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『建築と日常』編集者日記

10月18日(火)

昨日の続き。『建築家・坂本一成の世界』(LIXIL出版、2016年)が既刊の『坂本一成 住宅―日常の詩学』(TOTO出版、2001年)と意図的に構成を変えた点として、もうひとつ、計画案の扱いがある。『坂本一成 住宅―日常の詩学』では、昨日抜き出したとおり、実現しなかった計画案も実作に混じりながら同じ時系列で並べられている(実作16点/計画案13点)。そして計画案には掲載されているものと掲載されていないものとがあり、作品の重要度による取捨選択の恣意性が生まれている。それがどうも引っかかった。もちろん、かといって計画案をすべて載せないというわけにもいかないし(5つの時代区分によるストーリーが成り立ちにくくなるし、単純に内容としてもったいない)、逆にすべて載せるというわけにもいかない(それはそれでストーリーがぼやけるし、そもそもの本の規模を超える)。だから『坂本一成 住宅―日常の詩学』の条件においてこの計画案の扱いは妥当だったと思うのだけど、その十数年後にいざ自分があらためて編集をするとなると、同じ形式を採用するのがためらわれた。

まず当時よりもかなり計画案の総数が増えていて、それらを取捨選択する客観的な基準が見いだしにくいという理由がある(坂本先生ご自身の認識はひとつの基準になりうるだろうけど、現在も創作を続ける作家本人であるからこそ、作品歴全体を等しく見渡すというより、どうしても近年の作品のほうが重要視されそうな予感があった。古い計画案は記録が十分に残っていないものも少なくなかった)。また、2001年以前の作品に限って言えば、『坂本一成 住宅―日常の詩学』で選ばれた作品とずれがあってはまずい気がするし(基準の客観性が疑わしく見える)、かといってまったく同じというのも問題がある気がした(基準が絶対化し、選ばれた作品と選ばれない作品の差を確定的にする)。あとそもそも完成した建築と完成しなかった建築を等価に並べるのはどうなのかという思いもあった。それはそれで「概念としての建築」を志向する坂本先生の作品集らしいとはいえ、やはり現実の世界では両者は別物であり、意味の違いは無視できない。計画案は当然実際に建っているところの写真もないから、誌面のレベルで建築に対する実感を持ちづらく、そうしたものが全体に混在することで、一般の読者を遠ざけてしまうことになるのではないかという気もした。

以上のような思考を前提とし、「全作品歴」というアイデアが生まれた。下の画像は、それが思い浮かんだ直後に坂本先生に送ったスケッチ。『坂本一成 住宅―日常の詩学』的に実作と計画案を混在させるA案に対し、実作は実作で独立して載せ、それと別個に、計画案を含む全作品をまとめるというB案を、このときすでにかなり推すつもりでいる。

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B案のような構成にすれば、作品選択の恣意性が消えるとともに、全体の情報量が格段に増える。これまでの本でも、計画案を含む全作品のリストはあるにはあったものの、タイトルを中心とした文字情報がほとんどだったので、実質的にはあまり意味をなしていなかった。それに対し今回の「全作品歴」では、すべての計画案に図版と短文を付すようにした。かなり大変な作業になるのは目に見えていたけれど、その形式がベストだと思ったので、思い付いてしまった以上仕方ない、やるか、という感じ。また、作品選択の恣意性は排したかったとはいえ、やはりそれぞれの計画案に重要度の違いがあるのも事実だから、坂本先生のご意見に基づきつつ、各作品の掲載スペースの大きさを調整することで、全体のバランスを取っている(1ページを2×3の6コマに分割し、作品に応じて1コマ〜6コマで掲載)。

上のスケッチでも書いているけど、今回の「全作品歴」は、ただ単に今まで未公開だった多くの計画案を掲載して情報量が多い(そのなかには大学の卒業設計や幻の第一作も含まれる)というだけではない、新しい意味が生まれるとも考えていた。寡作の住宅作家というこれまでの坂本先生の一般的イメージを相対化するとともに、すでに知っていたはずの実作も、「全作品歴」のなかに位置づけ直されることで、認識が更新されるかもしれない。「もしもこの計画案が実現していたら」という、ありえたかもしれない別の現在を想像させもする。そうした相対化や想像の飛躍は、おそらくどんな建築家の作品歴でも可能というわけではないだろう。計画案も含めた坂本先生の各作品の強度と、作品間の緊密な関係がつくりだす意味、そこに通底する確たる世界観があればこそだと思う。