「ママクサ、何か本読んで」

テレワークでほぼ巣篭もりで過ごしていたのに、どこからかウィルスをもらってしまい、実は先週から10日ほど、家族と離れて、宿泊療養してる。
おかげさまで微熱と食欲不振くらいの軽症で済んでいるので、調子が良い時には映画を見たり、絵を描いたり、TVerで気になるドラマを一気見したり、ウェビナーをチェックしたりでのんびり過ごしてるので、ご心配なくね。
ただ、宿泊施設からは一歩も外出できないし、他の宿泊者とロビーやホールで会話するのも禁止なので、やっぱり退屈になる。
そんなある夜、息子からケータイに着信が。
「ママクサ、何か、本読んで」。
「アレクサ、YOASOBIの歌シャッフル再生して」とおんなじノリで、読み聞かせのリクエストが来た。
小説やエッセイは持ってきたけど、絵本は持ってきてなかったから、青空文庫で童話を探す。
ガリバー旅行記があった。
小人の王国に流れ着き、ガリバーの持ち物がなんでも巨大に見える小人たちと、食べ物でも寝床でもなんでも、大量に必要なガリバーの対比を楽しみながら、少しずつ違う世界の小人たちとガリバーが親交を深めていく様子を、たんたんと読み聞かせてやると、息子は満足そうに聞いている。
読み始めて20分もすると、スマホ画面の向こうからは静かな寝息が聞こえてきた。
「ママのせいで、大好きなサッカーもできないし、お友達とも会えないし、勉強はどんどん遅れちゃうし」
って、怒りや苛立ちをぶつけてきてもおかしくないのに、
「何よ、ママクサって!」と思わず突っ込みたくなるような、絶妙な頼み方で、甘えてきてくれる。
本能的に、人に甘えながらも、
人を元気づける言葉が選べるんだね。
静かな寝息を聞きながら、
「ママクサ、何か本読んで」のひと言で始まった幸せ時間を反芻していたのでした。

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久しぶりに更新。

お久しぶりです。10年以上ぶりに更新してみる。

空白の10年。

何してたんだっけ。

結婚して、出産して、母を看取って、今度は父が倒れて、

介護休暇を取って、ちょっと落ち着いたので復帰して、子育てしながら、

気づいたら、10年経ってた。 Time Flies。

でも、「人生に遅すぎることなんてない」。

もう一度、のんびり、大好きだった書くこと、描くこと再開するね。

日常で見たり聞いたりしたことで、うわ、感動した、反対にざわっと違和感を感じた、って思ったことを、少しずつ、発信していこうと思います。

 

 

敗れざる者たち

東京FMからTwitterの番組告知で、沢木耕太郎さんの『敗れざる者たち』を紹介すると知り、ラジコにアクセス。これは、高校時代、現代文の先生が、あなたはぜひ読むべきと勧められた一冊だった。

番組を聞き終えて、改めて、どうして現代文の先生が、私に沢木耕太郎さんの『敗れざる者たち』を勧めてくれていたのか。意味を考えてみる。

一つには何かを書く事に、異常なまでに執着を示していた当時の私に、無駄のない、数十年経っても陳腐化しない、むしろいつまでも読む人の心に残り続ける文章はこういうもの、というロールモデルを示すため。

もう一つは、『敗れざる』というタイトルながら、勝負の世界では敗者とされている人たちを美しく描いている本作を通じて、私の書くエッセイや論文に共通するテーマ性を見出して、あなたの価値観はおかしくないよと、そっと励ましてくれていたのかも。

常識、主流、強者、成功に捉われない生き方、価値観は、社会にでると、邪魔っけになる。
でも、捨てたくないと思い続けてきた。

広告を売りなさい、というミッションなのに、私は、いつも、そっと裏テーマを設定して、読む人に笑顔、感動、発見を提供する企画を売るんだ、と頑張っている。それで、実際結果としては、出版不況と言われながらも、過去最高収益になってるんだから、いいじゃない?と開き直りながら。

