「ごらく部」を中心として観る『ゆるゆり』と、「けいおん!」「Aチャンネル」との比較考察

 原作ファンとしては原作知らない多くのアニメから入る人たちがどう観るかを心配していた「ゆるゆり」ですが、ウザいくらいの宣伝攻勢や仕掛けの数々も功を奏したのか思った以上に認知されているように思えます。
 さてそんな「ゆるゆり」の中心である「ごらく部」について考えてみます。彼女らは「ごらく部」という何をするでもなく、使われていない茶道部の部室を不法占拠してだらだらゆるゆると放課後を楽しんでいるわけですが、この枠組みって何処かで観たことありますよね。「けいおん!」と「Aチャンネル」です。
 「けいおん!」ではまず軽音部の廃部から逃れるために部員を集めるところから始まり、同学年4人でのスタートとなり、途中から下級生の梓が加わり5人で進行していましたが、ほとんど練習らしい練習もしないまま(実際にはやってたという話もありますが)、しかし文化祭や新入生歓迎会というイベントにはしっかり軽音部として登場して演奏をしていましたので、部活アニメという側面も少しだけ残っていました。
 「Aチャンネル」ではそもそもそうした枠組みが存在しないままの4人で、かつ主人公のトオルは1人だけ下級生という状況からどんどん4人だけで仲が深まっていき盛り上がっていくさまを描いていました。しかし彼女らには自分たちだけの「場所」も「所属」も無いんですよね。屋上だったり校庭だったり、教室だったりファストフード店内だったり。お互いの家にも行ったりしてましたが、基本的に彼女らのメインの場所は公共の場なんですよね。誰にでも見られる可能性のある場所、あるいは他のみんなが実際にいる場所、です。そんな中で例えば、授業が始まる前にケーキ食べてたりわさび入り食べて騒いだりしているわけですが、そんな彼女らを第三者から観る視点は描かれていないんですよね(ユタカとミホが観ている時は別ですが)。「所属」というのは彼女らがどういうグループに属しているかですが、それが無い、ということです。部活動でもないし委員会的なものでもない。幼なじみの仲良しグループでもないという……。ただ仲が良いだけ、という4人なんですよね。仲が良いのに理由なんて要らないということなんでしょうが、割と特殊な描き方なのではないかと思っています。
 それら2作品から「ゆるゆり」の「ごらく部」を考えてみると、かなりこの2作品の中間的な位置づけだということがわかるんじゃないかと思います。まず、「けいおん!」と同じように部活動の形式を取ってはいますが、正式な部活ではありません。また、「けいおん!」では正式な部活動も描いていたり目標らしき目標もあるにはありましたが、「ごらく部」にはそうした目標というか部活動の主の目的がなくだらだらしているだけです。そう考えると、特に1日を4人で楽しく過ごせたらいいよね、的な「Aチャンネル」のほうが近い存在なのかもしれません。ですが、ゆるゆりには「ごらく部」という所属があるんですよね。そもそも京子と結衣、あかりは幼なじみですが、そこにちなつが加わり基本メンバーが確定し、更にはあかりとちなつが所属しているクラスに「生徒会」に所属する櫻子と向日葵がいて、その「生徒会」には京子に片想いという因縁を持つ綾乃がいてて、そのふたりの様子を美化して妄想することを糧とする千歳がいて……というそれぞれのグループは基本属性として持っているのですが、そこからいくつかの繋がりが生まれているというのが「ゆるゆり」における世界観になっています。「生徒会」は中心でもないのですが、まともに仕事もしていますので「ごらく部」と対比したグループとしても描かれているようにも見えますよね。「Aチャンネル」では1学年下のトオルがたびたび上級生の教室に遊びに行ってましたし、一緒にいるためのやや不自然な部分もあったわけですが、ゆるゆりはあかりたち下級生組の横の繋がりをそれなりに描くことで「ごらく部」でない部分も描きつつ、でも放課後は「ごらく部」として集まることがメインであることを中心に描いています。「けいおん!」もメインは放課後でしたが、ゆるゆりの「ごらく部」もそうした放課後感を非常に前面に打ち出しているように思います。しかも、「けいおん!」における目標や部活動的な要素も「ごらく部」には皆無なわけなので、よりゆるやかな百合系日常アニメとしての色を濃くしているように見えます。
