれないが、『多木浩二と坂本一成』だと、建築分野内でもさらに興味をもつ人を限定する)。目標は部分(各記事)の充実とともにその自律、さらにはよりよい全体としての関係性となる。結果として最終的なページ構成はそれなりにうまくいったのではないかと思っている。

例として一般的・慣習的な雑誌のページ構成を考えてみると、おそらく「アンケート」→「坂本一成」→「論考」→「著作目録」というような順番が妥当なところだと思う。しかしあくまでヴォリュームは「坂本一成」が圧倒的なので、これだとその他の企画がみすぼらしく付け足しのように見えてしまいかねない。かといって「坂本一成」のヴォリュームに拮抗させるために、若手執筆者による「論考」や単なるリストである「著作目録」を前半に持ってきて、「アンケート」とまとめてみせるのも不自然に感じられる。そうしたとき、「著作目録」+「アンケート」+「論考」と「坂本一成」をそれぞれ両開きで始めるのは有効な解決策に思えた。

もともと『建築と日常』はテキストの読みやすさを考慮して右綴じの縦組みを採用してきたが、「著作目録」は英数字が多くなるため、縦組みだと具合が悪い。縦組み/横組みの両開きにすれば、その問題も解決できるし、「著作目録」「アンケート」「論考」のヴォリュームをまとめることもできる。多木さんのポートレートの表紙からすれば、「坂本一成」は(ヴォリュームとしては特集のメインであるにも拘わらず)最後部になるわけだけど、《代田の町家》の(裏)表紙側から記事を始めることで、その違和感は中和されている。色上質紙を使い分けて、240ページの分厚い全体を分節し、適度に軽く見せられたのもよかった。

また、「著作目録」に「アンケート」を分散配置させることは、ただ単に無機質な「著作目録」のヴォリュームに生彩を与えるというだけでなく、「アンケート」のほうからしても好ましい理由がある。8つの回答は300字程度から5000字を超えるまで、それぞれの量に大きなばらつきがあるのだが、それを一個所にまとめて載せると、その差が際立ってしまう。字数が少ない人はそれだけ故人への思いも小さいと、無意識的にせよ感じさせてしまいかねない。しかし当然、実際はそのようなことはなく、そうした誤解はぜひとも回避すべきものだったのである。

以上書いてきたように、『多木浩二と建築』はあくまでそれ自体で「多木浩二と建築」を語り尽くそうというものではない。しかし、ここから多様な思考を誘発するという目標においても心残りだったのは、寄稿者の人選である。「都市論」の青井哲人さんと「建築写真」の阿野太一さんを除いては、いずれも多木さんと直接的な親交があった方に限られた。これはひとつの閉鎖系であるかもしれない(あるいは「建築論」の中井邦夫さんも直接的な親交はそれほどないのかもしれないが、坂本研究室の出身であるため「外側」から見れば「内側」に見える、というようなことを問題にしている)。上で、坂本さんに偏らせることでそれ以外の余白を感じてもらえるのではないかと書いたが、この執筆陣の偏りに関しては、それ以外の部分を余白と感じてもらえるかどうか心もとない。むしろ無意識的に(意識的ならばまだしも)断絶を感じさせてしまう可能性が高い。巻頭言で書いたとおり、多木さんの建築界での活動範囲は限定的なのだが(たとえば「篠原スクール」とその周辺)、それは多木さんが閉鎖的だったからというより、自由な主体だったからだと思う。しかしそのことを歴史的に位置づけるためにも、なんらかの「外側」からの視線は特集に持ち込んでおくべきだったかもしれない。

それをしなかったのは、率直に言って、誰にどう聞いてよいか思い浮かばなかったからだ。たとえば当時、多木さんとほぼ接触がなく建築メディアで活動していた人たち(たとえば長谷川堯さん、植田実さん、鈴木博之さんなど)に参加してもらうイメージが持てなかった。きっと取っかかりがまったくないわけはないだろうから、結局は僕の怠慢ということになるのだけど、特集のヴォリュームの制限や坂本インタヴューの準備もあって、その可能性は早い段階で見切ってしまったきらいがある。当時の建築ジャーナリズムと多木さんの関係は、多木さんの建築論のあり方を考える上でも興味深いテーマだろうから、今後、別の献身的な作業を期待したい。

坂本インタヴューについては、とりあえず現時点で僕にできることはやったという気がしている。長時間のインタヴューにお付き合いいただいたのはもちろんのこと、インタヴュー後の原稿の構成や追記なども一任してくださった坂本さんに感謝している。

インタヴューはうまくないが、その後の原稿をまとめる作業はそれなりにできるほうだという自覚がある。ただ、今回はいかんせん分量が多く(しかし実際に雑誌が出来上がってみると、意外と少ないという印象)、会話の流れがいびつなところが若干残ってしまった。各回とも対象範囲の資料を事前に付け焼き刃で詰め込み、ある程度のストーリーを想定しながらインタヴューに臨んだので、それが余裕のなさとして誌面に出てしまったかもしれない。多木さんも指摘するとおり、坂本さんは「考える建築家」であり、その結果、すでにご自身のなかでおおよそのことの認識は出来上がっている。そしてそれは折に触れご自分で書かれたり、メディアに載っていることでもある。だからそこを突き崩して新しい成果を得るためには、なるべく沢山の視点や話題を用意して手当たり次第にぶつけてみたり、若輩だろうが何だろうが、聞き手が主体的に話を進めていく必要があった。

インタヴュー原稿を整理する段階では、予備知識がない人にも読み進めてもらえることを意識しつつ、少なくとも情報の面でできるだけ充実させようと考えた。対話の内容と関連する事柄を後付けで組み込んでいったり、引用文を多く含ませたりするようにした。また、引用文はインタヴューの「地」の会話となるべくうまく関係づけるようにして配置し、長い対話のなかに第三者の存在を(明確な「図」としてではなく)浮かびあがらせるようにしたかった(引用文の書体をゴシック体ではなく、本文と同じ明朝体にすることも一応検討した)。それがうまくいっているかどうかは今のところよく分からない。

こうして書き綴ってくると、どうも自分で特集を振り返る言葉が、特集の対象が持っている言葉と似通っていることに気づく(開放系、コノテーション、構成のレトリック、図と地など)。巻頭言で書いた「多木の仕事を現在や未来、あるいは歴史に開く」ことが実現できるかどうかはともかくとして、こういった言葉づかいの共通性は、この特集の存在の必然性を示していると言えるような気がする。