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『建築と日常』編集者日記

12月16日(月)

頼まれて桑沢デザイン研究所でレクチャーをした。与えられた時間は90分。初めての単独レクチャーで、90分なんてとても無理だと思ったけれど、なるべく90分に近づくようにと用意していったスライドは、結局時間が足りずに途中から飛ばし飛ばしになってしまった。大勢の前で一方的に話をするのはやはり苦手というほかない。それは人前に立つ緊張に加えて、発話としての言葉を文章としての言葉と同じように捉えようとしているせいではないかという気がする。とはいえ、とりあえず慣れるしかないことかもしれない。

レクチャーの内容にとくに指定はなかったけれど、全6回のシリーズのタイトルが「空間デザイン論」だったので、日頃感じていた雑誌の(広い意味での)デザインと建築のデザインとの共通性を意識しつつ、『建築と日常』の活動を振り返ってみた。あまり丁寧に考えずに思いついた限りでは、雑誌と建築では下のような性質が重なるはずで、こうした点がそれぞれのデザインの方法をある程度規定しているように思える。

  • 現実的な多様な要素で構成される
  • 身体的・慣習的な機能を前提にした形式性をもつ
  • 部分ごとに経験される
  • 社会性・公共性をもつ

これらのことは、とりわけ『建築と日常』を始めて、レイアウトや販売まで含めて有機的に雑誌の全体を考えだして意識するようになったことだから、専門領域を隔てずに日常の地平で物事を捉えることやアマチュアリズムの重要性についても話をした。

はたして学生たちにはどう伝わっただろうか。雑誌を刊行して、それが読者にどう伝わったかも分からないものだけど、雑誌の場合はそもそも読者は自分と離れた空間にいるので、どう伝わったかが分からないことにも慣れてしまった。しかしレクチャーの場合、相手は目の前にいるから、どう伝わったかが分からないという気持ちが一段と強くなる。

一人の学生から、『建築と日常』No.0の編集後記の「半分夢の中」という見出しはフィッシュマンズの歌詞から取っているのかという質問があった。2009年に刊行して以来、その指摘は受けたことがなかった。ただ、それは半分正解というべきで、確かにフィッシュマンズの『SEASON』(および『LONG SEASON』)に「夕暮れ時を二人で走ってゆく 風を呼んで 君を呼んで 東京の街のスミからスミまで 僕ら半分 夢の中」というフレーズがあるけれど、その歌がつくられる20年ほど前、RCサクセションの『甲州街道はもう秋なのさ』にも、「たばこをくわえながら 車を走らせる 甲州街道はもう秋なのさ ハンドルにぎりながら ぼく半分夢の中」というフレーズがある(『SEASON』のほうには「季節の中を走りぬけて もうすぐ秋だね」というフレーズもある)。「半分夢の中」はその両方から取った。

※レクチャーは一般にも公開されていましたが、教室の席が限られていて、学生を優先させるという話だったので、積極的な告知は控えていました。ただ、1月の最終回は広い部屋で行うそうなので、定員の心配はあまりいらないのかもしれません。以下、レクチャーシリーズの情報です。

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