CLANNAD関連のボーカル曲が多いわけとは?

 届いていた「時を刻む唄」のシングルCDを聴いています。やっぱりフルコーラスになるとまた違いますよね。あと、歌詞の意味もより深く理解できると言うか。
 しかしながら、今さらですがCLANNADのボーカル曲ってやたら多いですよね。ゲーム中で既に4曲(OP:メグメル、ED:影二つ、劇中:Ana、真ED:小さなてのひら)あるわけですが、その前にソララドの6曲がありますし、ソララドアペンドの4曲に、アニメ一期の「だんご大家族」もあります。。それに加え、スピンオフ作品である智代アフターでもOP,EDで2曲ありますし、麻枝さんや折戸さんの曲ではありませんが、アレンジアルバム「-memento-」の中にあった「桜抒曲」もCLANNADの世界観をイメージして作られた歌曲ですしね。CLANNADや智アフの世界観を意識したと言う意味では「Love Song」も含まれていると言えるかもしれませんが。
 「Love Song」は省くとしても、ざっと挙げただけでも20曲智代アフターのを除いても18曲です。明らかに1つのゲームとしては多すぎます。
 他所のゲームでのボーカル曲事情はあまり知らないんですが、大抵は「キャラソン」という形でのリリースが多いでしょう。アニメで二期もやって、そこのOP,ED曲を共にゲームの音楽を作った人たちが手がけることもあまり無いでしょうし、ボーカル曲がそれほど増える要素は無いはずです。
 では何故、CLANNADのボーカル曲はこんなにも多いんでしょうか? 単に、麻枝さんらが作りたいだけなのかもしれませんし、小銭を稼ぐために自分たちで作る必要がある(すべての曲はKSLレーベルで出ている=インディーズのため自主制作が基本)だけかもしれませんが、それならもっとシングルカットをすれば良いだけの話ですから。シングルカットしているのはアニメの主題歌くらいのものですし、それほど商売ッ気があるようにも思えません。アニメの3曲については「必要に迫られて」っていう理由が当てはまりそうですが、ソララドソララドアペンドに「必要に迫られて」という理由は当てはまりませんからね。もっと簡単に、楽曲のアレンジアルバムを小出しにして出せばよかったわけで。
 
 ならやはり「作品が作らせた」という理由が当てはまりそうです。
 どういうことかと言えば、それだけ「ボーカル曲にするだけの場面や世界観が存在した」ということに尽きるんじゃないかと。
 リトルバスターズ!ではCLANNADほどのボーカル曲展開は為されないと思ってます。キャラソンの類は、今後のメディア展開如何では出るんじゃないかと思うんです。小毬や佐々美あたりの音楽は、ボーカル曲をイメージして作られているそうですからね(ただ佐々美は麻枝さんの曲なんで、すんなりスムーズには行かないでしょうけど)。それ以上にやはり「世界が広がらない」ってのが大きいんじゃないかと思います。むしろ、CLANNADが膨張しすぎたと言うか制限を設けなさ過ぎたと言うだけなんですが。
 CLANNADの場合、まずは大筋のシナリオが長いことがあります。朋也と渚が出会ってから、学校を卒業して同棲して、別れがあって新たな誕生があって、破滅への道があって大団円があって…。人生そのものを描いているからこそなんですが。
 そして、BGMだけでもそうなんですが、ボーカル曲を通してCLANNADの世界観を補完しているという側面もあります。関連音楽を聴けば、主要な場面や世界観を感じることが出来るという感じですね。逆に言うと、幻想世界などの、ゲームをプレイするだけでは判りづらい部分がたくさんあるため、違った側面からのアプローチがどうしても必要だということでもあるんですが。
 CLANNADと言うゲームの世界が、渚や朋也がいる現実世界と、少女とガラクタ人形がいる幻想世界の二つに分かれているからなのと、そしてその幻想世界がイメージの世界だと言うことで、幻想世界を描く上で「歌」と言う手段が非常に有効だった、とも言えそうです。と言うのも、「メグメル」をはじめ、ソララドの各曲など、その多くが幻想世界のことを歌った歌になっていることからもわかるでしょう。
 さすがに、もうクラナドのボーカル曲が新たに出ることは無い…と思うのですが、それだけ、重厚で長大なシナリオや世界観がそうさせているのだと考えています。キャラで言えば、渚や汐、朋也に幻想世界の少女くらいしか歌っていないのも興味深いですよね。