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風雲童話城ブログ

2015-11-08

[][][][][]三条池田屋で待ち合わせ!いざ、児童文芸家協会の童話塾in京都の懇親会へ

まずは待ち合わせを新選組ファンならだれでも知ってる池田屋騒動の「旅籠池田屋」の跡にある居酒屋「池田屋」(三条小橋東)前で。

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せっかくだから、写真撮りました〜♪

池田屋、相変わらず繁盛してました!

遠くからおいでの方はご予約なさることをおすすめします。この日週末のせいか、入店したものの満員ですぐ出てらっしゃる方がいらっしゃいました。




はなの舞池田屋】さん↓

http://reservation.yahoo.co.jp/restaurant/detail/s000110922

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この入口を入ると大階段があり、その上には、新選組関係の拙著(『花天新選組 君よいつの日か会おう』『恋する新選組』など)もあり、自由に読めますよ〜

って、池田屋の宣伝してる場合じゃない!

童話塾の懇親会はこのすぐ近くのフランス料理店でした。

懐かしい懐かしい作家仲間、会いたかった作家さんの顔、顔、顔…その様子をご紹介したいのですが、私は写真は撮っていなかったので、良かったら、当日お目にかかった作家さん方が撮って下さった写真がフェイスブックにありますので、そちらで見て下さいな↓

https://www.facebook.com/rieko.koshimizu

月下花伝―時の橋を駆けて

月下花伝―時の橋を駆けて

花天新選組―君よいつの日か会おう

花天新選組―君よいつの日か会おう

恋する新選組(1) (角川つばさ文庫)

恋する新選組(1) (角川つばさ文庫)

恋する新選組(2) (角川つばさ文庫)

恋する新選組(2) (角川つばさ文庫)

恋する新選組(3) (角川つばさ文庫)

恋する新選組(3) (角川つばさ文庫)

2015-06-21

[][][]今日は総司忌でした

f:id:rieko-k:20130625105942j:image:leftこの写真は2013年の総司忌です。

毎年、総司忌には、およそ400人ぐらいはいらっしゃいます。

総司忌のイベントや講演会の参加は申し込みが必要ですが、墓参だけなら、きちんと並んで時間がかかっても待つ気があるなら、この日の限られた時間だけ墓参できます。

ただし、お花などの供え物はできません。

墓地のある専称寺には、電話や問い合わせは厳禁です。

電話や問い合わせをする人が一人でもあれば、来年から総司忌ができなくなってしまいますので、総司ファン、新選組ファンの為にも、決してお電話や問い合わせをなさらないで下さい。

詳しい事は↓の「新選組友の会」サイトをご覧ください。

http://tomonokai.bakufu.org/main/souji.html

毎年、墓参の列は、ずっと向こうの角を曲がって、さらに蛇行して、早くに行った人でも一時間ぐらいは並ばねばなりません。その後も、列は短くならず、写真のように、若くて美しい女性がいっぱい!

総司さん、喜んでらっしゃるでしょうね。

今年は、私は参加できないのですが、『恋する新選組』のイメージソングCDを作って下さったミュージシャン、Mar−Bowさんが講演会場へ参加されます。CD販売もあるようですので、ぜひ、聴いてみて下さい!

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新選組関係のサイト、ブログは、右下のリンク集、浅黄色のところをご覧くださいね。

月下花伝―時の橋を駆けて 花天新選組―君よいつの日か会おう 恋する新選組(1) (角川つばさ文庫) 恋する新選組(2) (角川つばさ文庫) 恋する新選組(3) (角川つばさ文庫)

2013-04-15

[][][][][]「近藤勇忌」みなさま、ありがとうございました〜 

f:id:rieko-k:20130414134227j:image:left勇忌に行って参りました。

このところ忙しくて、総司忌も土方歳三忌もごぶさたしてしまっていました。

懐かしい方、ご無沙汰の方のお目にかかれて嬉しかったです。

そして、最後のお楽しみ大抽選会がここでも!

f:id:rieko-k:20130415174040j:image:leftその抽選会と懇親会で頂いた流山のおみやげ。

近藤勇ビールと、清酒「長岡屋」です。

新選組最後の戦いのあった流山でも、新選組や近藤さんが愛されていて嬉しいです。

そして、抽選会で私の本『恋する新選組』『忍剣花百姫伝』『花天新選組』が当たって、貰って下さった皆さまが、喜んでくださったことが何より嬉しく、しかも、当たらなかったのに、「小学校の時から『月下花伝』とか読んでました!」とサインをもとめに来てくれたお嬢さんに感動しました(サインへたくそでごめんね!)。