でも、最近、そろそろ、諦めて、社会や会社の常識に従ってみようかなぁと思うときもあって。

そしたら、念押しのように、
作品が書かれて35年もたった今頃、再びこの本の話題にどうしてかひょっこり巡り合うことになった。

もしかしたら、社会や会社の方が多様性や利益だけでない価値を考え始めるようになってくるから、もうちょい、頑張れってことなのかなぁ。

次の企画は、近い未来、私たちの生活はどうなっているかを示す誌面を作りスポンサーを得る、というもの。

沢木耕太郎さんの作品を読み返して企画を練ってみよう〜。

振り返り

振り返り。


この週末、夢のような、宝のような、本当に、尊い時間を、過ごしてきた。

どれだけ、我慢してたんだろう。頑張りすぎてたんだろう。会いたいなあと願っていた、憧れの方達と再会したとたん、嬉しくて、嬉しくて、、ぽろぽろと涙が溢れてきた。

自分の持っている魅力、才能、熱意を、作品や、歌や、イベントに変え、周りの人たちを巻き込みながら、伝えてゆける彼、彼女たち。

集う人たちは、癒やされ、活力を得、前を向いて生きていける。また、他の人に広げてゆきたくなる。自分も何かできないかなぁ、と、思い始める。
不思議な力。心地よいエネルギー。

キルト作家のさよこさん。キルトを縫ってゆく作業は、心を込めて祈る行為にも通じるの。李政美さんの祈りの歌と合わせると本当に素敵な時間が生まれるのよ。

さよこさんのレシピは、さらさらっと書かれているのだけれど、出来上がると、彩りも鮮やかで、美味しくて、食べる人に笑顔と幸せを運ぶ。

女優の斉藤とも子さん。幼い頃の母の死は本当に悲しかったけれど、その後、勤務医をしていた父が宿直の時は同級生の子たちが泊りにきてくれたり、友だちのお母さんが代わりばんこに作ってくれたりしてくれた。楽しい思い出も、たくさんできた。死は怖くないのよ。

世の中の悲しいこと、辛いことは、必ず、より良い明日へ変化するための、きっかけになる。311をきっかけに、私たちは気づかなくてはいけない。地球が人間に警告してくれていることを。平和、安心、安全、美しい自然を取り戻すために、動き出すなら、今。


小学校の先生、山さん。被災地支援に行き、最初に任されたのは、車のナンバープレートの番号、車種をひたすら数える、体育館に置かれた衣類を種類、サイズ、性別ごとに仕分けること。現地の人の話も聞かせてもらえず、気が遠くなるような作業だったけれど燈々無尽という言葉を思い出し、また、お陰で、欲しい人に必要な物が渡せると聞いて、自分のしてきたことの喜びを実感できた。

その後、何人かの生存者の話を聞き、死をまぬがれた理由は単一ではなく、それぞれにエピソードがあることに改めて気づかされた。出窓に置かれたテレビに乗っかり、鴨居を伝い、飼っていたトイプードルを肩に乗せ、わんこを守ろうと必死に神棚に乗っけようと肩を上下させ、一時間半もの間、部屋に流れ込んできた津波に飲まれないよう浮きながら、かわし続けていたおばあちゃん。
伝えていけば、また、誰かの行動につながっていく。


歌手の李政美さん。
宮沢賢治星めぐりの歌。イマジン。チャンゴの響き。シャワーのように浴び続けると、それが、心と体の、ちょうどいい部分に染み渡る。歌のマッサージ。
彼女自身の経験から歌うのに、不思議と聞く人の経験と重なり、繋がり、共感を呼ぶ歌『ありのままの私』が持つ魅力。


振り子みたいだったな、と改めて思う。
やりたいって願うこと、挑戦したいと企んでいること、
今は我慢。自分一人で生きてるわけじゃないんだから、我慢。

頭でわかってるつもりで、我慢する気は無かったんだなぁ、と。

昔から、やりたい事、理想系の状態がまずあって、それに現実を引き寄せてくみたいな実現のさせ方をしていて、理由は?手順は?計画は?と聞かれると、言葉に詰まった。そんなの、やると決めたら、整ってくものだから。
やっぱり、難しくても、自分なりにやれるまで、挑戦しよう。
 

