昨日のqpさんのポートレートにしても(8月1日)、このまえのホン・サンスの映画にしても(7月1日)、作品に対して構造的・構成的な面のことばかり書いている。それはもちろんそういう面に面白さを感じているからだけど、そういう言葉ばかりになってもよくないなと思う。たぶん僕自身、構造的・構成的な面に意識(あるいは感覚)が向いている作品に惹かれがちなのだけど(もちろんその前段階にはもっと全一的な作品の体験があるわけで、たとえ形式的に特筆すべきところがあったとしても、作品の全体で響いてこない作品については、わざわざ書こうという気になりにくい)、そういう僕の好みや性格、思考の癖といったことのほかに、やはり構造的・構成的な面のほうが言葉(言語化)と相性がよいということも、そちらばかり書いてしまう原因としてあると思う。よく知りもせずパスカルの「繊細の精神」「幾何学の精神」をたびたび引き合いに出してしまっているけれど、近代以降、社会全般において「幾何学の精神」のほうが支配的になっていったという歴史の運動性を、個人のなかで実感する。