ショックです、映像京都解散。

しばらく忙しくて、新聞も読む暇がない状態だったので、先日、今も撮影所関係の仕事をしている友人から報されるまで、全く知りませんでした。
日本映画の伝統と技術を、細い糸を紡ぐようにつないできた映像京都が解散してしまったなんて!
かつて、京都が「日本のハリウッド」と呼ばれ、全盛期だった頃が過ぎ去って、映画会社が次々縮小され、やがて大映が倒産します。
その大映京都撮影所の俳優、監督、スタッフがさんたちが、自力で発足させたの映像京都でした。
最初は、ほんとに小さな集団だったのです。でも、その実力は、すぐあらわれました。
日本映画、時代劇の伝統や技術を脈々と受け継いでいる人たちの集団は、得難い存在だったからです。
↓「木枯らし紋次郎」ゲストに大原麗子さん、悠木千帆(現・樹木希林)さんの出演作

私は市川崑監督の「木枯らし紋次郎」をお手伝いをした関係で、俳優として映像京都に参加しないかと誘われたことがあります。その頃の映像京都の皆さんの、映画に対する熱い情熱にうたれていた私は、それはもう二つ返事で「ぜひ、参加したい」とこたえました。
でも、それは、所属事務所からの「うちで育てた子をとっていくなら、今後、一切うちの俳優はまわさない」という猛烈な抗議で、つぶれてしまいました。当時、まだ十代だった私は、縛り付けられ夢を追えないぐらいならやめようと決意し、それをきっかけに俳優をやめました。今から思えば、所属事務所の抗議は当然で、私が子どもで未熟だったのですが。
でも、そういうことがあったので、仕事をやめても、東映撮影所の皆さんや映像京都の皆さんのことはずっと応援してきました。
市川崑さんという稀代の名監督の作品に参加させてもらったのも、映像京都があったからです。
まだ子どもみたいだった私が、中村敦夫さん、勝新太郎さん、緒形拳さんといった、時代を超えてのスターさんといえる方々の生の人間性に触れることができたのも、あの仕事をしていたからです。たとえ短くても、私の青春はムダではなかったと、今では思っています(概して、大部屋女優にとっては、大女優さんは怖くて、大物男優さんは優しかったです。もちろん、すべてがそうというわけではありませんが)。
当時の出会い、思い、挫折、悲しみや喜びは、作家という職業についた今は、大きな宝物といっても過言ではありません。
だから、とてもショックです。私にとって、東映撮影所と映像京都は、青春を駆け抜けた車輪の両輪でした。その片輪がなくなるなんて……。
これからはフリーでお仕事をなさるという映像京都の皆様に、心からのエールと拍手をおくります。