たしかに私の本を読んで、新選組好きのお嬢さんに成長してくれた女の子を目の当たりにして、ああ、書いててよかった!としみじみ思いました〜



恋する新選組(1) (角川つばさ文庫)恋する新選組(2) (角川つばさ文庫)恋する新選組(3) (角川つばさ文庫)花天新選組―君よいつの日か会おう忍剣花百姫伝(一)めざめよ鬼神の剣 (ポプラ文庫ピュアフル)忍剣花百姫伝(二)魔王降臨 (ポプラ文庫ピュアフル)忍剣花百姫伝(三)時を駆ける魔鏡 (ポプラ文庫ピュアフル)忍剣花百姫伝(四)決戦、逢魔の城 (ポプラ文庫ピュアフル)忍剣花百姫伝(五)紅の宿命 (ポプラ文庫ピュアフル)忍剣花百姫伝(六)星影の結界 (ポプラ文庫ピュアフル)

2010-06-22

rieko-k2010-06-22

[][][][][][][][][][]総司忌のご報告2

第36回総司忌は、いろいろ心配ごともありましたが、墓参も記念講演も、300人以上(いや、実は400人を超えていたそうです)もの方が集まられたということです。

今年は総司さんのお墓の写真は撮っておりません。これは以前の写真です。

総司さんのお墓は、今年は少しお花が寂しかったです。

でも、はるばる墓参にやって来られた善男善女の熱い思いと愛に、きっと総司さんは喜んでいらしたと思います。

私は「今年も参りました。これからも新選組を書かせて頂きます。喜んで頂けるよう良い仕事を致します。どうか見守って下さいまし」と、お祈りさせて頂きました。

その後、講演会場へ入りますと、あまりの人の多さに絶句!

席は足りず、赤じゅうたんの桟敷席も満杯で、椅子席はどんどん前に移動させられて、どんな感じかというと、講師台の真横までぎっしり椅子席がある状態で、つまり、私からは正面の桟敷席しか見えないような、ぐるりと取り囲まれたみたいなようすでした。それでも、立ち見の人が入り切れず、廊下まで人が立っている状態なので、ほんとに申し訳なかったです。

これまで、文学系講演ならそれなりにこなしてはいるのですが、総司忌の講演というので緊張していました。でも、これを見て、一瞬「うわ〜」と思って、逃げ出したくなりました。直後、度胸がすわって、居直りました。「これは、総司さんが引き寄せられたお客さま。私は精いっぱい愛してる新選組のことを話せばいいんだ…」と思って。

そして、90分。うっかり、水を演台に持っていくのを忘れて、水一杯飲まず話しました。

実際は用意していた原稿の多くを省いてお話ししました。だって、一つの章で充分1、2時間は話せるエピソードがあるのですが、この日はできるだけ新選組の話をしたかったので。

ここに、演題と章立てだけ書きますと…

演題 「『恋する新選組』を書きおえて。新選組追っかけ泣き笑い作家人生」

1、わたしが作家になったわけ

2、ゼロからの出発

3、人生の枝折り

4、新選組どっぷり少女時代

5、馬鹿げた行為は、たまに運命をきりひらく

6、新選組に会いに行く

7、恋する新選組

8、それは愛

というような内容でしたが、1から5まではそうとうすっ飛ばしたにかかわらず(文学系講演なら、この部分はもっとエピソードを話します)、それでも、7,8あたりになると、もう時間がなくなって、自分の本についてはくわしく話すこともなく、お世話になった先生方のご著書の紹介だけはやらねばっとそれだけは必死にやり、あとは超特急でお話を済ませました。

なので、もっとあの部分をくわしく聞きたかったとか思われた方がおいでになったかもしれません。

個人的には、ああすればよかったとか、こうすればよかったとか、反省はありますが、これまでも講演をして満足だったことはないので、まあ、致し方ないかと。

休日なのに駆けつけて下さり、『恋する新選組』シリーズを販売して下さった編集Sさんが持ってきて下さった拙著もほとんど買って頂き、ほんとに、ほっとしています。

恋する新選組』のことをあまり話さなかったし、文学系の講演ではないので、大量に売れ残ったら、Sさんに申し訳ないなあと気になっていましたので。でも、子どもの本にもかかわらず、沢山の方が買って下さり、サインに並んで下さり、ほんとうにお一人お一人に感謝しています。ありがとうございました。

f:id:rieko-k:20100620161226j:image:left【総司忌の会場、講演が終わってからの抽選】

みなさんの楽しそうなお顔がわかるでしょうか? 写真を撮って下さったのはノンさんです。

他にも写真を撮って送って下さったノンさん、こちらのまですさん、ありがとうございました。

遠路はるばる駆けつけて下さいましたみなさま、一瞬すれ違っただけでお話もできませんでしたが、気持ちは感謝で一杯です。ほんとに、ありがとうございました。

講演内容はくわしくご紹介はできませんが(個人情報満載ですので>汗)、ここに新選組を書くにあたって、お世話になった先生方をご紹介した一文だけご掲載しておきますね。

以下、講演でご紹介した先生方についての一文です。

                                    【庭の紫陽花↘】f:id:rieko-k:20100622121846j:image:right 

今日、沖田総司さんのお墓をご覧になって、みなさまはどう感じられたでしょうか。

私が初めてお参りした時に感じたのは、沖田さんのお墓は哀しいくらい可愛いお墓だということでした。まるで墓そのものが人格を持っているようなお墓だと思いました。小さいという意味だけではなく。

