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りきおの雑記・ブログ このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


『この世界の片隅に』観ました。すごい映画だったので観ましょう。
食べログはじめました。よろしければどうぞ。

2014-04-07

まどマギ[新編]叛逆の物語〜ラストの暁美ほむらは何を意図しているのか?

 魔法少女まどか☆マギカ新編を引き続き観ています。立ち止まって観たり巻き戻したりして観るのはまた違うものがありますね。

 さて今回も映画館で観ていた時から気になっていたところを挙げてみたいと思います。それは、ラストのラストのほむらのシーンが意図するものが何なのか、ということです。具体的にはこのカットです。

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 ほむらが最後に落下しているところです。ここのシーンは脚本などに入っているわけではなく、劇団イヌカレーの泥犬さんの解釈や意図するものから挿れられたシーンというのは、新房総監督や脚本の虚淵玄さんらのインタビュー記事から読み取ることが出来ます。が、意味がよくわからないんですよね。単純に破滅願望的なものなのか(落下=自殺のような)何か別の意図があるのか考えてみましたが、いくつかこれかなあと思うものもあるので書いていきたいと思います。

  • 本編の最後の手前のシーンとのシンクロ?

 本編でまどかが世界を再編して、最後に高いところでキュウべえとほむらが喋るシーンがあったかと思いますが、そこから魔獣と戦うために降りているんですよね。ここの落下の意味は、今度は戦うべき相手が魔女から魔獣へと変わりはしたけどもまた新たな戦いの日々が始まる、というようなニューステージへの移行の意味が含まれているのかなあと思います。

 悪魔となったほむらにとって敵はゆくゆくはまどかになるんでしょうけど、この時点ではどういう存在が敵となり得るのかは全くわかりません。キュウべえもボロ雑巾みたいになってて喋ることも出来なくなっていることを考えても無力化されてしまってますし、魔女でもあるさやかも無効化されて属性も変えられてしまったわけですから、敵だった存在は敵ではなくなっているものと思われます。が、それでほむらに安寧の日々が来るのかと考えるとそれも違うと言わざるを得ません。ほむらの体制を壊そうとする何かと戦わなければならないのでしょう。ずいぶんと感じは違ってくるかもしれませんが、また新たな敵との戦いの日々が始まる合図がこの落下なのではないかということです。

  • ループ4周目(?)の対ワルプルギスの夜戦での落下シーンとのシンクロ?

 「もうまどかには戦わせない」と誓ったあのルートでは、ほむらはワルプルギスの夜と1人で戦うことを決意して重武装をし対峙しますが負けてしまいます。そこで、まどかがキュウべえと契約しそうになってるのをほむらは落下しながら「だめぇぇぇぇぇ〜〜っ」って叫びながら目撃しているんですよね。その意味を考えてみると、絶望とか諦め、あるいは自身の敗北、ゲームオーバーみたいなイメージがあるのかもしれません。

 とはいえ悪魔になったほむらが落下した程度で死ぬとは思えず、自身が壊して作った理がそう簡単にリセット出来るとも思えずこの落下はただの願望とかポーズ的なものだろうとは思いますが、取り返しのつかないようなことをしてしまった後悔の念が少しはあったのかなあと言う風にも見えてきます。

  • 新編 途中のまどかが落下したシーンとのシンクロ?

 これが一番だろうとは思いますが、ほむらが魔女になって絶望を感じていた一連のシーンにあったところです。椅子の上に立ったまどかがまるでカカシが倒れるように落下して、地面にぶつかると溶けるように消えていくあのシーンです。

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 実のところ、最後の落下シーンの前にほむらはこのシーンで座っていたような椅子に1人で座っているんですよね。落下するときには椅子はなくなっているのですが、非常によく似たシーンになっているように思います。

 また落下する直前のまどかは不気味に笑っているのですが、だいたい悪魔ほむらもそういう笑い方になっているんですよね。

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 そのことから考えると、回想シーンというかただほむらの頭の中でのシーンではありますが、そこで出てきたまどかと同じことをほむらはしようとしている、という風に観ることが出来ると思います。しかし、このまどかと同じことをしようとしているというのは、ほむらにはどういう意図があったと観るべきなのでしょうか?

