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りきおの雑記・ブログ このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


『BLAME!』と『忍びの国』観ました。どちらもかなり面白かったので観ましょう。
食べログはじめました。よろしければどうぞ。

2009-04-07

『岡崎汐=幻想世界の少女』と断言できないだろ!?と思う理由〜CLANNAD AFTER STORY考察

 原作原理主義も、度が過ぎると原作者までも攻撃してしまうと言う前置きを書いておきます(ぇ。

 さて表題の件ですが、アニメだけ観た人は最後に風子が汐を見つけて「ぽかーん」だったのか、あるいは少女=汐で納得されたのかはわかりませんが、ゲーム原作から入った人は納得の演出だったと思った人も多かったんじゃないかと思います。

 ただ考察が出回っていなかったゲーム発売直後には、しばらくの間「幻想世界の少女って誰?」という議論が各所でなされていたのです。風子説、渚説、朋也のお婆さん説までw その中でいつの間にか「幻想世界の少女=汐」説が有力となったわけですが、決定付けたのはKeyスタッフによる電撃G'sで連載されたSS集「光見守る坂道で」に掲載された麻枝さんの汐SSでした。あそこで原作者自らが完全に「汐は少女だ」というSSを書いたことでファンは納得したんでしょう。京アニのCLANNAD AFTER STORYでも最後にああやって少女=汐と決定付けて登場させていますので、ファンの認識は確定したんじゃないかと思います。

 でも、ちょっと待ってくれ!と言いたい。

 原作を考察した身とすれば、「少女=汐」なはずが無いんです。それは言いすぎですが、少なくとも「AFTER汐編の汐(アニメで言う汐登場から21話までの汐)」と「トゥルーエンド後の汐(22話での汐)」は別人では無いでしょうか? そうで無いと、CLANNADの世界観や総合しての感想が大きく異なってきてしまいます。

 なぜこんなことを言いたいのかと言うと、すべての汐=少女の場合、なら少女は何を失ったのか? 何を犠牲にしたのか? ってことの説明が全く為されていないのですよ。だって、幻想世界の最後の部分で、確かに少女は朋也(ガラクタ人形)と決別をしているわけです。なのに朋也が集めた光の玉がドラゴンボールみたいに作用して、皆が救われて、更には少女も汐として朋也の側に戻ってこられた? そんなご都合主義満点なのがCLANNADなんでしょうか?

 話が逸れますが、僕はリトルバスターズ!がCLANNADほど好きじゃありません。その理由は簡単です。トゥルーエンドがオールハッピーエンドなんですよね。犠牲にしたものが無さ過ぎる。何もかもが上手く行けばハッピーエンドってご都合主義に思えてならなかったからです。まあリトバスの場合、何度もバッドエンドを繰り返し痛みを蓄積させて、それらを乗り越えてハッピーエンド、と言う極めてゲーム的な世界観の上に成り立っているので仕方ないんですが(その意味では、沙耶シナリオはある意味ではトゥルーエンドの一つの形かもしれません)、CLANNADもそんなご都合主義だったの? という事です。

 根拠もあります。

 まずは、少女が幻想世界の最後(アニメAFTER22話の幻想世界の部分)で少女が「さよなら…パパっ」と言います。汐編の最後(AFTER21話)で汐が死ぬ?寸前にも「パパ…だいすき」と言っています。このことから、少女=汐説が定着したんだとは思います。けれども、それって少し安易なんですよね。と言うのも、少女が最初から汐だったわけじゃないからです。

 アニメだけの人は忘れているかもしれませんが、渚は幼少の頃に瀕死になり(ほぼ死んでたんでしょうけど)、秋生によって連れて来られた「この町の願いが叶う場所」で、秋生の願いを受け入れて復活することになるわけですが、このときに少女は渚の半身となっているんだと考えられます。だからこそ、渚は自然が失われたり、緑が減少する冬に近づくにつれて体調を崩すことに繋がるわけです。そして汐を生むときには、少女は一つですから、汐の方に行ってしまった。そしたら渚は生き続けられないわけで・・・死んじゃうのでは無いかと。

 そもそも幻想世界が始まったのは、朋也が渚に声をかけたからであり、あの「出会い」が無ければ、幻想世界自体が始まってすらいなかったんです。声をかけなければ、お互いが石ころ同然の存在だったために、その存在に気づくことも無かったわけですから。学校が好きだけどくじけそうだった渚と、学校が嫌いで嫌いでたまらなかった朋也だったからこその出会いではあるんですけどね。その辺も語ると長くなるわけですから割愛しますが。

