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りきおの雑記・ブログ このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


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2007-11-16 春鹿「超辛口」

リトバスの音楽がCLANNADに比べて良く聴こえない理由を考えてみよう

 サントラをクリア以来ずっと聴いているりきおです。

 一度飽きましたが、また印象が変わって、1日に1回くらいは聴いています。何度か聴いているうちに、クオリティ自体は今までと比べて、それほど落ちているわけではない、ってことはよくわかりました。

 外注さんがかなりの曲を作るようになって(戸越まごめさんが退社した影響でしょうが)、全体的な統一感が無くなったって言う人もいるみたいなんですけど、本当にそうなんでしょうか?

 曲全体の統一感がなくなったのは…たぶんその通りなんだと思います。が、それは、作品を統一する「色」が無かったから、でしょう。AIRなら「青」、CLANNADは「グレー」でしょうか。智代アフターは「緑」? そうした、全体をまとめ上げる色がリトバスには無かったってことでは無いでしょうか?

 まあ、そんなこと以上に重要なのが、「Key作品に置ける音楽の位置づけや重要度が下がった」と言うことだと思いました。

 

  • CLANNAD・AIR

 CLANNADやAIRでの音楽は、音楽そのものがシナリオを演出するための手段として使われていました。場面場面で音楽が切り替わる、と言うよりは、その場面に、こういうイベントのときに、と、音楽が専用で作られていたわけです。CLANNADの「遥かな年月」とか「願いが叶う場所II」とかは、本当にその場面専用に作られた曲で、その場面を彩る、重要なシーンだと印象付ける意味合いでも置かれていました。

 これを可能にしたのは、もちろん麻枝准と言うライターが音楽も作れたし、、自分で描いたシーンに自分でイメージした曲を乗せることが出来た、と言うことです。むしろ逆で、曲が先にあって、シナリオは後で作ったのかもしれませんが。

 逆に言えば、テキストと音楽以外には表現媒体がありません。絵…もありますが、客観的に見ると厳しい絵もあるわけです。ですから、テキスト…セリフや地の文での演出と、音楽での演出と、その二つしか無いのです。だから余計に、音楽に対する重要性が高まって、それが完成形を迎えたのが、CLANNADだったと思うのです。

 渚との出会いのシーンを印象付け、あるいは別れのシーンも印象付け、そしてハッピーエンドでも…。すべてベースは同じ曲ながら、それのアレンジで演出すると言う手段をとっています。

 

  • リトルバスターズ!・智代アフター

 智代アフターでフルボイス化に踏み切ったのは、時代の流れもあったかもしれませんが、恐らくはリトバスの踏み台にしたかったんじゃないかって思ってます。「声」が入ることを前提にゲームを作った、恐らくは最初の作品ですからね。ちなみに、後々コンシューマ移植をされ、その時に声が入るのは間違いないはずだったCLANNADですが、間違いなく「声」が入ることを前提には作られていませんでした。でなきゃ、あんな長い話を作るはずがない(汗。

 芸達者な声優さんを揃え、声による演出が何処まで可能か?ってのを、探るための作品ではなかったのかな?とさえ思うのです。ついでに言えば、そこで音楽とのバランス調整もしたかったのかな?と。結構、戸越まごめさんの音楽との調和は取れていたように思うのですが、まだ、声と音楽のどちらをメインの演出にするかって部分で、ハッキリしない部分があったのでしょう。むしろ、どちらの印象も薄い気がしました。

 

 リトバスでは、智代アフターでわかった「声と音楽のバランス」を調整して、音楽の重要性を下げ、声の重要性を上げた、と僕には感じました。

 amazonのレビューで「スルメのようなアルバム」と書いていた人がいましたが、確かに何度か聴いているうちに、印象が良くなったり好きになったりする曲が結構出てきているんですよ。それに、客観的に聴いたとしても、折戸さんや麻枝さんの曲以外の外注さんの曲も、それほどクオリティに差があるようには感じなかったんですよね。むしろ、音楽専門でやっている人たちだと思いますし、完成度自体はもしかしたら、そっちの方が高いのかもしれません。

 なのに、なぜCLANNADほど良く聴こえないかは…声が入ったからに他ならないでしょう。声による演出を際立たせるために、音楽を際立たせる必要性が無かったんじゃないかって。

 

 

 ちなみに、Key作品、とりわけ麻枝さんは、一度完成した作品には手をつけない、という不文律があるように思っています。コンシューマ化する際に、KanonやAIRはHシーンを除外しただけでしたし、CLANNADはほとんど変えていない。その中で、唯一手を加えたのが「智代アフター」でした。まあどのくらいの改変度なのかは、PS2版をやっていないのでわかりませんが。

 何でかな?と思っていたのですが、やはり「声」なのかな、と。CLANNADまでの3作品に関しては、そもそも声が入ることを前提に作っていません。むしろ、テキストと音楽だけでの演出をもくろんでの作品なわけです。ので、声が入ることで、自らが意図した演出が壊れてしまう=もう自分の作品ではない、と言う感じで思っていたのかなあ、と思っているわけです。智代アフターで手を加えたのは、元々から声が入っているため、シナリオを改変しても、自分の意図した演出はオリジナル版と同じわけです。ですから、まだ自分の作品である、と。

 となると、リトバスがコンシューマ化されるときにも、何かシナリオ追加とかエピソード追加の可能性はあると見ています。何せ、結構構想からは削られているエピソードが多いはずで。佐々美ですよね、やはりw 

rikio0505rikio0505 2007/11/18 12:10 >ひでやんさん
まあ、やはりストーリーとのリンクですよねえ。
CLANNADの曲は、それを聴くだけでセリフまで思い出すくらいにインパクトがありますから。リトバスにはそういう曲が無い。

そう考えると、麻枝さんが音楽とプロデューサー専任になるってのは、
Keyにとってかなりのマイナスですよねえ。
Keyの良さは、自分で描いた物語に、自分がイメージした曲を載せることで発揮されていた部分があると思うので。

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