少女の頃、お墓にお参りしたくて、でもそれは叶わず、もし、お墓に行けて、手を合わせたら涙が出るのではないかと、その頃は思っていました。

でも、その日、あふれ出たのは涙ではなく、幼い子どもを見るような愛しさでした。

ああ、まだいらっしゃる。総司さんはまだここにいらっしゃると思いました。少なくとも、総司さんの澄み切った気のようなものは、まだそこに漂っているようでした。そうなのです。澄んでいたのです、そこは、とても……。

「総司さん。やっと来ました」と心の中で声をかけました。

「あなたを書かせて頂きます。あなたが生きて戦った意味を、その誠を、私なりに一生懸命書かせて頂きます。いい作品にして、新選組の皆さんに喜んでもらえるよう頑張ります」そんなことを誓ったと思います。

                                 【いつも総司忌の頃に咲く遠花火↘】f:id:rieko-k:20100622121951j:image:right

 その時、歴史研究家の釣洋一先生がいらしていて、教えてくださいました。

 沖田さんの墓の裏に、植木屋平五郎さんのお血筋のお墓があることを。ご存じですよね、植木屋平五郎さんは沖田さんが江戸で療養していた時、世話をしていた人です。植木屋の離れで、沖田さんは亡くなったとされていますが、異説はありました。でも、背中合わせにあるお墓を見たとき、むしろ、これを偶然だと思うのは無理があると思いました。やはり、総司さんは平五郎さんの離れで亡くなったのだと思いました。あの時の感動は忘れません。

 釣先生は、それだけでなく、新選組の足跡を同じ季節に歩かれたり、戸籍からさかのぼって新しい事実を発掘したりという貴重なご本が数々あります。

中でも『土方歳三波濤録』は、新選組が歩いた道、戦った道を、同じ季節同じ日数で、自分の足で歩き抜いた釣先生の愛と誠あふれる実録です。

その丹念な調査踏査の結果、伝わってくる生きた皮膚感覚が素晴らしいです。新選組研究は次々新しい資料発見がありますが、彼らと共に歩み、彼らの魂に寄り添ったこの一冊は、時空を超えて貴重な一冊だと思います。

恋する新選組』を書いた時、釣先生のそれらのご著書がとても力になりました。たとえば、江戸で召集された浪士隊が京へ上る道で、芹沢鴨さんの宿を近藤さんが取り損ねてしまったことがあり、芹沢さんが怒って大焚き火をしたというあの事件です。同じ季節にその地を歩かれた釣先生は、当時のあの夜は凍えるように寒かったということを、ご自身の体で体験されるのです。凍えるように寒かったなら、芹沢さんの大焚き火の意味もだいぶ違ってきます。

自分の宿所がなくて、凍えるように寒いとすれば、大焚き火も、ただの意地悪だけとは思えません。そうなら、芹沢さんのキャラクターも変わってきます。

 わたしは釣先生のおかげで、鮮やかにその夜のイメージを思い浮かべることができたのです。 

新選組を書くのに、お世話になったのは釣先生だけでなく、山村竜也先生(NHK大河「新選組!」「龍馬伝」の時代考証をされている作家さんです)、伊東成郎先生、菊池明先生など、いずれも新選組関係の著書で第一線の著名な作家さんたちに大変お世話になりました。

まず、『花天新選組』を書くとき、悪役を誰にするか悩みました。新選組内部の誰かがいいのですが、これ!という面白い存在が見つかりません。

それで、買いためた資料をかたっぱしから読みました。すると、ありました! 山村先生の『新選組証言録』という本です。

ここに、ぴったりの人物がいました。新選組から二度も脱退したという安部十郎さんです。ご子孫にはほんとに申し訳ありませんが、この安部さんが私のイメージの悪役にぴったりでした。

なにせ「近藤はほとんど山賊の親分だ」とか、「斎藤一は金を持ち逃げした女にのろいヤツだ」とか、「沖田は国家朝廷があることさえ知らない残酷な人間だ」などと言い残されていて、戊辰戦争の前に、病床の沖田さんを襲撃しようとして未遂に終わると、次は銃で近藤さんを襲撃するという、これ以上はない新選組の敵役でした。(ご子孫さま、ごめんなさい)

そうして書いた『花天新選組』を読んで下さった山村先生から「越水さん、うまいなあ。ことに最後が良かった。なにより清々しい」といって頂いた時には、生きてて良かったと思いました。