 幻想世界は、現実世界と同じスピードで進んでいきます。幻想世界では数日が現実世界では数年の違いはあれど、幻想世界で起こったことと現実世界で起こったことは、ほぼ同じようにお互いの世界に作用しているので。なら、そんな幻想世界で生きていた少女は、朋也と渚が出会ったときから、ガラクタ人形と共に過ごす日々をスタートさせた…と考えるのが自然ですし、汐編の最後で汐と朋也が力尽きる場面で幻想世界も終わりを迎えた、と言うのが自然でしょう。

 汐が何で死んでしまわなければならなかったのかと言えば、自然がもの凄く減少してしまったことと、あとは人と人との関係が極端に薄れてしまったことも原因だと考えられます。CLANNADは「町と人との物語」なんで。ただでさえ自然が減少してしまった頃に、冬になってしまい、更に朋也が人との関係を絶ってしまいました。そして朋也は町をどんどん嫌いになってしまう。町=少女ですから、余計に少女の力を奪うことにもなったのかもしれません。そして汐は朋也に依存し、朋也も汐に依存してしまう。渚の時は、人と人の繋がりは失っていませんでした。古河夫妻もそうですし、春原兄妹やら仁科・杉坂コンビとか(原作)、杏や椋・ことみとか(アニメ)との繋がりがあったからこそ、持ったと考えていますし。

 

 

 話が本題から逸れすぎましたが、つまりは、少女は朋也と決別することで、朋也を救うことを考えているんです。と言うのは、ゲーム原作の少女と朋也(人形)とのやり取りから読み取ることが出来ます。長すぎるので割愛せざるを得ませんが(要望があればコピペしてるのでお見せできますけど)、少女は朋也を「見守る」ことを選択するわけです。

 それが簡潔に描かれているのが、また出てきた「ソララド」収録の「空に光る」の歌詞ですね。歌詞は麻枝准です。

 

 光る宇宙 光る星

 回り続ける空

 光る海 光る土

 僕たちは古代種

 

 君の手に君の手に

 輝きを託した

 君の目に君の目に

 もう何も映さず

 

 少しだけ息を吸った 生きてる

 泣いてたんだ その美しさに

 

 光る宇宙 光る星

 回り続ける空

 光る海 光る土

 僕たちはその民

 

 君のため君のため

 終わらない夢見た

 君の目は君の目は

 遠くをもう見てた


 光る宇宙 光る星

 回り続ける空

 光る海 光る土

 僕たちは生まれた

 

 どんな時もこの時も

 そばにはいなくても

 いつまでもここにいる

 ずっと見守ってる

 君のため君のため

 終わらない夢見る

 ありがとうありがとう

 声が届かなくても

 

 ありがとうありがとう

 いつまでも祈ってる

 まあ幻想世界の最後の意味と、この歌詞の意味を知った上でこの歌を聴けば、もう涙が止まらなくなるわけですがw 要はこの歌詞から読み取れるのは、少女が人であることの素晴らしさと、それと決別する覚悟、あとは「ありがとうありがとう」の部分に込められた朋也への想いの強さとかがもの凄く垣間見えると思います。ホントこの歌のriyaの歌声と麻枝さんの歌詞は神過ぎるので是非聴いて欲しいです。

 でも、これを見れば、安易にトゥルーエンド後の汐=少女と言えますかね? これだけの覚悟を持って朋也と決別した少女が、再びすぐに朋也の元に戻ってこられたって言うのはあまりに安直じゃないですかね? もちろん、朋也が集めた光の玉を発動させた結果、町全体に幸せが降り注いだってのが一つの結果ですが、そこで少女まで現実世界で大団円を迎えてしまえば、幻想世界に独り残った少女の決意って何だったのか?ってなりませんかね?

