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2008-04-21

科学の力で怠けよう!

※この文章は、先に書いた

「お金の要らない世の中、働かなくても良い世の中、勉強しなくて良い世の中」

http://d.hatena.ne.jp/rikunora/20080420/p1

の続編です。

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「お金の要らない世の中、働かなくても良い世の中、勉強しなくて良い世の中」は、

今、人類がその気になれば「物理的には」実現可能である。

しかし、「社会的に」実現することは、極めて難しい。

「お金の要らない世の中」が実現しないのは、

例えば絶対的なエネルギー資源不足といった物理的な問題ではなく、

もっと別の、社会的な問題に起因する。

その問題とは何か?

また、どうすればその問題が解決できるのか?

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<< その問題とは何か? >>

■問題の本質

* この世には、持つ者と持たざる者がいる。

* 持つ者は、持たざる者に何の理由もなく分け与えるべきか。

* それとも、何らかの理由によって分け与えないのが当然なのか。


■「分け与えない」を支える根拠

「何らかの理由」とは、「人の役に立っている」、「社会貢献している」ということである。

社会貢献した人間が、それに応じた報酬が得られるのは当然のこと。

そうすれば、みんながお互い人の役に立とうとするので、結果として良い社会ができあがる。


■それのどこが問題なのか?

現実には「社会貢献していない、したくてもできない」ために、

お金がもらえない人がたくさんいる。

この現実を見ながら、貢献していない人に何も分け与えないでいるのは、

果たして当然なのだろうか。

今の世の中で、一番社会貢献する行為とは、

「みんなが社会貢献できる場を用意する」ことだろう。

ならば、そこまで無理してみんなが社会貢献する必要があるのか。


■問題をここまで単純化しても良いのか?

もちろん現実が複雑であることは認める。

実際には上記の本質に、国際関係とか、イデオロギーとか、地方とか、法制度など、

様々な要因が絡み合って、問題を非常に複雑化している。

しかし、その様々な問題の共通因子を探り当ててゆくと、いずれ上記の本質にたどり着く。

お金に関するあらゆる問題の根底には、必ずこの「本質的な選択」が横たわっているのである。

この選択によって全てが解決できるとは思えないが、

逆に、この要点が突破できなければ、結局のところ何一つ進展しない。


■なぜ「社会貢献」が正当な理由ではなくなったのか?

第一の要因は、必需品はもうあらかた作り尽くしてしまい、

実質的なフロンティアはほとんど残っていないからである。

第二の要因は、「生産量/労働量」が著しく向上したためである。

逆に言えば「労働量/生産量」が極端に少なくなったためである。


例えば今日、学問の世界で実質的な貢献ができるのは、

ほんの一握りの人間だけである。

残りの大多数は、学問の恩恵にぶら下がるだけで、

実質的には何も新しいものを生み出していない。

今後、学問の最先端がますます遠のくにつれて、

この傾向は一層強くなるものと思われる。


同様の傾向が、社会貢献についても見られる。

生存のための生産ならば、ごく一部の人間だけで済む。

生存に必要な労働量は、全労働の10%程度という試算もある。

残りの大多数は「いらない」。

かくして「正当な理由」を巡るイス取りゲームが始まる。


現実にはこれに

*「どこまでが必要で、どこまでが贅沢品か」という議論

*「いかに需要を拡大するか」といった経営的な努力

などが加わって、問題をいっそう複雑化している。


■「社会貢献」は素晴らしい考え方に思える。それが間違っているとは思えない。

昔は正しかったのだ。

成長が必要とされていた時代には。


■努力を重ねて成長し続ければよいのでは。

物理的な限界がある。

そのため、資源、環境にしわよせが来ている。


■なぜ現状ではいけないのか?