そして、『恋する新選組』では、伊東成郎先生に沢山お世話になりました。でも、なんといっても『土方歳三の日記』にくわしく書かれている、会津藩主の容保公に新選組が披露したという、上覧試合(稽古試合)の記録です。何番目に、だれとだれが戦ったかということを、伊東先生に教えて頂けなかったら、あのシーンはあんなに楽しんで書くことができませんでした。

これまでの新選組の小説は、このシーンは作家の想像だけで書かれてきたものがほとんどです。ところが、私は伊東先生のおかげで、すべての試合の対戦相手を知ることができました。

まず、トップバッターが世に名高い美丈夫の土方、美男の藤堂という、なんとも絵になる試合ではじまり、永倉と斎藤、沖田と山南というなんともかんとも豪華キャストの取り組みになっていくさまは、まるで、映画のような展開です。『恋する新選組』でも、読者がとても喜んでくれるところです。

そして、菊池明先生の『新選組全史』と『京都守護職日誌』は、いつも座右においていました。わからないことがあれば、辞書のようにページをめくると、必ず的確な答えを教えて頂きました。

たとえば、池田屋へ討ち入った新選組のメンバーの名をいえる人はいても、では、屯所に残っていた人は誰と誰か、名前をいえる人はほとんどないでしょう。『新選組全史』と『京都守護職日誌』さえあれば、そんなこともすぐ答が出るのです。

それら、先生方のご本から得た歴史の証言のすき間を、リアリティのある想像で埋めていくのが、創作小説の仕事です。

その創作部分が面白くなければ、小説を書く資格はありません。私は新選組のみんなが思い残した魂の熱や、ほとばしる愛を書きたいと思いました。

そして、読む人の夢を叶えてあげたいと思いました。

作家の夢は、読者の夢でないといけません。両方の夢が重なり合うから、読書は楽しいのです。

『黒龍の柩』を書かれた作家の北方謙三さんは、「小説は作家の願望である」とおっしゃっていました。願望だからこそ、そこにリアリティが生まれるのだと。

そういう意味でいえば、私の書いた『恋する新選組』は、少女の頃からの私の願望であるのかもしれません。

あの見事な男たちの世界を、この目でもっとくっきりと見てみたい。あの時代を体験してみたい。あの人に、この人に、会ってみたい。心を通わしてみたい……そんな願望が私に小説を書かせたような気がします。

と、今日はここまで。総司忌のご報告、2回でも書ききれないので、第3回に続きます。

土方歳三波濤録 土方歳三の日記 新選組全史〈上〉 京都守護職日誌〈第5巻〉慶応三年九月~慶応三年十二月

2009-11-01

[][][][]秋の五稜郭

まゆこさまから素敵な写真が届きました。

秋の五稜郭です。そう、あの歳さんが新選組副長として戦死なさった、あの五稜郭へ行ってこられて、そのお土産写真です。

あんまり、きれいなので、写真だけでも癒されました。まゆこさま、ありがとうございました〜

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2009-05-11

[][][][][][]土方歳三の愛した京都

いやあ、ただいまです。といっても、昨日は大変で、日記の更新できませんでした。おまけに、今日は書店回りだったので、色紙を昨日の深夜に用意して、朝から出かけ、夕方帰ってきました。で、ともかく、昨日のイベントのご報告です。

昨日のイベントは「土方歳三の愛した京都」というフィールドワーク講座でした。それも、京都の歴史をご研究なさっている京すずめ学校の土居理事長さんと、かつて土方歳三を演じて、最初の新選組ブームを巻き起こした俳優さんの栗塚旭さんがご案内して下さるというぜいたく極まりないイベントでした。参加者は定員をはるかに超え、北は北海道から南は九州まで、全国から80人ものファンが集合されたそうです(それも、定員超えで参加できなかった人もあったようです)。

そして、それは、言葉にあらわせないほど、素晴らしい会でした。どう素晴らしかったかというのをぜんぶ書いていると、仕事ができないので、そのなかでも、深く心打たれたことを書かせて頂きます。それは、栗塚旭さんのお人柄です。どんな方なのか、若い人はご存じないかもしれないので、ここにご紹介。

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新選組土方歳三↑ 栗塚旭さん 

※このうちわは栗塚さんファンの百太郎さんの手造りです。そこへサインを頂きました。

5月9日は栗塚さんのお誕生日でしたので、それで、10日はお誕生祝いもかねての親睦会が用意されていました。なんと、栗塚さんは72歳になられたのです。でも、そのお誕生会には小学生から60代の方まで、あらゆる年齢層のファンが集まりました。みんな、繰り返し放映される新選組、用心棒シリーズなどのファンです。祖父母から孫まで三世代のファンがいらっしゃると聞けば、栗塚さんの魅力を分かって下さるでしょうか。たとえば、ファンのみなさまの中では、栗塚さんはいまだに「栗さま」なのです。