 最後の場面で、風子が見つけた正体は幻想世界の少女で間違いありません。それは、トゥルーエンドを迎え+風子マスターになった最終場面でのことです。あそこで風子が見つけた存在が「幻想世界の少女」で間違いないのですが、「岡崎汐」とイコールなのかははっきりと書かれていませんでしたし、風子の登場場所と懐いた相手、マーキングの仕方を考えると、同じ姿形をした存在を見つけた、と言うのは捻りが無さ過ぎる気がするんです。何せ風子は、渚に懐き、汐には「可愛らしい」とさらおうとした後、「においまで覚えました」と、姿形に対する言及は無かったんですよね。だからこそ、風子は姿形が違っていても、そこから発する「におい」で、同じような存在…つまり、渚や汐の中にいた存在=幻想世界の少女に気づけた唯一の存在だったのでは無いかと思うんです。でなければ、風子が汐編(20話か21話?)でにおいに言及する必要がありませんからね。AFTER汐編の汐と、トゥルーエンドの汐=少女であれば、汐の姿形だけ覚えていれば良いわけですから。

 回りくどいかとは思いますが、ご理解していただけたでしょうか? まあこんな長文を読んでくれただけでも感謝ですが、もし異論とか反論とかあればコメント欲しいです! と言うのも、麻枝さんがこれだけ少女と汐、風子との関係について色々と伏線とか部品をばら撒いてくれているのに、その神自身がその辺への答えを無視して結論だけをSSで描いているのですから、声を上げたくもなりますって。

 賛同とか全く得られないかもしれませんが、それでもどうしても問題提起したいネタだったので書きました。正直、麻枝さんの心中を知りたいです(汗。

朋也朋也 2009/04/07 20:59 初めまして。
前々からりきおさんの記事を読ませて頂いています。
僕は長文を読むのがはっきり言って苦手なのですが、
非常に興味深く面白い記事だったので最後まで読ませて頂きました。
りきおさん程の深い知識を持っていないため、
もちろん異論や反論等は唱えられないわけですが…w
汐と少女の関係を決定付けるのはかなり難しいんですね。
僕も「汐=少女だ」と安易に考えていた1人なのですが、
この記事を読んでもっと深く考えてみようと思いました。
それでは失礼致します。

通りすがり通りすがり 2009/04/08 00:33 あの最後のシーンですがあれは監督がだーまえに直接聞いてああなったらしいです

rikio0505rikio0505 2009/04/08 00:38 >通りすがりさん

wwww
だとしたら酷でぇなwww

京アニに罪が無いことがわかっただけでもおk。ホント本人に問いただしたい。

おかたくや!おかたくや! 2009/04/08 14:35 初めまして。
とあるニュースサイトから来て、この記事に感動し、かつ言いたいことがあったんでコメントさせていただきます。

僕は、あの少女は街の化身だと思っています。
だから、afterに入る前の幻想世界の少女は、先に街と契約した渚の心の姿。
街と契約したのは、幼少のころ、秋生さんにあの場所へ連れられた時ですね。
で、街の力(住民たちの活気みたいなもの)を失うにつれて、渚の体調も悪くなり、汐に契約を引き継いで死んでしまいます。
これで、幻想少女は汐の心の姿になったんではないでしょうか。

時間軸や光の玉については、別に説明が要りそうですが、こういうわけで、幻想世界の少女は汐の形で出てきたんではないか、と思っています。

僕はCLANNADについてはすべて理解したつもりでいたんですが、これを期にもう一度考え直そうかな、と思いました。

CLANNADは深いですね〜。

では、長文失礼しました。

くらんあどくらんあど 2009/04/10 01:30 はじめまして。たまたま通りかかったものですが、僕自身すごい興味あるテーマなのでコメントさせてください。

少女が何者か、ということなんですけど、あの子は町の「氏神様」または「山神様」ではないかと考えています。というのは、CLANNADがあまりにも「町」という単位にこだわっていることと、そこから、「願いがかなう場所」にある木が「神木」にあたるんじゃないかと思ったからです。
神木というのは常世(とこよ、あの世、神の住む聖域、竜宮城的な理想郷、夢の世界)と現実の境界だといわれていて、常世というのは現実世界の時間軸がまったくないか、無関係なんだそうです。まさに幻想世界と重なる気がします。ここでは割愛しますがほかにも決め手になる描写がいくつかあります。そうなると、その世界に住んでた少女は神様なんじゃないか、と。乙姫といってもいいかもしれません。
で、渚と少女の関係なんですが、「なぎさ」の「なぎ」は巫女(巫、かんなぎ)を連想させるので、あの場所で神様=少女を(簡単に言えば)憑依させたんではないかとかんがえられると思うんです。つまり渚は神様と一緒になってしまったことになります。ってなると、少なくとも渚の死ぬ世界では汐=少女という推測が働きます。
ただ、アニメの最終回では、少女は幻想世界と同化してしまいます(すみませんここの説明はすっ飛ばしました)。というより、帰っていくといったほうがいいかもしれません。もちろん朋也とずっとすごしてきて、少女にとってもつらい別れだったはずですが。
では最後の汐は何なのか。あれは正真正銘普通の女の子だと思います。もっとも渚の血を引いているので普通かはわかりませんが。ひとつ気になったのが、最後のシーンと、総集編のときも、汐は眠っていることです。なんとなく最後の汐も少女と同一人物っぽい描写がありますが、わたしは、風子も汐も夢の中で少女と話しているのではないかと思います。幻想世界は夢の性質も持っていると考えられるので。
最後に傍論ですが、各所で奇跡がどうたらと騒がれています。日本の古い言い伝えで、昔から人の出生には「穢れ」が付きまとうといわれていますが、男が山の中で、美しい女(実は山の神様)が産気づいて苦しんでいるところを見かけたときに手伝ってあげるとその町は幸せになるんだそうです。渚が無事に出産してハッピーエンドみたいになるのってこういうことを参考にしてるんではないかと思います。
まだまだ説明し足りないことがいっぱいですが、僕的にはCLANNADは相当分厚いバックボーンをもった話だと思うので、一概に「ご都合主義」とは言えないと思います。僕の見解ではアニメでも十分過ぎるほどの伏線を張っているので。