世の中の半数以上が不幸になるから。


世の中が上り調子のときには、みんなが一様に幸せになれる。

下り調子のときには、一部の人だけが不幸になる。

そして今、世の中は頭打ちである。


例えば会社が上り調子のときには、ボーナスは社員全員に出る。

しかし首切りは最も成績の悪い社員だけである。

似たような状況は、国家レベルでも生じている。

どんなに飢えている国にも、飢えとは無縁の人たちがいる。


世の中の物理的成長が平均して平坦となり、上りと下りが同じくらい交互に現れたなら、

半数は幸福に、残りの半数は不幸になる。

しかし、勝ち組が主導権を握るという非対称性から、負け組は半数を超える。

かくして均衡点は、少数の勝ち組と多数の負け組に傾く。


■なぜ現状の構造は崩れないか?

勝ち組が主導権を握っているから。


自分が勝ち組に回ったとき、全員に分け与えるより、

「正当な理由」によって勝ち続けた方が良いに決まっている。


だから、こんなことは「負け組」に属し、

かつ「正当な理由」を論破できる人しか言い出さない。


■お金を無くせば問題は解決するか?

No。

ただお金を無くしただけでは、混乱するばかりである。

かつて、ポル・ポトは実際にそれを行った。

その結果、大量虐殺が起こった。


■愛は世界を救えるか?

人の善意や良心、美しい心に訴えて、相互扶助を行えばお金はいらない?


もし世の中が100%美しい心を持った人たちだけで構成されていれば、それは可能だろう。

問題なのは、善意の市民の中にほんの一握りの「ずるして利得を稼ぐ人」が現れたとき、

相互扶助システムが崩壊するところにある。

美しい善意の世の中は、悪意に対してあまりにも無防備なのである。


町中の全員が良い人ばかりであれば、鍵というものは必要はない。

実際には、たった1人の泥棒が出る可能性のために、

全員がある意味無駄な「鍵」を使わざるを得ない。

美しい心は必要だが、それだけで問題は解決しない。


臨界点を超える日が来るのか?

不幸な負け組が社会の大半を占めれば、

「いいかげん、ばかばかしいから止めよう」とみんなが言い出す日は来るのだろうか。

おそらく経済破綻と同じ日に。


しかし、その日はただ待っていても永遠に来ない可能性もある。

「百姓は生かさず殺さず」であれば、負け組は生殺し状態のまま、

臨界点を超えないままズルズル行くだろう。


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<< どうすればその問題が解決できるのか? >>

■答

    科学の力で解決する。


    善意は必要である。

    しかし、科学の伴わない善意は、無力である。


今の世の中を見回して、現実的にお金の力に拮抗できそうなのは、科学の力だけである。

  参考サイト: [通貨の廃止]