その栗さま、当日29度の夏日のなか、上ったり下りたりおよそ8、9km(もしくは10kmぐらいはあったかも)ほどの道のりを参加者を案内して歩かれました。いえ、歩かれましたなんてもんじゃないのです。栗さまはとてもお若いのです。背筋はまっすぐ、フットワークは軽く、体格もお顔もお肌もお若い頃とほとんどお変わりなく、いまだにとてもハンサムでいらっしゃいます。これは、まったくお世辞ではありません(だって、見とれましたもの)。

そして、とても紳士で気配りの方です。およそ70人を超える参加者(フィールドワークには出てこれない参加者もいらっしゃいましたので)を引き連れ、軽妙なお話し振りでご案内して下さり、さらに「坂道ですから、すべらないように気をつけて」とおっしゃいます。実際、中年の女性がすべっておられました。その坂道の続きを、栗さまったら、後ろ向きにひょいひょいひょいと走られます。さらに回転して前向きにひょいひょいひょい、またまた回転して後ろ向きにひょいひょいひょい。そう、ちょうどお祭りの太鼓を子どもたちが叩いていたのです。それに合わせて、ひょいひょいひょい、ひょいひょいひょい、そのバランス感覚、そのかろやかさ。私だってこわくてできません。なのに、栗さまったら。

そうなんです、栗さまは紳士でいらっしゃるだけでなく、とってもおちゃめなんです。フィールドワークの途中、栗さまは道端で幼稚園の子が落としたらしい色紙でつくったウサギさんのかぶり物を見つけて拾われました。ほら、ウサギさんの顔を輪っかに貼りつけて、輪ゴムとかで頭にはめる、お遊戯のウサギさんです。栗さまったら、それをお帽子の上にかぶって、ご自分でうけてらっしゃいました。(かわいいっ)

そして、2時から夕方までのフィールドワーク、お誕生会をかねた懇親会などを通じて、おそらく、参加者の全員が栗さまに二度惚れしたはずです。それほど、栗さまは自然体のままで、誰にでも優しく楽しい方なのです。

そうそう、フィールドワークには参加せず懇親会会場で待っていらした女性がいらっしゃいました。その方が「歩けないので、ここで待っていました、もう60歳ですから」とおっしゃったのです。そしたら、栗さま、「まだ60歳のお嬢ちゃんが、そんなことエバっちゃいけません」とにこにこしておっしゃいました。「人間は年なんか関係ない。もうだめだと思えば、身体の方もだめになります。無理はいけませんが、心の持ちようは大切ですよ」と。

f:id:rieko-k:20090510183044j:image お誕生ケーキ

そして、懇親会も終わって、最後に、みんなで三条大橋を見に行きました。三条大橋は新しく架け替えられていますが、実は擬宝珠は古いものなのです。そこに、幕末の刀傷が残っているのです。

三条大橋に向かう途中でした。木屋町で、栗さまがまた何かを拾われました。「あ、かわいそうに」とおっしゃって。

見れば、一輪のバラの花です。どうやら、バラの一輪が首だけ折れて落ちていたようです。栗さまをそれを片手に包むようにして、顔に近づけ、香りをかがれました。愛おしいものにするように、とても優しく。それから、そのバラをてのひらの中にそっと持たれたまま、三条大橋に着きました。みなで、擬宝珠の傷をたしかめました。

f:id:rieko-k:20090510210025j:image三条大橋・擬宝珠

いよいよ、栗さまとお別れの時です。でも、栗さまがおっしゃいました。「よかったら、大丈夫な方だけ、三条から四条まで歩きましょう。お名残り惜しいですから」と。その時、栗さまは、ここまで持ってきたバラの花をひらひらと鴨川へ散らされました。大橋から少しだけ、ヤジさんキタさんの石像のあるあたりから、ひらひらひらひら、花びらをすべて撒き散らすように。

私は、バラの花を水にかえしてあげられたのかなと思いました。道端で人に踏みつけられるより、鴨川を流れる方がバラにとっては幸せなことではないかと。すると、栗さまがもどってきておっしゃいました。「あの下の鴨川に、お地蔵さんがいらっしゃるから」と。

そうなのです。そうだったのです。鴨川は歴史的に処刑場であり、新選組の近藤勇の首もここでさらされました。それら、たくさんの人たちの霊をなぐさめるために、鴨川にはお地蔵さまがいらっしゃったのです。

栗さまは、首が折れて捨てられたバラの花を、お地蔵さまの水に浮かべることで、ふたつの供養をなさったのです。ひとつは首が折れて道端に捨てられていたバラの花の供養、そうして、ふたつめは、バラの花びらをお地蔵さまに降らせることで、河原で亡くなった方々への供養を。

道端にバラの花首が落ちていても、普通の人は見捨てて通り過ぎるでしょう。でも、栗さまは、それを見つけたら、そこにはかなく美しい命を感じられて拾われたのだと思います。そう、あのウサギさんの輪っかもそうです。栗さまは、そこにウサギさんをつくった幼い子どもの思いや姿を想像されて「かわいいな」と思われて拾われたのだと思います。

