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小人さんの妄想 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2008-07-26

魂のアメリカ人

最近では、小学校にも英語の時間がある。

週に1時間だけ、英語の歌を歌ったり、ちょっとした英語のゲームを行ったりしているようだ。

改めて思い直してみると、中学校と高校を合わせて、全部でどのくらい英語に時間を裂いてきただろう。

しかもそれだけに飽きたらず、さらに大学でも、社会人になってからも英会話スクールなんかがあったりする。

これほどまでに努力を傾けているにもかかわらず、英語をモノにしている日本人は案外少ないように思える。

かく言う私も学生の時分は英語が大嫌いで、こんなものは一生使うことは無いだろうと思っていた。

しかしその予想は外れて、社会人となって意外にも英語を使うチャンスはあった。

それというのもコンピューター関連の仕事に就いたため、英語マニュアルの読解、インターネットでの英語文献読みがしばしあるからだ。

英語の使い方の内訳は、読み=98%、書き=1.5%、話す+聞く=0.5% くらいだろう。


現行の英語教育は「読み・書き・文法」に偏重していて、ものの役に立たない、といった話をよく耳にする。

ところがどっこい、私に関して言えばこの配分は正しかった。

自分では全くダメだろうと思っていても、いざ英語のマニュアルを目の前にすれば、案外何とかなるものだ。

これは嫌々ながらも中学高校で詰め込んだ電池のおかげだろう。

なのでやっぱり学校の英語をバカにせず、もう少しまじめにやっておいた方が良かったのだ。

(実はコンピューターのマニュアルは書いてあることが決まっていて、英語としては簡単なのだ。

 むしろコンピューター用語の方が難しいかも。)


日本人は会話が下手で、実力以上に英語ができないように見られる傾向にあるらしい。

ところが「読み」だけはできるので、解らないだろうと思って卓上に投げ出しておいた重要書類をちゃっかり読んでしまって、案外得することもあるのだとか。

私は重要書類を盗み見たことはないが、確かにこの傾向は自分にも当てはまっていると思う。


もし本当に「会話で生きる英語」を身につけたかったら、いろいろな方法があるだろう。

言語を覚える過程を考えれば、当然、シャワーを浴びるように大量に聞きまくる、というのが良いように思う。

いっそ中学高校から英語の時間を全て抜いて6年間を5年間に短縮し、余った1年はアメリカで暮らすというのはどうだろう。

他にもたくさん方法はあるだろうが、依然として学校での英語は「読み・書き・文法」のままである。

これはどうしたことか。

文部省のお偉方の頭が古くてバカなのだろうか。

いや、実はそうではないだろう。

お偉いさんとて、本気で英語ができるようになりたければ、もっと良い方法があることくらい承知しているはずだ。

にも関わらず、こんなイビツな英語教育を行っているのには訳がある。

その理由とは、

 「英語を通じて技術は取り入れたいのだが、魂までは取り入れたくない」

からだと思う。


言語とは、人の思考そのものである。

本格的に英語を吸収するとは、要するにアメリカ人になる、ということなのだ。

そのためには小手先の文法などではなく、心の在り方までアメリカンにならなくてはいけない。

・何事にもアクション付きで、つい両手を広げて「ア〜ハ!」と相づちを打ってしまう。

・人の目をのぞき込み、視線をそらさず語る。

・困った時にはOOPS!、痛いときにはOuch! と叫んでしまう。

・そもそも頻繁によく叫ぶ。

英会話を会得するとは、とどのつまり魂を日本人からアメリカ人に乗せ替えることなのだ。

その影響たるや、下手をすると日本という国家そのものを失いかねないほどに大きい。

この国家消失の危機を未然に防ぐため、学校教育ではあえて会話のレベルを上げないように抑えているのではないか。

そして、この目的からすれば、現行の学校教育は極めて上手く機能していると言える。


ところが最近、この「学校教育の努力」にも関わらず、魂がアメリカ人になっている人をちらほら見かけるようになってきた。

「魂のアメリカ人」とは、日本で生まれ育っているにも関わらず、心の在り方がアメリカ人になっている人のことである。

必ずしも英語が得意な人を指すわけではない。

私の知る限り、派手なIT系に多い。

何というか、英会話を会得する以前に、先に魂の方がアメリカンなのである。

特徴としては、

・やけに明るく、いつも乾いた笑顔を浮かべている。

・常に正面を向いて主張する。常に良くしゃべる。

・やたら握手をする。

・あらゆる物事の善悪をはっきりと白黒2色に分け、正義を押し切る。

・単純明快でプラグマティック

・たくさんあることや、大きいものが好き。

・濃い。

こういう人、あなたの身の回りにもいませんか?

この性格が生まれつきなのか、それとも昨今の日本がアメリカに近づいたからなのか、よく分からない。

一見するとすごくいいやつにも思えるが、もし日本中が「魂のアメリカ人」ばかりになったなら、やはり日本という国家は消失するようにも思えてしまう。


アメリカという言葉には、文明への憧れが込められている。

この思いはアメリカが身近になった我々の世代より、1つ前の父親の世代に顕著だと感じる。

こういう言い方は不謹慎かもしれないが、私の父にとってアメリカとは、ずばり「B-29」のことではないかと思う。

私の父は、お腹を空かして実際にB-29を見上げた世代である。

そんな父が、ふと「B-29というのは、とても美しい機体だ」と漏らしたことがある。

それを聞いて私は、これが父の心象風景にあるアメリカなのではないかと思った。

もちろん私はB-29というものを、写真でしか見たことがない。

白銀に輝き、高度一万メートルを飛翔するB-29の姿は、確かに恐ろしいまでに美しい。

その姿を実際に目にしたら、たぶん一生忘れないだろうと思う。


もう1つ父から聞いたことがあるのは「にんじん畑」の話である。

父は、まだ1ドル360円の頃にアメリカに出張に行ったことがある。

そのときのみやげ話の大半を忘れてしまったが、1つだけ「にんじん畑」の話はよく覚えている。

それというのも、父はことある度に何回かこの話を繰り返したからだ。

父が行ったのは、アメリカの中でも有数のにんじんの産地だった。

そこで何かの折に車で町の郊外に出かけて、にんじん畑を見せてもらったそうだ。

ところがそのにんじん畑というのが、父の話によると「地平線の果てまで全部にんじん」だったのだ。

見渡す限り、360度、海のように、全部にんじん!

これを見た父はたいそう驚いて、「アメリカには無尽蔵にモノがある」と言っていた。

そして、「先にこの目でにんじん畑を見ていたら、アメリカとは戦争しなかったはずだ」と何度も言っていた。


1世代前にとってのアメリカと比べて、現在我々の世代にとってのアメリカはだいぶ違っているように思う。

アメリカはそれほど遠い所ではなくなったし、日本の生活もアメリカに近づいた。

それでも、ここまで近くなっていながらも、相変わらず英語コンプレックス丸出しで英会話スクールに通う日本人はたくさんいる。

物質的な距離のように、魂の距離はすぐには近づかないようだ。


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