  http://wiki.livedoor.jp/tuuka_haisi/d/FrontPage


■具体的な答案

以下にリストアップするテクノロジーの一部、あるいは全部を実現し、

全人類が最低限生存できる環境を整える。

同時に、実質的な労働は全て機械に任せ、人間の労働量を極限までに減らす。


 合言葉:「科学の力で怠けよう!」


● クリーンエネルギーの確保

太陽電池の低コスト化、超寿命化。

あるいは太陽エネルギーを有効利用する、他のテクノロジーの開発。

植物プランクトンや植物細胞を利用してエネルギーを得る工夫。

人工葉緑素の開発。


微細発電素子によるエネルギー回収。

道路や歩道、騒音の発生源、自動車から靴の裏まで、至る所に微細な発電素子を組み込み、

小さく、たくさん、エネルギーを回収する。

微細発電素子を搭載した自律マイクロマシンの開発。


● 巨大太陽発電衛星地球放熱システム

宇宙に進出し、有り余る太陽エネルギーを受け止める巨大太陽発電衛星を建設する。

同時に、地球上に巨大放熱板を建設し、トータルエネルギーフローを高める。


● 自律型ロボットの開発

一度プログラムを組み込めば、あとはほぼメンテナンスフリーで

勝手に働いてくれるロボットを開発する。


たとえば、目的地をセットすれば、自動的に配達してくれる無人自動車

多数のセンサーを搭載し、自律的な判断を行うだけでなく、

自動車同士、道路上に埋め込まれたセンサー、あるいは衛星システムと相互に連絡し合い、

決して渋滞せず、自動車同士の事故も起こさない。

高速道路では互いに合体してクラスターとなり、省エネで大量の荷物を輸送する。

目的地の近くに来たら分解し、パケット単位で小さな荷物を送り届ける。


● 自己補修型プログラム

ロボットを制御するプログラムメンテナンスを、

極限にまで少なくするテクノロジーの開発。

問題にぶつかるたびに、ネットワーク上の知識データベースから

自らに最適な解決案をダウンロードしてきて自己修復を行う。

どうしても解決できなかった問題はネット上のハッカー達に配信され、

ハッカー達は名誉を賭けて問題解決にあたる。

機械だけで完全な自己修復を行うことは(数学的に)不可能だが、

特定の領域で「経験」を積み、半分は人の手から為る

問題解決データベースを充実させることはできる。

これにより、ネットワーク上に進化し続けるプログラム集合体を構築する。


● 掃除、洗濯がめんどうな方へ

そのまま食べられるお皿。

自然分解プラスチック。

ゴミ処理しなくても、微生物が勝手に分解してくれる「生きた皿洗い機」。

繊毛が勝手にゴミを集める、いつでもクリーンな「生きた絨毯」。

洗濯しないでも良い服。(形状記憶Yシャツはすばらしい!)