栗さまはそういう方です。私は小学生のころから栗さまのファンですが、素晴らしい人のファンでよかったと、しみじみ思いました。そして、懇親会で、私のミクシィ友達のモモっちさんが、手造りの新選組ウサギのぬいぐるみを、お誕生お祝いに、栗さまにプレゼントされたことをご報告しておきます。その時、栗さまはおっしゃったのです。「ああ、さっきウサギを拾ったのは、これだったのか」というようなことを。知らないうちに、人は目に見えない何かに引き寄せられます。そして、後で気づくのです。ああ、あれは、もうすぐ、これに会えるよってことだったんだ…とか、この人に会うためのサインだったんだとか。そういうことって、ありません?

栗さまは、きっとそんな意味のことをおっしゃったのだと思います。モモっちさんには、最高のお礼の言葉だったのではないでしょうか。

そして、栗さまに会うまで、私は落ち込んでいました。でも、栗さまに会って、わかったのです。栗さまはだれにでも優しい方ですが、とても心の強い深い方です。一度会えば、栗さまのファンにならない人はいません。人として生きるなら、栗さまを目指したいと思いました。人の美しさ、豊かさを、栗さまに教えていただきました。私が小学生の時に、新選組の栗さまを大好きになったのは、今、私がこうして新選組の物語を書くためだったのかもしれません。あの時がなければ、今の私はないのです。

栗塚さん、ほんとにお疲れさまでした。そして、心からありがとうございました。

あの場でお会いできたみなさまも、とても素敵な方々ばかりでした。みなさま、ほんとにありがとうございました。また、お目にかかりましょう。

京すずめ学校HP http://www.kyosuzume.or.jp/index.html

新選組の本、取材日記などの情報はカテゴリーの【新選組】をクリックしてくださいね。

2009-02-17

[][][][]山南忌

新選組副長だった山南敬助(さんなん けいすけ)さんを偲ぶ山南忌が、今年も3月15日にあります。私は去年は事情があって行けなかったのです。その代わり山南忌の翌日には、近藤勇さん、土方歳三さん、井上源三郎さんのご子孫方とご一緒させて頂き、新たに見つかった源さんの首級を埋めた土地へお参りしました。その一日はいまだに強く心に焼きついています。(※その記事は→http://d.hatena.ne.jp/rieko-k/20080411 その他の新選組取材日記は、カテゴリー【新選組】をクリックすると出てきます。)

でも、今年は山南忌に駆け付けます。

天然理心流宗家の宮川さん(近藤さんご子孫)、井上さん(源さんご子孫)からも「京都でお会いしましょう」というお便りを今年も頂いています。行かねばっ。行事は午前から午後までありますので、全体に参加できるかどうかはわからないのですが、どこかで駆け付けられるはずです。今から、その日に合わせて必死に原稿を書いてます。

山南忌の参加資格は前もって予約した人だけで、それもすでに締め切られていますが、山南さんのお墓参りはできます。観光目的でなく、墓参に来た人だけに、そっと門戸は開かれています。お静かに礼を尽くしてお参り下さい。(墓参料100円)

↓山南さんのお墓がある光縁寺

http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%AE%E9%81%93_005.htm

↓山南忌「新選組屯所・旧前川邸HP」

http://kyu-maekawatei.com/index.php

2008-05-12

[][][][]歳三忌

新選組の土方歳三忌へ行ってきました。

雨の中、前日10日に上京して、まず、三鷹にある近藤勇さんのお墓へお参りしました。

お花を買おうと、駅前のお花屋さんへ行ったら『母の日』セールで、何十分待ち。午前中に京都を出たのですが、花を手に入れたときには3時を過ぎていました。日野での5時半の待ち合わせに間に合わせるためには時間もないし、さらに荷物を持って土砂降りの雨では、タクシーで往復するしかありませんでした。龍源寺で、タクシーに待ってもらって、お花と新刊だけを手に、近藤さんのお墓へ。この雨ではお線香もあげられません。

日野市では新選組祭りでにぎやかなはずですが、日野から離れた近藤さんのお墓は人けもなく、聞こえるのは雨の音だけ。そのなか、お花をあげてお参り致しました。新刊もお見せして、これからも新選組の誠のこころを書き続けますともご報告して、お礼も申し上げました。近藤さんが静かに微笑んで下さったように感じました。

近藤さんとお別れしてから、タクシーで取って返し、一路、日野へ。

ところが、どうも遠回りをしてしまったようで、到着したのは、約束から30分も遅れてしまいました。駅では、近藤さんご子孫の宮川清蔵さんと井上源三郎ご子孫の井上雅雄さんが待っていて下さり、新選組のお芝居の会場へ。幕開けは見逃してしまいましたが、最初の暗転で観客席へ入ることができました。

