まあるいビッグバン

人間のDNAの情報量は、ビット単位に換算するとどの程度だろうか。
人間のDNAはおよそ30億塩基対。
塩基は A,T,C,G の4種類あるので、情報量は 4^30億 = 2^60億 = 60億Bit。
6,000,000,000 bit / 8 = 750,000,000 = 750 MByte
なんと、たった CD-ROM1枚分である。

そのCD-ROM1枚分には相当重要なものがつまっているのだろうが、
もし君の人生がCD-ROM1枚分の重さだと言われたら、納得するだろうか。
もちろん人の一生は CD-ROM1枚には収まり切らない。
それは当然のことで、DNAに記されているのは初期情報だけに過ぎず、
人間はその後の人生で、いろんなものに出会い、いろんなものを学び、いろんなことをするのだから。
確かにDNAは大事かもしれないが、人間の価値は、どう生まれたかよりも、どう生きたかで決まるはずだ。
毎日、毎時間、毎秒、今この一瞬に、君が選び取った選択の積み重ねが、君の人生だ。

DNAの発見によって、人間はやはり物質からできているのだ、ということが実感されるようになった。
物質であれば、化学の法則、物理の法則に従うはずだ。
物理学の特徴は、答が1つに決まることにある。
これこれの運動量で、しかじかの角度で打ち出した砲弾は、
どのような軌跡を描いて、どこに落下するのか、正確に計算することができる。
天空を巡る惑星は、1年後にどこにあり、3年後にどこにあって、
5年後のとある日に日食が起こることまで、現在から正確に算出することができる。
手のひらから放たれたコインは放たれた瞬間に、どちらの向きに落ちるのか、答は既に決まっている。
実際にコインの運動を計算するかどうかはともかく、仮に計算したとしたら、その答は1つに決まるはずだ。
もし人間が物質から成り立っていて、全ての物質が物理法則に従うのだとしたら、
当然、人間を含めた全体についても答は最初から1つに決まっていることになる。
あなたと同じDNAを持ち、同じように生まれ、同じように育った人間は、
あなたと同じ事を考え、あなたと同じ判断を下し、あなたと同じ行動をとるはずだ。
あなたの人生は、最初から1つに決まっている。
あなたが出会い、学び、判断し、行動することまでをも含めて。
であれば、あなたの「意思」はいったいどこにあるのか?

これは「自由意思」の問題と言って、近代的な物理学よりもずっと以前から、人間が悩み続けてきた問題だ。
人の一生とは、自分の力で作り上げるものではなく、最初から神様が与えたものなのかと。
もし人生が最初から決まっているのだとしたら、今の自分の努力には何の意味があるのだろうか。

もし人間を含む世界の全てが物理法則に従っているのだとしたら、
最初から世界の行き着く先は、ただ1つに決まっているのだろうか。
つまり宇宙は最初から最後まで、ただ1通りしか無いのだろうか。
もしそうだとすると、ここで1つの疑問が生じる。
この宇宙で起こることは、全て、一番最初に「既に書かれていた」のかということだ。
この宇宙にある全ての膨大な情報量は、一番最初の時点で、非常に圧縮した形で、
あらかじめ全部が存在していたのか、という問題である。
もし物理学の示す因果関係が正しければ、
現在の宇宙の持つ情報量は、その一瞬前の宇宙が既に保持しているはずであり、
その一瞬前の宇宙は、その二瞬前の宇宙が既に保持しているはずであり、
その二瞬前の宇宙は、その三瞬前の宇宙が既に保持しているはずであり、、、
これをどこまでも繰り返せば、全宇宙の情報は最初の瞬間に既に在ったということになる。
あるいは、こういう言い方もできる。
宇宙は、最初に始まった瞬間から既に現在の宇宙となるように「運命づけられて」おり、
それ以外の宇宙となる可能性は全くあり得なかったのだと。

それでは、宇宙の最初はどのようになっていたのだろうか。
聞くところによると、宇宙は虚数の時間からトンネル効果によって忽然と生じ、
真空の相転移をともないつつ急速に膨張し、ビッグバンとなって大爆発を起こしたのだそうである。
この辺のことは、一体何を言っているのか、正直私にもよくわからない。
非常に小さな領域で大爆発したことは確からしいので、とりあえずビッグバンからスタートすることにしよう。
ここで問題なのは、ビッグバンが正確に球対称だったかどうか、「まんまる」だったかどうかである。

もしビッグバンが「まんまる」だとすると、いささか困ったことになる。
球というものは、その形状からして「半径」以外の情報を含んでいない。
つるんとした球は、その後の複雑な宇宙を再現するにはあまりにも情報不足な、何も書かれていない状態なのである。
もし全宇宙が「まんまる」だとしたら、北極と南極の区別も、西と東の区別もつかない。
宇宙は事実上「一次元」(時間を入れても二次元)となってしまう。
もし上と下が寸分違わず同じであれば、この宇宙にとって上下の区別は無意味である。
上下が全く同じなら、たとえば、上にある物体を足がかりにして下に移動する、といったことができない。
上下方向の運動は、全くできないことになる。
つまりこの場合、上下という次元はもはや宇宙に存在しないに等しい。

宇宙が今日我々の知るような3次元(時間を入れて4次元)となるためには、
少なくとも3方向について、ビッグバンが「まんまる」から歪んでいなければならなかっただろう。
ほんの少しでも歪みがあれば、それを手がかりにして、上と下、あるいは右と左の区別ができるようになる。
ひょっとすると、宇宙空間は潜在的にもっとたくさんの次元を取り得たのかもしれない。
しかし、歪みが生じた方向が(一次独立なベクトルが)たまたま3つだけだったので、我々はこの3つの方向だけを区別できるのだろう。
残りの次元は、完璧に「まんまる」なので、我々は区別することができないだけなのかもしれない。
(ただ、科学の話をすれば、「全く観測できない何物かが存在する」という主張は、即ち「そんなものは無い」とイコールである。)

