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りきおの雑記・ブログ このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


『ゆるキャン△』と『宇宙よりも遠い場所』観ました。どちらもかなり面白かったので観ましょう。
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2013-01-10

「可愛い」を制作側が押し付けるべきではないと思った〜たまこまーけっと1話感想

 京都アニメーションの新作にしてオリジナルアニメ「たまこまーけっと」が始まりました。個人的にはけいおんスタッフが作る「それでも町は廻っている」だとかそういうイメージを持って臨みましたがどうもそういうノリではないような感じがします。鳥がやたら出てきたというか話の軸が鳥を中心にして回っていく感じがして「これじゃない感じ」がしています。

 そして放送前から気になっていたキーワードが、1話のサブタイにしてたまこを指しての「あの娘はかわいいもち屋の娘」でした。個人的に「かわいい」と公式で言ってしまうのはどうなのかと思っていたのです。で、1話を観ていてあまりたまこのことを「かわいい」とは感じなかったのでますます疑問に思うキャッチコピーになってしまったように感じています。

 そもそも「かわいい」は最初から言及するような属性なのでしょうか? 京アニ作品で言えば、前2作が「中二病でも恋がしたい!」と「氷菓」でメインヒロインをそれぞれ凄く可愛く描いていたわけですが、六花にしろえるにしろ、最初から可愛いと言っていたわけではなかったと思います。えるを可愛いと感じられるようになったのは後半ですが、六花にしてもえるにしても「かわいい」と視聴者を思わせるための演出は存分にしてますし(あざといと感じるくらいに)、実際に中二恋の六花は1話のしゃがんでじっと勇太を観る上目遣いで萌え殺された方も多かったのではないかと思います。が、たまこまーけっとのたまこではそうした萌え要素は個人的には感じられませんでした。

 もちろん、たまこまはけいおんシリーズの山田尚子監督が手がけてますから、男性ウケするであろう萌えの文法では描かれていないのだろうとは思ってます。けいおんキャラも萌えと言うよりはただただ可愛いという感じでしたし、普段のダラっとした感じからちょっとしないような表情をしたり、ニッコリと笑ってみたりというあたりで視聴者を揺さぶるものがあったように感じました。ただたまこまでは1話段階ですがそうしたようなシーンは……あるようにも感じますが、あったとしてもまだこちら側としてはたまこに特に愛着があるわけでもないですし、どんな娘かもよくわからない段階では「かわいい」とはならないように思いました。京アニの作画や堀口悠紀子さんの絵だから可愛い!という先入観も除いて観てますので余計にそう感じました。

 そういう感じになってしまった原因としては、1つには視聴者の視点の置きどころがないことにあるのではないかと思ってます。けいおんだと、特に2期は「唯を観てる梓」というところから僕は入ってましたし、律や澪、紬ら主要キャラの誰かを中心に観ていればそれで楽しめたとも思います。また、氷菓や中二恋では男主人公が用意されていて、そこから物語に入ることが出来たとも言えると思います。どちらもアニメのスタートから人間関係が構築されていくので、スタート位置が同じというのもあるのかもしれません。これはけいおんでも同じですよね。たまこまーけっとでは既に構築済みの商店街や学校の友人という関係性がまずありますし、いきなり出会う鳥がそうした視点を担うのかと思えばそういう感じでもなく、視点の置きどころや視聴者の介在する余地があまりないような気がしています。また、もち蔵→たまこでたまこを「かわいい」と観ることも出来なくはないのですが、たまこともち蔵は学校が違うような感じなので学校にいる時のたまこを観るもち蔵、という視点は存在しないことになります。鳥も同様で、1話だけを観ると商店街周辺より外まではついてこないような感じに見えます。そうなると、たまこを「かわいい」と観る視点は常時存在しないことになります。まあ常にそんな視点は必要じゃないのかもしれませんが、今後商店街以外でのたまこをどれだけ描写するかによって、その辺が強く出てくるような気がします。

 あとはあくまで主人公のたまこが「かわいい」としてる点への違和感です。六花やえるに萌えの資源を集中してた(けど個人的に好きなのは凸守と摩耶花だったのですが)のと同じように考えれば良いのでしょうが、六花やえるは男主人公に対してのメインヒロインだったのですが、たまこは女主人公です。もち蔵が主人公格ではなさそうなので対等となる男キャラとなると鳥になるんでしょうか。ちょっとその辺がわからないのと、他の女キャラもけいおんキャラ同様に可愛く立たせてくるのでも無ければ、たまこをあくまでも「かわいい」と視聴者に思わせたり、たまこのファンにさせる以外には無いことにもなってしまいます。萌えの文脈で行けばそれなりに普遍性のあるキャラクターが作れるとは思うのですが、そうじゃなく「かわいい」と感じさせたり愛着持たせることはとても難しいことなんじゃないかと思っています。そこに不安があるからこその公式での「かわいい」言及なのではないかと思いました。

 前述した「それでも町は廻っている」では、決して歩鳥のキャラデザや性格を見てすぐには「かわいい」とはならないとは思いますが、見続けていけば商店街のおっさんらから凄く愛されていることがわかる作りでした。なので、最初から「かわいい」と言及することは必要ないと思うのです。加えて堀口絵なわけですしキャラデザも相当練られたものでしょう。観たらわかる「かわいい」をどうして言葉として表さなければならなかったのか。やはり疑問に感じますし、話の内容や1話の演出を観ると逆に納得してしまうんですよね。キービジュアル以上の可愛さを表現できていないのではないのかと。

 

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 まあまだ1話ですし、これから色んな「かわいい」をたまこに積み重ねていくのだろうとは思います。ただ1話で「かわいい」となった人には良かったのでしょうけど、そうならなかった自分みたいな人間にとってはいきなり躓いた形にもなったような気がしました。

 また、けいおんとか氷菓などと違い、たまこが「かわいい」となるかどうか以外に楽しみ方が少ない作品になりそうな気もするので、余計に気になったわけですがどうだったでしょうか。