GAINAXが見た夢とロケット、10分くらいで分かる王立宇宙軍 オネアミスの翼


王立宇宙軍 オネアミスの翼 1987年3月14日公開劇場作品


何かを決断するにあたって歴史に学べとよく言われる。それは義務教育での口実に使われることもあるが、何も何百年も昔まで調べる必要はない。今を知るために少し前の人が何をしたのかを知れば良いのだ。


そうやって調べて行き着いたのが、この王立宇宙軍 オネアミスの翼。この作品を起点にして今のアニメを考えて見たり、自分が何をアニメに対して求めているのか、これから自分が何をしていくべきなのか考えていこうと思う。


まずはこれを作った会社ガイナックスから。

株式会社GAINAXはこの映画の製作のために1984年12月に発足、その中心メンバーのほとんどは当時まだ20代前半であり、世代的には、そう言って良ければアニメファン第一世代(1960年前後生まれ)に属する。


志を持つもの、何かをしたいと思う若者が集まってフィルムを作ろうと。なるほど、夢のある話だ。


この映画の内容を簡単に言えば、宇宙へ飛ぶ有人ロケットを作ろうという話。主人公のシロツグは周囲の人間と等しく現状に倦怠感を持ち、それでも何不自由なく生活できるのだけど、このままで良いのか?という疑問もあった。そんなある日、リイクニという女の子と出会って半分くらいの下心もありながら人類初の宇宙飛行士に立候補する。

「やめとけ、親が泣くぞ!」
「死ぬぞ!確実に死ぬ!」
「考えてみろ。俺たちが入ったとき1期生は何人いた?俺とお前の2人だけだったか?」


そんな周りの説得や反対を受け流して、気取ったようにおどけて言ってみせるシロツグ。

「マティ、科学は我々に全生涯を求めているんだ。歴史に恥ない立派な仕事をしようじゃないか」


ひとつはリイクニに良いところを見せたいという気持ちと、もうひとつは漠然と目標が出来たことで、今までの自分を忘れてひた向きに夢を追って努力していく。命を失うのは怖いけど、そんな姿は一度も見せてはいない。


そして成し遂げたいことを一言で夢といっても、それは他人から賞賛される美しいだけのものじゃない。誰も自分に期待はしてないし、自分の叶えたい夢は他人の犠牲の上に成り立っていることも分かってしまう。有人ロケットの反対集会を開かれたり、またロケット開発と対称的に世間の貧困が進んでいたりして、自分が成し遂げたいことが本当に正しいのかどうか揺さぶりを掛けてくる。また大人たちはそんな夢を都合よく捻じ曲げて、政治に利用したり金儲けしようと企む奴もいる。


夢の起点となってくれた女の子、リイクニだって宗教家で文明社会を批判するから誰もシロツグの得た夢を後押しなんてしてくれない。だからそれは自分で決断して掴み取りに行かなきゃ掴めない。リイクニとの関係も紆余曲折ありながら、最後の言葉はたったの一言。「いってらっしゃい」だった。それ以上は必要ない。


シロツグの上司が言う。

「文明が戦争を生むのではない、戦争によって文明が作られたんだ」
「誰の言葉です?」
「私の言葉だ。我々人類は原始時代の地獄より抜け出し、十万年もかかってここへ辿り着いた。しかし、ここはどうだ?根本的には何も解決されないではないか。若い頃は歴史家になりたかった」
「なぜ、ならなかったんですか?」
「戦争が起きた、それで軍人になった。同胞を異民族の侵略から守るため必死で戦った。しかしそれが、正義などではなく太古の昔から繰り返されてきた殺戮の歴史をなぞっているだけであることもよく知っていた。悲しかったよ。いや、軍人になったことがじゃない、歴史を勉強したことがだ。歴史は破産するまで終わらないゲームなのだ。たぶん、マヌケな猿が始めたに違いない。昔へ戻れだと?道は一本きりではないか、大切なのは自分の立場を見つけることだ。そこで何をやるべきか、何をやるべきでないかを考える。本物の目玉は鼻の上についている一組分。それだけだ。そこから見てみろ、何が見える?」
「…女のケツ」
「お前のは節穴だ」