「まんまるな状態」から、歪みが生じた状態への移行を、物理では「対称性の破れ」といった言い方をする。
もっとも上記の「まあるいビッグバン」のお話は、
対称性の破れのイメージを私が素人なりに想像したものであって、
素粒子論や宇宙論で言われているものとはだいぶ違う。

「粒子がなぜ質量を持っているか」について、対称性の破れは重要な役割を果たす。
この宇宙は、あまねく「ヒッグス場」という場によって満たされている(らしい)。
自発的に対称性の破れたヒッグス場と、素粒子(ゲージ場)との相互作用によって、素粒子はヒッグス場の中を「動き回りにくくなる」。
かくして素粒子は質量を獲得する。
これを「ヒッグス機構」と呼ぶ。

>> wikipedia:自発的対称性の破れ

>> wikipedia:ヒッグス粒子

* カイラル対称性の破れと素粒子の質量
>> http://suchix.kek.jp/~shoji/topics/chiral.html

* 日経サイエンス 2005年11月号『質量の起源に迫る』

ヒッグス場が対称性を破る説明として、よく「ワインボトル型ポテンシャル」といった図が登場する。
ワインのボトルの底のような形をした地形の、山の山頂にビー玉を置けば、ビー玉は不安定なので谷底に転がり落ちるだろう。
ビー玉が山頂にあったときには対称、つまり「まんまる」だったものが、谷底に転がり落ちた後では非対称、つまり対称性が破られているというわけだ。

私はヒッグス機構の何たるかを正確に理解していないのだが、素人だてらにこんな疑問を持った。
もし本当にワインボトルの底が「まんまる」なら、ビー玉は危うい状態で正確に山頂に乗ったまま、どこにも落ちないのではないかと。
おそらく実際には量子的なゆらぎをきっかけにして、ビー玉はどこかの谷底に落ちるのだろうと思う。
だとすれば、この対称性を破った真の原因は量子ゆらぎにあるのではないか。

例えば、球対称な電場のくぼみからトンネル効果によって電子が飛び出す、といった状況を考えてみる。
この状況下では、電子はどちらの向きに飛び出すのか分からない。
飛び出してきて観測にかかるまで、全く予測がつかないのである。
ヒッグス場もそんなものだろう、というのが私の理解である。

こういった対称性を破る量子ゆらぎがあるのだとすれば、
たとえ最初のビッグバンが「まんまる」だったとしても、
その後の宇宙は完全な球対称のままでは居られなくなる。
球の中に、ゆらぎによってほんのちょっとした歪みがいったん生じてしまえば、
あとはその歪みを足がかりにして構造を形作ることができるのだから。

こうした量子ゆらぎの存在は、「答えがただ1つに決まるはず」であった物理学の運命論に「待った」をかけることになる。
量子ゆらぎを含んだ系では、答は1つに決まらない。
答の確率は計算できても、答そのものをずばり言い当てる計算方法がないのだ。

ある原子核が次の瞬間に崩壊するのか、しないのか。
トンネル効果によって、どこに電子が飛び出してくるのか。
スリットをすり抜けた電子が写真乾板のどの位置にぶつかるのか。
こういった現象についてあらかじめ予測できるのは、天気予報のような確率までである。
本当の答は、実際にその事件が起こった後になってみるまで分からない。

量子ゆらぎは、宇宙全体の情報の所在についても一石を投じる。
現在の宇宙の姿は、最初の段階で全てが書かれていたのではなく、途中のゆらぎによって左右されるのではないか。
むしろ途中で左右される方が、最初に理不尽な仮定を敷くよりも自然なのではないかと思えてくる。
ちょうど一人の人間の運命がDNAではなく、その後の出会いで大きく変わるように。

しかし、よく考えてみると「答を知る計算方法が無い」ということと、
「答が最初から1つに決まっている」ことは、必ずしも同じではない。
ひょっとすると、我々人間が答を計算できないだけで、運命そのものは1つに決まっているのかもしれない。
もし宇宙が2つあって、同じビッグバンからスタートした宇宙が、
その後別の運命をたどるようなことがあれば「運命は後から変えられる」ことになるだろう。
残念ながら、比較可能な宇宙はただ1つしか無い。
なので、運命が決まっているのか、いないのか、実験的に確かめられる日は永遠にやって来ない。

宇宙の創生と同様、人間の一生についても、量子ゆらぎは何らかの影響を及ぼしているのだろうか。
個人の意志と努力を信じる者としては、生まれ落ちた瞬間に全ての運命が決まっているのではなく、その後の人生において左右されるのだと思いたい。
そこで、自由意志とは、量子ゆらぎの収縮と結びついているのではないか、といった希望的な想像を広げたくなる。

量子ゆらぎと人の意識を結びつけたアイデアは、世の中にいろいろと出回っている。
検討に足る高説から、あやしげなものまで。
中でも有名なのは「ペンローズの量子脳理論」だろう。
言い出したのが高名な物理学者だったので、多くの関心を集めることになった。

>> wikipedia:ロジャー・ペンローズ

>> wikipedia:意識

ペンローズの仮説の詳細を良く理解しないまま、疑似科学的な主張に都合良く利用されているケースもある。」

あぶない、あぶない。
だんだんあやしげな世界に近づいてきたので、この辺でやめておこう。