 「けいおん!」に近い部分といえば、軽音部の部室同様「ごらく部」の部室も隔離された場所にあることでしょうか。ここはどちらの作品でもアニメのオリジナル設定ですが、所属してない他の生徒が寄り付かないような場所にあえてその場所があるわけです。これは、明確に所属している/していないで切り離された場所であることを示しているのと同時に、外部からその部活に関わろうとすることは能動的でなければならないことも示しているように思います。「けいおん!」ではさわ子先生……は顧問ですから当然ですが、和とかは部活の申請書とかそういうことでしか関わることが出来ないわけです。憂はともかく、純くらいだと軽音部の部室まで入ることがほとんど無いんですよね。割と高い壁として所属/非所属での違いが存在していると思います。「ごらく部」では高い壁というよりは、存在そのものを知られないようにするための装置的な意味が強いのかもしれませんね。「Aチャンネル」だとクラスメイトたちにも全く関係のない人たちにも丸見えの状態でキャッキャウフフをやってるわけですが、自然なのはもしかしたら後者なのかもしれませんけども、百合的な要素をより色濃く描く仕組みとしては、隔離されたメインキャラたちだけの空間があったほうが描きやすいのではないかと思います。
 「Aチャンネル」のキャラの誰かがもし第三者と仲良くしていたら、それはあの所属のない仲良しグループの崩壊にも繋がる気がするんですよね。でも所属さえあれば、帰る場所があるということでもそうですが、戻ってきやすいと思うんですよね。そして「けいおん!」のように、部活なんだからちゃんとやれよ! っていうことも「ごらく部」には言えないですよね。だらだらしたり遊んだりすることが目的の部活なんですから。そうした、前に進むべきなのに進んでいない感とか、縛りみたいなものも「ごらく部」には皆無なのも面白い部分ではないかと思ってます。
 ゆるゆりが「中学生」設定であることもよりゆるやかな百合系日常アニメとして自然体な気がするんですよね。まださほど恋愛に真剣になる必要もないですし、女の子同士でイチャイチャしていたとしても仲良しの延長線上とも言えるわけですから。これが高校生になってしまうと、それでも異性よりも同性を選ぶということは、異性に興味がないとかそういう方向に想像してしまいます。だがそれがいいという人ももちろんいるでしょうけど、そこをあやふやに描けるのが中学生なのかなあとも思います。これが小学生だと子ども過ぎますからね。でもまあ、そんな作品のタイトルに「ゆり(百合)」と入っているので、あやふやも何もありませんけどもw そしてこの「ごらく部」も、中学生設定だからこそ許されるような気がします。


 ちなみに、ゆるゆり原作を読んでる限りでは一切「男性」は存在しません。男の先生はいませんし、父親や弟などの存在もあまり言及された記憶がありません。「Aチャンネル」ではナギが兄や父親の話をしたりしてましたし、佐藤先生という変態もいますので敢えて男性を入れている気がするのとは対照的ですよね。この辺は不自然に感じるかもしれませんけども、より女の子同士の関係だけを集中して描きたいからこその描き方とも言えると思います。原作が「百合姫」掲載だから仕方ない感じでもありますが……。
 似たタイプの作品ではありますが、ゆるゆりは「ごらく部」を中心とした限定されたキャラの関係性に特化した作品だと思っていますし、その対比として存在する「生徒会」を絡めた人間関係こそが見どころなので、その辺の違いを楽しめればなあと個人的には思っています。

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