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りきおの雑記・ブログ このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


『BLAME!』と『忍びの国』観ました。どちらもかなり面白かったので観ましょう。
食べログはじめました。よろしければどうぞ。

2009-03-22 遠征時のヘビーローテ

CLANNAD AFTER STORY アニメ化は本当に失敗だったのか?

 終盤の描き方で、CLANNADのアニメ化そのものを否定的に観る人が多くなっているようですね。でもそれってどうなんでしょうか? 確かに観ている人はそれなりにいたわけですし、最後の3話くらいで評価が覆ってしまった感があるのですよ。

 原作ファンから言わせてもらえれば、これはかなり出来が良かったと思うんですよ。もちろん、終盤の見せ方とか構成に難があったのは確かですが、朋也が働き出して渚が妊娠して…ってあの辺のくだりは、原作をやっていて多少ダルく感じた部分でしたし、アニメでこの尺でもっとダレないかな?って思ったものですが、かなり上手く作ってましたよね。渚が自暴自棄になりかけた朋也を諭した場面とか(原作でも同じシーンはありましたが、あそこのアニメでの描き方と中原麻衣さんの演技は凄かった)、海で朋也と渚が先の不安を考えながら寄り添うシーンとか(アニメオリジナルです)、アニメのほうが良かった場面はかなり多いと思います。動いている汐とか犯罪レベルでしたし。

 で、個人的に思ったのが、CLANNADって作品は完璧じゃないんですよ。元々。ギャルゲーのシナリオとしても、穴とかツッコミどころはかなりありますし、お世辞にも洗練されたイメージはありません。むしろ、詰め込めるだけ詰め込んで、その結果としてのトゥルーエンドと言うのがあのエンディングなわけで。アニメでも4クールと言う異例の長さで描いたわけですが、それでも詰め込みきれていないんだろうなあ、と言うのが率直な感想です。

 そして、ゲームのシナリオだけでは実は全く足りてないのも事実です。つまり、アニメでも全然足りていません。個人的に、イメージボーカルアルバムの「ソララド」を聴かなければ、まず幻想世界についてが理解できないと思うんですよ。原作をやったとしても。

 この「ソララド」は、CLANNAD発売前にコミケグッズとして登場したアルバムですが、全曲が幻想世界や少女についてのネタバレになっています。一期で杏たちのフラグがバキバキ折れた回に流れた「オーバー」もその内の一曲で、原曲は杏のキャラ曲ですが、載せられた歌詞は幻想世界の少女と人形のことを歌ったものになっています。ですので、このアルバムに収録されている曲の歌詞を把握しておくことも、CLANNADの世界観を知る上では必要な条件になってきます。

 ゲーム中だけでは理解できない時点で「完璧」とは程遠いのですが、そういうゲームなんです。なので、京アニの力不足や失敗と決め付けるよりは、ゲーム+音楽で100%になると言うCLANNADという作品の特殊性が、最終的にこういう有様になってしまったのかな?と考えています。そもそも僕ら原作ファンから見ても、CLANNADがアニメ化されるって聴いた時には「どーすんの?」って思ったくらいですから。

 それよりも、いいところもあったでしょう?と言いたいです。真剣に生死を描いていたり、幼女(娘)が可愛かったり、あとは7年くらいの時間を描いていたり。7年の歳月でキャラ(特に朋也)の風貌が少しずつ変わっていたあたりの細かさも含め、いい仕事はしてたし、この作品ならではの部分は多かったと思うんですよね。ラストの方のダメ?な部分だけを見るんじゃなくて、もっと良いところを見て欲しいな…というのが偽らざる気持ちなんですが、読後感とかって大切ですからね…。難しいなあ。

ひふみーひふみー 2009/03/24 01:34 雑誌のインタビューであの涼元さんが、初めて「Kanon」をプレイした時に
「この作品の中には、偶然か意図的にか、大きな“穴”があいていて
しかもその“穴”があまりにも美しすぎる」と驚愕し
「こんな“美しい穴”をあける事の出来る連中は天才だ」と感じて
そんな人達と是が非でも一緒に仕事がしてみたいと、ライター募集に
速攻で応募したと語っていました。
・・・・・涼元氏は逆に、緻密な設定と伏線で「穴を開けない」お話作りをする
タイプなので、一層それを強く感じたのかもしれません。
特に麻枝氏の創作スタイルに関しては「自分には絶対にマネ出来ない」と
驚嘆していました

考えてみたら、「ONE」の頃からこの「作品の中にあいた“美しい穴”」
「その“穴”を、受け手自身の内側で埋める事で作品のイマジネーションが
完結する」というスタイルは、Key作品の“お家芸”だったようにも思えます。
それは受け手が能動的に関わってゆく「ゲーム」というメディアゆえに
生きてくる部分のある特質なのかも知れませんね。
 
比較的ストレートな「マルチシナリオの1本化」だった「Kanon」のアニメ化
に際しては、その“穴”の部分をかなり大胆な(ある意味“二次創作的”な)
オリジナル演出で補うことで「“物語世界”の再現」を目指した京アニでしたが
あの「Air」並みに(ある意味それ以上に?)難解なCLANNADの幻想世界や多世界
解釈等の世界観に関しては、「Air」の時と同様なるべく原作の忠実な再現を
(それでも「ことみちゃんの多世界理論のお話」のようなヒント演出はありましたが)
目指したようですね。
 
最近の「1から10まで説明しないと・されないと気がすまない」風潮の中では
ちょっとツラいかな?・・・なんて思ってしまいました

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