そして打上げ当日。成功させようとあれこれ画策するも、周りは戦火に包まれロケットの発射は無理だと伝令がきた。

「やむ終えんだろう。悔しいのはわしも一緒だ。今度こそはうまく行くとは思ったんだがな。仕方がない引き上げよう。くだらん事だ。命を掛けてまでやって割が合うようなものじゃない。諦めよう。」
「ちょっと待ってくれ。そりゃないぞ、何がくだらないことだよ。ここで辞めたら俺たち何だ?ただのバカじゃないか。ここまで作ったものを全部捨てちまうつもりかよ。今日の今日までやってきたことだぞ。くだらないなんて悲しいこと言うなよ。立派だよ。みんな歴史の教科書に載るくらい立派だよ。俺まだやるぞ!死んでも、あがってみせる。嫌になった奴は帰れよ!俺はまだやるんだ!十分!立派に!元気にやるんだ!」


そのシロツグの言葉に一度は諦めかけた周りのメンバーも打ち上げようと協力して…。


当時のガイナックスからして見れば、この有人ロケットそのものが劇場アニメであり、夢そのものであるとも言える。それは誰かにやれと命令された訳じゃない、何かやりたいという者が集まって最後まで成し遂げてしまった。素晴らしい。


日常の倦怠感を断ち切るためにロケットを打ち上げる。


もしかすればそこに大層な意義なんてなく、やってみたら何かあるんじゃないかと、変わるんじゃないかなという想いが先行してるのかも知れない。または実際に変えようと行動した結果であるとも言える。


世の中には実にたくさんの夢に溢れている。けれどふわふわ見えてる夢だって、大人の都合で作られていたりする。だから本当に自分の成し遂げたい夢は自分で考えなきゃ見つからない。そして、それを掴み取りに行かなきゃ掴めない。誰かが、掴んで良いよと許可をくれるわけじゃないんだ。


自分のメッセージと何か変えたいという気持ち。


自分は自分が考えていることを何かの文脈に沿って伝えることが好きだ。それは今まで自分の発言に自信がないからだと思い込んでいた。けれど、これまで見てきたアニメのように何かを伝えるには説得力がないと伝わらない。その説得力とは過去の文脈だ。


その文脈は何でも良くて、ただ身近にアニメがあっただけなのかもしれない。デザインという仕事だって過去のデザインの文脈がなければ説得力をもたない。もし身近にあるのが文学書であれば小説家になったかも知れない。ただ、自分の考えたことを何かの形式で人に伝えていきたいんだと思う。それがたぶん今見えてる自分の夢だ。


ガイナックスは25年前のアニメで夢を宇宙にまで飛ばして見せたけど、今現在放送されているアニメは、そのほとんどが隣に座る女の子の心境ばかり気にかけている。それはひとつの夢かもしれないけど、どうせなら社会を大きく変えてみたい。けれどアニメ程度じゃそれは変わらないかもしれない。実際にアポロが月まで行ったと世界中の人が知って、教科書に載っても、社会の閉塞感はなかなか断ち切れない。


ロケットだって最初から上手く飛ばせた訳じゃない。


だからたぶん、これまで生きてきた誰もが同じように倦怠感や閉塞感を持つことはあった。それを今ここで、これが現実なんだと受け入れて、挑戦も行動も何もかも捨ててしまうというのは、それはやっぱり夢がない。

「ここまで作ったものを全部捨てちまうつもりかよ。今日の今日までやってきたことだぞ。くだらないなんて悲しいこと言うなよ。立派だよ。みんな歴史の教科書に載るくらい立派だよ。俺まだやるぞ!死んでも、あがってみせる。嫌になった奴は帰れよ!俺はまだやるんだ!十分!立派に!元気にやるんだ!」


王立宇宙軍 オネアミスの翼 [DVD]

王立宇宙軍 オネアミスの翼 [DVD]


参照元
王立宇宙軍 オネアミスの翼 - Wikipedia
王立宇宙軍 オネアミスの翼
オネアミスの翼