・・・ぜんぜんまとまらず本当にすみません。空気読めてないのわかって長文にしました。どうしても伝えたかったので。

くらんあどくらんあど 2009/04/11 14:37 こちらこそ、りきおさんの考察はとても参考にさせていただいてます。ありがとうございます。

あとから冷静に自分のコメント見てたら、自分はそんなつもりないのになんか宗教マニアみたいで自分で引いてしまいました(笑)
幻想世界については、たぶん竜宮城的な要素が最も強いかと思います(本質的には変わりませんが)。どうも浦島太郎のオマージュであるような描写が多いので。

たしかに、奇跡の部分についてはもう少し理屈っぽい説明が必要だとは自分でも感じているし、ある程度の自前の見解もあります。風子についても神がうんたらとは直接は関係しないとも思います。ただ正直「光の玉」の意味までは正確にはつかめないでいるので、この日記とは関係ありませんが良ければ何か考えを聞かせていただけると嬉しいです。

CLANNADってなんかジブリアニメのような雰囲気を醸し出してる気がするんです。「トトロ」なんかはいわゆる「古き良き時代の農村」みたいな所を舞台にしていて、そこで起こる不思議なことっていうのは、意味はよくわからないけど自然に受け入れられるように感じます。いわゆるカルト的なものに感じる嫌悪感みたいなものがないというか。

CLANNADも、田舎であるという設定もさることながら、どうもレトロというか、どこか懐かしい雰囲気があって、そこに重要な意味(大都会でなく「田舎町」でないといけない理由みたいなもの)があるんだと思います。そう考えたときに、こんな視点を思いつきました。だから逆に、パズルのような理論で語るといまいち一貫した結論がでないし、そういう風に語りたくなかった、というのも正直なところではあります。

あ、別に他の見解を批判する気は毛頭ないです。むしろ尊敬する部分もありますし。およそ個人的な思いですので。・・・また長くなってしまいましたorz

くらんあどくらんあど 2009/04/12 02:08 竜宮城だなあと思ったのは、汐が大事にしていた亀のおもちゃを見たときです。浦島太郎って五行思想を参考にしているらしいのですが、そこに出てくる亀は五行それぞれの色、すなわち5色に彩られているそうです。亀のおもちゃのカラーリングにそれに近いものを見たので。あまりにしつこく画面に出てきたので、偶然とは思えないんですよね。あの世は海の底にあるとも言われていて、岡崎一家の名前が海っぽいこともありましたし。

確かに、「境界線」「発展途上」の要素を使うことはものがたりを構成する上でも常套手段ですよね。ジブリでもよく使っていますし。単に「田舎」といったのは安易でした。あえて春原という、ガチな田舎出身者を置いたのはそれを強調するためもあるかもしれないですね。

「光の玉」、非常に参考になりました。ありがとうございます。なるほど自然の光ですか。そういわれるとすごく納得できました。ものがたりのテーマにもマッチする気がします。「町の思い」という「見守るもの」と、たとえば「つきの光」「電気の光」で結びつくということなんでしょうか。

VLVL 2012/10/11 13:03 『CLANNAD 光見守る坂道で―Official Another Story』に「神かくしに遭った汐が木の下で風子に見つかったシーン」という風に書かれているらしいですね。ということで、あれは汐でFAなのではないかと。

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