 個人的には、まどかと同じように溶けてなくなりたい、という願望からなのではないかと観ています。内容的には2つ目のところで書いていることとほぼ同じですが。意味としては、まどかと同じように溶けてしまえば混ざりあえる「愛」が何かへと変化してしまったかのような願望から来る気持ちなのか、あるいは自分という存在が溶けてなくなってしまえばいい、というような破滅願望から来るものなのか……という感じです。前者は説明不要かもしれませんが、後者だとやはり取り返しのつかないことをしてしまったような気持ちがどこかに残っているのかもしれないということと、決してこのルートがハッピーエンドではないことを示しているのかもしれません。

 ほむらはずっとまどかの幸せを一番に考えて行動していましたが、当のまどかはほむらのことを最終的には聞かず自分で考えた行動をしてしまいます。この新編では最終的にほむらがまどかに自身の願望を押し付けたような形になったわけで、かつほむらにとって円環の理になるよりもまどか自身が幸せであろう結末を用意した形にもなっていると思います。ただまあ、今のまどかにとっては秩序を守ることのほうが重要になっていて、まどかの意に沿わない形にほむら自身が持っていってしまってるという自責の念みたいなものがあるのかもしれません。それで何もかもなくなってしまえばいいとか考えていて、ああいう行動に出たのかなあと思うわけです。

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 とまあこんな感じで観てみました。正直答えは特に無い(この演出を考えた泥犬さんの解釈も答えではないはず)と思うのですが、色々と考えられるとも思うので1つに決めなくても良いと思ってます。まだまだ色んな想像も出来ますし、ここからまどマギの次の展開も考えられるとも思いますので、そういうことにも思いを馳せながらまだまだ観て行きたいと思います。

[asin:B00I9YND9E:detail]

kaikai 2014/08/05 19:59 はじめまして。りきおさんの考察、興味深く拝読しました。
私もまどかマギカの大ファンで新編も何度も見ていますが、このラストシーンは特に難解ですよね。
叛逆版のプロダクションノートでイヌカレーさんの演出意図が明らかになるかもしれませんが、
私は今のところ以下のような解釈で納得しております。
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まずあれらの描写は、現実の世界で実際に起こった出来事ではないと思います。
そのことを分かりやすく示しているのが、物理的に半分に欠けた月です。
(影となっているべき部分に星が見えているので、下弦の月ではありません。)
したがってあのラストも、実際にほむらが崖から飛び降りたという事実を示しているわけではなく、
何か別のことを意味する隠喩的な描写であると考えます。

最初ほむらは、月と同じように真っ二つになった断崖でひとり寂しげに椅子に座っています。
りきおさんも書かれているように、このシーンは、ほむらが魔女化する直前の、
まどかとふたり草原で椅子に座っているほむらの心象世界の描写を想起させます。
そしてそれとよく似た描写が、劇場版前後編のルミナスのOPのワンシーンでも描かれています。
OPの中でふたりは、同じ草原で椅子に隣り合わせで座り仲良く幸せそうにしています。
劇場版前後編を事前に見ていた人は、新編でのほむら魔女化前の描写を見て、
ルミナスOPで描かれた幸せの崩壊、ほむらが幸せな”夢”から醒め、
まどかと仲良しでいられる世界の終わりをイメージすることと思います。

断崖に佇むほむらの描写もそれと同様に、ルミナスOPのまどかと仲良くいるシーンとの
対比的描写であると考えられます。
http://i.imgur.com/3KryExg.jpg
これは、ほむらが悪魔になることを選択し、まどかと再び仲良くなることは望めない世界に
足を踏み入れたということを示していると思います。
半分に欠けた月は、それを強調する役割をもっています。

このことは、ED直前のワンカットでも表されています。
中庭に2本の木が並んで立っており、その中庭から出て行くような何者かの足跡が描かれているカットです。
BD版では、魔女化したほむらの結界内で登場した果物や雑貨が中庭の内壁に描かれており、
偽街のメタファーとしての中庭の意味が明確になりました。
あの中庭はソウルジェム内の理想世界を表したものであり、「君の銀の庭」なのです。
2本の木は仲の睦まじいことを表す連理の枝の逸話にちなんだもので、
これもルミナスOPで描かれたまどかとほむらの関係を象徴しています。
まどかと仲良く一緒にいられる中庭から出て行く足跡はほむらのもので、
このカットは、幸せなソウルジェム内世界からほむらが自ら立ち去ったことを意味すると考えられます。

椅子に佇んでいると後方の草陰から物音がして、ほむらははっとして振り向きます。
これは、ほむらが「まどかが幸せであればそれで良い」としつつも、
心のどこかでまどかを期待していることの現れだと思います。

(※終盤のおどろおどろしい演出のためか、ほむらが突然おかしくなって
自分の欲望のためだけに円環の理をもぎ取ったと考える人がいますが、私はそれは違うと思います。
ほむらはTV版の頃から、常に自分の幸せよりまどかの幸せを優先し、まどかの幸せを思って行動しています。
ED直前のシーンの「それでも、私はあなたが幸せになれる世界を望むから」 というセリフからも分かるように、
それは基本的に新編でも変わりません。
ほむらが悪魔となったのは、花畑でまどかの「誰とも離れたくない」という本心を聞き、
「まどかは、それがどれほど辛いことだと分かっていても概念化を選択できてしまう勇気があるが、
それは本当のところは まどかの望むことではなかったのだ」と考えたことがキッカケになっています。
もちろん、魔女のときにまどかに声掛けられ「もう一度まどかに会いたい」という気持ちが表出したことが、
魔女として死ぬことでまどかの秘密を守るという決心を覆した理由なのでしょうが、
花畑でのまどかの願いを叶えるための宇宙再改変であって、決して自身の欲望のためだけに
円環の理をもぎ取ったのではないと思います。)