生体の汚れを取り除く人工シラミ、ただし血は吸わない。

本物の皮膚の上にかぶせた人工皮膚。

プログラム1つで見た目や機能が変化し、破れたらカサブタができて自己修復する。


微生物のおいしい食べ方

セルロース分解酵素の開発。

爆発的に増殖する昆虫や微生物から、おいしいハンバーグを作る方法。


● 都市を覆う巨大ツタ

あるいは屋上プランテーション

生きている緑色の塗料。

ビルにかかるエネルギーコストを一気に下げ、温暖化を防止する。


● 世界をつなぐ低コストネットワーク

携帯電話程度の本体に、

スピーカー+マイク+カメラ+無線LAN+手回し発電機を取り付けた、

世界の全てを結ぶための低コストデバイス

水やホコリや寒暖に強く、Gショック並に丈夫。


貧しくて、コンピューターもなく、インターネットにも接続できない地域に配布する。

お互い同士が無線LANで連結し、細く、長いリレーを通じて、

世界中のいかなる辺境からでもインターネットへのアクセスを可能とする。

このネットワークの目的は、絶望に閉塞した地域に希望をもたらすこと。

自分はたった1人ではないのだという実感を、世界中に知らしめることにある。


(こんなものが開発されている。

One Laptop per Child -- http://laptop.org/ , http://laptop.org/index.jp.html


● 世界の現状を、科学的に訴えるための表現手段

成長の限界」という本を見よ。


ブラウン運動を利用した分子モーター

生物が動く仕組みを分子レベルで解明し、

それをもとに、かつてない高効率の分子モーターを開発する。

この分子モーターが、マイクロマシン、ナノマシンの原動機となる。


これが、このサイトを立ち上げた真の目的でもある。

仮に、このサイトに記載したような「Maxwellの悪魔」が実在したとすれば、

「お金のいらない世の中」は半分まで実現したと言ってもよい。

そうでなかったとしても、生物分子モーターには、

依然として未知のテクノロジーの鍵が隠されている。

詳細はサイト本編にて。


● 最後に、

  あなたが付け加える、まだこのリストに入っていない、すごいやつ。


■でも私の会社(あるいは私の上司)は、上のリストにあるような提案を受け入れないのだが。

お金もうけのためのテクノロジーと、お金のいらない社会を構築するテクノロジーは、

共通部分もあるが、異なる部分も多い。

共通部分については、特にテコ入れせずとも、半ば自然に進む。

問題は共通では無い部分にあり、それこそが真のボトルネックなのである。


即効性のあるよい解決方法は無い。

* 根気よく説得する。

* まずは自分の力で、こっそりと、細々と続ける。

* 地方行政や公的な補助金に申請してみる。

* インターネットを通じて世界に訴える。

* 脈のありそうなところにメールを送ってみる。


とりあえず、私の元までメールを送ってみる、というのはどうだろう。

良い回答が返せる保証はないが、少なくとも共に悩むところまでは保証しよう。


■私は上のリストのような方法で、科学に貢献できそうにないのだが。

まず、美しい心を持とう。

これについては良い本がある。

成長の限界 人類の選択」という本の、最後の章(第8章)に目を通してみよう。

そこに掲げられている5つのルールとは、

  * ビジョンを描くこと

  * ネットワークを作ること

  * 真実を語ること

  * 学ぶこと

  * 慈しむこと

である。

私はこれを読んで涙した。


それがめんどうであれば、とりあえず

世界がもし100人の村だったら」を見てみよう。


次に「お金のいらない世の中」は、物理的に実現可能な1つの選択肢であることを理解しよう。

そして、未来を考慮しない極端な拝金主義は、

「ダサくてカッコ悪い」のだという風潮をかもしだそう。

例えば喫煙という習慣は、昔はカッコよかったのだが、今はダサくてかっこ悪い。

お金もそれと同じである。


実のところ上のリストに掲げたような大発明は、1人の天才だけで実現できるものではない。

それを理解する社会基盤、具体的な資金援助、無形の精神的な援助があって、

初めて成立するのである。

そのためには、「直接科学に貢献できそうにない」多くの人の助けが必要なのである。

ひとりぼっちでは、何もできない。


■まとめ

もし「お金のいらない世の中」を実現しようと思ったら、

私の考えの及ぶ限りで、答は1つしかない。


    科学の力で解決する。


いままでの歴史は、お金は無い状態から、ある状態へと進んでいった。

だから、お金は全く無意味なものではないし、「お金=悪」でもない。

しかしなぜ、今頃になってお金の不要を説くのか。

それは、人類の物質的な成長が、ある一定のレベルに達したからである。

物質的な成長が止まれば、全員が労働する必要はない。

むしろ、資源と環境からすれば、全員が労働することは悪である。


これは、人類史上初めての体験である。

今までの人類は、成長中か、あるいは成長以前の段階にあった。

21世紀になって初めて、人類はもうこれ以上働かなくても良いレベルに達したのである。

これは大変うれしいことだ。

本来であれば、人類の全てが労働からの解放を祝福すべきである。


なのに、同じ人類同士での富の再分配という問題だけで、

人類は未だに無駄な資源消費と、不必要な労働をお互いに強いている。

その愚かさは、人類同士で互いに殺し合う戦争と大して変わらないように思える。


人間は、物質と精神から成る。

お金は本来、物質的欲望だけを満たすべきものである。

それを、お金の力で精神的な問題までを解決しようとするところに、歪みの根源がある。

科学は、あらゆる物質的欲望を解決する力を持つ。

だが精神的な問題は、お金も、科学も、他の何物も解決することはできない。

人間の精神的な問題を解決できるのは、人間の精神だけである。


物質は科学が解決し、精神は人間が解決し、そしてお金はいらない。

これが、未来の人類が望むべき姿である。


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adda-adda- 2008/06/17 01:42 まさか、自分と同じ考えを持つ者がこの日本に居ようとは・・。
「お金の要らない世の中」で検索かけて半年前にはこれと
いった結果はでてこなかった。 これほど自分の考えと一
致するブログには初めてお目にかかったw
この考えは正しい。 永久機関と食糧問題さえ解決できれば、お金の要らない世の中を創り上げることが出来る。「家族」という単位は基本的にお金など要らない。
「家族」という単位を広げていけば、お金という悪魔の魔法を人間は使わなくてすむ。実現させるのは至って簡単。「君と僕とではお金のやりとりはナシね。」という契約一つ。日本は近い未来新しい社会システムを発する「世界の中心」になる。

rikunorarikunora 2008/06/18 09:23 コメントどうもありがとうございます。
同じ考えを持っている、と言われると、すごく嬉しいですね。
きっと似たように思っている人は、目立たないけれどまだまだ日本にもたくさんいると思います。
フリーウェアかオープンソースみたいに、「君と僕とではお金のやりとりはナシね。」という契約で世の中成り立たないのかな、と本気で思ってますよ、私は。
まあ、現時点では多分に甘い発想ですが、
「お金のいらない世の中は、物理的に実現可能な1つの選択肢である」ってことだけは、もっとみんなに理解してほしいなと思っています。

ぐっぴーぐっぴー 2011/01/08 21:48 Jarzynski等式の時にこのブログに辿り着いた者です。
気がついたときに初めの方から記事を読ませてもらってます。
やっぱりこのブログおもしろいっす!

