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小人さんの妄想 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2008-05-31

ドキドキ時間の最適配置

『ゾウの時間ネズミの時間』という、たいへんおもしろい本がある。

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

その巻末に「一生の歌」と題して、次のような歌がのっている。

 ぞうさんも、猫もネズミも心臓は、

 どっきんどっきんどっきんと、20億回打って止まる。


良い歌だ、特に「止まる」ってあたりが。

この歌によると、ぞうさんも、猫もネズミも、そして我々人間も、一生に与えられた心拍数はおよそ20億回だそうだ。

ならば、待てよ、と思った。

心臓をドキドキさせるような体験は、それだけ命を削っているということか。

ドキドキハラハラの映画を見たり、好きな人の前でドキドキしたり、スポーツでさわやかに汗を流したりするのも、全て20億回の命を激しく消費する行為ということになる。

もちろん命を削るに値する行為であれば大いに結構なのだが、自らの行いを反省すると、ほとんどどうでも良いことに命を無駄遣いしてきたような気がしてならない。

特に、私は若い頃スポーツに勤しんでいたのだが、あれは全て命の無駄遣いだったのだろうか。


ところがよく考えてみると、スポーツは必ずしも無駄とは言えない気もする。

というのは、体と心臓を鍛えてじょうぶにすれば、平静時の心拍数を低く抑えることができるからだ。

普通の人よりゆっくり動作する「スポーツ心臓」を形作ってしまえば、残りの人生をより長く過ごすことができるだろう。

最初に少しぐらい心拍数を消費しても、その後に消費する心拍数で逆転すれば、人生全体で得をするわけだ。

そうなると、長い人生に対してどのように心拍数を配分すべきか、最適な配分というものが考えられる。

簡単に言えば、前半にスポーツをして心臓を鍛え、後半は守りに入って心拍数を大切に使う、ということだ。

そしてこの配置は一般的な人の嗜好に、はからずも良く一致しているように思える。

私の身辺でも、ある年齢を境にスポーツへの興味がめっきり減る、といった話を良く聞く。

実のところそれは理に叶った行いなのだ。

反対に、若いころには部屋にこもって勉強か電子ゲームばかりして、高年齢になってから年甲斐もなくスポーツに目覚める、というのが最もいけない。


人は、年と共に感じ方、考え方が変わってくる。

人生に対する最適化配置は、何もスポーツに限った話ではない。

たとえば味の好みや音楽の趣味などは、年齢に応じてふさわしいものに変化してゆくだろう。

子供の頃には甘いもの、成長期には焼肉。

寿司屋にならぶ寿司の値段の順序が、自分の感じる味の順序通りになったなら味覚の完成形態に達したのだ、と聞いたことがある。

言われてみれば、私自身それに近づいてきたように思う。

(だいたい若いうちはそれほど寿司屋に行かないし)


時を追って変化するものの1つに、自分の抱く「理想の高さ」がある。

人生において「理想の高さ」をどのように配置したら、結果として最も成功するだろうか。

その答は「初期値をなるべく高い位置に置いて、年齢と共に少しずつ下げてゆく」ということだろう。

最初から小さな目標で満足してしまっては、もっと高い理想に達する可能性を逃してしまう。

かといって、現実を見ずに人生の終わりまであまりにも高い理想を掲げすぎると、結局何も果たせぬまま終わってしまう。

ではどうするか。

人生を開始した時点においては、可能性を信じて、とにかく高い理想を持つ。

そして、現実に触れるに従って少しずつ理想値を下げてゆくのである。

理想と現実が人生の終わりに一致するように配分するのが、最適な理想の掲げ方であろうと思う。

はからずも多くの人は、このパターンで目標値を設定しているようである。

だから、人生が挫折の連続である、というのは当然の帰結なのだ。


「自分はどうしてこうも駄目な人間なんだろう、俺はいままで何をやってきたんだろう、、、」

そう思って悩んでいる人は、実は現在上向きに上昇している人間である。逆に、

「ああ、自分はなんて素晴らしい人間なんだ、俺はこれまで何と立派な業績を上げてきたことか。」

そう思って満足している人は、実は現在下り坂にある人間なのである。

なぜそうなるか、ちょっと考えてみればわかるだろう。

今、自分が比較対象としているのは、少し過去の自分だからである。

・・・実はこれ、たしか私が中学生のころに国語の先生から聞いたお話。


最適化配置の一例として「浜辺の美女の問題」というのが知られている。

浜辺にN人の女性がいたとして、一度に一人ずつ、順番に会うことしかできない。

できるだけお気に入りの美女とデートしたいのだが、どのように声をかければ最も望みに叶うのだろうか。

あまりにも最初に声をかけてしまうと、後からもっと素晴らしい女性が現れるかもしれない。

かといってただ見ているだけだと、チャンスを逃してしまう。

この答は、全体の 1/e を超えたところから声をかける、というのがいい線いっているらしい。

1/2.71828... およそ 1/3 のところで決断する、と覚えておくとよい。

これはけっこう日常生活で役に立つことがある。


ふと検索したら、このブログが引っかかった。

* 浜辺の美女問題....戦略といえば

http://ameblo.jp/prof-morii/day-20061003.html

* 浜辺の美女問題 解答編

http://ameblo.jp/prof-morii/entry-10018355495.html

私は「数学100の問題」という本(実はけっこう古い)でこの問題を知ったのだが、上のブログの方も同じ本で知ったらしい。

なんとなく嬉しい。

ちなみに、「浜辺の美女の問題」に対する私の解答は次のものである。


とにかく片っ端から声をかけまくる。

その中で1人でも振り向いてくれれば、それで良しとする。トホホ、、、


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