本の断捨離、難航中。

断捨離は、絶対なのかな、と少し疑問に思いながら、作業中。
特に本。私の中で、本は過去の自分や想い出、未知の世界と繋がる扉的役割を果たしている。

ボイストレーニング、ジャーナリズム、ピアノ、歴史、文学、金融工学、アート、旅。

昨日のハーマンミラー物語のように、少し時間が経ってから、自分がその本に見合う経験を積んで、ようやく読めるようになる作品もあるわけで。

状態はあまりよくないけど、何度でも読み返したい本もあり。

ジョゼと虎と魚たちの中で、主人公のジョゼが学校に行かないのに、物事をよく知ってるのは、誰かが捨てて行った本や教科書を繰り返し読んでる、というエピソードを思い出してみては、本て、いろんなとこに連れて行ってもらえる瞬間移動装置なんだものなぁー、と名残惜しんでいる。

山田太一さんの昔の脚本なんて、今だ色褪せず新鮮だし、山崎豊子さんの大地の子は、中国語でも読めるようになりたいし、三島由紀夫さんの日本語は美しくてたまらないし、吉行淳之介さんはねむの木学園の宮城まりこさんと2人セットで素晴らしいし。

少しずつでも、朗読や書き写しして、自分の血肉としてインプットしたいなぁ、と思うと、図書館じゃ期間が足りなくて、手元においときたいんだなぁ。

マクロ経済学はグッバイしたけど、貧困に経済はどう絡むかはウォッチしたく、ネクストマーケットはキープ。

トフラーの第三の波、パワーシフト、富の未来も、世の中を大きい流れで感じたいし、機会あれば、今少しずつ関わり始めてるスマートグリッド、エネルギー、環境経営とつながってく気がしてて、もうちょい保留。

新陳代謝も大切なので、卒業本として次の人に送るのも良いかとも思いつつ、作業中。

クリエイティビティについて

めちゃ、久しぶりの、休日。いろいろやらなきゃいけないことはあるけれど、とりあえず、家族にごめんなさいして、今日は、自分のためだけに、時間を使わせてもらってる。

それで、朝から、渡辺力さんの、『ハーマンミラー物語、イームズはここから生まれた』を読んでる。

かなり、昔、五年近くたつのかな。表参道の骨董通りにあるミッドセンチュリーの家具ばかり置いてる雑貨屋さんで出会って、たまたま、あ、この本なにか、私に教えてくれそう
って思って買ったのだけど、忙しさにかまけて、放置。今日になって、ようやくページをめくられることになりました。
結果的には、正解。今の、私のために、あったと感じる本でした。まだ、途中だけど。

その雑貨屋さんには本以外にも、真空管ラジオなんかもおかれていて、店員さんが「ラジオは、電気屋さんで買うものだと思う人が多いけど、置くのは家の中だから、インテリアや空間に合わせて選びたい人もいると思ってね」って、話をしてくれたのを覚えてる。文脈で物を買う、とか、生活の中に物がある、って考え方が、いいな、と思ったのでした。同期の結婚祝いに、柳宗理さんの鍋を買ってあげよう、って入ったのだけど、思いがけずいい話を聞けて、なんとなく、いいな、と感じる店員さんが選んで置いてる本だから、間違いないな、と、自分にも、プレゼントしてあげるつもりで、買いました。


それで、この本。
私の、創作活動の原点に近い価値観、表現が溢れていて、心地いい。

マーケティングをして、こんなニーズがあるから、デザインしました、っていうのではなくて、デザインがあって、こんな、ライフスタイルになるんだ、っていう自由な発想。

ピカソや、マティスアインシュタインのように、芸術的センス、時代性に優れている人たちが、必ずしも、最先端のおしゃれな家具に囲まれてはいないように、デザインそのものが、ひとを豊かにするのではない。彼らはすでに、彼ら自身が豊かなのだ、という見方とか。