自分も物欲無い方だし、拝金主義的な考え方に世の中偏りすぎている感じがして何か不気味に思っていました。
本当にこんな世の中になるならなんて素晴らしいだろうと思います。

こういうことに本気で取り組もうっていう企業があるなら、お給料が安かったとしても働いてみたいですね。
とりあえず、rikunoraさんが上げているような本に目を通してみて、自分には何ができるのか考えたいです。

rikunorarikunora 2011/01/11 10:44 拝金主義に世の中偏っている、というバランス感覚は長期的にとても大切だと感じています。
たぶん、何百年も後になって20世紀後半〜21世紀前半とはどんな時代だったか、と聞かれれば
「あのときはみんな金に夢中だった」と答えることになるでしょう。
現代から振り返って戦争ばかりしていた時代を見ると、
多くの人が「あのときはみんな戦争に夢中だった」と答えますよね。
現在の状況は、それとすごく似ています。

企業である限り理想だけでは成り立たないでしょうけれど、理想の無い企業もダメです。
理想の無い企業からは、結局最後には人が離れていくのだと思っています。

ポン太ポン太 2012/04/20 21:47 宇宙のこっくり亭という精神世界系のサイトでお金のいらない世界や中国問題でコメントさせていただいております、ポン太と申します。

将来、科学の力が「お金の重要度を低減する方向に向かう」ということで、あなたと似たような考えを持っておりますが、まずは「お金があってもなくても大差ない社会」を目指すべきだと考えております。

詳しくは、「宇宙のこっくり亭」で検索していただいて、その記事の中で、「お金を使わないで生活する人が増える」「世界経済に回復の兆し!?」「お金が要らない世界をまた考える」「すべてが無料の世界」などに私の考えが載っておりますので、もしお時間がありましたら、ご参考までにご意見を伺いたく思います。

もちろん、完全に私のオリジナルの意見ではないが、大まかな流れとして、いずれは貨幣経済と非貨幣経済のバランスが逆転するであろうと考えております。

ただ、完全になくなるのはどうなんでしょうね、少なくとも100年200年では厳しいかなと思っているのですが、それでも技術の発展のスピードが加速度的なものであればもっと早くにそういう社会に到達できるのでしょうかね?

rikunorarikunora 2012/05/15 15:03 こんにちは、「宇宙のこっくり亭」の記事、興味深く拝見しました。
さて、お金の未来についてなのですが、
・お金の重要度を低減する方向に向かう
・いずれは貨幣経済と非貨幣経済のバランスが逆転する
といった方向に向かって欲しいと私は思っています。
実際に「お金を使わないで生活する人が増え」ていますし、
お金以外の価値観に基づいて人生を謳歌する人も少なくありません。

その一方で、何のきっかけも無しに、自然に「お金の要らない世の中」に移行するのかというと、
それほど甘くはないだろうと思っています。
現実的に最もあり得そうな状況は、「百姓は生かさず殺さず、負け組は生殺し状態のまま、
臨界点を超えないままズルズル行く」だろうと思うのです。

「お金の要らない世の中」への移行には、それ相応のインパクトを持つ、
何らかのアクションやきっかけが必要でしょう。
そのきっかけを与えられるのは科学 〜 それだけの力を持ち合わせているのは、
科学くらいしか考えられない、というのが私の意見です。

いつ、どんな形でお金の要らない世の中に移行するのか。
そもそも移行できるのか。私にもわかりません。
結局のところ、今生きているたくさんの人たちの、意識と心がけ次第だと思います。

skyshipskyship 2012/05/17 04:40 今回改めて新着コメントからこの記事を読みました。
また最近私自身も考えがちょっと変わってきて、コメントしたくなりました。