お芝居は「エルプロダクツ」の『新撰組烈伝 残-zanshin-心』

チャンバラあり、ボケ突っ込みあり、勇壮な踊りありの勇ましいお芝居でしたが、俳優はなんと、すべて女性。面白かったです。

お芝居終了後、シナリオの桑野和子さん(素敵な女性〜)をご紹介して頂いて、桑野さんから「ご本読ませて頂きました。面白かったです。私の書くものと通底するものを多く感じました」とおっしゃって頂きました。ありがとうございました。

その後、清蔵さん、雅雄さんと三人で会食へ。

源さんの首級が埋められた場所がほぼ確定して、その土と共に源さんの魂魄もふるさとへやっと帰ってこられたことを乾杯しました。

小さいけれど、すごくいいお店で、食べきれないほどのご馳走を前に杯を重ね、大いに語りました。ほんとに楽しかったです。中でも「現地を踏んで取材された本は、やはりいい本になるね」と、お二人で拙著を喜んでくださったことが一番うれしかったです。

さらに、そのとき、清蔵さんが持参して下さったのが、近藤勇さん、沖田総司さん直筆のお手紙の巻物でした。(新選組ファンには国宝級のお宝です!)

これが、総司さんの直筆。

f:id:rieko-k:20080510231230j:image

前文あたりには、

前文御免被下候然者

皆々様益御勇猛被遊

大祝至極ニ奉存候次ニ

宮川信吉君公者我カ

同組ニ而無事罷有候間

御分家様ノ方江も無

心配被遊候様一寸申上候(写真ではこの行から写っています)

……などと書かれております。

ドラマではやや子どもっぽく線の細い美剣士に描かれる総司さんですが、この字の印象は、知的で豪胆です。

この頃、総司さんは結核の病が相当重くなっていたはずなのですが「宮川信吉君は我が同組において無事にいるので、御分家さまの方へご心配されないよう、一寸申上げ候」と書いて、自分の病状には一言も触れていません。総司さんの優しさ、強さがしのばれます。総司さん本人の名が、沖田総二になっています。この時代のひとは、漢字にはこだわらなかったのがよくわかります。これは、拙著にわずかながら沖田総司さんが宮川信吉さんのことを語る場面が登場するので、わざわざご持参下さったものです。これを見て、私は信吉さんと総司さんのお話が書けそうな気がしました。

これは、近藤さんの直筆

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繊細かつ、男らしい字です!(内容についてはまたいつか)

と、そんな楽しいひと時はあっという間に過ぎて、気づけば11時半にもなっていましたので、お店も閉店の時間です。御礼をいって、雅雄さんのお車で、ホテルに送って頂きました。井上雅雄さん、宮川清蔵さん。本当にありがとうございました。

落ち着いたら、あらためてお礼状をしたためるつもりです。

で、翌日が歳三忌なのですが、この日のご報告はまた後日ということで。

2008-04-11

[][][]井上源三郎さんの埋葬地

3月に、井上源三郎ご子孫の井上雅雄さんや近藤勇さん生家ご子孫宮川清蔵さんと、とうとうみつかった源さんの埋葬地へ行ってきたのは以前の日記に書きましたが、まだ公表されていなかったので詳細は書きませんでした。

でも、ついに、井上源三郎資料館でも発表されたようですので、ここでもご報告致します。

不思議なご縁がつながって発見されたいきさつは、

日野本陣文書検討会ブログ↓

 http://hinojyukuhonjin-kentoukai.blog.drecom.jp/ 

において、連載が始まっていますので、ここでは、この日の私個人のご報告だけ致します。

新選組ファンの方は良くご存知だと思いますが、新選組大幹部のひとりであった井上源三郎さんは戊辰戦争において戦死されています。

その首を敵の手にわたすはしのびなしとして、この時いまだ12歳だった源三郎の甥井上泰助が形見の大刀と首級をもって退却、ある寺の前の田圃に埋め隠したと伝えられていました。

その場所がずっと不明だったのですが、ついに寺跡がほぼ確定されたのです。

その因縁、不思議は、日野本陣文書検討会ブログや、井上源三郎資料館HPでぜひご覧ください。

その日は朝から翳ったり晴れたり、不思議なお天気でした。

私は京都駅前のホテルロビーで、宮川清蔵さん、井上雅雄さんと待ち合わせていました。

そこで、天然理心流撥雲会の荒川治さんや新選組撮影班のカメラマンの方ともお出会いさせて頂き、五人で、淀へ向かいました。

淀では、研究家の市川さん、原田さん、谷さん、土方歳三さんご子孫土方愛さん、佐藤彦五郎さんご子孫佐藤福子さんなどと合流。

ゆかりのお寺などをご訪問お参りした後、源さんの埋葬地へ向かいました。

それが、ここです。

↓埋葬地であった欣浄寺跡にある「辨慶うどん」さん。ここから、寺の墓石などが出てきたそうです。

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辨慶うどん淀店

京都府京都市伏見区納所妙徳寺15-3

TEL 075-631-8621 営業時間 午前11時〜翌午前1時

※お願い・お食事に行かれる以外のお問い合わせやご訪問はくれぐれもなさらないでください。

↓やはり欣浄寺跡にある私有地。井上雅雄さんはこの土を御霊としてお持ち帰りになりました。

すみずみまでコンクリートで固められた町で、ここと、辨慶うどんさんの駐車場だけが、まるで大地の気穴のように土のままに残されておりました。

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↑まだつぼみのかたい梅の木の中で、たった一枝、満開の白梅。