デザインてなんだろう、って部分を面白がっていた時代、模索していた時代の、クリエイターたちのお話。

大学時代、現代アートの授業で、鳥が飛ぶ姿をパラパラ漫画で表現してたときの気持ちや、パリやイタリアや上野やいろんな美術館で、魅力的な芸術作品を目の当たりにしている時と、同じ、心地良さ。


本を読みながら、いろんなことを振り返ってみて、今までで自分がこなしてきた仕事の中で、面白がって取り組んでる時の気持ちとも、つながってるな、と気づいたり。

例えばね、ある時、あるアパレルメーカーさんから、いいブランドなのに、着る機会がないから、評価されてないんですよ、って課題をもらって。じゃ、それを、解決しましょうって、出した提案は。一晩だけ、銀座のそのメーカーさんの店舗を閉店後開放してセミナー会場に。お仕事を早めに終えた女性を集めて、本誌人気スタイリストさんによる働く女性の着こなし講座。学んだあとは、2人ひと組で、店舗貸切で、大試着大会。好きなだけ、試してみる、希望者には即売会も。なんて、企画。いろんな人に助けてもらいながら、実現して、夢みたいなシンデレラタイムになりました、と、クライアントさんも、読者も大喜び。


何かを生みだす、創り出す、高揚感。誰かの生活に影響を与えたり、新たな視点を提供できる喜び。

もすこし、ひたって。
そしたら、お片づけタイムにしましょうかね。

宮沢賢治さんに呼ばれた

時々、誰かに呼ばれるようにして、本に出会い、そのときの自分に必要なメッセージに遭遇することがある。遭遇というより、与えられると言った方が近いかも。今日は『宮沢賢治 キーワード図鑑』という本。

宮沢賢治キーワード図鑑 (コロナ・ブックス)

たまたま最近ランチで花巻市の漁港で取れた魚を扱うお寿司屋さんに入った。ラジオから賢治の作品『グスコーブドリの伝記』の一説が流れてきた。身の周りで農業についての話題が増えてきた。

それより、何より。東日本大震災以来、東北のことが気になっていて、お母さん雑誌担当の私が、今できることの一つは、震災ニュースから離れて、ほっとできる時間を、震災の影響を受けるすべての親子に提供することだと、思っていて。

童話や絵本の世界をたくさんの人に届けられたらいいな、と思っていたら、たくさんの人達の協力を得て、親子向けにお話の読み聞かせ番組を音声メディアで配信できることになった。

そんな今日この頃。

朝起きて、部屋の隅にある本棚に吸い寄せられるようにして、目に付いたのが、この本。本当に誰かに、読みなさい、手にとりなさい、と言われているような気がして、取り付かれているような気分で、ページをめくっていた。

私の心に最近引っかかっていた、いくつかの思い。

●それは例えば、農業や漁業など自然とともに生きてきた東北地方の人たちが、地震によって命を追われる体験をしているのに、自然を捨てて都会に住む私は、その苦しみから逃れられているという不平等感。嫌悪感。


●それは例えば、正義や幸せの定義について。


●それは例えば、コミュニケーションという言葉を聞くたびに、うっすらと思い出す、中学生時代の記憶。
「世界中の人と、対等に、公平に、コミュニケーションするためには、どこの言語にも寄らない、全く新しい、言語をみんなで学べばいいじゃないですか」と訴えたところ、「昔、あなたと同じことを考えた人がいたよ」と、英語の先生に『エスペラント語入門』という本を差し出されて、びっくりした思い出。


●それは例えば、「この企画で、いくら稼げる?」と聞かれるたびに、湧き上がってくる「いつの日か『この企画で、何人の人に幸せな気持ちを届けられる?』と聞かれる日がこないかなぁ」という野望にも似た感情。


