夏コミの申込書を郵送してきました。もう5度目なんでかなり慣れましたね。最初の申し込みの時には「こんなものを毎回書かなければならないのか…」とかなりげっそりしましたが、当時よりは全然、書く時間も短縮できましたし。
 3月23日のホットケーキバスターズにも申し込みましたが、佳奈多で体育倉庫ネタでもやろうかと画策しています。お楽しみに。

ギャルゲーに、声は「絶対に」必要か?!

 話題の(笑)Gardenをやり始めました。まだ1時間半くらいですが、序盤の序盤はもの凄く退屈なのが、そのうちに慣れてきて、トノイケ節に載せられてくるのがわかりました。
 ただ問題なのは「声」です。別に声優さんの声や演技力に問題があると言う意味ではなく、「さくらむすび」などと同じ地の文でありながら…かつ、ノベル形式なのに声がついた、と言うことです。
 以前にも書いたことがあるかもしれませんが、僕はギャルゲーに「声」は絶対に必要とは思いません。まあそれは、僕が声のないギャルゲーが当たり前ことだった時代からプレイしているからかもしれません。が、声を使う以上、それを演出の一つとして使えなければ、全く意味が無いと思うのですよ。
 例えば、Keyはリトルバスターズ!で声を入れました。声自体は智代アフターで試したのは以前の記事で書きましたが、さらに声が引き立つように、あと全体のバランスを考えて、地の文を減らすなどして声を引き立たせるような作り方をしていました。それに、力量のある声優さんを起用し、その声優さんの演技力を最大限に利用した(演技力に依存した)作りを徹底していました。
 が、Gardenはどうでしょうか? ただノベルのキャラクターのセリフに声を当てただけです。要は、声が入るような作りをしていないんですよね。地の文は以前のままのボリュームだし、そもそも表示形式がノベルだし。
 このノベル形式のゲームですが、そもそも声を当てることに適していないような気がします。それは、文章がウインドウ系よりもたくさん表示されるのですが、地の文もセリフも同じスピードで表示されるってのがどうも。
 何が言いたいかと言うと、地の文は自分の読む速度で読めるんですが、キャラのセリフは、喋るのを待つか先に文章を読んで後から声を聞くか、あとは声を途中で切るか…。いずれにせよ、「読む」テンポが乱されるのは間違いないでしょう。ですので、ノベル形式をやめ、地の文を減らしたり、セリフにより重きを置いたりするべきだと思うのです。
 それに、そもそも「読む」と言う行為と「(声を)聞く」という行為では、人間にとって全く違う感覚を要求してたりしますし。と言うのも、「読む」行為って能動的なもので、人間が自発的に行うことです。読まなければ読めないし。当たり前なんですが。でも「(声を)聞く」行為は極めて受動的なもので、まあ自発的にも行えますが、聞こえてくるのを待たなければならないわけで。ボイスドラマだと、聴くと言う行為に集中できるのでそれも無いと思うんですが。
 ですので、声を入れる以上は、それを演出として活用する下地を作れ、とか言いたいです。ただ声を追加するだけで終わるな、と。声が入ることによるメリットばかりでなく、デメリットも考慮して作って欲しいと。

 もちろん、声を入れることによるゲーム会社の負担と言うのは大きいと思います。が、せっかく入れるのであれば、意味のあるものにしてもらいたいし、それが負担で発売延期とかシナリオ削減とかになるのであれば、最初から入れないで欲しいとか思ったりするわけですよ。
 ただ、最近ギャルゲー業界に入った人であれば、声の無いギャルゲーをやったことが無い人もいるでしょうし、声の無いギャルゲーってあるの?って思う人もいるかもしれません。そういう人には、声の無いギャルゲーを示しても「えぇーww」としか思わないのかも…。これから「声の無いギャルゲー」を出すのは、相当に勇気のいることなのかもしれません。