現代社会の仕組みは、不公平に対してお金で無理に公平を作っているように見えます。
ですから、お金がない社会が素敵だということにはかなり同感です。

でもやっぱり贅沢が好きな人や、人を支配したがる人などがいたら、
お金がない社会はなかなか成立しにくいのではないかと思ってしまいます。

>人間の精神的な問題を解決できるのは、人間の精神だけである。
思うにいわゆる必要性は同感ですが、十分性はないのかもしれません...
どうしても価値観の違いで話が通じなかったりもすると思います。

現代社会では、人間の精神を持ってしても解決できない潜在的な精神の問題を、
被害が出ないようにお金などで押さえている、という風にも感じます。



>同時に、実質的な労働は全て機械に任せ、人間の労働量を極限までに減らす。
この解決だと例えば筋肉等が使われないために弱ってしまう等の問題があり、
(それは別の科学で克服できるかもしれないのですが、)
何でも科学に解決を押しつけるのも、また何か違うような感がしました。

究極な科学の発展は、確かに私が思い描いた世界の未来像の1つでしたが、
世界の、人間以外の部分を無視しているようで、空虚な感じを受けました。

でも、科学の発展を止めても資源の枯渇や環境問題がありますし、
科学技術を破棄するのも不可能に思われて、良い未来像が見えないのです。


私は最近はこのような問題にすっかり逃避的になってしまいました。
人生、社会史、地球史などには、準同型的な関係があると思っています。
つまり理想の人生が思い描けないのと同じように、
(悪い生き方をする人に、私は具体的な代わりの生き方を提示できません)
理想の社会というのも描けないのかもしれないと考えるようになりました。


主観的な文章だとは思いますが、今後の考察の際に参考になれば幸いです。

rikunorarikunora 2012/05/18 10:54 skyship 様、コメントありがとうございます。

>人間の精神的な問題を解決できるのは、人間の精神だけである。
解決なんて偉そうなことを書きましたが、実は人間の精神的な問題なんて、解決できないものがほとんどです。
私自身、自分を含めて完全解決できたことなんて1つもありません。
でも、もし解決できるとすれば、それは人間の精神であって欲しいと思います。
> どうしても価値観の違いで話が通じなかったり
その通りです。重みのある生の声だと思います。
どうしようもないので、仕方なくお金で話をつけましょう、、、といった現実がある。
そう考えると、本当の壁は「話が通じない」ことに尽きるのかもしれません。

> 人生、社会史、地球史などには、準同型的な関係がある
ここには言い尽くされている以上に深い意味があると思います。
社会を良くしたかったら、一人一人の人生を良くしろと。
逆に言えば、自分の人生さえ良くできないやつに、社会を良くすることなんてできやしない。
・・・でも、本当にそうでしょうか。
もし人生も社会も地球も同型だったなら、同じ1つの答が同時に、全部に適用できるはずです。
なので、自分がダメだから社会もダメだ、ということにはならないと思うのです。

もっとも、そんな調子の良い答が簡単に転がっているはずもなく、何の足しにもならないのですが。
・・・まとまりがなくてすいません。

ポン太ポン太 2012/05/18 22:02  果たしてお金のいらない世界は「理想社会」なのでしょうか?我々はそういう社会のことを安易に「理想郷」につなげて考えている節もあるのではないかと思います。まあそれくらいお金の力が大きいというのは確かにそうですが。

 現在の人々からすれば、お金が必要ないなんて理想的な社会だ!みたいな感覚で思われているかもしれないが、案外実現してみたら、思った理想的ほどでもなかったり、問題が山積みだったりするのではないかと思います。
 
 つまり、「お金のいらない世界」が実現しそうにないと考える最大の要因は、「それが理想郷である」という余り疑われない暗黙の認識のもとにあるからだと考えます。

 たとえば、1000年くらい前の人々に、「人権」が「尊ばれる社会」は可能かを尋ねたとき(まあ昔の人にそんな概念はないという話は別として)、おそらくその時代のだれもが「そんなものが実現している社会なら、それは理想郷しかあり得ない」と答えると思います。