わたしには、源さんが「この花の下にいるよ」と、雅雄さんにお声をかけていらっしゃるような気がしました。

その後、お参りした千両松の慰霊碑前で、鮮やかな青空がのぞいたのは、源さんの魂が癒されたからだったのでしょうか。

源さんは喜んでいらっしゃると思います。現地でもそう感じました。

今年の9月には源さんの法会があるようです。なんとか、参加したいと思っています。

2007-12-18

[][][][]新選組取材IN京都

12月15日(土)に行き残していた京都の新選組関係の取材をしました。まずは鳥羽伏見の戦い跡。味方の裏切りで大きく崩れた幕府軍。その最後尾をまもった新選組が白兵戦を展開した淀競馬場付近、その英霊がまつられている千両松跡、伏見奉行所跡、鳥羽離宮跡、薩長軍の砲弾跡が残るという妙教寺などへ行ってきました。

胸を衝いたのは、千両松跡の様子でした。

道の際に、石碑だけで一杯になるような小さな盛り土。フェンスで囲った大きな駐車場はありましたが(これは、おそらく淀競馬場のための駐車場で5分とめるのも1000円かかってしまうので駐車場には車を停められず)、運転手を残して、私だけ車を降り、お参りをしました。

道路とフェンスに挟まれ、ほんの形ばかりという感じでおかれている石碑。

周りは殺伐としたがらんとした民家も少ない場所なのに、英霊に捧げられた土地は一跨ぎで超えられるような狭い一角だけで、正面は自動車の排気ガスにさらされているのです。

石碑の真ん前、道路側に錆びた車よけが設置されていました。

石碑文は胸を打つ内容だったけれど、明治維新からこの平成の世まで、英霊たちをこんなふうにあつかっている薩長土の勝ち組が築いた日本という国に、大きな失望を感じました。この場所近くで、新選組の井上源三郎も最後尾をまもって戦死したはずです。源三郎の首と胴体は、この近辺の別々の場所に葬られているはずなのですが、胴体の方はここにあるかも知れません。今度は源さんたち英霊にお酒を持っていってあげようと思いました。

このあと、新選組壬生屯所と西本願寺屯所近くの島原へ向かいました。今もお茶屋として経営している輪違屋は外観だけ見て、かつて揚屋だった角屋へ。揚屋は、島原の太夫さんなどを呼んで宴会ができる、いわば料亭ですが、今は美術館とされていて、保存会の方々がいろいろ説明して下さいます。その建物の隅々まで贅を尽くされ艶冶なこと! しかも、そのデザインや意匠は、現代の感覚でいっても新しいのです。

そして、二階の青貝の間と、一階玄関付近には新選組がつけた刀傷がくっきりと!

一階松の間(ここだけは火事のため再建)は、新選組の芹沢鴨が暗殺される寸前まで、大宴会で飲んでいたという場所です。この松の間に行かれたら、障子の桟にご注目下さい。二階やその他重要文化財になっている部屋の障子の桟と見くらべて見て下さい。その造りの粗いことに気づかれると思います。遠目には元通り復元されているのですが、いかんせん、贅を尽くした昔とは違い、多くの予算をつぎ込めなかったのでしょう。職人の腕もたりなかったのでしょう。やはり、全然違います。それを比べられるのも、角屋の建物全体が残されたからこそ。よくぞ、残してくれたと感謝したくなりました。

ところが、驚いたことに、すぐそばを山陰線が通っているため、実は角屋は取り壊しになる運命だったのだそうです。それで、視察に来たお役人に、ここは歴史的な建物であると説明して、西郷隆盛さんが行水したという盥を見せたところ、取り壊しを免れたそうです。これほどの建築物があるのに、簡単に取り壊すとして、いくら西郷さんとはいえ、ただの盥で重要であると決めるとは、何かまちがってませんか?と思いました。まず、建物の価値を認めるべきなのに。

その前に見た千両松のことを思い、政府や自治体役人の文化意識の低さ、先人の遺産軽視にあきれかえりました。

新選組という一つの集団を見つめるだけで見えてくる、日本という国、現代という時代の病巣があらわになってきます。文化の貧困。それが、現代日本の哀しい姿ではないでしょうか。