●それは例えば、絵を描くように文章を書きたい願う気持ち。


私のそうした違和感や戸惑いにも似た思いを、なんとなくわかってくれるような、遠い昔から待ちわびてくれていたような文章が、そこには書かれていた。

以下、『宮沢賢治 キーワード図鑑』から今日の私の心の琴線に触れた言葉たち。

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★「なめとこ山の熊」はとてもさびしい物語である。ここにはどうも救いがない。
淵沢小十郎は熊捕りの名人だ。田んぼはなく、畑も本のわずかあるきりで、しかたなしに猟師をしている。熊を捕り、その毛皮と熊の胆を町の荒物屋に売って、家族を養い、暮らしているのだ。毛皮は荒物屋の旦那に買い叩かれて、二枚で二円にしかならない。実に安い、あんまり安い、それは小十郎だって知っている。

けれども、日本では狐けん(じゃんけん)というものもあって、狐は猟師に負け、猟師は旦那に負けると決まっている。熊は小十郎にやられる、小十郎はだんなにやられる、そして旦那は熊に・・・となるはずなのだ。
けれども、ここでは、熊は小十郎にやられ、小十郎が旦那にやられる。旦那は町の中にいるから、なかなか熊に食われない。旦那は決して熊にやられない。

語り部の「僕」の苛立ちは、旦那(=資本家・消費社会)が決して負けないことだ。
<熊→小十郎→旦那>と連なる、片道切符。

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★「カンパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ」けれどもカムパネルラは天上で消え、ジョバンニはこの世へと戻される。「きっとみんなの本当のさいはい(幸い)を探しにいく」という決意とともに。
ジョバンニの決意が、賢治自身の決意であったことは、彼の生前の行いを見れば明らかだ。「銀河鉄道の夜」を書いた時、ジョバンニは賢治そのものだったのである。

みんなの本当の幸いを求めていくジョバンニ、そして賢治。

ジョバンニは問う。
「けれども本当の幸いはなんだろう」
「僕わからない」
カムパネルが答えるとおり、みんなの本当の幸いが何かなんて、そう簡単にわかることではない。しばらくのあいだは、めいめいが本当に正しいと思うことを、少しずつでも実行してゆくしか仕方がない。そうすれば、世の中は全体として、わずかずつでも良い方向に進むのではないだろうか。

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★世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない

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★イーハトーヴ・・・ 岩手を現すエスペラント語

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★わたしたちは、氷砂糖をほしいくらい持たないでも、きれいにすきとおった風を食べ、桃色の美しい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、畑や森の中で、ひどいぼろぼろの着物が、一番すばらしいビロードや羅紗や宝石入りの着物に変わっているのを度々見ました。
私はそういうきれいな食べ物や着物を好きです。
これらのわたくしのお話は、みんな林や野原や鉄道線路やらで虹や月明かりからもらってきたものです。・・・・(中略)
けれども、わたくしは、これらの小さな物語の幾切れかが、おしまい、あなたの透き通ったほんとうの食べ物になることを、どんなに願うかわかりません。

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★「おかしな葉書が、ある土曜日の夕方、一郎のうちに来ました」と名作「どんぐりと山猫」は始められる。葉書という、ひどく軽やかでさりげない、しかも日常的な通信手段が、やがて一郎を幻想世界へ誘い込むであろうことを予感させる

                                      • -

などなど。

時折やってくる、言葉ではうまく説明できない、不思議で神秘的な出来事。でも私には必要であり必然な、言葉の世界との出会い。

押し込んだままではいけない気がして。久しぶりにちょっと時間かかったけど。まとめておいた。また、いつか、読み返してみようっと。

<以下ご参考> 宮沢賢治について(Wikipediaより)

宮沢賢治は、童話作家岩手県花巻市生まれ。賢治の生まれる直前に三陸地震津波岩手県を襲い、生まれて5日後に秋田県震源とする陸羽地震が発生、岩手県も被災した。
質屋の子であった賢治は、幼い頃から冷害のたびに凶作で生活が困窮し、家財を売って生活をなんとかつなぐ農民たちの様子を目の当たりにしていたことが、その後の人格形成に影響を与えているという。