 しかし、一応現代では人権は尊いものとして扱われている。ですが、人権の保障されたはずの我々の社会もまた、理想郷には程遠い。

 極端な話、私は「お金が必要ない世界」が実現したとしても、それすら理想郷ではないのではないかと思っております。まだその段階に達してすらいない人類にとっては「そういう社会こそが理想郷である」と思い込んでいるだけに過ぎないのかもしれません。

 当面の目標としては、まずは「お金の価値が低減した社会」を目指すべきでしょうね。それすら実現しない段階で「お金のいらない社会」が実現するとも思えない。

 ただし、先ほども言ったとおり、仮に「お金が必要ない社会」が実現したとしても、それすら「理想郷」ではなく、「今までとは別の社会形態」に過ぎないとなれば、案外そういう社会自体は実現可能(遅かれ早かれ)かもしれません。そして、実現した暁には、おそらくその社会でしかありえないような(今の人類では考えも及ばないような)別の問題が出てくる可能性もあるでしょう。それが果たして今人類が抱えている問題よりも難しいものなのかどうかは、やはり実現してみないと何とも言えない気がします。

 まあ人類がこれからも発展していけばという条件が付きますが。

rikunorarikunora 2012/05/31 14:04 ポン太様、すっかり返事が遅くなりました。
確かに、お金のいらない世界ができたとしても、きっとその世界には、また新たな別の問題が生じているのでしょう。
言われてみて、なるほどと納得しました。
それならそれで、大上段に「理想郷」などと身構えずに、当座の問題に対処するワンステップくらいに思っていたが気楽でいいですね。
「お金の価値を低減させる」社会くらいなら、案外簡単に実現できる気がしてきました(^-^).

たとえ理想郷にならなくても、理想郷に近づくことには意味があると思います。
人権が(曲がりなりにも)保障されている今の世界は、人権が無い世界よりも確実に良くなっています。
なんだかんだ言って、ほとんどの人が餓死せず暮らしていける日本の社会なんて、
一昔前や、他の国から見れば、かなり理想に近いはずです。
そんな理想郷に暮らす私たちでも、それなりの悩みを持っているのですから、
本物の理想郷は、やっぱり永遠に来ないのだろうと思います。

この記事を書いたのは、もう4年前になるのに、年々重みを増しているように感じます。

宇宙のこっくり亭宇宙のこっくり亭 2013/01/20 19:35 お久しぶりです。偶然、ココにたどりつきました(笑)

いや〜、久々に読むと、改めて啓発されますね!!

hirotahirota 2013/02/24 11:41 僕は人間が価値を必要とする以上、お金が不要になる事は無いと思っています。
お金とは多種多様な価値を比較可能にし交換や流通を助けて不公平を減らすために発明されたものと見ていますから、無いと酷い事になると思います。
ただ、お金だけでは充分な機能を満たしてないと思いますから、補完システムを作って多様な価値の流通を助けるようにする必要はあるでしょう。
価値は生活必要物質だけではなく生き甲斐や共感にも価値自体の評価システムにも存在し、価値が価値を生む複雑化する存在ですから、どのように変化するか予想が出来ません。

rikunorarikunora 2013/05/01 17:24 あいかわらずお金について考えています。
というか、現代社会に生きていると、嫌でも向き合わざるを得ないというのが実情です。
遠い未来、果たしてお金という形態が残るか、無くなるかはわかりません。
それでも「分け与えるべきか、分け与えないのが当然なのか」という命題は、
複数の人間が共存する限り、ずっと残り続けるでしょう。
仮に物質的な問題が科学の力で全て解決したとしても、その後には、
権利や生き甲斐、存在価値を巡って、譲る、譲れない、といった対立が続くでしょう。

それでも、明日の食べ物を巡って殺し合う世の中よりも、
生き甲斐について悩み、議論を戦わす世の中の方がずっと良くなっているはずで、
その方向に科学が進んだり、世の中の仕組みが変化していくことには
充分な意味を見いだせると思うのです。

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