歳三忌

新選組土方歳三忌へ行ってきました。
雨の中、前日10日に上京して、まず、三鷹にある近藤勇さんのお墓へお参りしました。
お花を買おうと、駅前のお花屋さんへ行ったら『母の日』セールで、何十分待ち。午前中に京都を出たのですが、花を手に入れたときには3時を過ぎていました。日野での5時半の待ち合わせに間に合わせるためには時間もないし、さらに荷物を持って土砂降りの雨では、タクシーで往復するしかありませんでした。龍源寺で、タクシーに待ってもらって、お花と新刊だけを手に、近藤さんのお墓へ。この雨ではお線香もあげられません。
日野市では新選組祭りでにぎやかなはずですが、日野から離れた近藤さんのお墓は人けもなく、聞こえるのは雨の音だけ。そのなか、お花をあげてお参り致しました。新刊もお見せして、これからも新選組の誠のこころを書き続けますともご報告して、お礼も申し上げました。近藤さんが静かに微笑んで下さったように感じました。
近藤さんとお別れしてから、タクシーで取って返し、一路、日野へ。
ところが、どうも遠回りをしてしまったようで、到着したのは、約束から30分も遅れてしまいました。駅では、近藤さんご子孫の宮川清蔵さんと井上源三郎ご子孫の井上雅雄さんが待っていて下さり、新選組のお芝居の会場へ。幕開けは見逃してしまいましたが、最初の暗転で観客席へ入ることができました。
お芝居は「エルプロダクツ」の『新撰組烈伝 残-zanshin-心』
チャンバラあり、ボケ突っ込みあり、勇壮な踊りありの勇ましいお芝居でしたが、俳優はなんと、すべて女性。面白かったです。
お芝居終了後、シナリオの桑野和子さん(素敵な女性〜)をご紹介して頂いて、桑野さんから「ご本読ませて頂きました。面白かったです。私の書くものと通底するものを多く感じました」とおっしゃって頂きました。ありがとうございました。
その後、清蔵さん、雅雄さんと三人で会食へ。
源さんの首級が埋められた場所がほぼ確定して、その土と共に源さんの魂魄もふるさとへやっと帰ってこられたことを乾杯しました。
小さいけれど、すごくいいお店で、食べきれないほどのご馳走を前に杯を重ね、大いに語りました。ほんとに楽しかったです。中でも「現地を踏んで取材された本は、やはりいい本になるね」と、お二人で拙著を喜んでくださったことが一番うれしかったです。
さらに、そのとき、清蔵さんが持参して下さったのが、近藤勇さん、沖田総司さん直筆のお手紙の巻物でした。(新選組ファンには国宝級のお宝です!)
これが、総司さんの直筆。

前文あたりには、
前文御免被下候然者
皆々様益御勇猛被遊
大祝至極ニ奉存候次ニ
宮川信吉君公者我カ
同組ニ而無事罷有候間
御分家様ノ方江も無
心配被遊候様一寸申上候(写真ではこの行から写っています)
……などと書かれております。
ドラマではやや子どもっぽく線の細い美剣士に描かれる総司さんですが、この字の印象は、知的で豪胆です。
この頃、総司さんは結核の病が相当重くなっていたはずなのですが「宮川信吉君は我が同組において無事にいるので、御分家さまの方へご心配されないよう、一寸申上げ候」と書いて、自分の病状には一言も触れていません。総司さんの優しさ、強さがしのばれます。総司さん本人の名が、沖田総二になっています。この時代のひとは、漢字にはこだわらなかったのがよくわかります。これは、拙著にわずかながら沖田総司さんが宮川信吉さんのことを語る場面が登場するので、わざわざご持参下さったものです。これを見て、私は信吉さんと総司さんのお話が書けそうな気がしました。
これは、近藤さんの直筆

繊細かつ、男らしい字です!(内容についてはまたいつか)
と、そんな楽しいひと時はあっという間に過ぎて、気づけば11時半にもなっていましたので、お店も閉店の時間です。御礼をいって、雅雄さんのお車で、ホテルに送って頂きました。井上雅雄さん、宮川清蔵さん。本当にありがとうございました。
落ち着いたら、あらためてお礼状をしたためるつもりです。
で、翌日が歳三忌なのですが、この日のご報告はまた後日ということで。

怪談

K社、アンソロジーの怪談原稿がほぼ完成。数日、推敲して送ります。ひとまず、ほっ。
ところで、びっくり!しました。『花天新選組』のamazon売り上げが5,000代を切ってました。まあ、あっという間に順位は変わるのですが、それにしても10,000代を切るのは珍しいこと。どころか、5000を切っているのは初目撃でした。
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