しかし、草むらから現れたのはまどかではなくキュゥべえでした。
"夢の世界"を思い返していたほむらは、椅子から立ち上がって現実を見つめます。
そして自分が悪魔となった理由を思い出し、これで良かったのだと割り切り、
ひとりで踊ってまどかへの気持ちの象徴とも言えるダークオーブを見つめながら断崖に落ち、
まどかと仲良くできない世界に自ら進んで飛び込んでいきます。
ボロボロになったキュゥべえも、実際にほむらにボロボロにされたというわけではなく、
キュゥべえが世界に湧いた呪いを処理するために悪魔ほむらに生かされ、
利用される立場になったことを表している…と、およそこのように考えています。

長文失礼しました。

nn 2015/03/07 22:54 えっと、挨拶が遅れまして申し訳ぎざいません。
コメント記入をするのはおそらく本日がはじめましてだと思います。
考察、順を追って拝見させていただきました。
大まかな見解はkaiさんのものに同意だったので、
支持したいと思います。
特にほむらの想いについて。

ねくすとねくすと 2016/12/06 15:12 かなり遅れたコメントですみません。

私もkaiさんとほぼ同じ意見ですが、自分なりに考えているのは、キュウゥべえが現れた時点で、世界に沸いた呪いの始末が終わったのではないかということです。それを確認したほむらは、ダークオーブを軸に踊って目的の完遂を独りで喜んでいるのかなと思うのです。この時、街に雪が舞うような描写が入りますが、それはナイトメア退治後のソウルジェム浄化と同じようなものかと。要するに、インキュベーターの介入によって呪いに汚染した世界の浄化が済んだので、ほむら自身も消えて無くなったというのが、崖からの転落で表現されていたのかなと。

ほむらの悪魔化のきっかけは、kaiさん同様、花畑でのまどかとのやり取りだと思います。私は、飛行船はまどかを探し求める、ほむらの心のメタファーだと考えていますので、飛行船のライトが二人を照らしたのも、まどかの本当の気持ちを知ったほむらの心理を表現しているのだと思うのです。

でも、悲しいことに、「本当のまどか(の気持ち)」とは、魔法少女でもなんでもない、一人の少女として友達や家族と幸せに過ごしたいということでした。ほむらとの最初の出会い(1巡目)のまどかは、既に魔法少女になっており、魔女からほむらを救ってくれた存在でした。そのまどかが、ほむらにとっては自分の拠りどころであり、最後の道標であったはずです。

でも、友達や家族と離れ離れになりたくないというまどかの本当の気持ちの中には、(例えほむらの名前も挙げられたとしても)魔法少女のまどかは存在し得ないことになります。このことは、ほむらが魔法少女として彼女を守り続けても叶わないことに、花畑で気づいたのではないでしょうか。インキュベーターが介在する世界では呪いが払拭されないし、それならば普通の少女としてのまどかの存在は非常に脆いものでしかありません。

だから、円環の理からまどか自身を引き剥がし、彼女を自分の保護する世界(=君の銀の庭 エンディング前に出てくるクルミがそれを象徴しているのでは?)でまどか達の普通の生活を護りつつ、キュウべぇをこき使って魔獣退治を進めていた。その完了をボロ雑巾になったキュウべぇから知り、世界の浄化(白い粉雪のような風景)を確認したので、自分は存在を消したと思っております。

先に記した、ほむらがまどかに最初に出会ったのを1巡目とすれば、魔法少女になる前の、普通の少女のまどかは0巡目であり、そこには、魔法少女や魔女としての暁美ほむらの存在する意味は無いことを知っていたのではないかと思うのです。

結局、世界を破壊することもなく、まどかと戦うこともなく、二人でワルプルギスの夜をしのいだ後に、ソウルジェムが濁り切ったまどかと交わした約束を、自分が消滅することで果たしたのではないかと、それこそが、彼女なりの「愛」だったのではと考えております。 長文、すみません。

匿名匿名 2017/03/06 17:28 エンディングパート全体から漂ってくるのがほむらの孤独って感じですよね
やはりあれは決別の意思表示に見えます
それも永別に近い感じの
私見ですが教室のほむらは本当のほむらではないんではないでしょうかね
概念と化した悪魔ほむらは認識されない筈ですし
円環の理は本当はやはり停止していて、悪魔ほむらがそれを誰にも気づかれずに代行する永遠の孤独があそこから始まるということではないでしょうか

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